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処刑回避を目指して未来の私と共に清楚系令嬢の仮面を剥ぎとります  作者: 宗像 凪


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第28話

【大陸暦一二二七年四月】


 王都の桜が、満開の季節を迎えていた。

 王宮の庭園は淡いピンク色に染まり、風が吹くたびに花びらが雪のように舞い散る。春の陽光はどこまでも暖かく、長く厳しい冬がようやく終わったことを告げていた。


 王宮内では、隣国からの国賓訪問に向けて慌ただしい準備が進められている。今回の訪問は周辺数カ国からの使節団を迎える重要な行事で、数日後には歓迎式典と晩餐会が予定されていた。


 そんな喧騒の片隅を、一人の青年が書類を抱えて歩いていた。

 元王太子付き側近、フェリックス・バーネットである。


 明るい茶色の髪は、以前よりも少し伸びている。かつての人懐っこい表情は影を潜め、その瞳にはどこか重い翳りが宿っていた。

 彼は現在、文官見習いとして様々な雑用を命じられる日々を送っている。実家に戻されてから、約八ヶ月が経とうとしていた。


    ◇


 フェリックスが実家であるバーネット男爵家で謹慎の日々を送り始めたのは、去年の八月のことだった。

 王太子付き側近を解任され、「二度と王太子の前に姿を見せるな」と命じられた彼は、屋敷に籠もり、ひたすら己の行為を振り返った。


 最初の数ヶ月、彼の心を占めていたのはセシリアへの狂おしいほどの想いだった。

 あの美しいプラチナブロンドの髪、吸い込まれそうな翠緑の瞳、そして清楚で優しい微笑み。そのすべてが、彼にとっては正義だった。


(セシリア様は悪くない。彼女の清らかな笑顔を守るためなら、僕はなんだってする)


 窓から見える退屈な庭を眺めながら、フェリックスは何度も自分に言い聞かせた。自分が失敗しただけだ。セシリア様のためを思って勝手に暴走した、自分の不徳の致すところなのだ。もう一度チャンスがあれば、今度こそ完璧に彼女を支えられるはずだと、歪んだ情熱を燃やし続けていた。


 しかし、時間は残酷なまでに平等に流れていく。

 九月、十月と月日が過ぎ、セシリアの影響下から物理的に切り離されたことで、フェリックスの熱に浮かされたような心境は、少しずつ変化していった。


 客観的に自分の行動を見つめ直したとき、冷や汗が止まらなくなった。王太子のワインに下剤を混入するなど、一歩間違えれば家を潰しかねない暴挙だ。


(……僕は、何をしていたんだ?)


 ある日、鏡に映る自分の顔を見て愕然とした。恋という熱病に浮かされ、仕える主に害をなそうとまでして。

 後悔と反省が、重い石のように胸に積み重なっていく。


 年が明け、二月に入る頃。彼の中に一つの小さな、しかし消えない違和感が芽生えていた。

 あの日、セシリア様が自分にかけた言葉。あのとき見せた、一瞬の表情。


(もしかして……僕はセシリア様に、利用されていたのではないか?)


 その考えは、彼の世界を激しく揺さぶった。彼女への恋心はまだ完全には死に絶えていない。あの優しい笑顔を思い出すたびに、今でも胸が締め付けられる。しかし同時に、彼女が自分を巧みに操っていたのではないかという泥のような疑念を、もう拭い去ることはできなかった。


 三月の半ば、父が謹慎部屋を訪れた。


「フェリックス」


 バーネット男爵は、やつれた息子の顔を静かに見つめた。


「国王陛下に嘆願した。そろそろお前を許していただきたいと。陛下は、お前が真摯に反省しているなら、文官の手伝いから始めることを条件に許可すると仰った」


 フェリックスは思わず顔を上げた。王宮に戻れる喜び。しかし同時に、強い不安が胸を去来する。

 セシリア様に再会することになる。謹慎期間中、愛と疑いの間で揺れ動いてきた、あの人に。


「ありがとうございます、父上。今度こそ、きちんとやります」


 フェリックスは、父の前で深く頭を下げた。


    ◇


 文官見習いとしての仕事は、地味なものだった。

 書類整理に会場設営、備品の点検。かつての華やかな側近時代とは真逆の裏方作業だが、フェリックスは文句一つ言わず、真面目に取り組んだ。


 時折、廊下で王太子の隣を歩くセシリアの姿を遠くから見かけることがあった。

 相変わらず清楚で美しい彼女を見るたび、フェリックスの心は激しく千切れた。「やはり、あの方は素晴らしい」と思う自分と、「自分は利用されたのでは」と疑う自分が、胸の中で醜く争っている。


 ある日、廊下でリリアナともすれ違った。彼女は少し驚いた表情を見せたが、以前のような親しさもなければ、かといって冷たく突き放すようなこともなかった。


「フェリックス様、お久しぶりですね」

「リリアナ様……」


 短い挨拶を交わす。かつての無礼を思えば、合わせる顔がない。フェリックスは申し訳なさと恥ずかしさで胸がいっぱいになりながら、足早に立ち去るしかなかった。


    ◇


 晩餐会当日の午後。フェリックスは上官から、来客用小部屋の最終点検を命じられた。


「一つひとつ回って、備品の確認と清掃状態のチェックをしてくれ」

「承知いたしました」


 書類を手に、王宮の奥へと向かう。

 椅子の配置、水差しの準備、カーテンの汚れ。手抜かりがあれば国の体面に関わる。彼は一つひとつの部屋を丁寧に回り、他に人影のない静かな廊下を進んでいった。


 ある小部屋の前に立った、そのときだった。

 扉の向こうから、聞き覚えのある女性の声が漏れ聞こえてきた。


(セシリア様……?)


 フェリックスは、思わず足を止めた。心臓がドクンと大きく跳ねる。

 晩餐会までまだ数時間ある。彼女がこんな場所で、一体何を?


 立ち去るべきだ。仕事中なのだから。

 理性がそう囁くが、足が動かない。もう一度だけ、彼女を近くで感じたいという未練か。それとも、胸に巣食う疑念の正体を確かめたいという衝動か。


 フェリックスは廊下を見回した。誰もいない。

 ごくり、と唾を飲み込む。

 葛藤に引き裂かれそうになりながらも、彼は導かれるようにそっと扉へと歩み寄った。


 扉は完全には閉まっておらず、わずかな隙間があった。

 フェリックスは息を殺し、薄い隙間から中を覗き込んだ。


 そして――彼は、見てしまった。


    ◇


 小部屋の中で、セシリアが誰かと対峙していた。

 相手は、どこかの国の使節の随行員らしき服装の男性だった。質素だが品のある服装。しかし、二人の距離はあまりにも近く、気安い空気が漂っていた。


 何よりフェリックスを戦慄させたのは、セシリアの表情だった。

 王太子の前で見せるあの柔らかな微笑みは、どこにもない。

 そこにあるのは、真剣で、研ぎ澄まされた刃のような冷たさを湛えた、見知らぬ女の顔だった。


 会話は小声で、内容までは判然としない。

 だが、その言葉の「響き」が、フェリックスの耳に突き刺さった。どこかで聞き覚えのある、独特の硬い発音。


 謹慎期間中、彼は暇に任せて周辺国に関する書物を読み漁っていた。特に、東の国境で不穏な動きを見せている軍事国家・ノルヴェリアについては、王太子に仕えていた頃の記憶もあり、その言語の特徴についても学んでいたのだ。


(まさか……ノルヴェリア語……?)


 セシリアが話している言葉。それは、母国語のように流暢な、ノルヴェリアの言葉だった。


(なぜ、セシリア様がノルヴェリアの人間と……?)


 心臓が、喉から飛び出しそうなほど激しく打つ。

 王太子やリリアナとの会話が蘇る。「国境地帯でノルヴェリアの動きが活発になっている」と。

 そのような国の人間と、彼女は密会し、人目を忍んで語らっている。


 初めて、明確な恐怖がフェリックスの心を支配した。

 セシリア様が裏切るはずがない。そう信じたい自分を、眼前の光景が残酷に打ち砕いていく。


 彼は動揺を抑えながら、音を立てないようにその場を離れた。

 冷や汗が背中を伝う。廊下を歩く自分の足音が、やけに大きく響いて聞こえた。


    ◇


 晩餐会が始まり、大広間は華やかな喧騒に包まれていた。

 フェリックスは裏方として廊下で待機していたが、その目は一点を、ノルヴェリアの使節団を注視していた。


 そして――見つけた。

 先ほど小部屋でセシリアと密会していた男が、使節団の列の中に混じって歩いている。


(やはり、ノルヴェリアの人間だった……)


 フェリックスは壁に背を預け、崩れそうになる膝を必死に支えた。

 疑念が確信に変わった瞬間、視界が歪むような感覚に襲われる。


 セシリア様が、敵対の懸念がある国の人間と密会し、その国の言葉を操っている。

 それは一体、何を意味するのか。彼女は、何者なのか。


 晩餐会の間中、フェリックスは激しい葛藤の渦中にいた。

 窓辺に立ち、月明かりに照らされた桜が舞う庭園を見つめる。

 

(僕は、また過ちを繰り返すのか?)


 謹慎中の後悔が蘇る。あの時、自分はセシリアのためだと思って暴走し、すべてを壊した。

 今、ここでこの事実を黙り込めば、それは再び彼女に操られ、国を裏切るのと同じではないのか。

 今度こそ、正しいことをしなければならない。


 フェリックスは、長い自問自答の末、決断した。

 報告すべきは、彼女に盲目的な王太子ではない。第二王子ヴィクトール殿下だ。


    ◇


 晩餐会が終わり、来賓たちが退出した後。フェリックスは王宮の廊下でヴィクトール殿下を探し出した。


「フェリックス・バーネットか。何の用だ」


 ヴィクトールの青灰色の瞳が、鋭く彼を射抜く。


「殿下、お話があります。人目のつかない場所で、至急お伝えしたいことがございます」


 執務室の重い扉が閉まると同時に、フェリックスは震える声で、目撃したすべてを打ち明けた。

 小部屋での密会、ノルヴェリア語での会話、そして彼女の恐ろしいほど冷徹な変貌。


「私は……セシリア様を信じたい。でも、あれは明らかにおかしかった。もし私の勘違いなら無視してください。ですが、もし本当に国に害をなすことなら……!」


 ヴィクトールは長い沈黙の後、深く、強く頷いた。


「よく報告してくれた、フェリックス。君の勇気を評価する。この情報は、非常に重要だ」


 ヴィクトールはすぐに侍従を呼んだ。


「リリアナ・エスタークを呼べ。至急だ」


    ◇


 三十分後、到着したリリアナは、フェリックスの報告を聞くうちにみるみると顔色を変えていった。


「まさか……セシリアがノルヴェリアのスパイ……?」

「先月の調査結果と合わせれば、符合する。彼女は別人で、しかもノルヴェリアの手先として入り込んだ可能性があるな」


 ヴィクトールが低い声で断じる。「国家の危機だ」という言葉が、重く室内に響いた。


 フェリックスは、二人の会話を黙って聞いていた。別人? スパイ? それは一体、どういうことだ。しかし、彼は口を挟む立場にはない。ただ、自分が報告したことが、とてつもなく重大なことに繋がっているらしいということだけは分かった。


「フェリックス。この情報は絶対に外部に漏らさないでくれ。君の協力に感謝する。今日のことは、必ず覚えておく」

「……はい。失礼いたします」


 フェリックスが退室し、部屋にはリリアナとヴィクトールだけが残された。


    ◇


「セシリアが、ノルヴェリアと繋がっているとしたら……」


 二人きりになった部屋で、口に出した私の声が震えていた。


『そうよ、きっと。あいつの目的は王太子妃の座じゃない。この国そのものを内部から弱体化させ、破壊することだったのよ!』


 アナの声が、かつてない激しさで脳内に響く。一方で殿下は冷静に、しかし迅速に諜報機関の再編とセシリアの監視強化を命じた。


「フェリックスには感謝しなければならないな。彼がいなければ、この決定的な繋がりには気づけなかった」


『あーあ。どうやらフェリックスは許さざるを得ないわね。ちょっと悔しいけど』


 アナが不満げにこぼす。それに対し、私はとりなすように応じた。


(それはそうだけど……でも、フェリックスがやったことって、王太子に下剤を飲ませようとしただけよね?)


『そうね。多少はイラッとさせられたけど、私たちに大した害はなかったわね。まあ、あいつは未来でもセシリアの腰巾着をやってただけの小物だったし』


(……あ)


 私はふと、八ヶ月前の出来事における己の重大な誤りに気づいてしまった。


(私たち、なんであのときワインをすり替えちゃったのかしら。むしろ下剤を倍量にすべきだったわ。そうしたら、王太子の醜態が見られたかもしれないのに)


『リリィ……あなた、意外と腹黒いわね』


 アナの声に微かな笑いが混じる。


「フェリックス様は、本当に変わられましたわね」

「謹慎期間で、少しは成長したようだな。以前の彼なら、セシリアを疑うことなど不可能だっただろう」


 窓の外では、夜風に吹かれた桜の花びらが暗闇に舞っている。

 静かな春の夜。しかし、それはこれから始まる巨大な嵐の前触れに過ぎなかった。


 物語は、真実を暴くための最終局面へと動き出そうとしていた。

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