表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑回避を目指して未来の私と共に清楚系令嬢の仮面を剥ぎとります  作者: 宗像 凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/38

プロローグ

【大陸暦一二二八年八月十五日】


 冷たい石の床に寝かされて、私は目を覚ました。


 視界に映るのは、薄暗い独房の天井。

 湿り気を帯びた石造りの壁。

 鉄格子越しに差し込むわずかな光が、宙に舞う埃を白く照らしている。


 ああ、そうだった。

 今日は、私の処刑の日だ。


 リリアナ・フォン・エスターク、十八歳。

 エルデンハイム王国屈指の名門であるエスターク公爵家の長女として生まれ、かつては王太子エドワード殿下の婚約者だった。

 そんな私は今日、国家反逆罪という身に覚えのない罪で、その生涯を終える。


 遠くから、地鳴りのような民衆の声が聞こえてくる。

 彼らは私の死を、娯楽のように待ち望んでいた。


「悪女を処刑しろ!」

「国を裏切った罪人に死を!」


 私は、何も悪いことなどしていないのに。


 重い体を起こし、膝を抱えて座る。

 もう何もかもが終わったのだ。

 喉の奥は乾ききり、弁明の言葉すら出てこない。助けてくれる人も、もうどこにもいなかった。


 ――どうして、こんなことになったのだろう。


 全ての始まりは、三年前の夏。

 あの日、私は運命の出会いをした。

 セシリア・ローゼンタールという令嬢と。


 プラチナブロンドの髪に、吸い込まれるような翠緑の瞳を持つ、清楚で美しい少女。

 誰からも愛される完璧な令嬢。

 私も最初は、彼女をかけがえのない友人だと思っていた。


 まさか、その微笑みのすべてが、冷徹な演技だったなんて。


 王太子エドワード殿下は、瞬く間にセシリアに心を奪われた。

 社交界で殿下とセシリアが睦まじく話す姿を、私は何度、壁際から見つめただろう。


 セシリアは殿下の腕に軽く触れ、甘えるように上目遣いで微笑む。

「殿下、お疲れではございませんか?」

 

 その瑞々しい唇から溢れる気遣いに、殿下は相好を崩して答える。

「セシリアは本当に優しい」


 かつて、私が同じ言葉をかけた時、殿下は疎ましそうにこう言った。

「リリアナの気遣いは義務的で、可愛げがない」


 セシリアが言えば心からの献身となり、私が言えば無機質な義務となる。

 ある日、私が殿下の執務室を訪れると、そこにはすでにセシリアの姿があった。

 彼女は殿下の隣にぴたりと寄り添い、書類を見つめて感嘆の声を上げる。


「殿下は本当に、ご立派ですわ」


 殿下は得意げに政務の話を語り聞かせていた。

 私には決して見せなかった、とろけるような柔らかい笑顔で。


「リリアナは優秀だが、冷たすぎる。セシリアこそが、私を理解してくれる唯一の女性だ」


 殿下はそう吐き捨て、私との婚約を一方的に破棄した。

 そして数週間後。

 王宮で盛大な披露宴が開かれ、新しい王太子妃候補として、セシリア・ローゼンタールの名が国中に知れ渡った。


 セシリアは殿下の隣で、幸せそうに頬を染めていた。

「私、夢のようですわ……」


 周囲の貴族たちは、手のひらを返したように二人を祝福した。

「お似合いのお二人だ」

「セシリア様こそ、次期王妃に相応しい聖女のような令嬢だ」


 それだけなら、まだ良かった。

 心は深く傷ついたけれど、愛のない婚姻を続けるよりは、別の人生を歩む道もあったはずだから。

 

 けれど、彼らは私を逃がさなかった。


 婚約破棄から数ヶ月。

 突然、私に国家反逆罪の容疑がかけられた。

「隣国ノルヴェリアに機密情報を流していた」という、卑劣な濡れ衣だ。


 開かれた裁判は、まさに茶番だった。

 殿下の側近の一人、ダミアン・クロウが証言台に立ち、軽蔑の視線を私に向ける。

「確かに見ました。リリアナ様が、闇夜に紛れて怪しい人物と接触しているところを」


 もう一人の側近、フェリックス・バーネットも後に続いた。

「私も目撃しました。彼女は明らかに何かを隠していましたよ」


 二人とも、息を吐くように嘘をつく。

 けれど、目の前には完璧な証拠が並べられていた。

 偽造された手紙、改竄された記録。すべては私を葬り去るために周到に用意された罠。


 そして極めつけは、長年私に仕えてくれた侍女、マリアの証言だった。


「申し訳ございません……でも、真実を話さねばなりません」


 マリアはさめざめと涙を流しながら、断罪の一言を放つ。

「リリアナ様は、私に機密文書を持ち出すよう命じました。私は恐ろしくて、でも、逆らえなくて……」


 信頼していた者に裏切られた瞬間、私の心は音を立てて砕け散った。


 誰も私を信じなかった。

 父は公爵家を守るために私を切り捨て、兄は辺境の任務に就かされており間に合わなかった。

 かつての友人は皆、勝ち馬であるセシリアの側へと去っていった。


 殿下は正義の審判者であるかのように、冷酷な宣告を下した。


「証拠は揃っている。リリアナ・フォン・エスターク、お前を国家反逆罪により、断頭台での処刑に処す」


 法廷の隅で、セシリアは悲しげに顔を伏せていた。

 けれど、私には見えた。

 伏せられた睫毛の隙間で、彼女の翠緑の瞳が、愉悦に歪んで笑っていたのを。


(……すべて、あなたの仕業だったのね)


 私が邪魔だったのだ。

 王妃の座に登り詰めるため、血統も後ろ盾も完璧な「元婚約者」という存在を、根絶やしにしたかったのだ。

 

 けれど、誰も私の叫びには耳を貸さない。

「心優しいセシリア様が、そんな酷いことをするはずがない」と。


 ――ガチャリ、と重い鉄の音が響く。


「時間だ。立て」


 武装した衛兵が二人、無機質な足音を立てて迎えに来た。

 私はゆっくりと立ち上がり、覚悟を決める。


 せめて最後まで、エスターク公爵家の娘として、誇り高くあろう。


 衛兵に両腕を掴まれ、独房から引きずり出される。

 カチカチと石床を叩く靴音。

 処刑場へと続く、長く暗い廊下。

 やがて大きな扉が左右に開かれ、突き刺すような眩しい光が差し込んだ。


 王都の中央広場。

 そこには無骨な断頭台が鎮座し、周りには黒山のような群衆が詰めかけていた。


「出てきたぞ!」

「国を裏切った悪女だ!」

「殺せ! 処刑しろ!」


 罵声が耳を劈き、どこからか投げられた石が頬をかすめる。

 民衆は、セシリアの振りまいた虚構の噂を信じ、私を「絶対の悪」だと決めつけていた。


 断頭台への階段を、一段、また一段。

 高い場所に立つと、群衆の醜い顔がよく見えた。

 怒り、憎しみ、そして下劣な好奇心。


 そして――私は見つけてしまった。


 群衆の最前列に、セシリアがいた。


 彼女はプラチナブロンドの髪を優雅に結い上げ、身に纏うのは繊細なレースをあしらった上質の絹のドレス。

 対する私は、櫛も通されず艶を失った髪に、埃にまみれた囚人服。

 

 セシリアは殿下のすぐ隣で、痛ましそうに両手で顔を覆っていた。

 周囲の人々が、口々に彼女を慰めている。

「ああ、お優しいセシリア様。元友人の処刑を見届けるなど、お辛いでしょうに」


 殿下は彼女の肩を抱き寄せ、甘い声で囁く。

「無理をしなくていい。君は十分に慈悲深いよ」

「いいえ、殿下。これも、私の務めですわ……」


 虫酸が走るほどの完璧な演技。

 けれど、指の隙間から覗く彼女の瞳は、一点の曇りもなく勝ち誇っていた。


 私たちの視線が、一瞬だけ重なる。

 セシリアの唇が、音もなく動いた。

 幼少期に読唇術を学んでいた私には、その言葉が残酷なほど鮮明に読み取れた。


『――さようなら、リリアナ様』


 どろりとした憎悪が、胸の底からせり上がる。

 けれど、縛られたこの身では、もう指一本動かせない。


 断頭台の中央で、王太子エドワードが巻物を広げた。

 金髪に青い瞳。かつて私が愛した男。

 殿下は朗々と、断罪の言葉を読み上げる。


「リリアナ・フォン・エスターク。お前は国家反逆罪により、ここに断罪される。悪は滅びるべきだ。正義は、必ず勝つのだ!」


 正義。

 あまりの滑稽さに、笑いが込み上げそうになる。

 あなたはただ、女の甘い毒に踊らされているだけなのに。


 衛兵に促され、私は台の上に跪かされた。

 頬を打つ、冷たい木の感触。

 首を置く窪みに、頭を乗せる。

 すぐ隣で、執行人が巨大な斧を静かに構えた。


 ――ああ、本当に終わりなのだ。


 意識の淵で、走馬灯のように記憶が蘇る。


 亡くなった母の優しい笑顔。十二歳の頃、病床で握られた手の温もり。

『リリィ、あなたは強い子。どんな時も、自分を信じなさい』


 お母様。ごめんなさい、私は強くなれなかった。


 父の厳格な横顔。転んで泣いていた私を無言で抱き上げてくれた、あの大きな手。

『お前はエスタークの娘。この程度のことで涙を見せてはならぬ』

 

 お父様。私を捨てたあなたを、それでも恨みきれません。


 そして、兄の不器用な励まし。

『お前は優秀だな。将来、きっと立派な王妃になれるぞ』


 お兄様。最後まで私を助けようとしてくれて、ありがとう。


 奪われた婚約者の地位。

 踏みにじられた公爵家の誇り。

 何もかもを、あの女に奪われた。


 もし。

 もしも、もう一度だけやり直せるなら。

 時間を巻き戻すことができるなら。


 今度こそ、あの女の化けの皮を剥いでやる。

 騙されていた自分の愚かさを捨て、地を這ってでも真実を暴いてみせる。

 この無念を、絶望を、すべてあいつらに返してやる。


 執行人が、斧を天高く掲げた。

 群衆が固唾を呑み、世界から音が消える。


 ――もう一度。私に、チャンスを。


 斧が、一気に振り下ろされた。


 首筋に鋭い衝撃が走る。

 刃が落ちた瞬間、視界は真っ白な光に塗りつぶされた。


 意識が、遠い闇へと溶けていく。


 もし、もう一度……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ