3.観測者
魔導帝国アストリア。
中央監察庁・最深部。
そこは、装飾も威圧も存在しない、無機質な白の空間だった。
壁、床、天井――
すべてが、観測と解析のためだけに作られている。
その中央に、男は立っていた。
第七監察官――
ヴァルター・クロウ。
黒衣に身を包み、年齢は不詳。
表情は穏やかで、どこか学者めいている。
だが、その瞳の奥には、人を人として見ない冷たさがあった。
「……なるほど」
彼は、宙に浮かぶ魔導ログを眺めていた。
星窓の書庫、侵入時の記録。
結界破壊の瞬間。
魔力波形、空間歪曲、雷撃残滓。
「破壊効率が、異常に高い」
ヴァルターは、指先で一つの波形をなぞる。
「力任せではない。
“壊すべき一点”を、最初から理解している」
背後から、補佐官が声をかける。
「監察官。
侵入者は、偶発的な存在では?」
ヴァルターは、首を横に振った。
「いいや。
これは――」
一拍。
「革命家だ」
補佐官が息を呑む。
「革命……?」
「既存秩序の弱点を見抜き、
最小の力で、最大の破壊を行う。
――反乱者とは、根が違う」
ヴァルターは、淡々と続ける。
「構造を理解した者の犯行だ」
彼は、別のログを呼び出した。
雷撃の解析データ。
「特に、これだ」
「雷魔法……ですか?」
「違う」
ヴァルターは、わずかに口角を上げた。
「これは、魔法ではない。
概念干渉だ」
補佐官の顔色が変わる。
「概念……?」
「“雷”という現象を使って、
“秩序の破壊”という意味を、世界に強制している」
ヴァルターは、確信を込めて言う。
「この男――
世界法則を、道具として使っている」
沈黙。
それは、帝国にとって
最も危険な存在を示す言葉だった。
「位置は?」
ヴァルターが問う。
「不明です。
転移痕も消失。
追跡魔法は――」
「通じない」
ヴァルターが遮る。
「当然だ。
彼らは、我々の“ルール”の外にいる」
彼は、ゆっくりと歩き出した。
「ならば、方法を変える」
同時刻。
帝都下層区。
一見すると、いつも通りの夜。
酒場、路地、貧民街。
だが――
秩序は、静かに組み替えられていた。
「……?」
一人の情報屋が、違和感に気づいた。
いつもの連絡役が、来ない。
昨日まであった密売ルートが、機能していない。
翌朝。
帝都の裏社会で、噂が流れ始めた。
「消えた……?」
「レジスタンスの連中が、
一晩で、根こそぎ……」
争った形跡はない。
血もない。
ただ、存在だけが整理されるように消えていた。
昨日まで使われていた合言葉だけが、
路地の壁に、消し忘れた落書きのように残っていた。
ヴァルターは、その報告を聞いて頷いた。
「順調だ」
「監察官……
レジスタンスを潰しても、
侵入者は――」
「現れる」
ヴァルターは、断言した。
「彼らは、革命家だ。
民を必要とする」
彼は、帝都全域を映す地図を指差す。
「支配に抗う者を、
助けずにはいられない」
補佐官は、はっとした。
「つまり……
罠を?」
「いや」
ヴァルターは、静かに言う。
「環境を整えるだけだ」
彼の視線が、帝都全体を覆う。
「彼らが動けば、
必ず“思考の痕跡”が残る」
「雷の男は、派手だ。
防御の男は、守ることを優先する。
影の男は、裏から動く。
知の男は――」
一瞬、ヴァルターの声が低くなる。
「必ず、情報に触れる」
彼は、微笑んだ。
「革命家は、
“考える”ことをやめられない」
その夜。
ヴァルターは、現場に姿を現さなかった。
ただ、
帝都のどこかで――
解析ログが、静かに積み上がっていく。
瓦礫の残る倉庫。
修復された配給施設。
救われたはずの地下区画。
そこに残る、微かな雷の残滓。
盾の魔力痕。
そして――思考の癖。
ヴァルターは、白い空間で独り呟いた。
「……0.003秒」
誰もいない場所に向かって。
「この時間で、
勝負を決める癖がある」
彼は、ログを閉じた。
「いいだろう」
その瞳が、静かに獲物を定める。
「――観測を始めよう」
その頃。
地下の隠れ家で、久坂玄瑞が顔を上げた。
「……妙だ」
「どうした?」晋作が問う。
「帝都の情報網が、
“整理されすぎている”」
稔麿が、低く言う。
「……誰かが、
俺たちの動きを
前提にして街を動かしている」
久坂の背筋に、冷たいものが走った。
「――罠です」
「今さらか……」
晋作は、口の端だけで笑った。
だが、久坂は首を振った。
「いえ……
もう一段、深い」
彼は、静かに続けた。
「我々は、
まだ戦ってすらいない」
「……なのに、
もう――」
久坂は、言葉を選ばなかった。
「見られています」
遠くで、雷が鳴った。
だがそれは――
晋作のものではない。




