幕間 星窓の書庫/理の崩落
星窓の書庫・中央制御室。
巨大な水晶盤が宙に浮かぶ静謐な空間で、副管理官リオネル・アルクレインは、温い紅茶を啜っていた。
壁一面に刻まれた古代ルーンは淡く脈動し、アーク・プロテクトが完全稼働していることを示している。
警戒値、基準以下。魔力循環、安定。
「今夜も平和だな」
彼はそう呟き、定時報告書を指で弾いた。
侵入兆候なし。魔力異常なし。巡回異常なし。
当然だ。
星窓の書庫は、魔導帝国アストリアの知そのもの。
帝国が支配するのは軍でも兵器でもない――理ロゴスだ。
「レジスタンスは、力で勝てると思っている」
リオネルは鼻で笑った。
「だが我々は違う。世界法則そのものを、制度として運用している」
アーク・プロテクトは単なる防壁ではない。
それは世界法則と同期した、拒絶機構だった。
地下二層の恒久魔導炉。
入力と出力を同時に行う循環式防御。
修復遅延、0.003秒――だがそれは、人間が認識できない誤差だ。
切り替えは同時。
世界がそう“理解する”限り、防御は常在する。
それが覆る前提は、想定されていない。
「侵入は、論理的に不可能だ」
それは彼自身の職業人生を、肯定する言葉でもあった。
その結論は、帝国皇帝直轄の審議会によって承認されている。
――異界干渉リスク:管理下。
リオネルは、その文言を思い出した。
(皇帝陛下は、何故あれほど“異界”を警戒なさるのか)
転移者。
古文書にのみ記される、理の外側から来る存在。
だがそれらは、すべて過去の失敗例だ。
発見次第、監察官によって処理されてきた。
――第七監察官、ヴァルター・クロウ。
思い出しただけで、背筋が冷える名だ。
彼は異常を恐れない。
異常を、観測対象として愛する男だ。
「……ふむ?」
水晶盤が、微かに震えた。
魔力循環値、微小変動。
誤差範囲内。
「都市魔力の揺らぎか」
リオネルは気にも留めず、紅茶を口に運ぶ。
だが次の瞬間。
制御室のルーンが、一斉に赤へ反転した。
『原初式警告』
「……何?」
彼は立ち上がった。
この警報は、建国以来、一度も実地で鳴ったことがない。
『異常入力検知』
「入力……?」
誰が?
何を?
『循環同期ズレ』
「あり得ない……!」
数式が乱舞する。
修復プロトコルは、正常に動作している。
それでも――
『防御力低下』
水晶盤に、ひびが走る。
「待て……!」
『防御力――ゼロ』
世界が、理解を拒否した。
青白い光が、収束する。
それは魔法ではない。
世界が定義できる、いかなる現象でもなかった。
秩序を破壊する、意志そのもの。
空間が悲鳴を上げた。
次の瞬間、制御室は爆音と共に崩壊した。
床に叩きつけられたリオネルは、割れた水晶盤を見上げ、呆然と呟く。
「……壊された?」
アーク・プロテクトが、消えている。
帝国の理が。
皇帝の承認が。
世界法則が。
制御盤の残骸に、解析ログが浮かび上がる。
――《理の外部より干渉を確認》
――《分類不能》
――《異邦の脅威エキゾチック・ペリル》
その瞬間、遠隔通信が割り込んだ。
『――こちら、第七監察官ヴァルター・クロウ』
冷たい声。
『面白い記録が上がった。星窓の書庫が破られたそうだな』
『……久々に、数式が役に立たなかった』
リオネルは、喉を鳴らすことしかできない。
『安心しろ。皇帝陛下はお喜びだ』
「……よ、喜び?」
『久しいからな。“理を壊す存在”が現れるのは』
通信は、一方的に切れた。
リオネルは、その場で理解した。
帝国は今、
戦争ではなく――狩りを始めたのだ。




