10. もう戻れない場所
夜明けは、来なかった。
スラムの空は灰色のまま、
朝とも夜ともつかない光が、瓦礫の隙間に沈んでいる。
血の匂いは、まだ消えていない。
路地の中央。
簡素な石と布の下に、
名のない死体が横たえられていた。
子どもだった。
帝国兵でも、
密告屋でもない。
ただ――
そこにいた命だ。
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奇兵隊は、誰も喋らなかった。
言葉を発せば、
何かが崩れる気がしていた。
晋作は、黙って頭を下げている。
深く、長く。
「……」
拳も、震えていない。
怒りも、表に出さない。
その沈黙が、
かえって周囲を縛っていた。
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久坂が、低い声で言った。
「……帝国は、把握しました」
入江が頷く。
「撤退は確認任務完遂後。
あれは――」
言葉を探す。
「“狩り”の前段階だ」
稔麿が、闇を見つめたまま告げる。
「もう、噂じゃ済まない」
「次に来るのは、数じゃない」
「質だ」
その意味を、
誰もが理解していた。
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ガザが、少し離れた場所で腕を組んでいた。
「……やったな」
誰にともなく言う。
「これで、スラムは“戦場”だ」
側近が、唾を飲む。
「王……」
「最初から、分かってた」
ガザは、目を細めた。
「中立なんてのは、
強い側が許してる間だけの幻想だ」
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晋作が、顔を上げる。
「……来るな」
誰かが、反射的に聞き返す。
「え?」
「帝国は、来る」
断言だった。
「それも、全部だ」
誰も否定しなかった。
否定できる材料が、
もうどこにもなかった。
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風が吹く。
貼り紙が、剥がれて転がる。
【指名手配 維新団】
紙切れ一枚。
だが、それはもう――
“遊び”ではない。
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晋作は、刀を担いだ。
「……戻れねぇな」
誰かが、笑おうとして失敗した。
「最初から、戻る場所なんてなかったけどな」
その笑いは、
冗談にならなかった。
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遠くで、鐘が鳴る。
警告ではない。
祝福でもない。
――合図だ。
帝国が、
本気になる合図。
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この夜を境に、
奇兵隊は、
逃げる集団ではなくなった。
スラムは、
隠れ家ではなくなった。
そして――
革命は、
「思想」ではなく、
戦争になった。




