9. 狩りが戦争になる
帝都アストリア。
白曜宮から少し離れた場所に、
帝国治安監察局の本庁舎は建っていた。
装飾はない。
威圧もない。
ただ、無駄がない。
それ自体が、
「抵抗は想定していない」
という思想の塊だった。
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最上階。
窓のない執務室。
監察官ヴァルター・クロウは、
一枚の報告書を静かに読み終えた。
指が、止まる。
「……死者三。
魔導兵一名、意識喪失。
撤退は、確認任務完遂後――か」
淡々とした声。
副官が、わずかに緊張を含んで続ける。
「現場証言より、
異邦の雷撃。影による拘束。
そして――」
一拍。
「スラム住民による、帝国兵殺害が確認されました」
沈黙。
ヴァルターは、しばらく何も言わなかった。
やがて、報告書を机に置く。
「……確定だな」
副官が、息を呑む。
「確認、という意味でしょうか?」
「違う」
ヴァルターは、立ち上がった。
「段階が変わった」
壁際に立てかけられた剣に、指を掛ける。
触れただけで、空気が張り詰める。
「異邦者が暴れるだけなら、珍しくもない。
思想を語る反乱も、掃いて捨てるほどある」
静かな声。
「だが――」
視線が、鋭くなる。
「帝国民が、自分の意志で帝国兵を殺した」
その一点で、意味は変わる。
「これはもう、鎮圧ではない」
副官が、慎重に問う。
「……では?」
ヴァルターは、即答した。
「戦争だ」
⸻
別室。
複数の魔導水晶が、一斉に点灯する。
各地の監察補佐官。
魔導騎士団の連絡官。
治安局の幹部。
誰もが、ヴァルターの顔を見て背筋を正した。
「通達する」
簡潔だった。
「異邦反乱組織・維新団。
および、これに同調したスラム武装集団を――」
一拍。
「帝国に対する武装蜂起勢力と認定する」
ざわめき。
だが、異を唱える者はいない。
「制圧権限を、私に一任せよ」
即座に、承認が返る。
ヴァルターは満足もしない。
当然だという顔だった。
⸻
「追撃は?」
副官が問う。
ヴァルターは、少しだけ考え、首を横に振る。
「急ぐな」
「……逃がすのですか?」
「逃がす」
冷たい声。
「彼らは、今が一番“増える”」
餌を撒く。
噂を流す。
恐怖と英雄譚を、同時に広げる。
そして――
「集まったところを、刈る」
淡く、笑う。
「革命は、熱で死ぬ」
⸻
同時刻。
スラムの最深部。
ガザは、報告を聞いていた。
「……帝国兵を、殺したか」
短く、息を吐く。
「やったな。
あの雷小僧」
側近が、低い声で言う。
「王。
もう、中立では――」
「最初から、中立だったことなどない」
ガザは、影の中で言い切った。
「帝国はな、
守らない代わりに、
見捨てる時だけは正確だ」
笑みはない。
「これでいい」
「スラムは――
戦場になった」
⸻
夜。
焚き火のそばで、
奇兵隊とスラムの連中は、重い沈黙に包まれていた。
晋作は、何も言わない。
ただ、刀を磨いている。
その背中を見て、
誰も、軽口を叩けなかった。
久坂が、静かに告げる。
「帝国は、来ます」
入江が、頷く。
「……本気で、だ」
稔麿は、闇を見つめる。
「狩られる側だな」
晋作は、顔を上げた。
笑った。
「いいね」
指先に、雷が走る。
「狩られるってのは――
狩れる距離まで、
近づいたってことだ」
遠くで、鐘が鳴った。
それは警告ではない。
戦争の合図だった。




