8. 初陣、そして“確定”
スラムの路地は、夜に沈んでいた。
瓦礫と腐臭。
濁った水たまりに、焚き火の赤が揺れる。
静けさは、嵐の前兆だった。
奇兵隊――
維新団と、スラムの“どうしようもない連中”は、
路地の影に溶けるように配置についていた。
「……来るぞ」
稔麿の囁きが、合図だった。
帝国兵。
六名。
巡回としては少数だが、魔導兵を一人含む。
久坂の声が、耳元で冷静に響く。
「隊形は予測通り。
正面二、後衛三。
魔導兵は中央寄り。
奇襲は成立します」
入江が、盾を構える。
「俺が前に出る。
無理はするな。
守るのが、俺の役目だ」
スラム側の連中は、息を殺していた。
訓練も規律もない。
だが――逃げてはいない。
その中の一人。
黒ずんだ外套を羽織った、名もない男が、
ナイフを逆手に握りしめていた。
(……帝国だ)
歯が、鳴る。
だがそれは恐怖ではない。
怒りだった。
⸻
最初の一撃は、音がなかった。
影が伸び、
兵士の足元を絡め取る。
「――なっ」
声を上げる前に、
稔麿の手刀が、正確に首元を打った。
崩れ落ちる。
次の瞬間――
「維新団だ!」
帝国兵が叫ぶ。
魔導兵が詠唱を始める。
だが、遅い。
入江の盾が、前に出た。
【不屈の金剛壁】
光が弾かれ、路地の壁を削る。
「突っ込め!」
晋作の声が、夜を裂いた。
雷光。
剣閃。
石畳が割れる。
帝国兵が怯む。
――その瞬間だった。
⸻
名もない男が、走った。
叫びもなく。
合図もなく。
ただ、一直線に。
「――やめろ!」
入江の声は、届かなかった。
男は帝国兵に飛びかかり、
ナイフを――
喉に、突き立てた。
ぶつり、と鈍い音。
血が噴き出し、
男の顔を汚す。
帝国兵は、
目を見開いたまま崩れ落ちた。
一瞬の沈黙。
男は、息を荒くし、
血に染まった自分の手を見下ろす。
「……は、はは」
笑った。
「……やった……」
晋作は、それを見ていた。
止めなかった。
止められなかった。
雷が、彼の足元で弾ける。
⸻
魔導兵が、叫ぶ。
「報告しろ!
これは――組織的反乱だ!!」
その言葉が、
すべてを決定づけた。
稔麿が影から現れ、
魔導兵の背後に立つ。
「遅い」
一撃。
魔導兵は、意識を失った。
⸻
戦闘は、短かった。
帝国兵は撤退した。
だが、それは敗走ではない。
――確認。
何が起きたか。
誰がいるか。
それを持ち帰るための撤退だった。
⸻
路地に、血の匂いが残る。
スラムの連中は、
呆然と立ち尽くしていた。
自分の手を見つめる者。
倒れた兵を見下ろす者。
男が、震えながら言った。
「……なぁ……
俺、もう戻れねぇよな」
誰も、答えない。
晋作が、前に出た。
男の前に立ち、
静かに言う。
「戻る場所なんて、
最初からなかっただろ」
男は、顔を歪める。
「……ああ」
泣きながら、笑った。
⸻
久坂が、低く告げる。
「帝国は、把握しました。
これで――
“反乱”ではありません」
入江が、短く頷く。
「……戦争だな」
晋作は、夜空を見上げた。
雷鳴は、まだ遠い。
だが、確実に――
聞こえていた。
「よし」
刀を肩に担ぐ。
「これでいい」
振り返り、仲間たちを見る。
「奇兵隊は、
今日から“噂”じゃねぇ」
「――帝国公認の敵だ」
スラムの闇が、ざわめいた。
この夜、
最初の血は、
もう戻れない場所へと、
全員を連れて行った。




