7. 越えてしまった線
スラムの夜は、常に騒がしい。
だがこの夜は、騒がしさの裏に、妙な緊張が張り付いていた。
路地の奥、壊れかけた倉庫跡。
奇兵隊は、灯りを落とし、息を潜めていた。
「――確認した」
屋根の影から、稔麿の声が落ちる。
「中に六人。武装は軽い。だが……」
一拍。
「子どもがいる。見張り役だ」
空気が、わずかに重くなる。
「帝国兵じゃないんだよな」
入江が、低く問う。
「違う」
稔麿は即答した。
「密告屋だ。帝国に情報を流す代わりに、ここらの揉め事を“調停”してる」
「調停、ね」
晋作が、鼻で笑う。
「実態は?」
久坂が問う。
「逆らう奴を帝国に売る」
稔麿の声は淡々としていた。
「逃げ場を失くして、従わせる」
沈黙。
ガザの言葉が、誰の胸にも蘇っていた。
――スラムの中の敵。
「……やるしかねぇな」
晋作が言った。
だが、その声に、いつもの軽さはなかった。
⸻
突入は、静かに始まった。
裏口から入江が前に出る。
【不屈の金剛壁】が、音もなく展開された。
「今だ」
稔麿の影が、灯りを落とす。
暗闇。
悲鳴が上がる前に、数人が地面に伏せられた。
「うまくいってる」
誰かが小声で言った。
――その時だった。
「殺せ!!」
怒声。
新しく加わったスラムの男が、密告屋の一人に飛びかかった。
私怨だ。
止める間もない。
「待て!」
晋作が叫ぶ。
だが、刃は振り下ろされた。
血が飛ぶ。
密告屋は倒れた。
だが――
「――ッ!」
別の影が、暗闇を抜けた。
逃げようとした男。
それを追った一撃が――
「子どもだ!!」
誰かの叫び。
遅かった。
短い音。
鈍い衝撃。
少年の身体が、路地に崩れ落ちた。
⸻
静寂。
誰も、動けなかった。
「……そんな……」
入江の声が、震える。
少年は、帝国兵ではない。
密告屋でもない。
ただ――
そこにいただけだ。
久坂が駆け寄る。
脈を取る。
首を、横に振った。
「……だめです」
誰も、勝利を口にしなかった。
夜の闇が、急に冷たく感じられた。
⸻
「……俺の責任だ」
晋作が、言った。
誰に向けた言葉でもない。
「止められなかった」
笑わない。
拳も握らない。
ただ、立っていた。
⸻
その時。
「――これが、条件だ」
闇の奥から、低い声がした。
ガザだった。
「俺は言ったはずだ」
「どうしようもない連中を相手にしろ、と」
晋作は、ガザを見た。
「正しかったのか?」
ガザは、即答しなかった。
「正しいかどうかは、知らん」
一歩、近づく。
「だがな――」
「帝国は、俺たちを殺しはしない」
「生きたまま、選ばせるんだ」
「誰を売るか」
「誰を守るか」
「どこで線を引くかをな」
一拍。
「血を流した以上、
お前らはもう“選ばせる側”だ」
「守ると言った以上、逃げ道はない」
晋作は、視線を落とした。
「……ああ」
短く、答える。
⸻
夜明け前。
少年は、簡素に弔われた。
石と布。
名も刻まれない。
周囲には、スラムの住民が集まっていた。
距離を取る者。
目を逸らす者。
それでも、立ち去らない者。
晋作は、深く頭を下げた。
(次は――)
(殺させない戦い方を、作る)
⸻
革命は、
笑って始められる。
だが――
笑っては、続けられない。
この夜、奇兵隊は一線を越えた。
戻れない場所へ。
スラムの闇は、静かにそれを見送っていた。




