6. スラムの王、ガザ
スラムに「王」がいるとすれば、
それは玉座に座る者ではない。
最も多くを知り、
最も深く黙り、
最も遅く動く者――
それが、王だ。
ガザは、そうやって生き残ってきた。
⸻
酒場《黒犬亭》の二階。
窓はなく、明かりも最小限。
下階の喧騒は、厚い壁越しに、遠い波音のように響いている。
ガザは椅子に深く腰を沈め、
机の上に置かれた一枚の紙を、じっと見下ろしていた。
――【指名手配 維新団】
「……一万枚か」
声は低く、掠れている。
金額を測っているのではない。
帝国が“値を付けた”という事実だけを、見ていた。
隣に立つ部下が、喉を鳴らす。
「王。
奴らは危険です。帝国を、本気で怒らせました」
ガザはすぐに答えない。
片目だけで紙を見つめたまま、数拍、黙る。
「……だから?」
「切るべきです。
関われば、スラムごと焼かれます」
ガザは、ようやく部下を見た。
「帝国は敵じゃない」
部下が、息を止める。
「だが味方でもない。
嵐みたいなもんだ。
逃げられる奴は逃げるし、
逃げ遅れた奴は――死ぬ」
その声音には、怒りも軽蔑もなかった。
ただ、経験だけがあった。
⸻
ガザは立ち上がり、
壁に掛けられた地図の前に歩み寄る。
貧民区。
密輸路。
地下水路。
帝国が“見ないふり”をしている場所。
「維新団は、秩序を壊した」
独り言のように言い、
指先で、地図をなぞる。
「だがな……
秩序ってのは、守る者がいて、初めて意味がある」
「この街を守ってきたのは、帝国か?」
「貴族か?」
「魔導騎士か?」
答えは、ない。
⸻
その時。
ドアが、三度、短く叩かれた。
――合図。
ガザは、わずかに目を細める。
「……通せ」
入ってきたのは、一人の男。
黒い外套。
顔は見えない。
だが、その足運びだけで分かる。
この男は――逃げない。
「維新団の代表だな」
「代理だ」
外套が脱がれる。
高杉晋作。
部屋の空気が、目に見えて変わる。
部下たちが身構えるが、
ガザは手を上げて制した。
「……若いな」
「よく言われる」
晋作は、断りもなく椅子に座る。
無礼。
だが、計算された無礼だ。
「で?
賞金首が、何の用だ?」
晋作は、即答しない。
机の上の紙――一万枚。
それを一瞥してから、ガザを見る。
「取引だ」
「ほう」
「俺たちは、スラムを守りたい」
沈黙。
ガザは、笑わない。
「命知らずな嘘だ」
「本気だ」
視線を逸らさない。
「帝国を敵に回した。
だが、スラムを踏み台にはしねぇ」
ガザは、椅子に座り直す。
「守って、どうする?」
晋作は、一拍だけ考えた。
「――仲間にする」
⸻
「ふざけるな!」
部下が声を荒げる。
「スラムを兵隊にする気か!」
「違う」
晋作は即座に切る。
「選ばせる」
「逃げたい奴は逃げろ。
金が欲しい奴は稼げ。
帝国に従いたい奴は、そうすりゃいい」
「だが――」
言葉を、はっきりと区切る。
「踏みにじられるのが嫌な奴だけ、
俺たちの隣に立て」
ガザは、その目を見ていた。
恐怖はない。
焦りもない。
あるのは――覚悟。
「……面白い」
初めて、ガザが笑った。
「若い頃の俺に、少し似ている」
「光栄だね」
晋作は肩をすくめる。
「だが、俺はあんたみたいに
街を“影で”支える気はねぇ」
「知っている」
ガザは静かに言う。
「だからこそ、危険だ」
⸻
ガザは立ち上がり、晋作の前に立つ。
「いいだろう。取引に乗る」
部下が息を呑む。
「条件がある」
「聞こう」
「この街で、一番どうしようもない連中を相手にしろ」
「盗賊でもない。
帝国兵でもない」
「――スラムの中の敵だ」
声が、低く沈む。
「そいつらを潰せたら、
俺は、お前たちを認める」
一瞬の沈黙。
晋作は、ゆっくり立ち上がり、刀に手をかける。
「上等だ」
「どうしようもない奴らほど、
革命の火種になる」
二人は、短く視線を交わした。
王と、名を持つ者。
この夜、
スラムは――中立を捨てた。




