4. 名を背負うということ
スラムの夜は、いつも騒がしい。
酒と怒号と、安い音楽。
だがその夜だけは、妙に静かだった。
焚き火の爆ぜる音だけが、やけに大きく聞こえる。
――何かが、終わった後の静けさだった。
焚き火の周りに集まる影は少ない。
奇兵隊。
だが、その名を知る者は、まだ内部にしかいない。
外の世界では、別の呼び名が広がり始めていた。
維新団。
それは、帝国が与えた名であり、
同時に「敵」としての刻印だった。
彼らは今、
一人の死体を前にしていた。
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「……殺されたのは、俺たちのせいだ」
入江九一が、低い声で言った。
布に包まれた小さな亡骸。
スラムで案内役をしていた少年だ。
名も、家も、記録もない。
ただ――昨日まで、生きていた。
「帝国兵じゃない」
稔麿が淡々と報告する。
「賞金稼ぎだ。
“維新団”を探っていた連中だな」
「……見せしめ、か」
久坂玄瑞が、歯を噛みしめる。
少年は、何も話さなかった。
その代わり、殺された。
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「俺たちが、ここに来なけりゃ……」
誰かが言いかけ、口を噤んだ。
その言葉を、
一番嫌っている男が、焚き火の向こうにいたからだ。
高杉晋作は、黙って煙を見つめていた。
拳は震えていない。
怒りを、内側で燃やす男だった。
「違うな」
ぽつりと、晋作が言う。
「俺たちが来なくても、
あのガキは――この街で、いつか死んでた」
冷たい言葉。
だが、現実だった。
「……だがな」
晋作は立ち上がる。
焚き火の光が、その顔を照らした。
「俺たちが“維新団”と呼ばれたせいで死んだなら、
それは――俺たちの責任だ」
沈黙が落ちる。
⸻
「名前もない。
守る者もいない。
それでも、命だった」
晋作は布をめくり、少年の顔を見る。
「革命だの維新だの、
口で言うのは簡単だ」
刀の柄に手をかける。
「だがな――
守れなかった命の数だけ、
名は、重くなる」
誰も、反論しなかった。
久坂が一歩前に出る。
「……晋作。
ならば、我々はどうする?」
晋作は即答した。
「決まってる」
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名を、背負う。
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「逃げ回るのは、今日で終いだ」
入江が目を見開く。
「正面から、帝国とやり合う気か?」
「違う」
晋作は笑う。
だが、その笑みは鋭かった。
「帝国がばら撒いた“維新団”って名前を、
俺たちが使ってやるだけだ」
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翌朝。
スラムの壁という壁に、
奇妙な貼り紙が現れた。
粗末な紙。
だが、魔導文字で刻まれた内容は明確だった。
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【指名手配】
異邦の集団
通称:維新団
帝国秩序攪乱罪
魔導財産破壊
反逆思想流布
生死不問
懸賞金:金貨一万枚
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「……出たな」
稔麿が呟く。
「帝国が、正式に“敵”として名を固定した」
久坂は冷静だった。
だが、周囲のスラム住民は違う。
ざわめき。
距離を取る者。
視線を逸らす者。
「賞金首だ……」
「関わるな」
「巻き添えになる」
恐怖は、伝染する。
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その中で。
一人の老婆が、焚き火の前に花を置いた。
「……あの子の、弔いだよ」
震える手。
だが、逃げなかった。
晋作は、深く頭を下げた。
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その夜。
奇兵隊は、円陣を組んだ。
「これからは、
俺たちの近くにいるだけで、
誰かが死ぬかもしれねぇ」
晋作は、全員を見回す。
「それでも、ついて来るか?」
沈黙。
そして――
一人、また一人と、頷く。
「俺は守る壁になる」
入江。
「俺は影になる」
稔麿。
「俺は、この世界を読み尽くす」
久坂。
晋作は、刀を地面に突き立てた。
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「なら決まりだ」
「外では、俺たちは維新団だ」
「だが――」
焚き火の火が、揺れる。
「内側では、奇兵隊だ」
「帝国にとって、
最悪の“名”になってやる」
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遠くで、鐘が鳴った。
それは弔いの音であり、
同時に――狩りの開始を告げる音でもあった。
だが。
スラムの闇のさらに奥。
貼り紙を、黙って見つめる男がいた。
金の指輪。
隻眼。
笑みは浮かべない。
「……維新団、か」
スラムの王――ガザ。
彼は、まだ動かない。
“使えるかどうか”を、測っている。
だが、
この夜を境に、
世界は確実に変わり始めていた。




