3. 血と笑いの、はじまり
スラムに朝は来ない。
夜の延長のような薄暗さの中、
悪臭と煤にまみれた路地で、十数人の影が息を潜めていた。
帝国の徴税官一行が、今日も来る。
――維新団と呼ばれ始めた者たちの、
だがまだ“軍”とは呼べぬ集団の、初陣だった。
⸻
「数は……六。魔導兵は一人だけだ」
屋根の影から、稔麿の声が落ちてくる。
「正面は避けろ。横道から挟めば――」
「いや」
晋作が、即座に遮った。
ざわ、と空気が揺れる。
「正面から行く」
「冗談だろ……?」
誰かが、思わず呟いた。
晋作は歯を見せて笑う。
「正面から殴らなきゃ、帝国は“敵”だと気づかねぇ」
「俺たちはな、
隠れて生き延びるために集まったんじゃない」
アルテは、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(無茶……でも)
逃げない男だ。
それだけは、もう分かっていた。
⸻
突入は――派手だった。
「来たぞ!」
「維新団だ!」
怒号と同時に、雷光が路地を裂く。
帝国兵が怯む。
だが――
足並みが、揃っていない。
一人が突っ込みすぎ、
一人が合図を待ち、
一人が瓦礫に足を取られる。
「待て! まだ――」
魔導兵の詠唱が、間に合った。
眩い光。
爆風。
壁が砕け、
瓦礫が舞い、
誰かの悲鳴が上がる。
「――ッ!!」
倒れたのは、少年だった。
胸を押さえ、血を吐く。
「くそっ……!」
入江が即座に前に出る。
【不屈の金剛壁】が展開され、
追撃の魔力を弾く。
だが――
一瞬だけ、遅れた。
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地面に倒れた男が、動かない。
片腕の用心棒だった。
「……冗談だろ」
誰かの声が、震えていた。
帝国兵は、撤退していた。
被害が出る前に引いた――それだけだ。
勝利。
だが、誰も喜ばなかった。
血の匂いが、路地に残る。
晋作は、動かない男の前に膝をついた。
「……悪い」
その声に、笑いはなかった。
「祭りだって言ったのに、な」
誰も、責めなかった。
⸻
「……もう街から逃げますか?」
アルテが、静かに問う。
未熟だ。
次は、生き残れないかもしれない。
晋作は立ち上がり、振り返った。
「逃げたい奴は、今だ」
沈黙。
誰も、動かない。
少年が、震える声で言った。
「……怖い。でも」
血に染まった手を、ぎゅっと握る。
「ここで逃げたら、
あの人の死が、ただの事故になる」
それで――
答えは出た。
⸻
夜明け前。
片腕の男は、簡素に弔われた。
晋作は、少年の前に立つ。
「お前……名前がないって言ってたな」
「……はい」
「今日からだ」
晋作は、刀を鞘に収める。
「お前は――八雲だ」
少年――八雲は、目を見開いた。
「嵐の前に集まる雲だ。
覚悟はあるか?」
八雲は、泣きながら頷いた。
⸻
維新団の名の下に集められた、
奇兵隊と呼ばれる者たちは、弱い。
訓練もない。
規律もない。
だが――
逃げなかった。
その事実だけが、残った。
この夜、
スラムの底で、
“戦うための集団”が生まれた。
後に、人はそれを――
奇兵隊と呼ぶ。
⸻
同じ頃。
監察官ヴァルターは、報告を受けていた。
「死者一名。
スラムで、武装集団が帝国兵と交戦」
「名は?」
「……維新団を名乗っているとのことです」
ヴァルターは、静かに指を組む。
「なるほど」
立ち上がり、剣を取る。
「やっと“実体”を持ったか」
彼は、感情の抜けた声で呟いた。
「雷の革命者……」
「次は、実験では済まん」
帝都の歯車が、
音を立てて回り始めていた。




