6. 玉座の上で、世界が軋む
帝都アストリア中央区。
天空に最も近い場所に築かれた白銀の宮殿――天穹宮。
その最奥、円形の玉座の間には、一切の装飾的な贅沢が存在しなかった。
あるのは、半球状の巨大な魔導スクリーンと、その前に置かれた、ただ一つの玉座。
皇帝レギウス・アストリアは、肘掛けに指を置いたまま、微動だにしていない。
彼の前で、星窓の書庫の崩壊映像が再生されていた。
砕けるアーク・プロテクト。
空間の歪み。
雷光を纏う男。
映像が終わると、玉座の間に沈黙が落ちた。
「――失われたか」
皇帝の声は、低く、静かだった。怒りも、動揺も、含まれていない。
その声に応えたのは、玉座の右後方に控える男。
帝国宰相、マルクス・ヴァレンシュタイン。
「はい。星窓の書庫、完全に機能停止。
知識データの大半が……“抜き取られた”と判断されます」
「守護障壁は?」
「……破壊されました。
正確には、“破壊されたように見える現象”が確認されています」
皇帝の指が、わずかに動いた。
「言い換えろ」
宰相は、一瞬だけ言葉を選ぶ。
「――防御という概念そのものが、攻撃の瞬間、成立しなかったと推測されます」
沈黙。
それは、帝国の歴史の中でも、ほとんど前例のない報告だった。
「魔導工学の欠陥か?」
「いいえ。設計者、施工者、監査官、すべて最高位の者を揃えています。
論理上の欠陥は存在しません」
「では?」
宰相は、視線を下げた。
「……侵入者が、論理の外側にいました」
皇帝は、初めて玉座から身を乗り出した。
「外側?」
「はい。
彼らは、我々の世界法則を“前提条件”として扱っていない」
スクリーンに、新たな情報が投影される。
――異邦の脅威エキゾチック・ペリル
――観測個体数:4+1
――主危険個体:雷属性・近接戦闘型
――補助危険個体:知識解析特化型
――脅威度:S
皇帝は、画面を見つめたまま言った。
「S……」
それは、帝国が正式に認定する国家存亡級の脅威。
「監察官ヴァルターの判断か?」
「はい。彼は現在、世界法則の外側に隔絶されています。
ですが残された解析ログから、“次は勝てない”と判断しています」
玉座の間が、わずかにざわめいた。
監察官ヴァルター。
帝国が誇る、戦略・戦術・予測の最高到達点。
その彼が、敗北の可能性を残すとは。
皇帝は、ゆっくりと息を吐いた。
「――久しいな」
「陛下?」
「余が即位してから、世界が“予測不能”と判断されたのは、三度目だ」
皇帝の瞳が、かすかに光を帯びる。
「一度目は、古代竜戦争。
二度目は、魔王種の反乱」
そして――
「三度目が、
“異世界の侍”か」
宰相は、慎重に言葉を重ねる。
「陛下。
即時、殲滅を進言いたします。
彼らが知識を拡散する前に――」
「いいや」
皇帝は、首を横に振った。
「殺すな」
宰相の目が、わずかに見開かれる。
「……よろしいのですか?」
「彼らは“壊す者”だ。
だが、壊し方が――興味深い」
皇帝は、雷光の男の映像を指先でなぞった。
「彼は、力を誇示していない。
支配もしない。
ただ、“退かない”」
その言葉に、宰相は気づく。
――皇帝が、楽しんでいる。
「宰相」
「は」
「彼らを、“敵”として扱うな」
「……では?」
皇帝は、静かに微笑んだ。
「“現象”として扱え」
「観測し、
理解し、
利用する」
宰相は即座に跪く。
「御意」
皇帝は、玉座に深く腰掛け直した。
「ヴァルターに伝えよ」
「は」
「狩るな。
――育てろ」
その命令は、帝国史上、最も危険なものだった。
玉座の間の光が、ゆっくりと落ちる。
その暗がりの中で、皇帝は呟く。
「異邦の革命者よ……
この世界を、どこまで壊せる?」
「余が、その果てを見届けよう」
――こうして。
帝国は、討伐ではなく、観測と選別を選んだ。
そしてそれは、後に帝国史家が記すことになる。
「この瞬間、帝国は敗北の可能性を認識しながら、
あえて戦争を選ばなかった」
「それが、最大の誤算だった」




