5.0.003秒の終端
中央監察庁・最深部。
白い空間は、いつもと変わらず静止していた。
ヴァルター・クロウは、そこに立っている。
宙に展開された無数の解析ログ。
行動履歴、判断分岐、介入ポイント。
すべてが整然と並び、誤差は限りなくゼロに近い。
「……完成だ」
彼の声は、満足を含んでいた。
異邦の革命者。
雷の男、防御の男、影の男、知の男。
彼らは、すでに“理解された”。
「侵入は、必要ない」
ヴァルターは静かに結論づける。
「彼らは必ず、困窮に手を伸ばし、歪んだ情報に触れ、構造を正そうとする」
「ならば――その“正しさ”を測ればいい」
彼は、新たな解析層を展開した。
【概念再現プロトコル】
――対象:0.003秒の突破現象
――目的:再現・抽象化・対策立案
「雷そのものではない。力でもない」
ヴァルターは淡々と式を組み替える。
「否定だ。“守られる”という前提の否定」
世界法則の一部を、仮想的に切り離す。
防御。
許可。
境界。
それらを一瞬だけ、“成立しなかったもの”として扱う。
「……再現可能」
その瞬間、白い空間が、わずかに揺れた。
「?」
魔力値は正常。
空間歪曲もない。
警告ログも存在しない。
(誤差か)
彼は処理を続行した。
0.003秒。
世界から、「防御」という概念が仮想的に除外される。
――そのはずだった。
だが。
「……?」
数式の一部が、彼の認識から“抜け落ちた”。
存在している。
だが、理解できない。
(なぜ……?)
ヴァルターは、初めて焦燥を覚える。
「これは、想定外だ」
即座にログを巻き戻そうとする。
だが――“戻る”という操作自体が、成立しない。
なぜなら、今この瞬間、彼自身が――
“守られる対象”ではなくなっていた。
「……そうか」
ヴァルターは悟る。
「私は、彼らと同じ地点に立ってしまったのか」
世界法則を、前提として扱わなかった者。
それを、“道具”として扱おうとした者。
「……面白い」
微かに笑う。
0.003秒。
その沈黙の中で、帝国の理は判断する。
――異常
――観測者、規格外
――保護対象から除外
音も光もない。
ただ、白い空間の一部が“存在しなかったこと”になる。
ヴァルター・クロウは、そこから消えた。
⸻
数秒後。
中央監察庁の深層ログが、自動的に確定する。
――異邦の脅威エキゾチック・ペリル
――行動原理:破壊的否定
――対策:未確立
――観測者:消失
――観測ログ:保存完了
だが、そこに“ヴァルター死亡”という文字はない。
存在は消えたように見えたが、ログと解析は残った。
世界法則の外側に隔絶されただけで、復帰は可能――
その記録だけが、淡々と残される。
⸻
同時刻。
地下の隠れ家で、久坂玄瑞がふと顔を上げた。
「……終わりました」
「何がだ?」と晋作。
「我々を“見ていた者”が」
久坂は静かに続ける。
「理解しすぎました」
晋作は一瞬だけ目を細める。
「死んだか」
「ええ」
久坂は断言した。
「ですが――成果は、残ります」
アルテが青ざめた顔で呟く。
「……それって……」
「はい」
久坂は答えた。
「帝国は、“次”を作れます」
沈黙。
晋作はしばらく黙っていたが、やがて、いつものように笑った。
「上等だ」
その瞳に、雷が宿る。
「なら、その“次”ごと壊してやるだけだ」
遠くで、雷鳴が轟いた。
それは、宣戦布告ではない。
ただ――退かないという、意思だった。




