第3話:闇の侵食と、最初の遠征
作戦室に、鐘の音が三つ、短く落ちた。
地図の上で硝子石が脈動し、ルーミスの森と学園内別区画の二点で赤が滲む。
「今夜は二箇所で改竄兆候。」教官イレーネが指で丸を描く。
「主力は学園側に回す。森は少数精鋭で行く。――それと、月が森の天蓋を越えるまでに偏向が固定化する。
観測窓は一時間三十。固定化すれば封印は“こちら側の理”を受け付けない。」
彼女は四人を見渡した。
「小隊編成規則第七条、実地任務は攻・防・機・索の四役が原則。
攻撃《エルフィナ=リュミエール》、防御《ガレス=ハーシェル》、機動索敵《ミラ=フェン》、
そして支援・指揮《ライゼ=クロード》。
未知の異常では連携の再現性が最優先――ライゼの【影精霊契約】が隊の核だ。
森へ向かう理由は三つ。連続的な魔力乱れ、外周の家畜消失と魔獣異常、先行上級班の通信断絶。
加えて――エルフィナ、君の契約の地でもある。」
「了解!」と三つの声が重なり、ライゼが頷いた。
* * *
森は昨日より霧が濃い。足元の光る苔が鼓動のように明滅する。
《均衡が傾いている。封印の向きが捻じられた。》ノクトの声が影から滲む。
小広場。封印札が三枚、苔には乾いた血痕。
ガレスが盾の縁で一枚を持ち上げ、ミラが覗き込む。
「……黒い環状紋の上書き。それと――微細な刻み(ノッチ)と術式ログ。
表示――観測者ID:環。」
ライゼは札の角度を測るように指を当てた。
「三枚とも回転角が72°。三つで72°×3――五芒の一辺分だ。
封印柱は王国に五芒の環で組まれている。次の偏向座標=王都の塔……座標だ。」
《ならば直せ。向きを戻し、流れを整流する。》ノクト。
霧の底で、根がきしむ音。
地表が裂け、黒ずんだ根が顔を出した。影に触れるたび太り、こちらの影ごと脚を絡め取ろうと伸びる。
祠の中心にうごめく意志――守護が歪んだ姿だ。
「影喰いの樹。」ライゼは構図を切り出す。
「アンカー三点で三角基礎を作る。ガレス、頂点Bを正面五歩。ミラ、頂点Aは倒木先端の影。
俺が頂点Cを打つ。エルフィナは中心角72°の逆相で光を入れて。」
「了解!」
ガレスが影の杭を影へ叩き込み、ミラが倒木へ跳ぶ。
三点の影が三角の骨格を描き、隊の足場が固まる。
「中心紋、北東へ+72°!」高所のミラが読み上げる。
「受けた。――逆相72°で補正。」
ライゼは三点を影で結び、影の三面鏡を立ち上げた。
蛇行を抑え、損失最小の角度で“路”を敷く幾何。
「エルフィナ、多層光で。」
「――《プリズム・アーク》!」
多層光が影面へ流れ込む――その刹那、霧の奥から小型獣が奔り出た。
四方から牙と闇が押し寄せ、リンク網に**押し返し(逆流)**が乗る。
「っ……右腕が痺れる!」ガレスの膝が落ち、ミラが体勢を崩す。
(まずい――このままでは網が味方を壊す)
「ノクト、結節を切る。局所遮断!」
影の刃が結節を割った瞬間、ライゼの右手の感覚がふっと途切れた。
指先は冷たいのに、手首から先に熱が集まる奇妙な鈍痛。視界の縁が薄く欠ける。
《代償だ。切り離した分、お前の感覚で払っている。》ノクトの声は冷静だった。
(構わない。主幹は生きている――)
逆流が止み、ガレスとミラが持ち直す。
「続行。――整流構成に移行。」
ライゼは革ノートを開き、古式封印の係数をなぞる。
「1:φ:φ²……黄金比。ノクト、面比を1:1.618:2.618に再配置。」
《応。面比、切替。》
影の三面鏡が黄金分割で再構成され、流れが急に滑らかになる。
「今!」
エルフィナの多層光が整流された路を走り、中心紋の捻れ角に逆相72°で刺さる。
低く深い音――封印柱が息を吸い込む音が森に響いた。
黒い根が一斉に痙攣し、影の拘束がほどける。
中心の刻印が本来の向きに戻り、薄い白光が柱の内部を走った。
「固定、完了。」ライゼが息を吐く。
倒木下から上級班の生徒が引き抜かれ、エルフィナが浄化の光で回復を促す。
腕には黒い輪の火傷。
「……仮面の、術者……環の印……」彼は呟き、眠りに落ちた。
床石の縁、黒い環状紋のノッチは王都の方位を指して止まっている。
ライゼは改竄札と闇核の欠片を回収し、方位角をノートへ記す。
「ここは整流済み。次は王都の塔だ。」
霧の天蓋の向こう――
王都の塔が、同じ白光で一瞬だけ点灯した。
* * *
夜、救護室。
上級生は浅い眠りの中で汗を流し、輪痕が熱を帯びている。
ライゼはベッド脇で、三点アンカー/面比/逆相位相を清書した。
「三点アンカー+三面鏡(1:φ:φ²)――損失低。逆相72°で偏向補正。
ノードカットの代償:末端感覚の喪失/視野周辺の欠損……。」
エルフィナが窓外の塔を見やり、小さく頷く。
「巡礼の環が、また目を覚ます。」
《“環”は回る。――観測しているだけではない。》ノクトが囁く。
その時、上級生の腕がぴくりと震え、輪痕が内向きに脈打つ。
彼は目を開き、誰かの声を復唱するように呟いた。
「――契約者、確認。」
救護室の空気が、音もなく冷えた。
ライゼの足元――影の縁に小さな“輪痕”が灯り、すぐ消える。
《座標を返した。》ノクトの声は、刃のように薄かった。




