第2話 王女と聖女、最初の火花
「……アルト様。あなたの力を、私にも貸していただけませんか?」
聖堂の白衣を纏った少女は、月光の下でそっと微笑んだ。銀糸のような髪が風に揺れ、その姿は夜の闇の中に浮かぶ聖像画のように美しい。
彼女の名は――聖女エレノア。
国中の信仰を集める、教会最高位の存在。彼女がここにいるだけで、周囲の空気が神聖なものに変わる気がする。
けれど、隣に立つ第一王女セリシアは、ぴしりと身を固くしていた。
「……聖女様。これは一体どういうことです?」
セリシアの声音は硬い。王族特有の気品に、警戒の色がにじんでいる。
「単刀直入に申し上げますわ」
エレノアは優しく、しかし一歩も引かない視線でこちらを見つめてきた。
「アルト様の【万能補助】の力を、私たち教会の活動にもお貸しいただきたいのです」
「な……!」
セリシアの瞳が揺れた。
「それはつまり……アルトを、あなたの側に置くつもりだと?」
「ええ。もちろん、王女殿下の意志を無視するつもりはございません」
エレノアは淡々と告げる。
「ですが――彼の力は、この国を救う鍵となります。王家だけが独占すべきではないでしょう」
空気が、ぴり、と張り詰めた。
王女と聖女。二人の高位の女性が、同じ男――俺をめぐって火花を散らしている。
つい昨日まで「最弱従者」と嘲られていた自分が、まさかこんな状況に立たされるとは。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は慌てて両手を振った。
「俺なんかを取り合う必要なんて……」
「アルト殿。あなたは“俺なんか”などではありません」
セリシアがきっぱりと告げる。
「リオネルの強さの裏に、あなたがいたこと……私はずっと見てきました。あなたの補助がなければ、彼の剣はあそこまで鋭くはならなかった」
「私も同じです」
エレノアの声は落ち着いている。
「神託により、【万能補助】の持ち主が現れることを私は知っていました。あなたがその人であるのなら――見過ごすわけにはいきません」
二人の眼差しが交差する。
まるで剣戟の前の間合い取りのように、沈黙が走った。
◇ ◇ ◇
「……では、実際に見せていただけませんか」
沈黙を破ったのは、セリシアだった。
「アルト殿の力が本物だと、聖女様に証明していただければよいでしょう」
「望むところですわ」
エレノアもまた、微笑みを崩さない。
俺はごくりと唾を飲んだ。
――避けられそうにない。
◇ ◇ ◇
郊外の森。夜だというのに、魔物の気配が濃い場所だ。
セリシアが腰の剣を抜き、エレノアが祈りを唱える。俺はその間に立ち、深呼吸した。
「……【万能補助】」
俺のスキルは、仲間に触れ、想いを込めることで発動する。
セリシアの肩に手を置いた瞬間――
「……っ!?」
彼女の体が小さく震えた。次の瞬間、淡い光が彼女の全身を包み込む。
「すごい……身体が、軽い!」
セリシアは驚きの声を上げる。
「剣を振るたび、力が湧いてくる……!」
続けて、俺はエレノアの手に触れる。
「お願いです……あなたの祈りを、もっと強く」
「……あぁ……なんという……」
エレノアの目が見開かれる。
「神の声が、より鮮明に……奇跡が降りてくる……!」
彼女の周囲に、柔らかな光が舞い降りた。草花が揺れ、荒んだ空気が澄み渡る。
その直後、森の奥から現れたのは、牙をむいた大型魔獣――鉄角のオーガ。
通常なら騎士数人がかりでも倒せぬ相手。
だが――
「はぁッ!」
セリシアの剣が、鋼鉄の角をいとも容易く切り裂いた。
「……な、なんだ、この力は……!」
彼女自身が驚愕している。
そして、追い詰められたオーガが咆哮を上げた瞬間、エレノアの祈りが光の矢となって放たれる。
「――退け!」
矢は真っ直ぐに魔獣の胸を貫き、瞬く間にその巨体を崩れ落とした。
◇ ◇ ◇
沈黙。
やがて二人は、互いに視線を交わした。
「……やはり、アルト殿の力は必要不可欠ですね」
セリシアの瞳に、確信の色が宿る。
「ええ……。これほどの補助があれば、奇跡すら現実に変えられます」
エレノアもまた、真摯な眼差しで俺を見た。
「ですから――アルト様。私のもとに」
「いいえ、私にこそ」
同時に声が重なる。
夜の森に、二人の王女と聖女の張り詰めた空気が広がった。
俺は――ただ、頭を抱えるしかなかった。
◇ ◇ ◇
その背後で、暗闇に潜むもう一つの影が、静かに俺たちを見つめていた。
月光に照らされた鎧の紋章。竜を象った紋は、王国最強の騎士団――竜騎士姫の証。
(……見つけた)
低く、呟く声が響いた。
新たな火種が、俺の知らぬところで灯り始めていた。