第1話:白薬の影
(また新たな死が起きたらしい)
宮廷の薄暗い廊下を、私は静かに歩いていた。朝もやがまだ晴れきらぬ空の下、後宮の空気はどこか澱んでいる。
淡い梅の花の香りが漂う庭を横目に、私は呼び出された女官の控室へ向かう。
「凌澄華様、お運びいただきありがとうございます」
控え室の扉を開けると、青白い顔をした侍女が震える手で私に紙を差し出した。
「また、亡くなったのですか」
紙には昨夜倒れた妃嬪の名と、「原因不明の急死」と書かれていた。昨晩の宴で笑顔を振りまいていた彼女が、夜が明ける前に息を引き取るとは誰も信じられなかった。
(医学的な説明は必ずあるはず)
私はそう自分に言い聞かせ、早速調査に入った。
後宮では毎月多くの薬が調合され、妃嬪や女官たちに施される。しかし、医者も薬師も口を閉ざしていた。理由はひとつ、「原因が分からない」からだ。
だが私は、死人の体に残るわずかな痕跡から違和感を見つけた。
まず、彼女の舌に不自然な赤みがあったこと。正常な死体ならば起こりえない、浅い点状の紅斑である。しかも口内の粘膜は異様に乾燥していた。
(これは毒の痕跡だわ)
後宮の薬草庫に向かう途中、私は気づく。最近、ある薬草の入荷量が激増していることに。
その名は「白薬」――薬効は血行促進、寒気を和らげるとして知られる。正しく使えば治療に役立つが、過剰な摂取や混入物があれば致命的な毒になる。
私は庫の隅にあった白薬の入荷記録を入念に調べた。すると、複数の入荷記録におかしな数字のずれがあった。重量の記録がわずかに過大に記されているのだ。
(だれかが薬草を改ざんしている?)
次に調べたのは、被害者が服用していた薬の調合書。
全員に同じ成分の薬が処方されているが、微妙に配合が異なる。
「配合の違いは何?」
宮廷の薬師たちに聞いても、誰もはっきり答えなかった。だが私は見逃さなかった。
ある配合書に、微量の別の成分が混入していることを。
「…これが鍵かもしれない」
その成分は記録上、全く存在しない植物だった。つまり、誰かが故意に薬を改変している。
後日、白薬の入荷業者に密かに接触した私は、彼の倉庫で密かに採取した薬草の中に、微量の毒草が混入しているのを発見した。
しかし、そこにいた業者は知らぬ顔。彼は言う。
「品質に問題はない。私にできるのは正しく届けることだけだ」
では、誰が?
後宮の誰かが、薬を意図的に改ざんし、人を殺そうとしている。
「なぜ、そんなことを?」
私は考える。誰の利益になるのか。
答えは近くにあった。
毒が使われた被害者は皆、後宮での位が上がる可能性のある者たちだった。競争相手の排除――それが真相の一端だった。
だが真の黒幕は影に隠れている。
私は薬草の成分を一つずつ見直し、わずかな違和感を見逃さず、ついに犯人を名指しした。
それは――
(ここまで気づくとは、あなたもなかなかのものね)
背後から冷ややかな声がした。私は振り返り、暗闇に溶け込む影を見つめた。
「これは始まりに過ぎないわ」