本屋さん
一応不思議系ですが、怖くはないと思います。ジャンルも・・・なんでしょうね、これ。
最近の若者はあまり本を読まない、というのは本当だろうか。今やネットのそこかしこで聞こえる言葉だが、であればここのような本屋さんを成り立たせているのは私のような本の虫か、上の世代の尽力なのだろう。
10月だと言うのにこの暑さかと手団扇をしながら【幽霊になる方法 渋井丸拓三著 民明書房刊】を読みつつ、レジに座って船を漕ぐお婆さんの方を見る。片田舎の小さな本屋では碌な収入が見込めるはずもない。なのに続けているというのは、年金により収入が担保されているからこその道楽なのだろう、羨ましい限りだ。
この本屋は10畳もないほどの大きさで、本棚は入ってすぐ左の壁際に1つ、中央に1つ、本棚に挟まれている通路の奥にある壁際に1つ、計3つしか設置されていない。入ってすぐ右にあるレジの奥には2階への階段がある。その手前、レジの隣のガラス棚には印鑑や万年筆、御札などが陳列されている。入って少し進んだ中央の本棚の向かいには、腰の高さほどに一段上がった畳張りの休憩スペースのようなものがあり、そこにはなんと小さな丸いちゃぶ台と、その上には逆さに重ねて置いてある紙コップ。それにプラスチック製の古びたピッチャーが置いてある。中身は入っているのか、入っていれば何なのかは分からないが、本屋に飲み物はマズイのではないだろうか?
取り扱っている本は数年前に流行った漫画や、何の役に立つのであろう10年以上前の参考本。恐らくごみ処理として押し付けられた雑誌類など、利用する人間などほとんど居ないのがそれだけでも分かる品揃えである。ここに通い始めてもう1年になるが、新しい本が入荷されたのは見たことがない。それでも私が足繁くここに通っているのは、本が目当てではないからだ。
翌日も、私はその本屋【笹書店】に足を運んだ。
この本屋はレジの配置が絶妙で、外からは座っている人物が絶対に見えないようになっている。この日もやたら重いガラスのドアを開け、チリンチリンという音に迎えられながら入店した。入ってすぐ、私はいつものように本棚がある左側に向かいつつ、ちらりと左側に目をやる。
……今日もダメか。
【私が見た明日 馬田鹿太郎著 民明書房刊】を読みながら心のなかでため息をつく。今は10月21日、午後14時27分。私がこの数ヶ月もの間夜なべして解き明かした法則によれば、もうすぐのはずなのだが……
一応読んでいるふりをするため本に目を向けパラパラと捲ってみるのだが、本当にひどい。資源の無駄遣いも甚だしい。静寂が支配する店内で心中悪態をつきながら、レジにちらりと視線をやる――来た!
私は手に取っていた本を本棚に戻し、他の本を物色する。いくら口実のためとはいえ、アレでは喜びも消え失せてしまう。慌てていた私が手に取ったのは、やはり民明書房刊の【列車男】という本だった。
例の休憩スペースのレジが視界に入る位置に靴を脱いで座り、本を読むふりをしながらも視線をレジに向ける。
透き通るような白い肌、ノースリーブで薄手な花柄のワンピースに、シンプルだが女性らしさが出ているネイル。首元にはハートシンボルのネックレスがかかっており、それが黒く長い髪と共に彼女の本を捲る動きに合わせて揺れる。少し痩せ気味なのも素晴らしい。――生きていてよかった。
彼女を初めて見たのは1年前、近所の図書館に目的の本が無く、藁にも縋る気持ちで笹書店を訪れた時だった。幼い頃に入った時より小さく感じる本屋に目的の本が無いことを確認して肩を落としていると、後ろから声をかけられた。
「なにかお探しですか?」
……心が躍った。私があまり女性慣れしていないのを加味せずとも、男なら誰でも聞いただけで虜になってしまう。そんな声だった。
「い、いえ。あいや、その」
「もし無ければ、注文することも出来ますよ」
言われてレジの方に視線を向ける。そこには、私の理想を体現したかのような女性がこちらに微笑みかけていた。
「あ、で、ではお願いします」
「はい。こちらに記入をお願いします」
鉛筆を借りて用紙に記入している最中、私の視線は彼女に釘付けだった。伏せた視線では彼女の腕しか見えないが、なのに、いやだからこそ私の胸は高鳴る。何でもいい、この人と話したい。こんな時ばかりは、自身の対人能力値の不足を呪った。ちょっと確認しますね、と言ってスマホを取り出し、用紙から少し離れたところにメモ帳を表示させて置く。そのスマホを見ようとすれば、更に私の視界を占める彼女の割合が増えるという寸法だ。思惑通り、スマホに視線を移すと腕だけではなく、彼女の胸元まで見ることが出来た。
刺激が強すぎて思わず視線を上げると、彼女と目が合ってしまった。彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに表情を崩し、私に微笑みかけてきた……あっ。
「で、ではこれでお願いします。記入漏れはありませんか?」
「……はい、大丈夫ですよ!そうだ、お取り寄せが済み次第連絡を差し上げることも出来ますが、どうしますか?」
「えっ……じゃ、じゃあ、お願いします」
「ではこの空いているところで結構ですので、ご自宅か携帯電話の番号をお願いします」
「分かりました……あ、あの」
「はい?」
「あっ……いえ、大丈夫です」
結局彼女の連絡先を聞くことは出来ず、本屋から電話がかかってくるまでの数日を悶々と過ごす羽目になった。
電話がかかってきたのは、先週とはうってかわって真冬の寒さを感じる雨の日。私が暖房の効いた部屋で毛布に包まりながら、アイスを食べていた時だった。
知らない番号から電話……もしや!
「も、もしもし?」
「笹書店ですぅ、先日〓〓をご注文になった~~様の番号でよろしいですか?」
「え?は、はい」
「ご注文の品が届きましたので連絡ば差し上げました。料金はxxx円になっておりますんで、よろしくお願いしますぅ」
「あ、はい……今から伺います」
「お待ちしとりますぅ」
……あの子はアルバイトだったのか。
電話口から聞こえてきた老婆の声にがっかりしたせいで失礼な態度を取っていなかったか不安になったが、とにかく読みたかった本が入手できるというのは喜ぶべきことだ。私は家族に外出の旨を伝えると、傘立てから傘を取り出した。
本屋に着くと、店主の老婆はレジに座って眠っているようだ。起こすのも忍びないが…
「すいません、本を注文していた~~です」
「んお、おお、いらっしゃいませ。お待ちくだしゃい」
そう言って老婆は私があの子に注文した本を出してくれた。
「これでよろしいですか?」
「はい」
「ありがとうございましたぁ」
お会計を済ませると、私は気になっていたことを口にした。相手が老人だから話しやすかったのだろうか?
「あの、この前注文した時は私と同い年くらいの女性が対応してくれたんですが、彼女はパートかアルバイトですか?」
……
「もしもし?」
……寝てしまったのか。仕方がないので本屋を後にし、途中何度か振り返りつつも家に帰った。
だが諦めきれない私は、その後時間さえあれば笹書店を利用するようになる。利用と言いつつ、入店してレジを確認した後、適当に立ち読みして帰るだけだったが。(言い訳がましいが、本当に時々本を買っていた)
その内、毎日のように通っていた甲斐があったのか、何度か彼女に会うことができた。とは言ってもレジを確認する時、立ち読みしながら、帰る時などにチラリと見るだけなので、会うというのは語弊があろう。何度か声をかけてみようと思ったことはあったが、そんなことが出来るなら最初に出会った時にやっている。コミュ障ここに極まれり、である。
私は彼女をパート、もしくはアルバイトとみていたので、出会えた日や時間をメモしていた。だがメモを見ても平日休日祝日は関係なし、時間も早くから遅くまでバラバラとシフトはどうなっているのかという有り様だった。勿論私が行っていない時間に働いている可能性はある。いつ行けば会えるのか、という点については半ば諦めかけていたが、ふと、シフトとは関係なく何らかの法則に基づいて働いているのでは?という推測がよぎった。例えば店主の老婆から頼まれた時、掛け持ちしている仕事の合間などだ。
しかし、ソレも結局こちらから調べられるものではない。この日から私は、メモを見て考えては諦める。見て考えては諦めるのを繰り返す生活を送るのだった。
彼女の姿を座って見ていると、もうどうしようもないほど気持ちが高まってくる。こんなチャンスはもう無いかも知れない、彼女がいつこの仕事を辞めてしまうか、分からないのだから。読んでいた本にも後を押されたのか、私はいよいよ決心を固めてレジに近づいていった。
「こ、こんにちは」
「いらっしゃいませ」
私が声を掛けると、彼女は読んでいた本から目をこちらに向け微笑んだ。あぁ、やはり。
「こ、これ下さい」
「はい、xxx円になります」
財布からお金を取り出しつつ自分を鼓舞する。行け!いけ!言うんだ!
「あ、あの!」
「はい?」
「あ……その。……れ、連絡先!交換、しませんか……」
彼女は目を丸くしてこちらを見ている。頼む……
「……ごめんなさい、私スマホ持ってなくって……」
「じゃ、じゃあ家の番号でもいいので!」
……沈黙が続く。ダメだったのだろうか。やはり、こんな陰キャが相手にされるわけはなかったのだろう……死にたい……
「……ごめんなさい。私、幽霊なんです」
「えっ」
「だから、家とか電話とか、持って無くて」
「そ、そんな……でも」
「あなたも、多分みえる人なんでしょうね。だからこうやって、話が出来てるんです。ここは私が生前お世話になっていた本屋さんで……お婆さんが居ない時に、本を読んでるんです」
「そうだったんですか……」
「だから、ごめんなさい。連絡先は交換出来ないんです」
「分かりました……」
その日どうやって家に帰ったのかは、よく覚えていない。
その後笹書店には行っていないが、彼女は相変わらずお婆さんが居ない時だけレジに座って本を読んでいるのだろう。瞼を閉じれば、その光景がありありと目の前に浮かぶようだ。
……よし、決めた!
私は掃除と身支度を済ませ、時計と机の上を入念に確認してから部屋を出る。
しかし、本当に大丈夫なのだろうか。こんな簡単な方法で……いや、問題はない。
彼女の居ない世界に、未練などあるものか!
近所の森の中で、私は私自身……いや、私だったものを見下ろしていた。まさか、本当に……感慨に浸っていたのも束の間、私は目的の場所へ駆けていた。
「あの!」
「きゃっ!……え?」
「こんにちは、来ちゃいました」
「来ちゃいましたって……あの、貴方、まさか……」
「はい。貴方と一緒に居られるなら、この程度なんでもないですよ」
「そんな……でも」
「大丈夫ですよ」
笑った私を見て、彼女は口に手を当てながら目に涙を浮かべていた。私も同じ気持ちだったが、視界がぼやけないのは幽霊だからだろうか?私は晴れやかな気持ちで、彼女にありのままの気持ちを伝えた。
「貴方のことが好きです。私と付き合って下さい」
「ごめんなさい」
「あらあんた、なに御札なんて出してぇ、そりゃ商品だわ」
「ごめんなさいお婆ちゃん。お化けのストーカーが出たの」