第二話「零域より、赫ノ邑の名を」
綾木はローカルに保存したスレッドの全文を、じっと睨んでいた。
その指は自然と動き、検索窓を開く。
「……まずは定石通りだ」
【赫ノ邑】【かくのむら】【あかのむら】【赫 村】【赤い布 神社】【地図にない村】
キーボードの上で指が踊る。
だが、検索結果に並ぶのは観光地の名所や、似た音の地名、無関係なまとめブログばかり。
「……当然か」
もちろん、こんな得体の知れない村が、ヒットするとは思っていない。
だが、“まったく痕跡がない”という事実が、逆に違和感を際立たせた。
いくら秘境でも、誰かが写真を載せるなり、風の噂くらい残すはずだ。
まして、「人がいた」と証言されているのなら──。
「……やっぱり、零観測者に接触するしかねぇか」
綾木は深く息をつき、再び保存したスレのログを見返した。
名無しの零観測者。
掲示板では特定のユーザー名やIPが出るわけではない。
だが、こういう“書き捨て”のようでいて、“強い記憶”と“体験の緻密さ”を持った投稿者は、必ずどこかで“痕跡”を残している。
「……まずは、文章の癖と語彙のパターン……他の投稿を探すか」
綾木は“零観測者”と同じ語り口、単語の選び方、時系列の記述スタイル──
そういった“文章の指紋”をもとに、深層Webのログや、過去スレのアーカイブをあたっていく。
「お前……絶対どこかに、また何か書き込んでるだろ……」
その日綾木陸の、執念じみた調査が始まった。
それから、綾木 陸の時間は歪んだ。
朝も夜もなくなり、部屋のカーテンはずっと閉じっぱなし。
机の上には空になったエナジードリンクの缶が何本も転がり、コンビニで買ったおにぎりの包装がゴミ箱からあふれかけていた。
風呂には入っていない。洗顔も歯磨きも忘れていた。
ただひたすら、ノートパソコンの画面に向かい、あらゆる掲示板・ログ・クローラー・匿名ブログ・過去スレの断片を掘り続ける日々。
「……違う。これは語彙のリズムが微妙に合わねぇ……」
「こっちは──いや、やっぱり釣り師のノリだな……」
目は血走り、指先の皮が剥けて赤くなっても、タイピングは止まらなかった。
検索エンジンに頼るだけでは意味がない。ネットの“本当の底”に潜らねば。
使い慣れたツールを駆使して、閉鎖されたログのアーカイブへアクセスし、闇市のような掲示板の履歴を文字起こしして比較。
共通する癖、時期、書き込みの傾向、現地に精通しているかどうか、そして“赫ノ邑”に関する直接・間接の記述。
気づけば、五日が過ぎていた。
その間、まともな睡眠はとっていない。
床で気を失うように眠り、数時間後に跳ね起きて、またディスプレイを睨む。
眼球の奥が焼けるように痛む。
しかし、燃えるような焦燥と渇きがそれを上回っていた。
「……あの“零観測者”、絶対にもう一度、どこかで書いてる……“赫ノ邑”を知ってるやつが……一人じゃあるまい……」
薄暗い部屋の中で、綾木の独り言だけが繰り返された。
そして、六日目の夜。
保存したログの語彙から自作したパターン解析スクリプトが、一つのURLを検出した。
それは、過去に閉鎖されたはずの匿名日記型ブログ。
タイトルは【裏山の神様が視ている】──
最後の更新日は半年前
誰も見向きしない、ゴーストタウンのようなサイト。
だが。
そこには、綾木が探し求めていた名前が、ひっそりと刻まれていた。
「──赫の者。赫ノ邑。俺はまだ、生きてる。だが、次はいつ消されるか分からない──」
投稿者名:観測者-ZERO
綾木の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「やった……!」
深夜、アパートの一室に綾木の叫び声が響いた。
椅子が軋むほど身を乗り出し、ディスプレイに表示された“観測者-ZERO”のブログを凝視する。
「いた……やっぱりあの書き込み、嘘じゃなかった……!」
だが次の瞬間、綾木の興奮は急速に冷めた。
理性が、冷水のように脳を冷やす。
(……いや、浮かれてる場合じゃねぇ)
この半年も前に更新が止まったブログ。
今も“生きて”いることが奇跡に近い。だが、次に覗いたときには──また消えていてもおかしくない。
(このままコンタクトを取っても、傍受されれば即座に消される……)
綾木の思考が、切り替わった。
ここからは“戦い”だ。
“零観測者”こと“観測者-ZERO”と接触するには、こちらにも“擬態”が必要。
標的を炙り出し、同時に相手にとって自分が“味方”であることを悟らせる。
彼はもう一台の予備ノートパソコンを引き出し、手早く起動した。
そして、同時進行で二つの作業を開始する。
ひとつ。専用の接触用スレッドを、観測者-ZERO向けに立てる。
▶ タイトル:【ZERO観測者へ】“赫ノ邑”について話がある(再)
本文には、あの“削除されたスレ”から引用した一文を、あえて細部だけ微妙に改変して掲載。
> 「赤布を巻いた住人たち、馬頭の狛犬、神社の奥の“赫”の文字──俺も、見た」
これで、彼の記憶と自我に“引っかかる”はず。
ふたつ。囮スレと偽アドレスを並列して立てる。
【地図にない村】観光地として売り出そうと思うんだがwww
【地方再生】秘境集落「赫ノ村」伝説のまとめ
【考察】“赫の者”はクトゥルフ系の比喩だった!?オカルト創作考察スレPart3
どれもそれっぽい中身を装って作り込み、正体不明の“検閲者”の目を逸らすためのデコイとした。
そして最後に、念のため接触専用メールアドレスと、暗号化されたメッセージ交換ツールのIDを追記。
「お前が生きてるなら、見つけてくれ。“真実”が必要だろう」
それだけ書き残し、スレッドをアップロードする。
すべての準備が整った。
綾木は、椅子に深く背を預けながら、天井を見上げた。
あとは、“観測者”が食いつくかどうか。
彼の指先は、無意識に震えていた。
投稿から約二時間後──。
綾木はソファに沈み、冷えた缶コーヒーを啜りながら画面を睨んでいた。
まだだ。
観測者-ZEROからの反応はない。
ただし、囮の方のスレッドには数件の無意味なレスがついていた。“釣り乙” “創作スレに帰れ”──荒らしか、あるいは…。
(いや、こっちは囮だ。狙い通りだろ)
綾木は本命スレにカーソルを戻し、更新ボタンをクリックする。
──すると。
レス番25に、見覚えのあるハンドルネームが浮かび上がっていた。
025:観測者-ZERO
本当に見ている奴がいたか。
本当にスレの内容を読んでるなら、次の質問に答えられるはずだ。
※一つでも答えを間違えたら、その時点で消える
――質問1
俺が迷ったのは何の途中だった?
A:ハイキング
B:登山
C:釣り
D:山菜採り
――質問2
村の家々に吊るされていたものは何だった?
A:しめ縄
B:紙垂
C:赤い布
D:わら人形
――質問3
神社の狛犬の代わりに置かれていたのは何だった?
A:鬼の像
B:馬の頭の像
C:牛の彫刻
D:赤い仏像
――質問4
神社の祭壇の上にあったものは、何で包まれていた?
A:白布
B:黒布
C:赤黒い布
D:赤い紙
――質問5
村で出会った身長二メートル近い男の特徴を一つ挙げろ。
正しく答えたら、次に進む。
間違えたら、もうここには書き込むな。
お前が本物かどうか、試させてもらう。