第一話 「地図にない村」
──その日も、夜が深かった。
喧騒も、人の気配も途切れた深夜のアパートの一室。
蛍光灯の薄暗い光の下、キーボードを叩く指が止まることはない。
「……ふざけた記事しか出てこねぇな」
ディスプレイには、“地図に載っていない村”に関するオカルト系ブログの断片や、Youtubeの心霊系動画が並んでいた。
どれも再生数稼ぎの嘘くさいネタばかりで、記者としての綾木 陸は鼻で笑う。
彼は二十代後半のフリーライター。主に都市伝説、事件の裏側、ネットの闇──そういった“誰も本気にしないもの”を本気で追う男だ。
虚飾を見破る目。
信用をしない性格。
だが、それでも。何かの“核心”には、いつかたどり着けると信じていた。
「……地図にない村、ねぇ。何年前のテンプレだよ……」
タバコに火をつけようとしたその瞬間、ブラウザの別タブに通知が走る。
匿名掲示板【零域Net】──深層Web寄りの、アングラなオカルト掲示板だ。
▶ スレッド:【地図にない村】ガチで行った件について
興味半分でクリックする。
だが、内容は妙だった。
001:名無しの零観測者
昨年の秋、登山中に道に迷って、山中で二晩野宿した。
霧が濃くて地図も役に立たず、スマホの電波も圏外。死ぬかと思ってたら、三日目の朝──村に出た。
地名の看板はなかった。
古い日本家屋が十数軒、茅葺と木造が混ざってて、昭和というか、それ以前の雰囲気。
でもな、どの家にも「赤い布」が吊るされてた。玄関や窓、柱の先とか、意味もなく。
村の人間は30人くらい。年寄りから子供までいたけど、全員が「赤い襷」を体に巻いてて、表情が一切ない。
挨拶しても無言。ただ、無表情で見てくる。
で、村の奥に神社があった。鳥居もボロくて、狛犬じゃなくて“馬の頭みたいな像”が置いてあった。
神社の中に入ったら、奥に「祭壇」があって、その上に赤黒い布で包まれた何かが置かれてた。
直視はできなかった。吐き気がした。頭の奥がぎゅうっと締め付けられる感じ。
そこで誰かに肩を掴まれて、振り向いたら──
身の丈二メートル近い男がいた。
顔の左半分に火傷みたいな痕があって、左目が義眼。でっかい鉈を背負ってた。
そいつが、何も言わずに俺の手首を掴んで「出ていけ」って感じで押し返してきた。
でも、村の出口はどこにもなかった。来た道がなくなってた。
代わりに──背後から、複数の足音。
黒い服、顔に赤い布を巻いた奴らが何人も出てきて、俺に向かって一斉に走ってきた。
全員、猟銃とか鉈とか持ってた。
恐怖でパニックになって、とにかく山を下った。何時間も走って、途中で気を失って、
気づいたら地元の猟師に保護されてた。
警察に行っても「その位置に村はない」って言われて、地図を調べても何も載ってない。
でも、あの場所は“ある”。絶対に。
あの村は……あれは、人の村じゃない。
マジで、あそこは行くな。
今でも、時々あの赤い目を夢で見る。
⸻
この投稿のあと、続くレスで「嘘松ww」「釣り乙」みたいな冷やかしがある中
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017:名無しの探索者
で、その村って結局どこなんだよ?
名前とか看板とか見てないの?
山の名前とか、せめて座標とかでも
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018:名無しの零観測者(>>017)
看板はなかった。標識もなかった。
でも──
一つだけ覚えてる。
神社の中に、祭壇の柱に刻まれてた文字。
「赫」って漢字があった。
読めなかったけど、帰ってから調べて「かく」と読むって知った。
それと、木札に墨で書かれてたのが見えた。
『赫ノ邑』──
その文字を目にした瞬間だった。
綾木は、反射的にスクロールを止めた。
何か、身体の奥に冷たい針が突き立ったような感覚。
目を細めて画面を見返す──いや、見返そうとした。
……が。
「……ん?」
次の瞬間、ブラウザの表示が唐突に切り替わった。
Error 404 – このスレッドは存在しません。
※スレッドが削除された、もしくはURLが変更された可能性があります。
「は?」
思わず声が漏れる。
更新ボタンを押しても、履歴から入り直しても、すべて同じエラーページ。
【零域Net】のトップに戻っても、「地図にない村」に関するスレは影も形もなくなっていた。
「……速すぎるだろ。誰が消した……?」
たった今まで、自分の目の前にあったはずの証言。
あの不気味な『赫ノ邑』という村の名を含んだ投稿。
それが、書き込まれた“直後”に跡形もなく消滅するという異常事態。
綾木はページを睨んだまま、しばらく身動きできずにいた。
無意識に喉が鳴る。
背中に、じっとりと冷たい汗が滲んでいた。
(──これだ。間違いねぇ。匂う……本物の“闇”の匂いだ)
そして、綾木 陸は決めた。
“赫ノ邑”を追う。
そこにこそ、誰も知らない真実が眠っていると。しかし肝心の手がかりになるスレが消えてしまった。
だが──綾木 陸は慌てなかった。
彼は、記者としての習慣で、気になるスレや投稿は即座に保存しておくクセがあった。
消されたら困る。書き換えられたら困る。そういう世界を相手にしてきたからだ。
「……ふん、用心深さに感謝だな」
パチ、とマウスを動かす。
ローカルに保存していたhtmlファイルを開けば、まだそこに
『赫ノ邑』という文字が、くっきりと残っていた。
名無しの零観測者の書き込み、村の異様な構造、赤い布を巻いた住人たち、
そして祭壇に刻まれていた“赫”の文字。
全て、証拠として残っている。
「地図にない村。神社。赤布の集落。赫ノ邑……」
綾木は小さく呟きながら、手帳にメモを取り始めた。
情報は断片的だ。だが、要点はある。
登山中の遭難者が偶然発見
看板のない村。古い日本家屋
全員が赤い布を身に着けていた
神社が存在し、「赫」という文字があった
その後、スレッドは即座に削除
──偶然か?
──都合が良すぎやしないか?
(誰かが、この情報の拡散を防いでいる)
無意識に、背筋が伸びる。
これは“遊び”じゃない。
何か、大きな“力”が背後にある。そう感じさせる不気味さが、そこにはあった。
綾木はそれを確信すると微かに震えていたが、目は静かに燃えていた。
「赫ノ邑……お前が、どんな地獄でも──俺が暴いてやる」
それは、フリーライター・綾木 陸としての執念だった。