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後宮入内(2)

 側仕えの女官たちにいい顔をして愛想を振り撒き、良い子を演じつつ一日を無難に過ごした春柳(しゅんりゅう)は、皆が寝静まった夜にこっそりあてがわれた宮を出て、庭へ出た。


 折りしも本日は満月だ。


 明るい月光に照らされてこそこそと宮を出た春柳は、まずは短刀で柳の樹皮を剥き、その場でばりばりと噛み砕いて味見する。

 麗糸(レース)のように繊細な見た目の春柳だが、肝は(うなぎ)のように太いし胃腸は仙人のごとき頑丈さを誇っている。崇悠が知ったら羨むこと間違いなしだろう。


(良い柳の木ね……この樹皮で包んで魚を蒸し焼きになどしたら、かなり美味しく仕上がりそう)


 などと考えながら樹皮を剥ぎ終えると葉もきっちりとむしり取り、次は蓮の実を収穫しようと衣を脱ぎ捨て素っ裸になった。


「はっ」


 気合一閃、けれど静かに池に入ると、蓮の実を取ろうとし……池を泳ぐ別の生き物に気を取られる。


(鯉!)


 幽山の屋敷もだが、貴人の宮では鯉を飼うのが習わしなのだろうか。

 どぶ水で育った鯉は食べられないほど泥臭いのだが、後宮の池は澄み切った湧水で満たされている。

 さぞかし美味な鯉に違いない。

 というわけで春柳は、迅速に蓮の実を集めた後、迷うことなく鯉を捕獲した。

 後宮の鯉はずいぶん人馴れしているようで、愛想よく近づいてきたところを捉えるのは容易かった。

 きっと餌をもらえると勘違いしたのだろう。

 食べ物を与えるのではない。お前を食べ物にするのだ、という気持ちの元、春柳はぴちぴちしている鯉の尾をむんずとつかんで上機嫌で池からざぶざぶ上がった。

 適当に水気を拭ったのち、衣を着直した春柳は、他に何か食べられそうなものはないかと庭園を徘徊する。


「あら、冬瓜! まあ、桃まで!」


 春柳は嬉々として目に付く食材をもいで、もいで、もぎまくった。


(後宮って最高だわ。こんなにもたくさんの食材が溢れているなんて!)


 気分は上々である。

 手に入れた食材を手に、厨房に行く。

 成果物たちを前に、春柳はうっとりと頬を赤らめた。


「はぁぁぁ……なんて素晴らしい食材たちなのでしょう!」


 鯉は白い鱗が窓から溢れる月光に反射してきらきらと輝き、澄んだ目はまるで宝石のよう。ぴちぴちとまな板の上で踊る様は「食べて! 僕をおいしく食べて!」と春柳に訴えかけているかのようだった。

 薄緑色の冬瓜はつややかで、まるで赤子の肌のように滑らかだ。

 山桃は赤く丸く、どれ一つとして歪な形がなく、芳醇な甘い香りが漂っている。


「うふふふふ……この食材を、今からわたくしが調理するのね……!」


 極上の食材を前に自制が効かなくなった春柳は、頬を上気させはぁはぁと荒い息を吐く。

 傍目から見たら不審者そのものだ。


「明日の夜にお越しいただく……となれば、今夜は鯉の下処理だけ済ませましょうっと」


 手に入れた食材は新鮮なうちに適切な処理をしなければ。

 調理道具一式は慣れ親しんだものを使いたかったので、幽山より持参している。

 実は花嫁道具の中で調理道具が一番嵩張(かさば)った。

 衣より装飾品より料理を愛する春柳は、調理道具さえあればそれでよかった。

 あれもこれも……と欲張って持って行こうとした結果が現在の状態である。


「まずは鯉を綺麗に洗って……と」


 興奮したまま処理を開始する。

 鯉の口をガバァと開き、ざぶざぶ水を入れて綺麗に洗ってゆく。エラにも手を入れ、こちらも綺麗に洗う。


「このまま塩で浸けて、浸かったら腹を切りさばく」


 エラの下に包丁を当て、真っ直ぐ尾の付け根近くまで切る。


「腹の中に合わせ香辛料、山椒、生姜と(ねぎ)の糸切りを入れて」


 葱の糸切りとは、葱を糸のようになるまで細く切る方法のことだ。

 これにより口当たりシャキシャキの繊細な食感が生まれる。


「鍋に水を入れて、酒を加えて魚を浸し、(かじ)の実の粉末を振って落とし蓋をして……慢火(とろび)で一日煮込んで、と。これで鯉の処理は完璧だわ」


 初めて使う厨房なので火の加減などわからないだろうかと不安もあったが、今のところ問題はなさそうだった。

 定期的に薪をくべて、火を絶やさないように気をつければいい。

 他に何かやることはないかしらと周囲を見回し、干し貝柱を発見した。


「これは……冬瓜と煮込むのにちょうどいいわね」


 というわけで貝柱は固いところを取り除き、水につけて戻しておく。


「そうそう、毛湯(スープ)の準備もしておかないと」


 毛湯は料理をする上で基本のものとなる。

 材料は鶏ガラ、ひねどり、豚の背骨。

 ひねどりというのは卵を産まなくなった雌鳥のことで、身が固い代わりに旨味が凝縮されているのが特徴だ。

 これらの材料を、臭み抜きのために生姜と葱の青い部分と共に寸胴鍋でじっくり煮込み、出汁を取る。


「今回は事前にお願いをして女官の方たちに用意してもらったけれど、本当なら自分で材料から揃えたいところだわ」


 鯉をコトコト煮るかたわらで毛湯の仕込みをしつつ春柳は嘆息した。


「後宮で鶏を飼ってもいいかどうか、陛下にお伺いしなければ……あとは、豚と、牛と、猪、雉……鹿もいたら嬉しいわね。うふふふふ、夢が広がるわ!」


 後宮の庭に放牧場を作る気満々だった。

 春柳が一人楽しい空想にふけっているうちに数時間が過ぎ去り、いい感じの出汁が出た。


「準備は万全だわ」


 翌朝、姫が寝所にいないと焦った女官たちが方々を探し回り、寝着で料理をする春柳が厨房で発見され、小言を言われたのだが、春柳はそれしきのことでは何ら反省しない。

 無理やり厨房から出され、着替えさせられる。


「いっそのこと、厨房に住みたいわ」


 そんな文句は女官たちの呆れ顔に黙殺された。

 鯉の様子が気になるので、着替えと化粧を済ませたらまた厨房へと引っ込んだ。

 自分の朝餉もきっちりと済ませ、昼餉も取り、それでもやっぱり鯉が気になって仕方がないので本日、春柳は厨房にこもりきりだった。

 ただひたすら、厨房にこもって設備を確認し、道具の手入れをし、料理をする。


「なんて幸せなの……!」


 幸せを噛み締める春柳を女官たちは遠巻きに見ていたのだが、そんなことさえ気がつかない。

 さて夕食の時間も近づいてきたので、春柳はいよいよ本腰を入れて準備にとりかかった。


「いよいよ本格的な料理をしていくのね。後宮での記念すべき第一歩だわ!」


 春柳の瞳が怪しく光る。

 作る料理は、昨日仕入れた食材を見て既に考えてある。

 足りない食材は手配済みなのでぬかりはない。

 現在の厨房に足りないものなど何もなかった。


「さあ、作るわ。まずは煮込み料理から!」


 春柳の本領発揮だ。


「煮込み料理に使うのは、冬瓜と干貝。戻した干貝は酒と葱、生姜を入れて蒸す。その隙に冬瓜の処理」


 春柳は見事にまんまるな冬瓜に頬擦りをした。


「後宮の庭になっていた、立派な冬瓜……! こんな立派なものは、幽山でもなかなかお目にかかれない。きっと後宮では自給自足が基本なのね」


 ただの景観用です、と春柳に突っ込みを入れる者はいない。

 全く見当違いなことを考えつつ、春柳は手際よく冬瓜の皮を剥き、食べやすい大きさに切ってゆく。

 皮を薄く削ぎながら目を爛々と光らせ、一口大に切りながら息を荒くする春柳は、どう見ても怪しい人物だった。

 一人である故外面の良さを発揮する必要もなく、よって表情は完全に不審者のそれである。天女の如き美貌をもってしても、隠しようのない不審感が滲み出ていた。


「ワタを切り取ったら飾り切りにして、と。ふふふ……せっかく静帝陛下にお出しするんだもの、見目もよくしておかないと。そう……料理も小洒落ておかないとね」


 後宮入りの折、春柳は「皇帝陛下に輿入れするのですから、めいいっぱい着飾っておきませんと!」と言われ、ばあやを筆頭にしてこれでもかと飾り立てられた。

 春柳を飾るくらいならば、静帝にお出しする料理もまた、小洒落たものにしておく必要があるだろう。

 味や体調に見合ったものを作るのと同じくらい、料理の見た目も重要であることを、春柳は重々承知している。


「とってもおめかししたお料理にしましょう! あなたたちの良さを、わたくしが存分に引き出してあげるわ!」


 厨房で一人、食材に向かって話しかける春柳。

 冬瓜に複雑な龍の飾り模様を施し、見るも美しい艶やかな菱形の飾り切りに仕上げ、さっと湯通しをする。


「油通しをするほうが風味が残るのだけれど、胃腸のことを考えると湯通しの方がいいわよね」


 冬瓜を(ざる)にあげ、水で戻した貝柱はほぐし、鍋に毛湯(スープ)、干し貝柱と戻し汁、酒を加え、冬瓜も入れてじっくりと煮込む。

塩と胡椒で味を整え、冬瓜が柔らかくなったら水溶きの片栗粉でとろみをつけて完成だ。


「さあこれで、冬瓜干貝(とうがんばんぺい)ーー冬瓜と干貝の煮込み料理の完成ね!」


 もたもたしてはいられない。


 次の料理を作るべく、春柳は蓮の実を手にした。

 蓮の実は軽く洗った後、たっぷりの湯で茹でる。灰汁(あく)が出るので二、三回は茹でこぼした方が良い。今回は炊き込みご飯に使うのでやや硬めに茹でる。

 処理を終えた蓮の実は、米と一緒に釜で炊く。


 そうしたら桃だ。桃の処理だ。

 桃は桃でも、後宮の庭で取れた桃は山桃である。

 米のとぎ汁で山桃を煮、煮えたらさらい出して水に入れ、その中で種を取る。

 米に火が通りはじめ、水蒸気が吹き上がったところで一旦鍋の蓋を開け、山桃を入れてから再び蓋をして一緒に炊き上げる。

 こうして出来上がった飯は、ほのかな桃色の、世にも鮮やかな色合いのものとなるのだ。


「鯉は既に出来上がっているから、(おおざら)に盛れば良いし……これで完璧!」


 一つ一つの味見を済ませた春柳は、恍惚の表情で「んぅぅ」と満足気な声を出した。


「まさに天上の味だわ。こんなに美味しく仕上がるだなんて……! わたくしの腕もさることながら、素材の良さが出ているわね」


 ほぅ、と息を吐く。

 崇悠が見れば理性がぶっ飛んでしまいそうなとろけるような表情だった。


「お妃様、間も無く陛下が参りますわ。お召替えをなさいませんと!」


 春柳付きの女官の一人が慌てて春柳を呼びに厨房までやって来た。

 春柳は即座に表情を引き締める。


「ちょうど料理も終えたところ。わかったわ、今、行きます」


 冷めないように蓋をして、己の身支度を整えるべく春柳は一旦厨房を出た。


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ネイキッドスネーク並のキャプチャー能力で草。
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