後宮入内(1)
しゃらしゃらと、衣ずれの音と共に行列が通りをゆく。
八人もの人間に担がれた豪華な轿子、また前後に連なる花嫁道具たちが皇宮へと吸い込まれていった。
乗っているのは後宮入りすることになった新たなる妃。
隔絶された幽山に住まう一族の姫。
花嫁を連れた行列は、五家の姫たちよりは質素な装いと意匠で、しかし見るものが見れば質の高さに気がつくような、そんな絶妙な塩梅だった。
一説には仙人の一族とさえされる幽山の民だが、「そんなわけがない」と一笑に付するには、その行列はあまりにも神秘的だった。
施されている装飾の配色が花青烟雨ーーすなわち俗世を脱したものであるせいかもしれない。
行列に従う従者たちも、持ち物も、全てが藤色や淡雪色、蓮花色といった淡い色で構成されているのも神秘性に一役買っているのだろう。
ーー全ては、新たな妃の神性を増し、余計な確執を生まないようにとの皇帝崇悠の配慮によるものだった。
「ここが、永安の都、昇陽……そして皇宮なのね!」
入内における諸々面倒な儀式を終わらせたのち、通された後宮内で春柳はそう感想を述べた。
幽山での邂逅から、はや一月。
あっという間に春柳の後宮入りの日がやってきて、そして無事に輿入れを終えた春柳は、これからの日々を思い希望に胸がいっぱいだった。
春柳があてがわれたのは、後宮の一角。
奥まった宮は派手すぎず、とはいえさすが皇宮。意匠の優美さや繊細さは幽山のそれとは比較にならない。
回廊からは柳の木や桃の木などが品よく配置された典雅な庭が垣間見え、蓮の葉が浮いた池さえもある。
そう。ここは植物の宝庫だった。
「蓮の実には胃腸の不調を整える作用がある。陛下にぴったりね。早速、実を採取しないとだわ」
春柳は池に飛び込み新鮮な蓮の実を取る気満々だった。
幽山でそんなことをすれば、ばあやの小言の一つや二つ飛んでくるというものだが、ここにばあやはいない。
春柳はこの度の輿入れに際し、一人の女官も連れてこなかった。
「幾人だろうと好きなだけ連れてくるが良い」というありがたい通達が陛下よりあったのだが、春柳は誰かを連れていく気はさらさらなかった。
お目つけ役がいると、好き放題できないわ。というのが春柳の言い分である。
春柳の奇行を知り尽くしている幽山の人間が来ては困るのだ。
世話を焼いてくれるのは、春柳のことをよく知らない、皇宮の女官でなければならない。
(外面の良さを発揮しつつ、毒にも薬にもならない姫として認識され、監視の目が緩んだ隙を見計らってまずは後宮中の植物を試してみなくては……!)
決意を固め、心の中でぐっと拳を握りしめる。
その様は、崇悠がひたすら「天女のようだ」と賞賛しつづけたたおやかさは微塵もない。
さながら、敵陣に潜入捜査に行く斥候のそれであった。
春柳が気合を入れていると、女官の一人から声がかかった。
「陛下がお越しになりました」
「すぐに通してちょうだい」
心の中の拳を解き、衣を慌てて整えて陛下のお越しに備える。
部屋に入ってきた静帝陛下は、春柳を頭からつま先まで眺め、両手を広げて歓迎の意を示した。
「よくぞ遥々昇陽まで参ってくれた。ひと月前に出会った時にも思ったが、今日のそなたはそれ以上に美しい。天女も恥じらい姿を隠すというものだ」
「まぁ……。陛下こそ、とても凛々しくていらっしゃいます」
とは言いつつ春柳は、陛下の体つきがひと月前と何ら変わらず、相変わらず食事が合っていないのだろうと見抜いていた。
「後宮で気に入らぬところはないか? 何か不足しているものがあれば、遠慮なく女官に申し付けるのだぞ」
「このように立派な宮まで用意していただき、十分すぎる配慮にございます」
「色々迷ったのだが、幽山の趣を考えると、あまり華美でない方が良いかと思ってな。庭には、そなたの名前にもある柳が植わっている」
「わたくし、柳の木は大好きでございますの」
柳の樹皮と葉には解熱、下痢止め、利尿などの薬効がある。
お茶にして煎じて飲めば、よい効能を得られるだろう。あとで樹皮を剥き、葉を取らなければ。
そんなことを春柳が考えながら無邪気にはしゃいでいると、静帝が慈しむような眼差しを向けてきた。
「幽山よりの長旅で疲れているだろう。今日はゆっくり休むといい」
「ありがたく存じますわ。陛下におかれましては、その後、お体の具合はいかがですか?」
問い掛ければ静帝は、長いまつ毛を伏せて憂を帯びた表情になる。
「……実を言うと、あまり……。このひと月ずっと、そなたの作った豆粥が恋しいと思っていた」
確かに静帝の調子がよくなったようには思えない。
これは相当、皇宮での食事が体にあっていないに違いない。
「では早速、明日より陛下のお食事をご用意いたしますわ」
「それは、助かる。だが疲れていないだろうか? そなたの体調が整うまでいくらでも待つが……」
「陛下はお優しいのですね。ですがわたくしにとっては、陛下の御身が一番にございます」
「春柳……」
静帝陛下は感極まった様子だった。
(陛下のお顔色、わたくしの料理にて改善してみせますとも。ええ!)
自分の好奇心を満たすのも大切だが、体に合わない食事を続けてげっそりしている陛下を見過ごすわけにはいかない。
春柳は医食同源を旨とする、幽山の一族の姫。
体質に合わない食事をしている人間がいるならば、幽山の名にかけて改善しなければならない。
陛下の体質改善こそが己に課せられた後宮での使命であると、春柳はかたく信じていた。
静帝はすっと春柳に近づき、髪をひと束手に取ると、口づけを落とす。
「俺の優しさなど、そなたの前では塵に等しい。明日の夜を楽しみにしている」
名残惜しそうながらも去っていく静帝を見送って、春柳は気合を入れた。
「よし……まずは、材料を揃えなければいけないわ」
春柳は、後宮で暮らす上で絶対に譲れない条件をひとつ挙げていた。
それすなわち「春柳の口にするものの一切は、春柳が作る」というものだ。
作る過程も楽しむ春柳としては、人に作ってもらった料理を食べ続けるなど我慢がならない。
まして静帝がお越しになるというならば、静帝の口にするものは春柳が作らなければ意味がない。
そりゃ、後宮内で他の妃たちが一体どんなものを食べているのか、もの凄まじく気になるのだが、優先順位としては静帝の食事改善が先だ。
春柳は、幽山から遥々呼ばれた理由ーー己の職務を全うする気満々だった。




