花妃と香妃(5)
「正攻法でいったところで、返り討ちにされるのが関の山ね」
花妃と香妃、二人の性格を考えた春柳は、そう結論づけた。
自身の厨房で、ひとりでの話である。
春柳が二人に会ったのは、二度。
一度目は月寿節の席で。
あの時二人は寂妃にあからさまな敵意をぶつけ、むっとした春柳はつい言い返したりした。その後、春柳にも敵意を剥き出しにしてきたが、確かに天華と珠海の玉輪餅は大変美味しかったので、ぐうの音も出なかった。
二度目はつい先ほどのお茶会で。
茶会には温和な空気が漂っていた。まるで月寿節でのことなどなかったかのようだ。二人は本当に、幽山の料理に興味があったようにしか思えない。
ならば、期待に期待に応えるのが春柳の務めだろう。
月寿節での経験を踏まえ、かつ二人の好みを反映しつつ、幽山らしい料理を出す……なかなか大変だが、大変であるほどに燃えるというものだ。
山は高ければ高いほど登り切った時の達成感を味わえる。
春柳は山登りの趣味はないが、まあ、大体似たようなものだろう。
今の季節に使える食材をふんだんに使い、二人の舌を唸らせるものを作り上げる。
それこそが、春柳に与えられた、使命。
春柳は他地域の料理を学んだり食べたりするのも大好きだが、故郷の料理を作るのも当然に大好きだ。
今回、作る相手は陛下ではない。
なら、当然、料理の種類ーー傾向は変えるべきだろう。
腕が、なる。
春柳の厨師としての魂が疼く。
「よぉし……!」
脳内で献立を考えた春柳は、野菜を手にして気合を入れる。
陛下から賜ったばかりの妃名、食妃の名に恥じぬ働きをしなくては。
*
花妃の宮で二人の妃がくつろいでいる。
向かい合い座る花妃と香妃は見るからに機嫌が良い。
「あぁ、これからここにくるあの女、一体どんな料理を持ってくるつもりかしら」
「きっとしようもないものよ。だって、あの玉輪餅を見たでしょう? 杏しか入っていなくて、みっともなかったわ」
「そうね。ちょっと変わった甜食を出して明麗様に気に入られたからって、調子に乗らないで欲しいわ」
華のように美しい二人であったが、さざめく言葉は毒々しい。綺麗な薔薇には棘があるという諺がぴったりな様子だった。
間も無く、罠に嵌められるとも知らない食妃が、邪気のない天女のような笑顔を引っ提げてやってくるのだ。
花妃月橘は食妃春柳が嫌いだった。
後宮にやってきたばかりだというのに陛下にも皇女にも目をかけられているのが気に入らない。あの透き通るように美しい白い肌も、艶やかな紫がかった黒髪も、春の柳のように輝く翠の瞳も、たおやかでいて芯のある体つきも、鈴の音を転がすように軽やかな声も、全てが気に入らない。
月橘だって、己の容姿には自信があった。
故郷の天華では蝶よ花よと大切に育てられ、いつでも一番いい衣を身に纏い、一番美しい花で髪を飾り、他に並ぶものなし、天上の愛らしさと褒め称えられていた。
ーー月橘様の愛らしさを前にすれば、静帝陛下も夢中になるに違いありませんわ
ーー他家のお妃様など目ではありません
ーー将来の皇后は月橘様で間違いなしです
家の者にも友人にも女官にもさんざめかれ、月橘もそう固く信じていた。
皇宮がどんな場所であれ、月橘にかかればいちころだろう。皆、月橘の愛くるしさを前にすれば首を縦に振るに違いない。
だが皇宮に来てみれば、静帝陛下はそこまで月橘に興味を示さず、満妃が我が物顔で陛下の隣に居座り、後宮を支配している。
月橘はあてがわれた宮に籠め置かれ、陛下のお渡りの日以外にすることもなく日がな一日を過ごす毎日。
天華ではこんなことはなかった。
皆、月橘の機嫌を取ろうとして、毎日のように誰かが贈り物をもってやって来ていたし、月橘を楽しませようと色々な話をしてくれた。
月橘はお気に入りの湖に浮かぶ四阿の中でそれらを受け取り、吹き抜ける風に髪をそよがせつつ、花と茶の香りを堪能しながら談笑していればよかったのだ。
天華では月橘が世界の中心で、誰も彼もが月橘の顔色を伺い、月橘に気に入られようとしていた。
なのに、なんで。
どうして皇宮では、月橘はその他大勢のような扱いを受けているの。
にもかかわらずぽっと出のあの女ーー春柳がちやほやされているのはどういうことなの。
何もかもが気に食わない。
一方の香妃璃美の心中は、月橘とは似て非なるものだった。
璃美とて生まれながらに姫で、珠海ではそれはそれは大切に育てられた。
海に面した珠海は他国との貿易が盛んで、領主である璃美の生家には様々な品が日々届いた。
珍しい衣、珍しい簪、珍しい香、珍しい食べ物に珍しい調度品。
璃美の周囲には祥国にないもので溢れ、日々異国から渡って来た海外の者たち、あるいは帰郷した者たちが土産話にと珍しい異国の話をしてくれる。
璃美はそんな日々が好きだった。
けれども璃美は身分ある家の生まれ。珠海一の家で生まれたということは、相応の相手の元に嫁ぐことになるのだろうと、そう思っていた。
覚悟はしていた。誰の元に嫁いでも、珠海よりも面白い場所などないだろうとそう思っていた。
だから嫁ぎ先が静帝陛下の下へとそう決まっても、さして心は動かされなかった。
国の中心は伝統と格式で縛られた、璃美からしてみれば古臭いしきたりで縛られたつまらない場所。
珠海で見られるような珍しく新しいものは見られないだろう。
そう覚悟していた。
周囲の者たちは口々に祝いの言葉を述べたり、璃美の美しさの前には陛下も骨抜きになると騒いでいたが、そんな甘い言葉に乗せられるほど璃美はおめでたくはない。
規則でがんじがらめの皇宮に行ったって、面倒なしきたりを守ったり、他家の妃の顔色を伺ったりする、つまらない毎日が待っているに違いない。
今代の皇帝陛下は有能なだけでなく眉目秀麗で非常に美しいという噂だけれど、その陛下の寵愛が璃美一人に向くとはかぎらない。
璃美は現実主義者だった。
己の美しさに絶対の自信を持ってはいるが、陛下のお好みは永安式にふくぶくしい女性かもしれないのだ。であれば璃美に勝ち目はない。
璃美は色香をまとう美姫ではあったが、永安の貴族のように丸々太る趣味はなかった。
璃美の予想は当たっていた。
皇宮に輿入れした璃美を待っていたのは、控えめに言っても優美な監獄。
目新しいものは何もなく、繰り返されるつまらない毎日。
望んで手に入る物なんてたかが知れていて、珠海にいた時のように面白みのあるものなどほとんどない。
まるで時が止まったかのような日々に、退屈さを持て余す。
そんな時、花妃と話す機会があった。
彼女はまだ若く、純粋で、世の中というものをまるで知らなかった。
天華でよほど大切に育てられたのだろう。
そのあまりにも邪気がなく。子供っぽい様子が面白くて、ついつい手を貸してしまった。始めは野生の猫のように警戒心が強く、噛みついてばかりだったけれど、根気よく接しているうちに犬のように忠実になった。
なんて可愛いんでしょう、と璃美が思うのに時間はかからなかった。
ーー暇つぶしには、ちょうどいいわ。
だから璃美には別に食妃に恨みなどなかったけれど、花妃の溜飲を下げるために協力してもいいかしらという気分だった。
食妃は陛下と皇女に気に入られているようだけれど、だからってそれで全てがうまく行くほど後宮は甘い場所ではない。
寂妃、剛妃は味方につけたようだけれど、あの二人ははっきりいって後宮での立場は低い。
祥国といえども広く、地域によって格差は出る。
寒く、乾燥し、作物が育たない北部よりも、肥沃な大地と海に面する立地である南部の方が国にとって重要な土地。
よって漠草や陵雲よりも天華と珠海の方がよほど国にとって価値があり、ひいては後宮内での格差にも繋がっているのだ。
ーーその辺りがわからず、同じ北部の妃とつるむなど、食妃も所詮は田舎者ね。
璃美は扇子で口元を隠し、こっそりとほくそ笑む。
「毒の準備はよろしくて、花妃様?」
「ええ、もちろんよ。毒を盛る女官と毒味の女官、それぞれ別で用意しているわ」
毒は璃美が用意していた。
海の外よりもたらされたその毒は味も匂いもない。祥国ではまったく未知の毒であり、たとえ医官が調べても犯人はわからない。なので、璃美たちが「幽山特有の毒に違いない」と断じてしまえば、その節は押し通るだろう。
毒の効果はさほど強くない。
せいぜい、強い吐き気とめまいくらいなもので、命まで危ぶむものではないから、毒味の女官に害が及ぶことはない。
ただーー「妃の食事に毒を持った」という事実は確たるものだから、食妃の宮中での立場は確実に地に落ちる。
皇族および妃を害したことは最も重い罪となる。
兵に引き立てられて牢に入れられ、刑部の手によって裁かれる間も無く斬首となるだろう。
こちらには二人の妃の証言がある。食妃がいくら訴えたところで聞き入れられることはない。
花妃は愛らしい顔にあどけない笑みを浮かべた。
「あの美しい顔が絶望に歪むのを見るのが楽しみね」
花妃は、毒花だ。そして香妃もまた、芳しい香りで人を惑わす魔性だ。
「そうね。自分の作った食事を食べ、女官が毒で苦しむのを見たらどう思うかしら」
くすくすくすと、二人の妃の笑い声が響く。
そんな中、女官がやってきて告げた。
「食妃様が参られました」




