満妃(14)
「ーーなぁに、このぜんっぜん味気ない玉輪餅は? 噂に聞く仙人一族の料理というのも、大したことないのね!」
声の主は花妃月橘だった。
愛くるしい顔立ちだったが、明らかに春柳を蔑むような目つきをしている。わずかに持ち上がった唇がめくれあがり、それがまたこちらを小馬鹿にした印象を与えた。
月橘は一口齧った玉輪餅を器に戻し、これ見よがしにため息をつく。
「明麗様が絶賛するからどれほどのものかと思ったら。……具材は杏だけ。皮にも何の模様もない。天華なら市民だってもっと豪勢な玉輪餅を食べるわ。幽山はよほど食材に乏しい土地なのねぇ」
妃以外の耳に入らないよう絶妙に調整された声が紡ぐ嘲りの言葉。
春柳よりまえに瑞晶が反応をした。
「月橘殿、それはいささか失礼にすぎないか」
「あぁら、わたしは事実を述べただけよ。ねえ、香妃様?」
香妃璃美は月橘の言葉を受け、妖艶に微笑んで見せた。幽山式の玉輪餅をじっと見つめる。
「ちょっと見た目が変わっているだけで、ありふれた材料を使っている……つまらないものね」
「言っていいことと悪いことがあるかと思うが!」
瑞晶が腰を浮かせて前のめりになった。璃美は扇子をひらひらと優雅にうち振りながら笑ってみせる。
「いやあね、山間に住む方々は血の気が多くていけないわ。もっと優雅に振る舞ってごらんなさい」
「無礼を先に申したのはそちらだ!」
「注目が集まっていますわよ」
確かに、一体何事かと非難がましい視線が注がれている。瑞晶は浮かせた腰を元に戻したが、それでも璃美を睨め付ける視線の鋭さはそのままだった。
これはいけない、と直感した春柳は、女官に合図をして天華と珠海の玉輪餅を器へと盛り付けてもらった。
天華の玉輪餅は桔梗の形をしており、珠海の玉輪餅は蒸した饅頭のようなものだった。
誰かが何かを言う前に、素早く珠海の玉輪餅を一口。
「!」
春柳は目を見開いた。
口の中に、海鮮の味が豊かに広がる。
一体これは何なのだろう。
かつて瑞晶の宮で振る舞われた熱鍋の具材、海老が入っているのはわかる。
だが玉輪餅の具材は海老だけにあらず。
春柳が食べたことのないまるで濃厚な乳のような味や、何かしらの魚のすり身のようなものが入っている。
噛むとじゅわっと溢れ出す、旨味をたっぷりと含んだ汁。
海鮮本来の風味、食感、香りを余すことなく引き出した、至高の一品。
未だかつて食べたことのない味が口内に広がり、海の幸が春柳の口の中でいきいきと踊り出した。
見える。
遥か水平線の彼方まで広がる大海原が。
海面の下で自由に泳ぐ海の生き物の姿が。
春柳の心は遠い珠海の海岸まで飛んでいた。
「……春柳殿?」
怪訝に思ったらしい瑞晶に声をかけられ我に帰る。急いで咀嚼し飲み込んだ春柳は、卓に手をつき深々と璃美に向かって頭を下げた。
「参りました」
「なっ……春柳殿!?」
「春柳様、急に頭など下げてどうしたのです」
瑞晶と愛凛がそれぞれ声を上げたが、春柳は構わなかった。
下げた上体を起こし、真っ直ぐに璃美を見つめる。扇子で鼻から下が隠れている璃美だったが、瞳が開かれているところを見るに、春柳の突然の降伏宣言に驚いているのだろう。
「豊かな海の幸の味わいが溢れる珠海式玉輪餅……とてもお見事です。海の幸をほとんど口にしたことのないわたくしからすると、まさに宝味。夢にまで見た海鮮の味を一つの玉輪餅で余すことなく楽しめる、珠玉の一品です」
そして呆気にとられる面々の前で、春柳は次に天華式の玉輪餅を手に取った。
生地がサクリと音を立て、ほろほろと崩れる。
薄く何層にも重ねられた生地は繊細で、ほのかに甘い。汐蘭の宮で出た螺旋酥の生地に似ていた。
生地の中に入っていたのは、甘酥餡。甘く煮詰めた酥とともに茄子と里芋、豚挽肉、腰果とが入っている。野菜と肉と木の実とが贅沢にたっぷりと詰め込まれた餡。それを包み込む薄い紗が幾重にも重なったような生地。
丁寧に作り込まれた玉輪餅からは作り手の真心が感じられ、これもまた良い。
春柳はまたしても流れるように頭を下げる。
「天華式の玉輪餅も良いお味です。わたくし、一度にこんなにたくさんの玉輪餅を見るのも食べるのも初めてですが、とても良いものですね。地域ごとの特色を感じられる……その地域では一体何が大切にされてきたのか、玉輪餅からわかります」
美味しい玉輪餅を口にすればささいな嫌味など忘れてしまう。
にこにこした春柳を見やる妃一同と明麗。そしてひそかに話に耳を傾けていたらしい静帝陛下は、鷹揚に笑った。
「春柳は此度の月寿節の意図を誠によく理解している。玉輪餅を通じて各地域に思いを馳せ、理解し合う……それこそが余の望みだ。どの玉輪餅も各地域の特色を反映していて、大変興味深い。宮廷のものだけでなく、また自国のものだけでなく、相互に興味を持って理解することこそが、長く平和な治世を続けるためのコツなのだと余は考えている。……競い合うのではなくな。その点、春柳は見事に趣旨を理解してくれたようだ」
陛下にそうまで言われてしまえば、妃たちが文句を言えるはずもない。
月橘も璃美も、あからさまな蔑みの視線は引っ込めたが、どことなく不服そうな雰囲気は漂っている。
「陛下、そういえば春柳殿の妃名はまだ決まっていないのですか?」
偉鵬の声を受け、あぁ、と静帝陛下が頷いた。
妃名は妃によって異なる。これは、位の低い人々が妃の名を呼ぶのはよろしくないということで別に設けられた通称で、命名するのは皇帝陛下だった。
基本的に妃名は、各妃の特徴に基づいて決められる。
満妃は「全て満ち足りて完璧な妃」。
寂妃は「物静かでたおやかな妃」。
花妃は「天華に咲き誇る花のように華やかな妃」。
香妃は「芳しく香り立つ海のほとりにすむ艶やかな妃」。
そのような由来から各妃の妃名は決められているものである。
静帝陛下は言葉を続ける。
「実は、前々から考えてはいた。せっかくだからこの場で発表しよう」
妃名を与えられるというのは、正式に皇室の一員になれた証。さすがの春柳でも緊張する。
一体、どんな妃名が与えられるのか。
長卓の最奥に位置する静帝陛下をじっと見る。彼の方もまた、春柳を見ていた。
金の瞳は春柳に注がれている。薄い唇が開かれると、はっきりとした音が口から紡がれた。
「幽山に伝わる医食同源の志に由来する食に関する深い造詣。確固たる知識を有し、自ら腕を振るって料理をして余や明麗の体を慮るほどの実力。そして今日見せたように、各地域の食事にも理解を示す懐の深さ。それら全てへ敬意を表しーー食妃、と妃名を授ける」




