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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第六章

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満妃(13)

 春柳が考え込んでいると、銅鑼(どら)の音が響き渡り玉輪餅が運ばれてきた。

 春柳の思考は即座に切り替わり、興味が玉輪餅へ移行した。

 女官の手により卓の上に次々と並べられる様々な玉輪餅。

 できたてなのだろう、まだ熱いものは湯気さえ立ち上らせている。

 玉輪餅から醸し出されるなんとも言えない香りは、集った人々の心を躍らせるものだった。春柳は表面を取り繕ったままできるだけそうっと息を吸い込み、玉輪餅の香りを堪能する。

 趣向を凝らした色とりどりの器に美しく盛り付けられた玉輪餅たち。なんて良い眺めなのだろうか。ここが楽園だったのか。

 春柳は悠然とした微笑みを浮かべたまま、「まあ、美味しそう」と述べるに止めた。

 内心では「なんっっって素敵な光景なの……! 今すぐ全部、食べてみたい!!」と頬を抑えて興奮していたのだけれど、それは表には出さない。汐蘭が春柳に抜け目のない視線を送っていることにちゃんと気づいていた。

 そんな風に春柳が、今にも玉輪餅に飛び掛かりたい気持ちを必死に抑えていると、静帝陛下の声がした。


「……今年は少々趣向を変えてみた。月寿節は家族団欒のひとときを大切にする行事。ゆえに、玉輪餅も宮廷式のものだけでなく、祥国の各地域のものを用意させた。それぞれの地域の特色がよく出ていると思う。故郷の味に懐かしく思うのもよし、他地域のものを味わって新鮮な気持ちになるのもよし。存分に楽しみ、くつろいだ時間を過ごしてくれればと思う」


 その言葉を皮切りに、玉輪餅と共に運ばれていた杯を陛下は上げた。

 宮廷では玉輪餅とともに酒がふるまわれる。

 黄酒の中でも長時間熟成させた老酒(ラオチュウ)で、うっとりするほど美しい黄金色の酒だった。

 そっと口に含むと、まろやかな味と甘味のある、奥深い味のものだった。

 老酒は寝かせれば寝かせるほど味に深みが増す。この老酒の味わい深さからすると、かなりの年代ものだろう。

 ひとしきり老酒を堪能した春柳は、酒盃を置き、目の前の玉輪餅の山に視線を移す。

 本番は、ここからだ。

 こんなにもたくさんの玉輪餅が世の中にあっただなんて、春柳は知らなかった。

 玉輪餅といえば幽山でよく食べられている、薄皮に杏の餡を包み込んだあれだと思っていた。さすがに春柳の愛読書「祥国漫遊喫茶典」にも、各地域の玉輪餅を食べ比べるという細かすぎることは載っていなかった。

 汐蘭の宮にこっそり忍び込み、穀安老師に宮廷式玉輪餅を見せてもらった時には驚いたものだ。


 これが玉輪餅なのかと。


 春柳の知っているものとはまるで異なる見た目に驚き、独特な製法にも驚いた。

 そして今、十種玉輪餅のみならず、他地域の玉輪餅も並んでいる。

 こんなにたくさんの玉輪餅が一同に会する機会など、そうそうないだろう。

 まずどれから食べようかしら、と思った。

 周囲の人も何から食べようか迷っている様子だった。

 何せ、月寿節でこんなにたくさんの玉輪餅が出てくることなど前代未聞。

 下手に手を出し、何かしらの失礼があってはならないと、皆横目でちらちらと隣人の動向を伺っている。

 気配を察した静帝陛下が居並ぶ面々に声をかけた。


「ーーどうした? そのように遠慮せずとも、気になるものに手をつければいい。どうせ親族しかおらぬ故、遠慮は無用だ」

「わらわは春柳の故郷のものが食べたい。春柳、どれじゃ?」


 一際明るい可愛らしい声がした。椅子から身を乗り出し、春柳に視線を送っているのは明麗だ。今日は目の覚めるような橙色の衣を纏い、結った髪に大粒の真珠をあしらった簪を挿している。

 春柳は明麗のために手のひらで丁寧に器を指し示す。


「こちらの玉輪餅にございます」

「おぉ。満月そのもののような見た目じゃな!」


 明麗は早速、背後に控える女官に目配せをする。目当ての玉輪餅を口にすると、あどけない顔がぱぁっと輝いた。


「皮がもちもちしていてよく伸びる……! 中の杏餡がほど良い甘さで、良いのう」

「明麗、そなた杏は嫌いではなかったか?」


 静帝陛下が首を傾げると、明麗はもっちもっちと幽山式玉輪餅を咀嚼してから胸を反らした。


「春柳のお陰で好きになった。春柳はのう、わらわの大嫌いだったあの苦い薬を、甘くて美味しい甜食おやつに変えてくれたのじゃ」


 ほう、と感心した声がそこここから上がる。


「明麗がここまで変わるとは、随分な手柄を立てたのだな」


 静帝陛下の言葉を受け、春柳はにこりと微笑む。


「恐れ多いことでございます。わたくしは幽山に伝わる料理を再現しただけにすぎません。手柄というならばそれは、幽山に代々受け継がれてきた知識のことを指すかと」

「作ってくれたのは春柳じゃからして、春柳の手柄じゃ」

「まあ、そのように仰っていただけると光栄の至りでございます」

「わらわ、今では薬も杏も大好物じゃ。宮廷の玉輪餅は食べ飽きていた故、こうして違うものが食べられて嬉しい」


 明麗は本当にお気に召したらしく、二つ目の幽山式玉輪餅を女官に取ってもらっていた。

 陛下が目線で合図をする。

 一体どの玉輪餅にするのか、皆が固唾を飲んで見守った。

 特に妃たちの視線の熱は凄まじい。

 誰も言葉にしなくとも、わかっているのだ。

 ここに集まった無数の玉輪餅は、各地域を象徴するもの。

 どれが陛下の気を引いたのか。あるいは陛下は、玉輪餅を通じてその地域、ひいては妃を気にかけてくれているのか。

 この月寿節はただの団欒のひとときにあらず。

 妃たちの、各地域の威信をかけた戦いでもある。

 静帝陛下はそんな並いる視線を一顧だにせず、十種玉輪餅を選んだ。


「色々あって迷ったが、やはり最初は食べ慣れた味のものがいい」


 そう笑んだ。

 安堵と失望に入り混じった種々の表情。それから気を取り直し、皆、ひとまず十種玉輪餅から手を付ける。

 なお今回の玉輪餅は、通常よりも小さく作られていた。

 建前としては「たくさんの種類を食べられるよう一つ一つを小さめに作る」という名目なのだが、実際は十種玉輪餅の材料不足を補うための苦肉の策である。

 小さく作ればその分一つに使う量が減るので、少ない材料でも人数分が作れるという寸法だった。これも春柳が穀安を通じて尚食局に伝えた方法だ。

 麻辣料理にこだわる瑞晶の時もそうだったが、要するに、こういったものには「それらしい理由」をつければいい。

 皆が納得する理由があるならば、前代未聞であろうと前例がなかろうと受け入れてもらえる。

 春柳は後宮での短い生活の中で、そう学習していた。

 陛下が十種玉輪餅を手にしたので、なんとなく他の者もそれに倣った。

 一度食べたことのある十種玉輪餅だが、何度食べても美味しいものは美味しい。

 厚めの生地の食べ応え、さくさくとした種々の木の実の食感、滑らかな餡、全てが調和している。

 春柳が十種玉輪餅の味を味わっていると、段々と緊張がほぐれてきたのか、皆近くにいる人と思い思いに会話をしはじめた。

 静帝陛下は隣に座る明麗や偉鵬(いほう)と会話を交わしているし、花妃と香妃も違いに何かを話し込み始めた。

 そこで春柳も、隣席の愛凛をチラリと見る。彼女は緊張した面持ちで十種玉輪餅を機械的に食んでいた。場の雰囲気に負けているようだ。


「愛凛様、漠草の玉輪餅はどれですか?」

「え? えぇ、この私の目の前にあるものよ」


 銀の器に盛られたその玉輪餅は平べったく、中央がやや膨らんだ形をしている。


「羊肉玉輪餅といって、羊肉と香草とを炒めて生地に挟んだものなの」

「お肉の入った玉輪餅ですか?」

「ええ。私たち漠草の民にとっては玉輪餅といえば肉入りのものだから、輿入れしてからは随分驚いたのよ。宮廷の玉輪餅は甘いのね、って。春柳様の故郷でも、玉輪餅といえば甘いものなのね」

「はい。ただ見た目は随分と違うので、わたくしもやはり初めて十種玉輪餅を見た時は驚きました」


 春柳は羊肉玉輪餅を手に取り、躊躇いなく口にする。

 香草と共に炒めた羊肉の塩気が効いていて食べ応えがある。皮も甘くなく、おかずのような味の玉輪餅だった。


「甘くない玉輪餅は初めてですけれど、とても美味しいですわね。小腹が空いた時などにちょうど良さそう」


 春柳が羊肉玉輪餅を味わっていると、瑞晶がひょいと顔を出す。


「春柳殿、我が陵雲の玉輪餅もぜひ食べてみてくれないか。麻辣(マーラー)玉輪餅だ」


 白い皮の表面に紅色で「月拝」と文字が書かれた玉輪餅。


「陵雲では月寿節のことを『月拝』と呼ぶ。文字通りに月を拝みながら家族で玉輪餅を食べる日のことを指し、永安同様月を見ながら玉輪餅を食べる習わしだ。二人とも食べてみてくれ」


 器に盛られた玉輪餅を見て愛凛はきゅっと眉根を寄せる。


「麻辣というからには……きっと辛い玉輪餅なのでしょうね」

「もちろんだ。これからの季節、陵雲はどんどんと冷え込んでゆく。そこで寒さに体が負けぬように麻辣玉輪餅を食べて身も心も温めようというのが趣向だからな」


 愛凛の手は止まり、視線は困ったように泳いでいる。おそらく辛いものが苦手なのだろう。気がついた瑞晶があぁ、と言って眉尻を下げた。


「申し訳ない。無理にとは言わない」

「いえ。せっかくですから、いただきます」


 愛凛は覚悟を決めたように玉輪餅を手にし、目を瞑ると一口で大きくかじり取った。

 春柳も麻辣玉輪餅を手に取り迷わず口にした。

 中に入っているのは、椎茸と黒木耳(きくらげ)真菰筍(まこもだけ)、それに鹿の肉。それらの種々の具材が唐辛子と花椒とで味付けされ、ぴりりとした味わいになっている。確かにこれならば、体が内側から温まるだろう。が、以前ご馳走になった熱鍋よりは辛みが少ない。

 愛凛も意外に思ったのだろう。目を開き、美味しそうに食べている。


「実は以前に春柳殿に言われた言葉を思い出して……今回出した麻辣玉輪餅は陵雲で普段食べられているものよりも辛みを減らしたんだ」

「まあ」


 瑞晶は麻辣玉輪餅を手の中で弄びながらどこか遠くを見る。


「料理とは、食べる相手を思いやる気持ちを大切にするべし……作り手や用意をする人間の気持ちを一方的に押し付けず、食べる方へ配慮をすることも、大切なこと。……私は春柳殿の言葉にいたく感銘を受けた。だからこの麻辣玉輪餅は、祖国のものよりも辛さが控えめだ。明麗殿の口にも入るしな」

「瑞晶様……」


 春柳は感動した。

 しきたりや祖国の風習にばかり捉われず、集まった人々の口に合うものを出す。

 それは当たり前に思えて難しいことだ。

 話を聞いていた愛凛もおずおずと手を伸ばす。


「あの、実はわたしも同様で……本来ならもっと塩辛い玉輪餅なのだけれど、皆様が食べるからと塩を控えさせたの」

「愛凛殿もか」

「ええ。私もやはり、春柳様に言われたことを思い出して」


 二人は笑んで、春柳を見る。


「……春柳殿は不思議だな」

「本当に。こんなにも食にこだわる方は厨師でも見たことがないわ」

「そういう土地柄に生まれたものですから」


 医食同源を旨とする幽山では、貴族も民も食にこだわる。春柳は中でもこだわりすぎと言われるが、好きなのだから仕方がない。


 食とは体を作る源。

 食べたものによって人の体は作られる。

 ならばこだわりすぎたっていいじゃないの、と春柳は考える。

 瑞晶は次に幽山式の玉輪餅に手を伸ばした。


「幽山も祥国北部に位置しているが、甘い玉輪餅が主流なんだな」

「はい。幽山では古くから玉輪餅をそのまま月に見立てた形に作る習わしになっていまして、満月に似た色の杏が使われているのです。それに杏には喉の粘膜を潤し、痰を鎮めて咳を止める効果があったり、美肌にも効果的ですので、夏の間に疲れた体を癒す効果が期待できるのですよ」

「私もぜひ食べてみたいわ」


 そう言って手を伸ばしたのは愛凛だ。

 二人が玉輪餅を食べるのを見守る春柳。


「ご皇女様の言う通り、皮がもちもちしていて面白いな」

「ええ。それに杏の餡が甘酸っぱくて……」


 自国の料理を褒められるというのは大変に嬉しい。

 感心したように言う二人に、春柳の内心は鼻高々だ。

 などと思っていたら、愛らしい声とは裏腹の妙に刺々しい言葉が春柳の耳に届いた。


「ーーなぁに、このぜんっぜん味気ない玉輪餅は? 噂に聞く仙人一族の料理というのも、大したことないのね!」


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