満妃(9)
ひな鳥を揚げた炸子鶏、豚の薄切り肉の揚げ物炸肉片、炒めた魚に醤を絡めた炸浸香魚、塩漬けにした小海老を素揚げにした蝦醤炸鶏、豚肉の餡で鶉の卵を包み上げした金包銀。
そのほかにもさまざまな料理がどっさりと丸い卓の上に載せられていて、絢爛豪華な朝餉の席になっていた。
汐蘭は扇子を掌に打ちつけながら説明をした。
「ーーよいか。昇陽、ひいては宮中料理の基本は全て『炸』つまり揚げ物。食材を高温でからりと揚げることにより旨味を閉じ込め、かつ大量の油を惜しみなく使うことで富を際立たせる。一日の始まりである朝に炸料理を食べることによって活力を得て、今日という日をつつがなく過ごすのよ」
「なるほど……」
卓に並んだ料理の山を見て、さしもの春柳も閉口せざるを得なかった。
香ばしい揚げ物の香り。元の食材の判別がつかないほどに茶色くなった料理たち。一品二品ならば春柳も目を輝かせただろうが、並んでいるのは二十はくだらない皿の数々。
流石に朝からこの数の揚げ物を食べるのはどうかと思ったし、それより何より春柳には気がかりがあった。
(もしかして陛下は、毎朝このような朝餉を召し上がっているのかしら……)
恐ろしい話だ。
陛下の体質では、山盛りの炸料理を食べるのはとても辛いだろう。
春柳の心の葛藤など知らない汐蘭は、箸を手に作法を教え出す。
「まず、食べたいものがあっても自分で箸を伸ばしてはならない。目線で女官に合図せよ。毒殺を防ぐ故、同じ料理を三口以上食べてはならない。量はほんの一口。大口を開けてはならぬ。皿は女官が取り替えるのを待て。箸も同様に、一種類の料理を食べたら替える。食事の時間はきっちり決まっている。超えたら全てを下げる故、それ以上食べてはならない」
「…………」
春柳は沈黙した。
「あの……そんな食べ方で、食事が楽しいですか?」
「楽しい、楽しくないの問題ではない。これは宮中行事における食事の作法。礼儀のなっていない妃など、後宮に必要ないのじゃ。よって輿入れして来た段階で、そなたはこの作法に従わねばならぬ。私的な場ならばもう少し規則は緩む。要するに守らねばならぬのは、人の目線が集中している時のみ」
「わかりました」
「では実際にやってみるがいい。そなたの得意という、外面の良さを発揮しての」
百面相は許さない、と釘を刺されてしまった。
春柳は目の前の料理に視線を注ぐ。
どれからいこうかしら、と悩んだ末、蝦醤炸鶏に狙いを定めた。海鮮料理が食べてみたいからだ。
春柳は女官に目くばせする。意図を読み取った女官が即座に動き出し、雀の涙ほどの少量を皿に取ってくれた。大皿にはてんこ盛りなのに、春柳の取り分がこれしかないのがとても悲しい。
しかしそんなことを言っても仕方がない。
春柳は一口サイズの蝦醤炸鶏を象牙の箸でつまみ、品よく口に運んだ。
ほどよい塩気を含んだ小海老は表面がカラッと揚がっていて、それでいて中はぷりぷりほくほくとしていた。噛むほどに、山の幸や動物では出せない、海鮮ならではの旨味が溢れ出す。
幽山では決して食べることのできない海の幸の味に、思わず顔が緩んでしまいそうだった。
春柳はとっさに汐蘭の顔を見た。春柳が余計な動作をしないかどうか、冷めた目つきで見張っている。
春柳は本能で判断したーーここで表情を決壊してはならない。
そんなことをしたら汐蘭の厳しい叱責が待っているだろうし、怒られるだけならまだしも朝餉から追い出されてしまうかもしれない。それは嫌だ。
長年仕込まれて来た天女の顔を顔面に貼り付け、押し寄せる圧倒的旨味を耐える。にこにこと、ひたすらにたおやかな笑みを浮かべると、汐蘭が能面のような顔で目の前で箸を進めていた。
次は金包銀。
黄金色の衣をサクリと噛めば、中から銀の月が顔を覗かせる。
豚肉餡と鶉の卵が絡み合う実に濃厚な一品で、かかっている醤は発酵させた味噌と醤油、それに砂糖を組み合わせたものだろう。非常に奥深い味わいとなっている。
春柳は表情筋を引き締めつつ朝餉を堪能した。
最後の一品に至るまで、全種類を食べた。
「……好。大変美味な朝食にございました」
「まあまあだね。何度か顔つきが怪しくなったけど、無事耐えていた。及第点としよう」
汐蘭にそのように評価され、春柳は胸を撫で下ろす。
「汐蘭様にそう言っていただけると、大変励みになります。それで、お願いがあるのですけど」
「何だい」
「食事の作法の修行が終わったのでしたら、もういちど朝餉を食べてもよいでしょうか? 今度は、心ゆくまで味わいながら」
春柳の提案に汐蘭は呆れ顔を見せる。
「そちは本当に図々しいな……」
「肝が据わっている、とおっしゃってください」
にこりと微笑んだ春柳に、汐蘭は深々とため息をついた。
*
朝餉を終えた春柳は、そのまま汐蘭の元で妃修行に励み、午後には宮を下がった。
自分の宮には戻らずに、春柳は別の場所へと足を向ける。
理由は今朝方の汐蘭の態度。
春柳と穀安が会うことにあれほど反対していたにもかかわらず、礼部に関係のあることだと知るや否や汐蘭の態度は手のひらを返すように変わった。
汐蘭はその理由を、礼部尚書を勤める崇悠の兄、偉鵬に迷惑がかかるからだと言っていた。確かに皇族が在籍する部署で問題が起これば一大事だ。それはわかる。
けれどなぜだか春柳には、それだけではない何かがあるのではないかと、引っ掛かりを覚えていた。
何か裏があるーーそう感じた春柳は、皇族の事情に詳しいであろう人物を訪ねてみることにしたのだ。
中秋もほど近い季節、たわわに実っていた杏の木はもう実をつけておらず、代わりに芒が方々から生えている。日中でもかなり過ごしやすい気温になった。
そろそろ栗や茸、梨、葡萄などが美味しい季節だ。どこか後宮に自生していないかしらと注意深く周囲を見回しながらたどり着いたのは、皇女である明麗の宮。
汐蘭の宮よりも数段可愛らしい造りのそこに足を運び、来訪を告げて明麗に目通りか叶うか女官に尋ねる。
やや待ったあと、ぱたぱたと足音がして明麗が廊下から部屋の中へと駆け込んできた。
「春柳! 久しぶりだのう。わらわのことを忘れてしまったのかと思うたぞ」
汐蘭に似た口ぶりだが、声の高さや弾み具合が全然違う。春柳は腕を袖の中に入れて膝を折り、挨拶の姿勢を取る。
「ご無沙汰しておりまして申し訳ありません」
「……むむ。なんだか動きが以前より洗練されておるな?」
「はい。実は、汐蘭様に少々しごいていただきました」
「なるほど。それでわらわのところに顔を見せなんだか」
納得したように頷く。尖らせていた唇をにぱっと笑みの形にし、明麗は明るく言う。
「ともかく、そなたがきてくれて嬉しい。お茶にしようではないか!」
明麗付きの女官が速やかにお茶の準備を整える。
お茶と共に卓に供されたのは、銀の器に入った真っ白なふるんとした甜食。
「そなたが杏仁豆腐の作り方を教えてくれたおかげで、わらわは薬の時間が待ち遠しくなった」
そう言いながら匙ですくって杏仁豆腐を口にする明麗の顔は心底幸せそうだ。
しばらく会っていなかったが、顔色もよくなっているし、気分も上向いたようだった。
明麗に倣って春柳も匙を手に杏仁豆腐を食べてみた。
白く滑らかな杏仁豆腐は、杏仁が砂糖と溶け合い混じり合い、大変上品に仕上がっている。
どうやら明麗付きの厨師はとても上手く作っているようで一安心だ。
「最近では厨師と医官が協力してくれての。クコの実だけでなく果物の砂糖漬けや銀耳、胡桃、愛玉なんかを上に載せてくれるのじゃ」
「それは良い発想ですね。わたくしも今度作ってみようと思います」
「うむ。して、今日はどのような用向きじゃ?」
「実は明麗様にひとつ、お伺いしたいことがございまして……」
「何なりと申してみよ」
その言葉に甘え、春柳は本日感じた違和感を伝えることにした。
「満妃汐蘭様は、礼部尚書の偉鵬様と交流があるのでしょうか?」
「何じゃ、そんなことか」
あっという間に杏仁豆腐をぺろりと平らげた明麗は匙と器を卓に投げ出し、こともなげに言う。
「偉鵬兄上はその昔、汐蘭の許嫁だったのじゃよ」




