満妃(6)ー1
穀安は満妃付きの筆頭厨師であり、宮廷内での組織でいうところの尚膳監に配属されている宦官である。
皇宮で働く者たちは組織によって厳密に管理をされており、勝手に職分を逸脱する行為は決して許されない。
尚膳監は尚食局の中に存在している一部署で、尚食局は皇宮内における食の一切を取り仕切っている。
材入監が食材の仕入れを担当し、尚膳監が調理を担当している。
各自配属されている宮の厨房で調理をするので普段は組織だって集まることなどないのだが、各礼節の折にはその例に該当せず、筆頭厨師は集められ、礼節で出す料理についての話し合いをする。
これには中央官庁である尚書省のうちの一つ、祭事や儀礼を司る礼部の者も参加しての会合となる。
筆頭厨師は全部で七名。
皇帝と皇女、各妃付きの筆頭厨師の総数だ。
さらに付随して皇室親族の厨師たちも存在しているが、今回は招集されていない。
本来ならば先だって新しく輿入れした幽山からの妃付きの筆頭厨師も含めて七名になるはずなのだが、あちらの妃はどうやら自ら調理をしているらしく、筆頭厨師は存在していない。材入監の者が食材を運び込んでいるのみである。
そんなわけでまだ空も薄暗い未明の折、いつもの仕事時間よりよほどに早い時間に招集がかけられ、穀安は皇宮の一角にある部屋にいた。
礼部の官吏も同席するので、普段ならば決して居座れない設えの良い部屋である。ただし礼部の官吏が椅子に座るのに対し、穀安たちは膝礼の姿勢を崩さない。科挙を経て官吏になった者たちと、女官や宦官として国に仕える穀安たちとでは身分に雲泥の差があった。
「静帝陛下は月寿節を例年通りに行うと仰った。故に月寿節で出す玉輪餅も例年と同じものにする。ゆめゆめ準備を怠らぬよう」
「かしこまりました」
「数は、お妃様が新たに一人増えた故、そこも考慮するように。器の選定なども任せる。ただし文様や形、色には十分注意するよう」
「はい」
祭事で使う器には細部まで気を使う。
祥国伝統の文様と形と色。他の地域にて凶事とされないもの。永安以外の地域の文化に関しても精通している必要があり、よって尚食局の一存では決めることができない。
候補となっている器を膝行で渡す。「下がりおれ」の一言で、厨師たちはその場を退いた。
空はまだ薄暗く、回廊は手探りで進むしかない。手燭によってなんとか足元の光源を確保しつつ、寝ている者たちを起こさないよう声を殺してぞろ歩く。
「やれ、月寿節の時期がやってきたか」
「早いものだ」
「とはいえ月寿節に作るのは玉輪餅のみだから、他の祭事に比べれば楽だわい」
時に自分が配属されている厨房での愚痴などを交え雑談をしながら歩いていく。
そうして戻ったところは、尚食局の一角。
御膳坊に赴く厨師たちの休憩所のようなところなのだが、扉を開くと何やら慌ただしい空気が漂っていた。
「こんな朝早くから慌てて、どうした」
「おぉ、穀安殿。ちょうど良いところに戻ってきてくれた。ちょっと耳に入れておきたいことが……」
「何だね」
食材の仕入れ担当、材入監の正喜が近づいてきた。
「実は、甜瓜の種と扁桃、南瓜の種、それに阿利布の仕入れが止まりそうなんだ」
「なにっ」
穀安は目を剥いた。
「それは困る。どれも月寿節の玉輪餅作りに欠かせぬ食材。ない、では済まされないのだぞ」
「重々承知だが、夏の暑さで実入りが少なかったらしくてだな。農家も困っているということだ」
「ううむ……」
穀安をはじめとした筆頭厨師たちは腕を組んで唸った。
月寿節で作るのは十種玉輪餅で、中身はこし餡と共に十種の材料を練りこんだものと昔から決まっている。四種類もの材料が欠けたのでは十種玉輪餅が作れない。
「どうにかならないのか」
「今かけあっているところだが、返答は芳しくない」
穀安の問いかけに正喜は項垂れて首を横に振る。厨師たちが詰め寄った。
「もう月寿節に向けて話は進んでいる。礼部の官吏がたにも、例年通りにせよとつい先ほど言われてきたところだ」
「今更無理だとは言えないぞ」
「陛下も楽しみにしているのだ」
「作れないとなったら、我ら一同免職処分だ」
「最悪牢に入れられるかもしれん」
「わかっている! 粒一つ残さずかき集めて納品せよと命じたところだ。だが、どうなるかはわからん。月寿節で作る量が集まるかどうか……」
身内だけの集まりとはいえ、現状、皇族の数は五十三人。これに天に備える分も加わる。人数分ぴったりで用意するわけにもいかないので、少なく見積もって二百個は玉輪餅を作る。
「……何個分作れそうなんだ?」
「農家から聞いた話だと、三十個が限度だ」
「人数分にさえ行き渡らないじゃないか」
「いくらなんでもそれはない」
うめき声が厨房に満ちた。
「不足している材料は少なく混ぜて作ったらどうだ」
「ばれるだろう。特に満妃殿は食に精通している。何故少ないのだ、と詰問されるに違いない。縁起が悪い、と思われるやもしれない」
「ならどうすれば」
「ううむ……」
「どうしようか……」
考えたところで良い案など浮かぶはずもなく、時間だけが無情に過ぎていく。考え込んでいるうちに仕事の時間になってしまった。
例年通り十分な数が納品されるかもしれないという希望的観測にすがりつつ、とにかく自分達の職場に戻るべく、筆頭厨師たちは各自の配属先へと重い足を引きずって行った。
満妃汐蘭の宮は後宮内で最大の大きさの宮であり、規模だけでなく作りの豪奢さも他家の妃と比べるべくもなかった。
満妃の筆頭厨師を任されているというのは、皇帝の筆頭厨師の次に誉のあることである。
なにせ昇陽出身の満妃は六人いる妃の中でも一目置かれている存在であり、次期皇后候補との呼び声も高い。満妃本人もよく自覚していて妃としてふさわしい振る舞いを日々なさっている。
まさに妃の中の妃だった。
いつもならば胸を張って満妃の食事を作るべく厨房へと入っていくのだが、今日は考え事のせいでやや項垂れ気味だった。
背中を丸めて入った先、厨房では部下の厨師が立ち働いている。
「穀安厨師、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「今日の献立の相談なのですがーー」
穀安は細々としたやりとりをし、日々の業務をこなす。
一日の仕事を終え、火の始末などを見習いに任せて翌日の仕込みをする。
大体最後まで残るのは穀安と決まっていた。
薄暗い厨房で黙々と作業をしていると、誰かが入ってくる気配がある。
目を上げると、窓から漏れ出る月光に照らされて立っているのは、頭から頭巾を被った人物が。
「誰だ……?」
「わたくしです」
「!!」
人目を憚るように押し殺した声は聞き馴染みがあり、それでいて穀安の肝を潰すものだった。頭巾をずらすと、天女と見紛う美しさがちらりと覗く。
つい先日まで厨師見習いとして穀安を師と崇めていた、幽山出身の妃。
「し、し、し、し、春柳様……!」




