満妃(5)
早朝、春柳ははりきって自分の宮の厨房に立っていた。
まだ陽も昇り切っていない時分だが、春柳の目は覚醒し、やる気に満ち溢れている。
「いつも汐蘭様にお世話になっているのだもの。お礼に何か作って差し上げなくては」
このところ毎日汐蘭の宮に連行され、そこで妃修行をしている春柳は、汐蘭の志の高さとたゆまぬ努力に胸を打たれていた。
妃修行は正直辛い。
ばあやによってしごかれていた春柳からしても、しんどさを感じずにはいられない内容だ。姿勢と立ち居振る舞いの矯正、挨拶の口上、季節ごとの祭祀での作法、国の成り立ちや詩の勉強。
正直、春柳には、幽山で姫としての教育を一通り受けてきたという自信と自負があった。しかしそんなものは、世界を知らない小娘の思い上がりだったのだと気がついた。
結局幽山など、閉ざされた地域。
新たな情報は入って来ず、小さな社会が全ての閉鎖的な里。春柳の習ってきた事など、広い世界のごくごく僅かなことなのだ。
それに比べて汐蘭は昇陽で生まれ育ったというだけあり、皇宮での作法に精通していた。
汐蘭の凄いところは、修行を春柳だけに押し付けず共にしているところだろう。
春柳にとって難しいことでも涼しい顔でやってのけ、至らない点があれば指摘してくれる。指摘はかなり容赦がないが、丁寧に教えてくれるので春柳からしてみればありがたい。
妃として後宮に住んでいる以上、最低限以上の作法は身につけておかなければならない。その方が本性を隠せるし、外面が良い方が自身にとって有利になるというのは経験からわかっていた。
そんなわけで春柳は、めっきり仲が良くなった汐蘭のために、自慢の料理を振るまおうと考えた次第だった。
「汐蘭様は食べるのがお好きのようだから、きっと喜んでくださるはず。甜食をこしらえましょうっと」
何を作るかは決めている。
玉輪餅だ。
月寿節も近いので季節的にも玉輪餅がちょうど良いし、汐蘭の宮で食べた玉輪餅がとても美味しかったからというのもある。
宮廷で出る玉輪餅は春柳が幽山で食べていたものとは大きく異なるため、きっと汐蘭も幽山式の玉輪餅を見たら驚くに違いない。
「ふふ……汐蘭様がどんな反応をなさるのか楽しみだわ」
春柳は玉輪餅の材料として、餅粉と杏、砂糖、白花豆を用意する。
白花豆は前日の夜に水に浸けて戻したものだ。その名の通り白い豆で親指ほどもある大ぶりの豆だ。
まずはこの戻した豆を水で煮込む。
煮込んでいる間に杏の皮を剥いて果肉を丁寧に漉して滑らかにする。
茹で上がった豆は笊にあげて水気を切り、一つ一つ薄皮を剥く。
皮を剥いた白花豆を丹念に潰し、濾す。滑らかになったらさらしに置いて水気を絞る。
鍋に漉した白花豆と杏、砂糖を加えて慢火で練り上げれば、餡の完成。
「次は皮を作らないと」
皮は餅粉を使って作る。
餅粉は乾燥させた餅米を石臼で挽いて粉末状にしたもので、団子状にしたり皮として使えたりするとても便利なものだ。
粉と水を混ぜて茹でながら練り、砂糖を加えてまた練る。これを三度繰り返すと、餅粉がしっかりと炊き上がり、独特のもちもちとした皮が出来上がる。
四角い木型に流し込み、表面に片栗粉をまぶして乾燥を防いだら皮の完成だ。
「そしてこの皮で、餡を包み込む……!」
一口大に丸めた橙色の餡を餅粉で作った皮で手早く包み、きゅっと皮をひねって閉じる。
薄橙色の餡がうっすらと透けて見えて、あたかも雲間に隠れる月のようだった。
春柳は手のひらに収まる月を量産していく。
「うん、うまくできたわ。さ。汐蘭様の宮にお持ちしましょうっと。そうだ、せっかくだから穀安老師にも召し上がっていただきましょう」
宮廷料理を知りたくてこっそり忍び込んだ厨房で出会った老師は、さすが経験豊富なだけあって料理に関する造詣が深かった。
幽山式玉輪餅にどんな反応を示すのが非常に気になる。
春柳は玉輪餅をうきうきしながら小箱に詰め、汐蘭の宮へ行くための準備をした。
「というわけでございまして、こちらがわたくしが作った幽山式の玉輪餅にございます」
「…………そちには反省という言葉はないのかえ」
差し出された小箱と春柳の顔を見て汐蘭が呆れた顔をする。
「さぁ、どうぞ。あ、毒などは入っておりませんのでご安心ください」
春柳はそう言って、毒味を兼ねてひとつ手に取り自分で食べてみせる。
餅米を練って作った皮はもっちり、中の餡は杏の甘酸っぱさと白花豆の豆豆しさ、そして砂糖の甘みが絶妙に混じり合っている。
我ながらとても美味しく出来上がったわと内心で自画自賛した。
「前から思うていたのだが、そちは随分美味しそうに食べる」
「そうでしょうか?」
「顔に出やすいのかえ? 外では控えた方がよいぞ」
「ご心配なさらず。猫をかぶっている時のわたくしは、こうです」
春柳はたおやかな天女の面を装い、上品に玉輪餅を食む。
「同じ人間なのに別人よのう」
「汐蘭様の修行のおかげで磨きがかかりました。今のわたくしは完璧でしょう?」
「否定はしないが……」
「さぁ、どうぞ汐蘭様もお召し上がり下さいませ」
春柳がすすめると、汐蘭は目の前の玉輪餅をじっと見つめ、手をつけずに春柳を見た。
「そちは何故料理をするのじゃ。かようなことは妃の領分ではない」
春柳は目を瞬かせた。
「好きだからです。他に理由などございません」
「何故料理が好きになった?」
「そうですね……そもそもわたくしは、料理の前に食材そのものが好きでして。例えばこの玉輪餅に使った杏ですが、種の中の杏仁は咳を鎮め便通を良くし肌を潤す効果がございます。また果肉には美肌効果や体の冷えを取り除く効果がある。杏ひとつ取っても使う部分により違う効果が得られるのは面白いと思いませんか?」
「全くどうでもよい」
「わたくしにとってはとても興味深いのです。幽山は古来より医食同源を旨として、姫であっても料理を嗜むのが普通。わたくしは普通の範疇を超えているとよく叱られたものですが、ともかく料理自体は咎められる行為ではありません」
「…………」
「昇陽の方達から見たら型破りなのかもしれませんけれど、そうした環境で育ったので、料理をすることは普通なのです。料理とは、体を作る基礎、源。ならば自分自身の手で自分の体質に合ったもの、食べる相手の体質に合ったものを作ることはとても楽しい行為だと、わたくしは思うのです。満妃様にはなにかお好きなものはないのでしょうか?」
「好きなものなんて……」
「食べるのはお好きなようにお見受けしますけれど」
満妃は目を逸らした。
「……妾が食べるのは、肉付きの良さが豊かさを象徴する証ゆえ。他の修行と何ら変わらぬ。妾は立派な妃として、ひいては将来の皇后となるべく崇悠様に嫁いだ。ならば、個人の嗜好など捨て置くべき」
「汐蘭様は皇后になりたいのでしょうか」
「なりたいなりたくないという問題ではない。ならなくてはならぬのじゃ。それが妾に課せられた責務、使命である」
「…………」
背筋をしゃんと伸ばし居丈高に言う汐蘭には、崇悠に対する恋着や思慕の様子は見られない。本人が言う通り、強い使命感と責任感にかられているように見える。
春柳は疑問だった。
いくら昇陽の大貴族出身だからと言って、ここまで義務感だけで動けるものなのか。
(なぜ、そこまでして……一体何が汐蘭様をここまで駆り立てるのかしら)
「そなたも余計な思念を捨て、妃としての務めを果たせ。それが国のため、そなたの生まれた地域のためにもなろう」
言って汐蘭は春柳の作った玉輪餅に手を伸ばす。
機械的に玉輪餅を食べる汐蘭からは、どんな言葉も引き出すことはできなかった。




