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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第六章

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満妃(4)

 春柳は、毎日汐蘭(しおらん)の宮に通うようになった。

 特に汐蘭の言うことを聞く気はなかったのだが、毎朝迎えがやってくるのだ。

 汐蘭付きの女官たちは目端が非常に効いていて、春柳が逃げ出す隙を与えてはくれない。

 結果、六人もの女官に囲まれ、春柳は「妃修行」という名目で日々汐蘭にしごかれることとなった。

 とはいえ春柳とて、曲がりなりにも幽山の一族の姫に生まれた身。

 ばあやの厳しい教育を受けた春柳にとって、汐蘭のしごきなどたいしたことはないだろう。きっと春柳の所作の素晴らしさ、礼節をわきまえた完璧な態度に汐蘭も感心しすぐに妃修行など不必要と言い出すに違いない。


 ……そう思っていた時期が、春柳にもありました。


「背筋をもっとぴんと伸ばしなさい。みっともなくてよ」

「そなたは八十の老婆かえ? かように足が曲がっていては、そなたの美しさが損なわれよう」

「腕は大地と平行に。盆が乗っても落ちないくらいの安定感を出しなさい」


 片足を立てて跪き、両手を袖に入れ、伸ばした腕に盆が乗せられ、さらに盆の上には三つも四つもの甜食(お菓子)が乗せられる。

 ぷるぷると震える春柳に、汐蘭はニィッと目を細め唇を左右に広げて笑みを見せる。


螺旋酥(ルォシュエンスー)。宮廷に伝わる甜食のひとつ。落としたくはなかろ?」

「く……!」

「うめくでない!」


 バシっと腕を扇子で叩かれても、春柳は意地でも盆を落とさなかった。


「そのままの姿勢で四半刻(三十分)耐えてみせよ。見事やりおおせたら、茶の時間にしようぞ」


 言うと汐蘭は、自分もやや離れた場所で同じ姿勢を取る。


「妾にも盆を」

「はい」


 春柳が見ている前で、汐蘭の腕に女官が盆を乗せ、その上に螺旋酥(ルォシュエンスー)が山のように乗せられた。その数、二十はくだらない。

 流石に驚きを隠せない。

 汐蘭は盆を少しもグラつかせずに背筋を伸ばして美しい姿勢を保ったままでいる。

 無言の時間が過ぎた。

 春柳は、全身に力を入れて無茶な姿勢に耐えていた。

 なぜこんなことを、と思わないでもなかったが、考えようによってはよかったのかもしれない。


(後宮に来てからというもの、体を動かす機会が激減していたから、この修行はちょうどいいかもしれないわ)


 今もできる限り後宮内を散策し、自力で食材を調達していたが、何せ幽山の野山を駆け回っていた時と比べれば運動量は激減している。

 鍛錬というのは日々の積み重ねが大切なのだと陵雲(りょううん)出身の剛妃(ごうひ)瑞晶(ずいしょう)も言っていた。

 だから、修行によって筋肉の衰えを防ぎ、同時に美しい所作が身につくのであれば、良いことづくめだろう。


(無心。無心で過ごすのよ)


 だが無心で過ごすのは無理があった。

 どうしても心が、螺旋酥(ルォシュエンスー)に飛んでしまう。


螺旋酥(ルォシュエンスー)、一体どんな味なのかしら。渦巻き状の山高な見た目が面白いわね……全く味の想像がつかないけれど、 甜食だから甘いのよね、きっと)


 見知らぬ料理に出会った時、春柳の心はいやが応にもときめいてしまう。


(落としてしまったら一貫の終わり。耐えるのよ、春柳。あなたにならできるはず)


 正直ばあやのしごきよりも辛いのだが、弱音を吐いてもいられない。

 視界に映る汐蘭は春柳以上の螺旋酥(ルォシュエンスー)を乗せて微動だにせずにいるのだ。


(さすがは妃の鑑。わたくしも見習わなくては)


 汐蘭に認めてもらわなければ、陛下の食事改善計画にも支障が出る。

 だから春柳は汐蘭と仲良くやっていかなければならない。既に怒らせてしまったのだから、一層の努力を見せるべきだろう。

 それに、汐蘭と仲良くなれば宮廷料理についてより詳しく教えてもらえるかもしれないし。

 ふくよかさが富の証と言われる昇陽では、貴族たちが食に明るいのは自明の理。

 昇陽の姫である汐蘭は尚更であろう。


(がんばるのよ、春柳。わたくしの好奇心と、あとは陛下の食事情がかかっているのだから)


 春柳は決して、見た目通り心根の美しい天女などではない。

 自分の欲求、自分の目的のために動く性質(タイプ)の人間だ。

 背骨がピキピキ言っても、両腕が軋んでも、首が痛んでも、頑として弱音は吐かなかった。目の前の汐蘭は余裕の態度なのだ。同じ妃として「もう無理です」などとは口が裂けたって言えない。

 そうしてなんとか、四半刻。

 盆を落とさず器用に振り向いた汐蘭は、上腕二頭筋と腹筋に力を入れて佇む春柳を見て紅を差した口角を上げた。


「よく耐えたの。だが顔が硬い。まだまだなようだが……ま、ともかく茶の時間にしようぞ」

 


 決して小さくはない卓の上に、所狭しと甜食の花が咲く。

 汐蘭が丁寧な所作で一つ一つを差し示した。


「左から順に、螺旋酥(ルォシュエンスー)七星典子(チーシンディエンズ)驢打滾(リュウダグン)豌豆黄(ワンドウホワン)

「こんなにたくさんの見たことのない種類の甜食が……!」


 春柳は目を輝かせて卓の上で唸りを上げている甜食を見つめた。

 見目鮮やかなとりどりの甜食たちは、食べられるのを今か今かと待ち構えているようだ。

 見たことも聞いたことも読んだこともない甜食が一度に大量に差し出され、春柳の脳は情報量の多さに破裂しそうだった。


「大丈夫かえ? 修行の時より辛そうにしているが」

「大丈夫でございます。あまりの幸せに胸の高鳴りが抑えられず……!」


 胸を抑えてはぁはぁ荒い息を繰り返す春柳に汐蘭が不審な目を向けた。


「ならば良いのだが」


 汐蘭が螺旋酥(ルォシュエンスー)に手を伸ばしたので春柳も倣った。

 四半刻、腕に乗せ続けたこの甜食は一体どんな味がするのか。

 渦巻き状の山高なそれを手にぱくりと一口。

 まず、生地のサクサク具合が春柳にはかなり衝撃的だった。

 薄い生地が幾重にも重ねられ、それによって独特な食感が生み出されている。

 これほどまでに生地を薄く作るのにどれほどの手間がかかるのか。


 おまけに生地は二種類の味がする。

 黄油(バター)と、南瓜(かぼちゃ)


 生地だけで二種の味がするなど、なんと手が込んだ菓子だろう。

 春柳が驚愕していると、生地の内側に込められていたこし餡に行き当たる。

 こし餡自体は幽山でも作られるのでなじみのあるものだが、舌触りの滑らかさに驚いた。何度も丁寧に漉さなければこれほどまでに滑らかにはならない。

 止めとばかりに、餡のさらに内側、中央部から、塩気の効いた(うずら)の卵が顔を出す。

 一見甜食に見合わない組み合わせに見えるが、その実、非常に合っている。

 餡だけで食べた時は甘過ぎかしらと思ったものだったが、塩漬けにした鶉の卵の出現により、餡の甘味がちょうど良いものになる。

 そしてしょっぱい鶉の卵と甘いこし餡を優しく包み込むサクサクとした生地。

 完成されている。

 完璧な甜食だった。

 螺旋酥(ルォシュエンスー)はまさに、宮廷で妃たちが食べるにふさわしい甜食だ。


「……その品のない顔を引っ込めよ」


 汐蘭の容赦ない言葉が飛んだ。


「たかだが螺旋酥(ルォシュエンスー)一つで百面相をするなど、妃の風上にもおけぬわ。そなた誠に仙人の里と名高い幽山の姫か? 全く朝廷も崇悠様も何を考えておるのやら……」


 深々としたため息が落ちる。


「申し訳ございません。普段は気をつけているのですが、汐蘭様しかいらっしゃらないので良いかと油断いたしました」

「むしろなぜ妾にはそのような顔を見せても良いと思うたのじゃ」

「お友達ですので」

「友達などではない!」


 ピシャリとした声が響いた。


「妃同士は馴れ合わぬ! 断じて友達などではないわ! 弁えよ!」


 春柳は小首を傾げた。


「確かに、今の状況を考えますと、友達というよりも師匠と生徒でございますね。申し訳ありませんでした、汐蘭師匠(せんせい)

「それも違う! そなたには矜持というものはないのかえ!?」

「ないわけではございませんが。わたくしの矜持は料理に関することだけです」


 とうとう汐蘭はこめかみを抑えた。


「もう良い。そなたと話していると頭が痛くなる」

「あの……申し訳ありません」

「だまって甜食を食べよ。そして慣れておくがいい。よもや月寿節で百面相をするような失態を侵されてはたまらぬからな」


 月寿節の概要はばあやより聞いている。

 何でも、皇族と妃たちが月の見える路亭に集まり語らいながら玉輪餅を食べるのだとか。


「問題ございません。ですがわたくしこう見えて、外面だけは良い方なので、汐蘭様が心配するようなことは起こらないかと存じます」

「ならば妾の前でも外面の良さを発揮しておくれ」

「もう今更かな、という気がしまして」


 少し笑ってそういえば、汐蘭は呆れたように目を眇めた。



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