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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第六章

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満妃(3)

 春柳が満妃の後宮に入り込んだのは、約六日前。


 明麗との仲も打ち解けたことにより、日がな一日明麗の宮に居座らなくてもよくなった春柳は、次なる獲物(ターゲット)を満妃に定めた。


 元々春柳は、宮廷料理に大変興味があった。


 祥国中央部永安は方々から食材が集まる食の宝庫。小麦と米のどちらも食べられ、歴史が古いゆえに優美で古典的な料理が数多く存在する、まさに食糧天国、料理天国といった面持ちだ。

 加えて宮廷料理というのは、宮中独自で発展、発達したものが多い。

 だから春柳の愛読書「祥国漫遊喫茶典」にも詳細が載っていなかった。

 どんなものなのかはもう、実際に目で見てみるしかない。

 春柳は有り余る好奇心に任せて汐蘭の厨房に見習い厨師のふりをして侵入した。

 春柳の料理の腕は確かなので、すぐに受け入れられ、そして厨房に馴染んだ。

 里芋の(ひげ)取り、皿洗い、芋の皮剥き、食べさしの屑処理。

 一切の仕事に手を抜かず、にこにこしながら朝から晩まで働き、賄いを共に食べた春柳は汐蘭の厨房ですぐに居場所を掴みとった。


「試しに一品何か作ってみろ」と言われた春柳は、見るも鮮やかな手つきで言われた通りに一品を作り上げる。


徽州丸子(フイジョウワンズ)にございます」


 徽州丸子(フイジョウワンズ)は平たく言えば肉団子だ。

 今回は、兎の肉を叩いて微塵にしたものと松の実と山芋とを混ぜ、もち米をまぶして蒸してある。

 これを食べた厨師たちは、ほう、と感心した。


「揚げるのではなく蒸してあるのか。あっさりした味わいだな」

「やや味付けに物足りなさを感じるが……」

「山芋が入っているので肉に粘り気がある。腹持ちも良さそうだ」

「そろそろ中秋ですので、季節の変わり目に体を慈愛する意味で山芋と松の実を混ぜました。どちらの食材も肺を潤し、体を乾燥から守る役目がありますゆえ」


 再び感心の声が上がる。

 さすがに満妃の口に入れるものを作らせてはもらえないが、賄いくらいならば一品任せてもらえるようになった。

 下働きをしながら宮廷料理の調理過程を盗み見る日々が続く。

 宮廷料理は食材の豊富さもさることながら、調理工程も非常に複雑で手が込んだものだった。

 種々の食材を丁寧に切り、まぶし、揚げ、炒め、味をつける。

 筆頭厨師穀安(こくあん)の指示により厨房が規律を持って動き、無駄口一つ叩かずに人々は調理に専念する。一糸乱れぬ集団の中に春柳は身を投じ、自身もテキパキと動いた。完全に厨師の一人になりきっていた。


 憧れの、妃兼厨師の座を射止めたのだ。これで喜ばずしてなんだというのか。


 だから穀安(こくあん)に玉輪餅の作り方を聞いている時、汐蘭がやってきて大変驚いた。

 他の厨師たち同様叩頭しようと膝を曲げたところで、自分も妃であることを思い出す。

 ここで身分をやつし続け、叩頭礼をするのは春柳の中にあった矜持に触れた。

 ばあやから刷り込まれ続けた「姫としてのふるまい、自覚行動云々」という言葉に無意識に体が反応してしまったのだ。

 正体がバレてしまうけれど。

 それも仕方のないことだ。

 どうにか踏みとどまって立礼をした春柳にぶつけられた言葉。


「静帝陛下の妃たる者、常に規則を重んじ、品行方正を旨として行動せよ! どこにどんな目があるのかわからぬのだぞ!! 妃の行いはすなわち、陛下の行い! 陛下の名を貶めるような真似をするのは、やめよ!!!!」


 あまりにも最もすぎる汐蘭の言い分に、さしもの春柳も何も言い返せなかった。

 満妃汐蘭は、非常に威厳のある佇まいをした妃だった。

 歳の頃は春柳よりやや上。

 ふっくらとした体に柘榴色の鮮やかな襦裙(じゅくん)を纏っている。

 額の中央に施された花鈿は白い肌にあって一際目立つ。

 汐蘭は怒りにうち震え、わなないていた。ただでさえ大きな体が実際の数倍ほどに膨らんで見えた。春柳は即座に頭を下げる。


「最もにございます。わたくしの浅慮ゆえ、汐蘭様に余計な心労をおかけいたしまして大変申し訳ございません」

「そう思うなら、今すぐに厨房を出よ。衣を改め、妃らしくしやれ。その上で改めて、そなたの言い分を聞こう。出ていくが良い。いや……連れて行け」


 怒り心頭であっても冷静にそう言える汐蘭は、さすが次期皇后と目されているだけある。感情に任せてめちゃくちゃに振る舞うことはしない。


(まさか汐蘭様が厨房に来るなんて、想像もしていなかったわ。もっと警戒していれば良かった……)


 反省内容は、周囲が考えているものとはやや異なる。

 珍しくしゅんとした春柳は、女官についてその場をすごすごと下がった。


「お叱りを受けてしまったわ……けど、汐蘭様の言うことは最もね」


 妃らしくしろ、と言われてしまっては反論のしようもない。

 たしかに見習い厨師のふりをしてこっそり他家の妃の厨房に忍び込んだ春柳のやり方は、妃らしさなどかけらもない。

 けど、春柳は料理がしたいし、宮廷料理を知りたかったのだ。己の好奇心に素直に従った結果だ。仕方がないだろう。

 女官はなぜか春柳を宮の外に案内せず、一室へと連行し、そこに押し込めると身につけていた見習い厨師の衣を剥ぎ取りにかかった。

 何故、と問いただす暇も抵抗する暇もなくあっという間に下衣(したぎ)一枚にされたと思ったら、あれよあれよという間に銀朱色の襦裙(じゅくん)を着せられ、髪を結われて簪をたっぷりと挿された。


「さ、満妃様がお待ちでございます」

「はぁ……」


 そう言われてしまったら従わざるを得ない。

 普段は着ない鮮やかな色の衣を着、普段は挿さない重い装飾のついた簪を大量に挿された春柳は、普段は履かない雲頭履(くつ)で汐蘭の宮内を歩く。


「こちらの部屋でございます」


 と言って案内役の女官が退いたのは、一際豪華な細工が施された扉の前だった。細かな装飾の入った扉には、色のついた玻璃が嵌め込まれている。

 どうやら扉の内側に入らなければならないらしい。

 お叱りを受けるのだろうか。

 自業自得とはいえ、流石の春柳もうきうきとした気持ちは萎えている。


(でも、しょうがないわ。腹を括って叱咤に耐えましょう)


 春柳はちょっとだけ気合を入れてから、扉を押し開いた。

 広い室内には調度が品よく置かれていて、中央の卓に茶器の類が置かれている。

 汐蘭は既に椅子についていた。

 白い顔には何の表情も浮かんでいない。それが逆に恐ろしい。

 汐蘭は春柳がやってきたのを見ると、丁寧に椅子を示した。


「座りやれ」

「はい」


 大人しく指示に従い座ると、即座に茶が注がれた。

 茶壺から茶杯へと茶が注がれると、芳醇な花の香りでパッと周囲が華やぐ。

 嗅ぎ慣れない花の香りだった。一体、何の花なのだろう。


茉莉花(ジャスミン)茶よ、どうぞ召し上がれ」


 白磁の茶杯の中で揺らぐ薄い黄金色の液体から立ち上る香りを下品にならないように堪能し、そっと口をつける。

 口内に花畑が広がった。

 フワッと香る茉莉花(まつりか)の香りは華々しく、品がよく、それでいてお茶の味わいを全く邪魔していない。

 すっきりとした飲み口のお茶は、口の中をさっぱりと洗い流してくれる。


 そして、余韻。


 香り高い茶は、飲んだ後に良い余韻を持たせ、心を和ませ鎮めてくれた。

 女官がやって来て卓の上に甜食を次々と載せていく。


 つい先ほどまで穀安(こくあん)が作っていた玉輪餅だ。


 小豆を煮詰めた餡に種々の木の実や種を練り込んで作る十種玉輪餅。

 皮の表面には美しい菊の紋様が押されている。

 手に取った十種玉輪餅は、狐色によく焼けた生地に菊の紋様が型押しされている。


 穀安から聞いたところによると、菊の花は永安では長寿の象徴として尊ばれているらしい。


 夏が終わり枯れゆく植物が多い中、凛と咲く菊の花。幾重にも花びらが重なった様と貴色である黄色とがめでたいとされ、こうして月寿節で食べられる玉輪餅の型押しにも選ばれるほどだという。


 幽山出身の春柳からすると、菊花は目にまつわる問題解消や肝機能の改善、水分代謝を調整する効果が期待できる薬効を持つ花だ。蜂蜜とともにお茶に入れて飲んだりしたもので、尊ぶという発想はなかった。


 それはともかくとして、味はどうだろう。


 芸術品と見紛うばかりに完成度の高い玉輪餅の一つを手に取り、ゆっくりと口にした。 

 厚みのある皮は表面がさっくり、中はしっとり、そして噛むにもっちり。

 噛み締めて到達した餡は、種々の木の実や種が練り込まれていて、上品な甘さの中にコリコリとした木の実が味わい深い。

 幽山のものとは異なる玉輪餅は春柳の好奇心を大いにかき立て、夢中にさせた。

 厨房にいた時には味見さえもさせてもらえなかったので、食べるのは初めてである。

 穀安(こくあん)が作った宮廷式玉輪餅は、春柳の舌を満足させるに足るものだった。

 春柳が玉輪餅を食べている様子を見た汐蘭が口を開いた。


「どうやら料理に毒は盛っていない様子だの」


 汐蘭に言われ春柳は目を丸くする。口に残った玉輪餅を咀嚼して飲み下した。


「わたくし、そこまで疑われていたんですの?」

「普通、他家の妃の厨房に忍び込んだとあらば、真っ先に毒を盛るのを疑うもの。だが毒殺が目当てなら、妃自らがやって来て、あまつさえ正直に名乗り出る馬鹿はおるまい。とはいえ全く疑っていないということはなかった。一体何が目的だったのだ? 正直に申せ」

「先ほど申し上げました通りでございます。わたくしは宮廷料理に興味があり、ゆえに汐蘭様の厨房にて勉強をしていた次第でございます。ですが、汐蘭様の言う通り、やり方は妃としての品格を下げるもの。大変申し訳ございませんでした。次は堂々と、妃として厨房に正面から押しかけて見学をするか、汐蘭様がお許し下さるのならば穀安(こくあん)老師をわたくしの宮に招いて料理を教わるか……どちらかにいたします」

「選択肢はそのどちらかしかないのかえ」


 汐蘭は非常に嫌そうな顔をした。


「とにかく、そちが本当に料理が好きということはわかった。変わった妃だこと」

「料理好きではいけませんか?」

「我らは妃らしく振る舞わねばならぬのよ。当然、いけない。好きだとしても表に出さず、心に留めておかなければ」

「好きなものを堂々と好きと言ってはいけませんか?」

「ものによるであろう。例えば食べるのが好き、であれば何ら問題はない。だが、自ら作るとなれば妃らしくないと顰蹙(ひんしゅく)を買う。我らは妃として、静帝陛下をお支えするにふさわしい振る舞いを期待されている。贅沢な暮らしは責務の重さゆえ。決して我を出さず欲を出さず、常に国のためを考えて行動しなければならないのよ」


 背筋を伸ばした汐蘭の体からは確固たる妃としての自信に満ち溢れ、汐蘭の威容を実際よりも大きく見せていた。端的に言って春柳は圧倒された。


(さすが昇陽でお育ちになり、他家の妃からも一目置かれていると言われるだけあって、汐蘭様の立ち居振る舞いは完璧だわ)


 でも、と心の中で思う。


「……妃とはいえ、わたくしたちも人間であることには変わりありません。分をわきまえて常識的な範囲内でならば、個としての楽しみを追求しても良いのではないでしょうか」

「厨師見習いのふりをして他家の妃の厨房に忍び込むことが常識の範囲内と言うのかえ?」


 鷹すらも射殺してしまいそうな汐蘭の鋭い視線を真っ直ぐに受け止め、春柳は「はい」と言った。まさかの返答だったのだろう。汐蘭の額に青筋が浮かぶが、春柳は全く臆せずに続ける。


「わたくしが本気で欲求を満たそうとするなら、とっくに後宮から抜け出して昇陽の都へと繰り出しています。さすがに自重して後宮内に留まっている以上、分をわきまえていると言えるかと」


 幽山時代はすぐに屋敷を抜け出し野山を駆け回っては野生動物を狩ったり泥まみれになって植物を採取したりしていた。

 それに比べれば、後宮内でおさまっているのだから、春柳も成長したと言えるだろう。ばあやたちにあれこれ言われなくても、ちゃんと自分の分というものをわきまえているのだ。偉いと思う。自分で自分を褒めたい気分である。

 そんな風に春柳が思っていると、「バキッ」という音がした。汐蘭が握っている橋が折れている。額の青筋を三つに増やした汐蘭が、折れた橋の先端を春柳に刃のように突きつけた。


「そちは、妃としての自覚が圧倒的に足らぬ……! その性根、妾が叩き直してくれようぞ! 明日より毎日、妾の宮に来るがいい!」


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