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幽山の姫(4)

 話は少し遡る。


 幽山(ゆうざん)に降り立った蒼生(そうせい)は、破れた衣を引きずって先導する娘に付き従う崇悠(すうゆう)をすん……とした眼差しで見送っていた。


「やれやれ、間に合ってよかった。それに、あの娘が崇悠の探していた人間であるようだし。探す手間が省けて幸運(ラッキー)だったな」


 蒼生はご覧の通りただの人間ではなく、ただの獣でもない。

 本性は霊獣、もしくは祥獣と呼び習わされる。

 五千年前より生きる、伝説の生き物である。

 よって娘の正体が崇悠の探していた春柳(しゅんりゅう)だと看破するのは容易いことだった。


「それにしても、衣を持ってこなかったのは失敗だった。これじゃ人型になれねえや」


 蒼生は羊の鼻からふんすと息を吐いた。

 珠海(じゅかい)にて購入したばかりの衣は、崇悠によって強制的に獣の姿にされた時に宮に置いてきてしまった。あれは重いし嵩張るので持ってくるわけにはいかなかったのだ。


「仕方ねえや。崇悠の用事が済むまで、夜空を散歩でもしてるか」


 どうせ春柳にはもう会えたのだ。

 さほど時間がかからずとも決着は着くだろう。

 夜空をもうひと泳ぎしようかとふわりと浮き上がった直後。

 気配を感じた蒼生は、近くの石柱を見上げた。

 満月の明かりに照らされて、白く輝く毛並みを持つ獅子が蒼生を見下ろしている。


白澤(はくたく)か……!」


 この世に種々の生き物がいるように、霊獣もまた数多(あまた)いる。

 幽山を守護している霊獣は白澤とよばれるものだった。


「久しいな、獬豸(かいち)


 ふわりと空をひと駆けして旧友のところまで行き、とすんと隣に舞い降りれば、そう声をかけられる。


「何百年ぶりだ?」

「おおよそ八百年というところだ」

「そうか。そんなにか。相変わらず元気そうだな」

「そういうお前は相も変わらず、軽薄そうだな。獬豸(かいち)よ」

「今は蒼生(そうせい)と呼ばれているぞ」

「まだ人間に力を貸しているのか? 酔狂なことだ」

「人間も結構面白いぞ。特に、流行の変遷がすさまじい。古羊と呼ばれないように、必死で最新のものを取り入れているところだ」


 白澤の銀の瞳がジトリと細められる。


「霊獣ともあろう存在が、随分と俗っぽいふるまいをする」

「霊獣だろうと何だろうと、人間界に身を置いている以上馴染む必要はあるだろう?」

「そもそも人間界に身を置いているのがおかしいと言っているのだが……」


 獅子の口がはぁと盛大なため息をついた。


「今更お前の生き様を論ずるのも無駄というもの。何をしに幽山まで参ったのだ?」

「今オレが仕えている皇帝がだな、新たに幽山の姫を娶るというので、様子を見に来た次第だ」

「なるほど。となると……春柳か」

「把握しているのか?」


 白澤(はくたく)は蒼生と違いあまり俗界に姿を現さない性質の霊獣なので、一介の姫の名を覚えているというのはかなり珍しい気がした。

 確か前回会った時には、「幽山を統べる一族の名? うーん……知らぬ」と言われたので尚更だ。

 白澤はふふんと自慢げに鼻を鳴らす。


「あの子は特別故。神農(しんのう)の生まれ変わりとまで称されている」

「神農の……!? それはさすがに言い過ぎじゃねえのか」


 神農というのは、自ら植物を積極的に口にして毒か薬になるかを判別した伝説の人物の名である。今でこそ神格化までなされ、人々からありがたがられている存在だが、長く生きている白澤や蒼生はもちろん、その人物のことを知っていた。

 白澤は獅子の顔を器用にしかめてみせる。


「言い過ぎなどではない。事実あの子……春柳は、見かけない植物があれば迷わずに口に含んでみせる。先ほども、『月夜に照らされ淡く光る月宝草(げっぽうそう)はどんな味がするのだろう?』 というちょっとした好奇心からふらふらと外に出て行ったわ」

「それで姫ともあろう人間が夜半に一人でうろついていたのか」


 合点がいった。


「断言しよう。春柳は見た目は天女のように美しくたおやかな姫だが、その実、神農に勝るとも劣らない変人だ」

「変人……あの見た目で」


 チラリと見た春柳は、地味な衣を身に纏っていても隠しきれない美貌が滲み出ていた。

 白澤は自信満々に頷く。


「そう、あの見た目で。娶るというなら相応の苦労はするだろう」

「しかし、崇悠は此度の縁談は断る気だ。内密に話をつけるためにわざわざ幽山まで来たんだぞ」

「む? そうであったか。だがまあ、徒労に終わると思うぞ」

「なぜだ?」


 蒼生が問いかけると、白澤は銀の瞳をキラリと光らせ、牙を剥き出しにして獰猛に笑んでみせる。


「なぜならば、あの子は此度の結婚を心待ちにしていた。そしてあの子は、己の目的を達成するために、何としてでも尽力するからだ」

「…………」

「噂をすれば、ほら。あの子と皇帝が出てきたぞ」

「む」


 遥か下界を、遮る木々さえものともせずに二匹の霊獣が見晴るかす。

 そこでは、別れを惜しみ春柳を熱っぽい視線で見つめる崇悠の姿が。


『そなたが嫁いでくる日を指折り数えて待っている』

『わたくしも楽しみにしておりますわ』


 縁談など破棄してくれると勇み足でやって来たのは一体何だったのか。

 幽山の文化を知っている蒼生からすれば結果は火を見るより明らかだったが、それにしたって崇悠のあのデレデレの顔はないだろうと蒼生は羊の顔に呆れた表情を滲ませた。

 崇悠が生まれて二十四年。ずっと成長ぶりをそばで見て来た蒼生だったが、あんなにも一人の女子(おなご)に入れ込む崇悠を見たのは初めてだった。


崇悠(すうゆう)……ちょろいな」

「あれが今代の皇帝か。ふむ……中々操りやすそうな男だ」

「普段はもっとしゃんとしているぞ」

「なれば、我が守護する幽山の姫の魅力に早々にやられたということか」


 確かにその通りなのだが、素直に頷くのは悔しい。


(崇悠め! いつも見せているもっと威厳のある姿を見せろ! 鼻の下を伸ばすな!)


 蒼生の願いは届かず、視線はますます熱を帯びる一方。

 あまつさえ春柳の頬に手を添えて、骨張った指で彼女の柔らかな肌をそうっと撫で始める始末。


『……このまま時を忘れてそなたとずっと一緒にいたいが……』

『まあ、静帝(せいてい)陛下……』

『どうか崇悠と呼んでくれ』

『いけませんわ。まだ輿入れもしてませんのに』


 胸に手を当てやんわりと断る春柳に、なおも迫る崇悠。

 口づけをしてしまいそうな雰囲気だ。


「はぁ……」

「行くのか? 今いいところなのに?」

「これ以上のあいつの痴態は見ていられない」


 目をキラキラと輝かせる野次馬根性丸出しの白澤にそう告げると、蒼生は一足飛びに下へと降り立った。


「崇悠、そろそろ戻らないと夜が明ける」

「お……おぉ、蒼生。もうそんな時間か」


 人目を気にせず春柳にぐいぐい迫っていた崇悠は我に帰ると慌てて蒼生を振り返った。


「では、俺は昇陽へ戻るとしよう」

「ご無事のご帰還をお祈り申し上げております」

「うむ。くれぐれも体に気をつけて過ごせ」

「陛下こそ」


 にこりと至近距離で微笑まれ、崇悠の顔がまたデレっとした。

 デレデレしたままの崇悠を背に乗せて、蒼生は夜を駆ける。


「幽山の姫はお気に召したようだな」

「ああ」


 とんでもなく上機嫌な崇悠にもはや呆れるしかない。


「春柳にはどの宮をあてがおうか。後宮には腐るほど空いている宮があるが、彼女の育った環境を見るに、あまり華美な場所は好まないだろうな。庭が広く落ち着いた宮を探させて、掃除をさせよう。それから衣と、宝飾と、家具と……あぁ、何でも好きなものを持ち込んで良いと通達も出さねば」

「浮かれっぷりがものすごい」


 誰が輿入れしてこようと心を動かされず、政治的諍いを起こさないために一定の距離を置き、どの妃とも平等に接しつつも他人行儀を崩さなかった男がこうも変わるとは。

 さすがの蒼生もびっくりだ。


「一体屋敷で何があったんだ?」

「……とても美味な、豆粥(とうしゅく)と茶を頂いた」


 崇悠の声はうっとりとした響きを含んでいた。蒼生には全てが理解できた。


「なるほど。良かったな」

「ああ」


 この男、宮を出た時と正反対にずっと機嫌が良い。

 うきうきしている崇悠が春柳の輿入れに関してあれこれ語るのを聞きながら、これだけはどうしても言わねばならぬと蒼生は口を挟んだ。


「んで、姫の輿入れに際し、オレの新たな衣装を買う必要があると思うのだが」

「……どうして俺の妃を迎えるのに、お前の衣を買わねばならないのだ。全く不必要だ」

「何!」

「何、じゃない。俺の衣装さえ揃える気はないのに、お前のを買う必要がどこにある。というか、今日買ったあの派手派手しいやつを着ればいいだろう」


 崇悠のあまりの口ぶりに蒼生はわなないた。


「国の威信、永安の威光を背負った霊獣に新たな衣の十や二十買ったとて、誰も文句は言わんだろ!」

「言うわ! お前の衣装代でそろそろ宮が建つぞ!」

「ふ……冗談も休み休み言え。衣装代で宮殿が建つはずないだろ。こう見えてオレは、人間の金銭感覚に明るい」

「この……どの口が言うか! ええい。もう俺の名でツケ払いができぬよう、方々に伝達を出す。加えてお前には、銅貨一枚たりとも渡さぬよう尚書省に命じるからな」

「お……鬼か!」


 あんまりな処遇に蒼生は元々青い顔をさらに青ざめさせた。


「少しは懲りるといい」

「霊獣を蔑ろにすると天罰が下るぞ!」

「民からの財源を好きに使うお前にこそ天罰が下りる」


 崇悠は蒼生の言葉などどこ吹く風といった様子だった。

 ぐぬぬ、と歯噛みしながら、それでも蒼生にはどうにもできない。

 しばらくは大人しくしているほかないか、と諦めた。


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