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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第五章

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皇女(5)

 自分の宮の中とはいえ、厨房に行くのは明麗も初めてだ。

 そこは女官や厨師の職分になるので、本来高貴な身分のものが立ち入る様な場所ではない。

 しかし春柳は勝手知ったる様子で厨房に入ると、驚き慌てふためき膝をつく厨師たちにてきぱきと指示を出した。


「砂糖と山羊乳を持って来てちょうだい。……え? 山羊乳はあまり永安では使われず、牛乳を使う? そうだったのね。なら、牛乳で構わないわ」


 料理に疎い明麗からしても、並べられた材料はどれもこれもとても薬を作る様なものとは思えなかった。明麗は春柳の袖を引く。


「かような材料で本当に薬が出来上がるのか? おまけに、肝心の杏仁(きょうにん)がないようだが……」

「大丈夫ですよ。とても美味しくて、毎日積極的に食べたくなる甜食が出来上がりますから。ちなみに杏仁はこちらにございます」


 春柳の服の袖から大量の杏が取り出され、明麗の度肝を抜いた。


「なぜ袖からこんなにも杏が出て来るのじゃ!」

「明麗様の宮に来るまでの間に杏の木がありまして、鈴なりでしたのでわたくし毎日失敬しているのですよ」

「何!? ま……毎日そなたはそんなことをしておるのか!?」

「はい。貴重な食材があるなら、採らない手はございませんでしょう?」


 そういえば最初にあった時も、何かの植物を手にしていた。


「そ、そんな勝手な振る舞いが許されるのか? 目つきの女官に怒られるであろうが」

「わたくし、目つけの女官はいないのです。常に人払いしておりますので」

「妃というのに、それで良いのか?」

「良いのです」


 にこりと微笑む春柳は天女の様にたおやかな見た目をしているのに、頑強な芯の強さを感じさせる。明麗にはないものだ。


 春柳は腕に(たすき)をかけて衣の裾を留めた。


「では、早速調理していきましょう! まずは杏の処理からです!」


 袖から取り出した杏は丸々していて艶やかな橙色。見ているだけで口の中に薬の味が思い出され、明麗は口元を抑えた。


「ウェッ」

「大丈夫ですよ。すぐに杏が好きになるようになりますから」


 大層な自信があるようで、春柳はざくざくと杏の実を切ってゆく。


「果肉も調理するとして、ともかく杏仁を取り出さないといけないから……っと」


 果肉の中から茶色い種が現れ、明麗は後退りをする。


「それが、杏仁?」

「いえ。これはただの種です。割ると中から杏仁が出て来るんです」


 春柳が言いながら、釘と金槌を取り出したのでぎょっとする。

 釘を杏の種に固定し、金槌を躊躇いなくその上に振り下ろすと、釘を起点に種に亀裂が走る。


「この白いのは杏仁でございます。仁を水に浸けてふやかして使うんですよ」

「左様か」


 にこにこしながら金槌を振るって次々に種から杏仁を取り出す春柳。手つきは堂に入り、明らかに手慣れている。


「ふやかしたら、少量の水とともに粉砕します」


 今度はごりごりを杏仁をすり始めた。すると固そうな殻が突き破られ、じんわりと液体が滲み出て来る。嗅ぎ慣れた独特な香りに鼻を袖で覆ってうっと後退りした。

 明麗が半眼で調理風景を見ている間にも、春柳の手は淀みなく動き続けている。


「この杏仁液に砂糖、牛乳を混ぜて溶かし、寒天も入れる。沸騰したら止め、器に移し、冷めたら完成です」

「これだけか?」

「はい」

「これだけで本当に、あの苦くて不味い薬が美味しくなるのか?」

「ええ」


 春柳は自信満々だった。


「びっくりするくらい美味しい甜食に早変わりです。さあ、お部屋に戻りましょう」


 部屋に戻る頃には器の中で杏仁は固まっていた。

 明麗は椅子に座り、卓の上に置かれた器の中身をじーっと見つめる。


「そんなに見つめなくても、毒などは入っていませんよ」

「毒より不味くて苦いものが入ってる」


 明麗は顔を顰めた。

 杏仁は本当に苦いのだ。舌に纏わり付き、喉の奥に張り付き、飲み干した後も余韻が残る。美味しくない。というか不味い。


「あんなに苦くて不味いものが、たかが砂糖と牛乳で誤魔化されるとは思えない」

「それが、誤魔化されるのですよ。騙されたと思ってお召し上がり下さいませ」

「ふん……まずかったら承知せぬからな」


 半信半疑ながら、匙を手に取った。

 掬い取った白い塊はふるふるしていて、柔い。いつも飲まされている薬とは全く違う。が、香りは間違いなく毎日嗅いでいるそれだ。

 どれほど見た目が変わっていようと、この香りだけで苦味が思い起こされてとてつもなく嫌な気持ちになる。


「明麗様、思い切って一口、さあ」


 二の足を踏んでいると春柳に励まされた。

 ええい、と匙をぱくりと口に入れる。


「!」


 口内に広がったのは、全くえぐみのない甘味。

 薬の時のあの味はする。 

 けれど、なぜだか全く嫌な感じがしない。砂糖の甘さと牛乳のまろやかさが苦味を完全に掻き消していた。


「お……美味しい……!?」


 そんな馬鹿なと思いつつ、もう一口。もう一口。

 大変だ。匙をすくう手が止まらない。


 こんなに美味しくなるだなんて、嘘だ。


 そうは思うけれど、美味しいのは間違いない事実だった。

 さっぱりさわやか、のどごしつるん。

 パクパクとしているうちに、器の底に匙が当たった。かつんと音がして、もう中身がなくなってしまったことに気がついた。


「あ……なくなってしもうた」


 切ない声を上げ、ちらりと春柳を見た。


「お気に召しましたか?」

「う、うむ」


 春柳が破顔する。


「ようございました」


 あまりにも嬉しそうに笑うので、明麗もつられて笑ってしまった。


「もしよろしければ、明日もお作りしますが」

「うむ……うむ」


 明麗はコクコクと頷く。やや気まずさはあるものの、咳払いをしてから正直な気持ちを伝える。


「あー……かような味ならば、ま、毎日食べてやっても良い」

「きっと女官や医官もお喜びになると思いますよ。あとで作り方をお教えしておきます」

「ぜひそうしてくれ。……そちは本当に料理が得意だったのだな」

「はい。わたくし、料理に命をかけていると言っても過言ではないほど大好きです」

「……止められなかったのか?」


 明麗は純粋な疑問から春柳に問いかけた。


「わらわは、体が弱いというのもあるが、何をしようとしても女官に止められる。自由に好きなことなど出来はせぬ。そなたとて、同じような環境だったであろう。それを何故……」

「好きで、やりたかったからです」


 春柳はキッパリと言った。


「わたくしも明麗様同様、規則に縛られがんじがらめな生活を送っておりました。あれはだめこれはだめ、ああしなさいこうしなさいと、姫としての教養を身につけ、姫らしいふるまいをすることを期待されていたのでございます」


 春柳は遠い目をしながらかつての自分の生活を振り返る。


「……ですが、自分の中の好奇心は止めることができませんでした。まず気になったのは、料理の前段階となる、食材を集めるところ。書物で読んだ植物や動物を実際に自分の目で確かめてみたい。どのように加工するのか気になる。だからわたくしは、ばあやや女官の制止を振り切り、自分で山に入って食材を確保するようになりました」

「は……山に入って、とな?」

「ええ。ずいぶんと怒られましたし、引き止められましたが、諦めずに脱走を繰り返しました。初めのうちは上手く食材を見つけられませんでしたけど、繰り返していくうちに上達いたしまして。そのうちに家の者たちも諦めて、せめて身を守る術を身につけて下さいと、野生動物と戦う方法を授けてくれるようになりました」

「…………」


 明麗は黙って春柳の突拍子もない話に聞き入った。


「さすがに蜘蛛を口にしようとした時は泣きながら止められましたけど。そうしているうちに、料理に興味がわき始めたのでございます」


 もはや何を言っているのかがわからない。好んで蜘蛛を食べようとする姫がこの世に存在するのか。


「厨房にこもって厨師に教えを請いながら料理をするようになり、こうして人様にお出しできるようなものを拵えられるようになった、という次第にございます。何が言いたいのかと申しますと、生まれや立場などにとらわれず、自分の心のままに好きなことをするべきだ、ということにございます」

「心のままに、好きなことを……」

「ええ。だって、わたくしたち、誰かの言いなりになるためにこの世に生を受けたわけではありませんもの」


 春柳の言葉は、周囲の言葉に従って、言われるがままになって、自分の心に蓋をして、結果塞ぎ込んでいた明麗の心にすうっと染み渡った。


 きっとそれは、明麗が、ずっと誰かに言ってもらいたかった言葉だ。


 生まれも立場も関係なく、心のままにやりたいことをやる。


「わらわも……そのように生きられるかの」

「もちろんです! 明麗様は何がしたいのですか?」


 問われた明麗は考えもせずにぽろぽろと言葉が落ちてゆく。


「外に出て、花や植物の観察をしたい。池の鯉を眺めてみたい。草の上を、思い切り……走ってみたい」


 どれもこれもが病弱と皇女としての威厳を損なうという理由で止められていたものだ。

 最近では口に出すのもやめてしまった、諦めた願い。


「のう……わらわにも、できるかのう?」


 一縷の望みをかけ、すがるように春柳を見る。

 目の前の妃は、天女の如き笑みを浮かべ、明麗に手を差し伸べた。


「できます。まずはわたくしと一緒に、庭の散歩から始めましょう」


 明麗は差し出されたその手を、泣き笑いしながら握った。



「……明麗の様子はどうだ?」

「はい。最近では咳も治りつつあり、大分調子が良さそうです。わたくしと一緒に後宮の散歩をいたしております」

「ならば良かった」


 宮にやってきた静帝陛下に夕餉を振る舞いながら、春柳はそう報告をする。

 明麗の体調は良さそうだったし、実際医官から感謝の言葉を述べられている。

 今までは杏仁の薬が苦すぎてろくに口に含んでいなかったらしいのだが、今では喜んで召し上がっているとのことだ。

 十分量を摂取していることで、咳も落ち着き、好きなことができるようになったおかげで気持ちも安定しているのだろう。

 よく笑顔を見せ、春柳の手を引いてあちらこちらを見て周り、目にしたもの全てを珍しがって説明をせがむ姿は見ていて微笑ましい。


「そなたに頼んでよかった」

「わたくしにできることであれば、何なりとお申し付け下さいませ」

「頼もしい限りだ」


 春柳は夕餉を終えた卓の上に二つの器を並べた。

 花朶紋(かだもん)が施された優美な細長い器の中には、白く凝固した甜食が入っている。中央にはクコの実が一粒。


「杏仁豆腐でございます」


 明麗がすっかり気に入った杏仁を使った甜食(おやつ)、杏仁豆腐。

 静帝陛下が口にすると、笑みが溢れた。


「これは随分と食べやすい。舌にまろやかで良い味だ」

「明麗様もお気に召しているようでございますよ」


 うむ、と言いながら静帝陛下は杏仁豆腐を食べ進めた。春柳も自身の分を口にする。

 杏仁豆腐は幽山では馴染み深い甜食だ。

 幽山では山羊の乳を使って作るので色味がもっと濃い黄色なのだが、昇陽では牛乳が一般的に普及しているらしく、牛乳で作っているので真っ白な色合いになる。

 味も、山羊乳を使うよりあっさりとして、これはこれでとても食べやすい。

 陛下にも自信を持ってお出しできる、春柳自慢の一品となっていた。


「幽山の料理には、まだまだ知らぬものが多くて興味深い。これからもこうして色々と出してくれ」

「はい。それはもう」


 そのために幽山から輿入れしてきたのですから。

 という言葉を言外に含み、春柳はにっこりと微笑む。

 夏の日差しは和らいで、秋の気配が近づいてくる頃合い。

 後宮の一角では、穏やかな一時が紡がれていた。


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