皇女(4)
春柳が明麗に会えないまま十日が過ぎた。
その間春柳は、ひたすらに菓子を作っては明麗の宮に行き、時間が許す限り待つことの繰り返しだった。
菓子は色々作っている。が、明麗が口にしているかどうかは定かではない。
もしかしたら捨てられてしまっているかもしれないが、確かめる術はない。
春柳にできることは、明麗の気が向くまで宮に来て待つことくらいである。
この日もそうだった。
杏の餡を練り込んだ糕を作り、持ち込む。日が傾くまで居て、その後諦めて菓子を女官に託して帰る。
吹く風に涼しさが含まれていて、季節が進んでいるのがわかった。
「んー……そろそろ白露かしら。龍眼を食べる季節ね」
季節を二十四に分けたうちのひとつ、白露は、過ごしやすい季節になる。
幽山では白露には龍眼という茘枝に似た果物を食べる風習がある。
「そうだわ、静帝陛下や皇女様にも、龍眼で作った甜食をお出ししましょうっと」
よい案だ。
明日は龍眼の菓子を作って持っていこう。
*
「これは、なんじゃ……!」
女官がささげ持って来た小箱の中身を検めた明麗は激昂した。
濃い橙色の菓子は、見事なまでに杏の形を模している。形も杏そのものだ。
「わらわは、杏が嫌いじゃ! この様に無礼な仕打ちは初めてじゃ! 春柳を呼び戻せ、詫びさせろ!」
「は、はい! ただいま!」
手足を振り回し怒り狂う明麗を鎮めるべく、女官が慌てて駆けて行く。
春柳が明麗の宮に足を運び出してから早十日。
飽きもせずに自分が作ったという菓子を持ってやって来る根性だけは明麗も認めるところだ。
とにかく箱の中身だけは確かめる様にしていたのだが、今日のこれはいただけない。
明麗は杏が大嫌いだ。
種を薬として潰して毎日飲んでいるのだが、これがあまりにも苦くて口当たりが悪い。だから果肉の方まで嫌いになってしまったし、見るのもいやだった。
鼻息荒く待ち構えていると、一人の女を連れた女官が戻って来る。
この者が春柳なのだろう。
春柳は特に慌てふためいている様子も、狼狽している様子も見られない。
落ち着いて明麗の前に膝をつき、礼をする。
「杏がお嫌いとのことを知らず、大変申し訳ないことをいたしました。可能でしたら、なぜお嫌いなのか理由を聞かせていただいても?」
「種じゃ!」
怒りのままに明麗はわめく。
「杏の種を煎じた薬が苦過ぎて、だからわらわは杏そのものが嫌いになったのじゃ!」
「種を煎じた薬……?」
「そうじゃ! 毎日毎日、いやだというのに無理やり飲ませおる! あれのせいでわらわは、わらわは……げほっ!」
咽せこむ明麗に、女官たちが落ち着きくださいと言いながら駆け寄った。明麗は両手を振り回して彼女らを拒む。
「みんなみんな、大嫌いじゃ! わらわのことなど好いておらぬくせに、寄ってたかって……!」
しかし春柳は、きょとんとした顔で明麗を見上げていた。
「あの種を、そのまま煎じて飲んでいるのですか? 薬として?」
「そうじゃ!」
春柳はわずかばかり考えるそぶりを見せた後、いきなり立ち上がる。
「厨房をお借りできますでしょうか。その薬、わたくしが飲みやすく調理いたします」
振り上げた明麗の拳がピタリと止まった。
「何を……?」
「説明はあとでいたしますので。ささ、お早く」
春柳はなぜだか機嫌が良さそうに、女官に厨房まで案内して欲しいと再三頼み出す。
戸惑った明麗だったが、もし本当にあの不味い薬をどうにかしてくれるというのであれば、是非お願いしたい。
「……こやつを厨房に案内せよ」
「は、はい」
「明麗様もぜひ、見学なさいませんか?」
「だが、女官が止める」
明麗はふいとそっぽを向いた。どうせ止められるに決まっている。
「わたくしはいいのに明麗様は駄目なのですか?」
「そう言うのじゃ。こやつらは。いつもわらわの行動を止めて部屋に留めようとする」
「……まぁ」
春柳は口元に手を当て、目をきょろきょろさせた。それからすっと手を差し出して来る。
「参りましょう、ご一緒に」
「え? でも……」
「大丈夫でございますよ」
にっこりと微笑む春柳の顔を明麗は初めてまじまじと見た。
艶やかな黒髪は紫がかっており、柳の若葉のような色の目が人目を引く美人だった。身につけている衣は簡素だが質の良さそうなもので、まるで蓮の花の様に淡い色合いがよく似合っている。
一体何が大丈夫なのか、何の根拠もなく放たれた言葉には確固とした理屈なんてまるでなかったが、なぜか不思議と説得力はある。
笑顔と一緒に右手が差し出された。
「さ、参りましょう」
やや迷った。
そもそも明麗は、この妃に怒りを抱いていたはずだ。
嫌いなものを使った菓子なぞ送りつけて無礼な、と。
だが彼女は、あの苦くて不味い薬をどうにかしてくれるという。
今まで自分で菓子を作っているなど嘘だと思っていたが、自信に満ちた態度を見るに、あるいは嘘などついていなかったのかもしれない。
やや迷った明麗だったが、好奇心が勝った。
「……うん」
おずおずと手を差し出すと、春柳が優しく握ってくれる。
「杏仁を使って、わたくしがとってもおいしいとびきりの甜食を作って差し上げますからね!」
その笑顔があまりにも楽しそうで眩しかったので、ついつい明麗も頷いてしまった。




