皇女(3)
翌日、春柳は、身支度を整えると真っ直ぐに厨房に行った。
取り出したのは緑豆。幽山から持ち込んだもので、可後宮でも育てようとひそかに考え、実は庭の空いたところにすでに植えていた。
小指の爪の半分ほどの大きさの緑豆は春柳にとってとても馴染み深い食材だ。
体の熱を排出してくれる効能を持つので夏には非常に重宝するほか、加工してさまざまな食品に変化するのも魅力的だ。
春雨、餡、粥、豆汁にも変化する。まさに変幻自在の食材である。
今日は緑豆を使って、明麗のために甜食を作る。
まずは水に漬けた緑豆を蒸籠に移してじっくりと蒸す。
蒸し上がった緑豆を、笊で濾して滑らかにする。
鍋に黄油を入れて溶かし、溶けたら砂糖を加え、さらに濾した緑豆も入れてよく混ぜ合わせる。しっとりとまとまったら火から下ろし、冷ます。
冷めたら型を抜く。
「どの型にしようかしら」
春柳は幽山から持参した種々の型を見比べた。
自作の抜き型は大量にある。以前、すっかり型作りにはまった春柳がたくさん作り上げたものだった。
蓮の花、玫瑰、梅、菊、向日葵、亀、兎。
うちの一つを選び、緑豆餡を詰めて型を抜く。
「よし……できたわ」
一つ手に取り味見をした。
口の中でほろりと崩れる餡は、黄油と砂糖とのおかげでまろやかな優しい味わいとなっている。
「うん。完璧な緑豆糕ね」
出来上がった緑豆糕を小箱に入れて蓋をして、春柳は早速明麗のところへと向かった。
訪ねていったが明麗は引きこもっていて、会いたくないのだと言う。
想定の範囲内なのでさして気にしない。
「では明麗様の気が向くまで、わたくしはこちらで待たせていただきますね」と言うと、女官は言葉を濁してしまった。
妃故に邪険にも扱えないし、まさか帰れとも言えない。居座られても困るのだろう。茶を出され、部屋を下がった女官をにこにこしながら見送り、春柳は根が生えたようにどっしりと腰を下ろしてその場を動かなかった。
やがて日も傾こうかという頃合いになり、ついに春柳は腰を上げる。
「こちらをわたくしからの贈り物として明麗様に差し上げていただけますか?」
そう言って持参した小箱を女官に手渡す。
「わたくしが作ったお菓子です。幽山の郷土菓子なのですけれど、是非明麗様に召し上がって頂きたくて」
女官は小箱を恭しくささげ持った。
春柳は席を立ち、宮を後にする。
昨日の今日だ、会えなくても当然だろう。通っていればいつかきっと誠意が通じて心を開いてくれる。
だから春柳は、明麗がその気になるまでこうして通い詰めようと思っていた。
*
「皇女様、こちら春柳お妃様より贈り物でございます」
女官が明麗の私室へとやってきた。
「そこに置いておけ」
「はい」
適当に卓を指差して告げると、女官は従う。
中身に興味はなかった。どうせ明麗の気を引くために用意した玉か、簪か、筆か、珍しい菓子か、あるいは玩具か。そんなものだろう。
兄が手配する友人や妃はそんなものばかりを持って明麗のところへやってくる。
ものを与えれば機嫌がとれると思っているなら大きな間違いだ。
明麗は大抵のものは持っていたし、これ以上何かを欲したりしていなかった。
いくら珍しくて高価なものでも、興味のないものをもらったって嬉しくない。
だから春柳が明麗のために用意したものだって、中身がなんであろうと要らない。別の女官が来たら、あげてしまおう。
小箱には目もくれず、明麗は榻に体を預けて窓の外を見た。
季節は、処暑。
朝晩は冷え込むようになったが、日中はまだまだ暑い。
紅葉には早く、しかし向日葵は首をもたげるような頃合いだ。
外にはきっととりどりの花が咲き、池ではあめんぼが水の上を泳ぎ、蛙が鳴いているだろう。部屋の中にいても、蝉の鳴き声は聞こえてくる。
けれど明麗は、部屋の中にこもって、窓からそれを眺めているだけだった。
夏の日差しは強すぎて体に障ると、外に出してもらえないのだ。
「……つまらぬのう」
昨日から来るようになった妃は、後宮の中だけとはいえ自由に歩き回って過ごせるのだろう。
なんて羨ましい。
明麗だって、できれば自分の足でさまざまなところへ行き、いろいろなものを見て、感じて過ごしたい。
こんな部屋の中でこもって過ごすなんてうんざりだ。
だけれど、みんなが明麗を止める。
ーーいけません。皇女様のお体に障ります。
ーー今は暑いので。
ーー現在は大雨ですので。
ーー寒い時分にございます。お身体をご自愛くださいませ。
自分の体の弱さが恨めしい。
こんな体に産んだ挙句、さっさと天に昇ってしまった父母が憎い。
残された明麗はこれから先一生、こんな風に部屋に篭った生活を送らなければならないのだろうか。
「……つまんない……」
繰り返される変わらない日々に明麗は嫌気が差していた。
皇女である明麗は兄のように政務に関わることもできず、かといって病弱ゆえに皇族としての務めを果たす事もできない。
がんじがらめの生活で、苦い薬を我慢して飲み続け、やがて誰かの元に降嫁して、そこでも体を労られて……それでおしまいなのだろうか。
深くため息をついた。
「皇女様」
女官に声をかけられて、のろのろと顔を起こす。
「そろそろお薬の時間でして……」
あの苦いやつ。きらい。顔を思い切りしかめてやるが、女官は意に介さない。
卓の上を指さした。
「兄上のお妃様からの贈り物らしい。そちにやる」
女官は戸惑った風だった。明麗は榻の上で丸まって、体ごと女官から目を背ける。
「中身が何であれ、わらわはいらぬのじゃ」
「ですがこちらのお品は……春柳お妃様が自ら作られた、幽山由来の菓子であるとか」
「なに?」
耳にした言葉が信じられなくて、明麗は身を起こした。
「妃が自分で作ったとな?」
「はい。そのように仰られておりました」
「…………」
今までさまざまな妃が機嫌取りにやってきたが、どれもこれも生国の自慢の品を押し付けてくるだけだった。自分で作ったものを持ってくる妃など、いたためしがない。
わずかに興味を持った明麗は、榻から飛び降りて卓に近づき小箱の蓋をとった。
向日葵の花の形に押された、薄黄色の菓子がきちんと並んで入っている。
造形が見事で、どう考えても素人が遊びで作ったものではない。
明麗は興味を失った。
「……なんじゃ。厨師が作ったものではないか」
箱の蓋をかぱりと閉じる。
「大方、自分が作ったということにすればわらわの興味を引けると思ったのじゃろう。小賢しい妃じゃ。わらわにそうした手は通用しないし、そんな嘘を平気で吐く人間は嫌いじゃ。これは要らぬ。そなたたちで食べるがよい」
そっぽをむいて榻まで戻った。
これだから、大人は信用ならない。
明麗に気に入られるためなら、どんな手段も厭わないのだから。
「はぁ……」
再びため息をついた明麗は、部屋に持ち込まれた薬を見て、さらに気分を落胆させるのだった。
春雨の材料にもなる緑豆は、体の余分な熱を取る夏バテ予防の食材として中国ではポピュラーな食材だそうです。
この夏も暑いので積極的に摂取したいですねー。




