寂妃(16)
「いやぁ、上手くいったなぁ! どうだった? オレの見事なまでの策と演技は!」
後宮の一角、愛凛の宮にて、四人の人物が集い祝杯を上げていた。
愛凛、春柳、崇悠、蒼生だ。
宮の主人である愛凛はそわそわと落ち着かなさげに蒼生を見やる。
「私、変ではありませんでしたか?」
「ぜっんぜん! 完璧な妃を演じられていたぜ!」
「であればよかったのですが」
「崇悠と春柳にも見せてやりたかったもんだ」
「確かに、わたくしも愛凛様の勇姿を見とうございました」
「余としては、蒼生がやりすぎなかったかが心配だったが……」
「蒼生様はそれはそれは立派に刑部としての務めを果たしておりました。私とは貫禄が違います」
「やーっぱオレって光るよな! 目立っちゃうよな!」
「あそこまで飾り立てれば黙っていても目立つだろう。寂妃より目立たぬ服に抑えるよう申し伝えるのにどれほど苦労したことか」
「ああいう時は目立ってなんぼだろ。寂妃ももっと盛ってもよかったんだぜ?」
「私はあれで十分でございました」
本日の昼、鶏鳴広場で繰り広げられた壮大な捕物劇は、前夜に蒼生がもたらした情報と策により綿密な計画が練られたものだった。
*
「犯人を皇宮まで連行すんじゃなくて、寂妃が広場まで行って、俺の掴んだ情報を民衆の前で披露してもらおうぜ」
「何を言っているのか全くわからない」
「えー? お前、頭悪いんじゃね?」
「それはこちらの台詞だ」
呆れ顔の蒼生に崇悠は怒りを込めた視線を送った。
「妃はみだりに後宮を離れてはならぬ規則だ。のみならず、民衆……しかもただの民ではなく罪人の前に姿を現すなど、言語同断。そんなことをするならば、後宮規則を十や二十容易く破ることになる」
「規則は、破るためにある」
「さてはお前、その台詞気に入っているな??」
きりっとした顔で言う蒼生にもはや崇悠は何を言い返しても無駄だと悟った。
「単純かつ効果的だろうが。犯人にも事情がある。寂妃に話せば協力を取り付けられるだろうし、民からの支持も厚くなる。こういうのは演出が大事なんだよ演出が」
「霊獣とも思えん言葉だな」
「長く人間界見てると、人間的思考が嫌でも染み付くんだよ。何百年皇宮にいると思ってんだ」
あまりにも説得力に溢れている。蒼生はわりと頑固なところがあり、一度言い出したら聞かない。崇悠がどんなに言い募っても、この霊獣は考えを改めないだろう。
それに、と崇悠は考える。
蒼生の言っていることは一理ある。罪人には罪を犯す理由があった。どんな内容であれ、勝手に人の名を騙るなど許されることではないが、情状酌量の余地は存在している。
そしてそれを明るみに出し、尚且つ本当の作者が誰なのかをはっきりさせるのには蒼生の案が手っ取り早いだろう。
崇悠にできることといえば、朝廷が荒れぬよう秘密裏に根回しをし、これは決して後宮の規則を破るのではなくあくまでもいち例外に過ぎないと説き伏せることくらいだ。綱渡りにも程がある。
そもそも、皇帝である崇悠に裏方の地味な調整をやらせ、刑部に過ぎない蒼生が派手に立ち回るなど、どうかしている状況である。普通逆ではないのか、逆では。
(いや……文句を言ってもどうしようもない)
崇悠ははぁ、とため息をついた。
「明日の朝一番で、寂妃の協力を取り付けよう」
「おう!」
ノリノリな蒼生を見て、すでに幸先が不安になった崇悠だった。
明くる日の朝、約束通り朝一番に寂妃の宮へと行き事情を話した崇悠は、すでに及び腰の愛凛を見て「あ、これは駄目なやつだ」と悟り、すぐに春柳を場に呼び寄せた。
ことの次第を聞いた春柳は食い気味だった。
「是非ともやりましょう、愛凛様!」
「で、でも、私あまり大勢の前で何かをするのが苦手で……しかも今回は、私のふるまいにかかっていることですし、責任が……」
「大丈夫です。わたくしが立ち居振る舞いの全てをお教えいたします」
「けど、私は春柳様のように堂々と自信に満ちた行動などできませんし。自慢ではないけれど、心臓が蚤ほどに小さいのです」
割り当てられた役割の大きさにたじろぎ続ける愛凛だが、春柳が逃さない。
「聞けば、茗鈴という方は昇陽で路頭に迷っている漠草の孤児を集めて育てているそうではないですか。『後宮楼夢』の作者を騙ったことは許される行為ではありませんが、心根はとても高尚な方。愛凛様もそうは思いませんか?」
「確かに思うけれど……」
「では、何も迷うことなどございません。大丈夫です。わたくしに全てお任せください。数時間あれば愛凛様に、妃にふさわしい立派な振る舞いを叩き込んでみせます!」
春柳はこのように勢いのある人物だったろうか。見目の通りにもっとおしとやかで儚げな性格だったように思うが。
崇悠は訝しんだが、蒼生の勢いに押された。
「よぉし、なら春柳に任せるぜ!」
「はい、お任せくださいませ!」
この時春柳と愛凛の間でどのようなやりとりがあったのかはわからないが、ともかく腰がひけていた愛凛が立派にやり遂げたのだけは間違いない。
そして本計画を実行するために崇悠が諸々の調整をし、準備の手筈を整えさせたのは言うまでもない。朝廷の非難轟々を皇帝の権力でもってねじ伏せたのだが、よく思っていない人物は多いだろう。
とはいえ結果を見れば成功しているので、表立って非難する輩はいないだろう。
犯人には情状酌量の余地があり、被害者である寂妃本人が寛大な心で許した。
民の中で妃、ひいては皇宮の支持がますます上がり、漠草の民の地位も向上する。
何より『後宮楼夢』の収益は昇陽にいる漠草の民に使われる。国庫から出す必要がなくなり、悩みの種が一つ減ったことになるのだ。
*
蒼生は宮の主人である愛凛や皇帝の崇悠をも差し置いて、上機嫌でがばがばと酒を飲み干していた。
「漠草の酒を飲むのは久しぶりだが、美味いな。勝利の美酒というやつだ」
「とっておきの羊乳酒を出させました。本日はお祝いですので」
「にしても寂妃とオレの演技を、ぜひとも崇悠にも見せてやりたかったぜ!」
ご機嫌な蒼生がばしばしと崇悠の背中を叩いた。
あまりにも不敬な行いに、愛凛が顔を青ざめさせる。
「あ、あの、蒼生様、いくらなんでも静帝陛下にそのような振る舞いはいかがなものかと思いますが……」
「いーのいーの。オレ、こいつの親代わり兼親友みてぇなもんだし。な! 崇悠!」
がっつり肩を抱き首に腕を巻き付けて同意を求める蒼生に、崇悠は嫌そうな顔をした。
「やめろ。首が締まる」
「蒼生様、陛下もこう仰っていることですし……!」
「固いこと言うな!」
蒼生がとどまるところを知らない。
いくらなんでも、やりすぎた。
穏やかな静帝陛下とて堪忍袋の緒が切れるに違いない。
祝いの席が血の海に染まるのではと愛凛がはらはらしていると、蒼生の矛先は春柳に向いた。
「お前はオレを止めないんだな」
「はい」
「どうしてだ?」
酒の代わりに羊乳茶を飲んでいた春柳は、にこにこしながら茶杯を置いた。
「わたくし、幽山にいた頃、陛下とは不思議な出会いをいたしまして。青い毛並みと額に角を持つ羊に跨った陛下が、空から御降臨なさったのでございます」
「そんなこともあったな」
懐かしそうに金色の瞳を細める陛下は、相も変わらず蒼生によってぐいぐいと羽交締めにされていた。
「ただの羊ではないことは一目瞭然でございました。あれは伝説に名高い、永安の守り神。司法と正義とを司る霊獣獬豸だろうとわたくしは予測し、身分を隠して参られたお方こそが静帝陛下その方と推測いたしました」
「あの頃からそなたの観察眼は優れていた」
「あれはかなり間抜けな登場の仕方だったよなぁ」
崇悠と蒼生はそれぞればらばらな感想を述べる。
春柳は、崇悠を締め続ける蒼生に含みのある視線を送った。
「そして蒼生様も、わたくしが見た獬豸同様、雨上がりの空のような天青色の御髪と美しい群青色の瞳を持っていらっしゃいます。正義と司法を司る刑部の筆頭に立ち、陛下とも親しい間柄。男性にも関わらず後宮に入れる異端な待遇。……失礼ながら、蒼生様の正体こそが、かの霊獣なのでございましょう?」
春柳の突飛とも思えるような発言に、場が一瞬硬直した。
愛凛は「一体何を言っているのかしら」という顔をしていたし、崇悠は目が泳いでいる。しかし当の本人である蒼生は、口の端をにやりと持ち上げた。
崇悠に回していた腕を解くと、卓から少し離れる。
蒼生の足元で青い風が巻き起こった。
風は蒼生の体を包み込み、衣をはためかせ、長い髪を巻き上げた。
くるくると舞い上がる風が止むと、蒼生の姿はなく、かわりに額に一本の角を持つ羊のような獣が衣を纏ってそこにいた。
獣はつぶらな群青色の瞳で春柳を見、よく知る蒼生の声で一言。
「よくわかったな」
「やはり、当たりでございましたね」
「ふっ。察しのいい奴は好みだ。崇悠のものじゃなかったら、オレの嫁にしたところだ」
「霊獣の癖に何を言い出すのか」
「お? 崇悠、慌ててるのか?」
「……蒼生様が、霊獣の姿に……?????」
日中の疲れが溜まっていた上に話についていけなかった愛凛は、突如目の前で変化した蒼生の姿を見て、ついにくらりとめまいを起こす。
「こ、これはきっと、何かの間違いだわ……そうよ、夢よ……全ては私の妄想なのだわ……」
「愛凛様、しっかりしてくださいませ!」
「寂妃!」
「はっはっは、そういう反応を見るのは久しぶりだぜ!」
「これ以上話がややこしくなる前に姿を戻せ!」
「おうわかった」
「おい、裸だ! 誤解が広がる! 服を着ろ!」
「なんだよーいちいちうるさいな……」
宮の中がばたばたと騒がしい。
更ける夜は賑やかに過ぎ去り、気絶した愛凛の体を労って三人は早々に愛凛の宮を辞去した。




