寂妃(11)
祥国と一口に言っても広く、永安、漠草、陵雲、天華、珠海、幽山と六つに分かれているからして文化や慣習は大きく異なる。
それこそ春柳の出身地である幽山のように他国と隔絶された国もあれば、漠草のように言語すら異なる国もある。着るもの、食べるもの、男女の差、産業など全てが千差万別で、一概に語り尽くすことはできない。
だが、共通事項をひとつ挙げるならば、「識字率の高さ」があるだろう。
多少の動乱はあれど現在の王朝は三百年続いており、六国は皇帝の下で束ねられている。隣国からの軍事的干渉もない。
平和な時代が長く続くと軍事よりも教育や福祉に力を入れるようになるのが自然で、各地域とも競うように教育機関を充実させていった。
結果、どの地域でも官僚や商家などはもちろんのこと、簡単な読み書きであれば農民でもできる状態となっていた。
言語の異なる漠草の民でさえ、喋れずとも永安式の文字が多少なりとも読めるということはままあった。
そういう状態であるからして、皇都である昇陽の識字率が十割なのも納得だろう。
皇宮に勤める女官たちも当然ながら皆読み書きが出来るばかりか、詩句の嗜みがある者も少なくない。
崇悠は愛凛に約束した通り、まずは女官に小説を読ませ、反応を伺うことにした。
中央官庁となる三省六部のうち行政官庁である尚書省にいきさつを語り、小説を手写しして、女官たちに配り反応を見るよう命じる。
なお、作者が誰であるかに関しては、伏せるようにと言い含めてある。
まがりなりにも妃が書いたといきなり広めるのはいかがなものかと思ったし、愛凛に確認を取ったところ「陛下の仰せのままに」とのことだった。
「漠民」という筆名を用い、「後宮楼夢」という題名を付け、まずは十部。
少なくも思えるが、そもそも手写しなので短期間で本を大量作成するのは無理がある。十部作って回し読みすれば良いという魂胆だった。
出来上がった十部を配り、はや十日。
崇悠が受けた報告は以下のものだった。
「女官たちの間でとても面白いと滅法評判が良く、競い合って先に読みたがり、奪い合いが生じる始末。現在、急いでさらに手写しをさせているところにございます」
さらに五日後。尚書省の官吏が平伏して言う。
「女官たちは口を開けば『後宮楼夢』のことばかりを話しまする。今や本作を読むための順番待ちが発生し、名簿に記載して管理している状態にございます。手写しの人員を増やし、昼夜問わずに本を増やすことに尽力している状態にございます」
これはいける、と崇悠は直感した。
詩句に馴染み、教養のある女官たちから高評価を受けたのであれば、昇陽に住む一般の民にも受け入れられるに違いない。
「皇宮内での手写しを止め、市政の職人に本作を託せ。昇陽中の本屋、貸本屋に広げるよう、大量製作を命じよ。……著作元の詳細は知らせず、皇宮付けで支払いをするよう取り付けるのだ」
「御意に」
こうして愛凛の書いた物語『後宮楼夢』はあっという間に皇宮中の女官の話題をかっさらい、昇陽に流布させる段階に至った。
官僚の手により迅速に準備が整い、十日ののちに昇陽中の本屋に並んだそれは、宮中勤めの人々により噂話が広がっていて、売り出す前から話題となっていた。
決して安くはない値段の本なので、裕福な商家の娘などが書い、友人に貸し出したりなどした。また手の届かない庶民たちは貸し本屋に行列を作りどうにかして読もうと躍起になった。それも叶わぬ人々は、広場で説話師による説話に耳を傾けた。
『後宮楼夢』は老若を問わず女性たちを虜にし、すぐに昇陽の間で知らぬ者なしという一大流行となった。
春柳の目論見は当たった。
これまで、どちらかといえば蔑みの目で見られていた漠草の民たちだが、にわかに脚光が当たった。
いくら言語は違うと言えど、漠草の民たちとて馬鹿ではない。
昇陽で何が流行っているのかめざとく察知した一人により、どうやら『後宮楼夢』という本のおかげで漠草文化に注目が集っていると知り、苦労して本を一冊買い、何が書いてあるのかを知ろうとした。
内容まではわからずとも、少し文字をかじったものならば、慣れ親しんだ漠草の細工や紋様、料理名などならば字面でわかる。
数十人の男たちが一冊の本を取り囲み、どうにかこうにか解読をして、本に書いてある内容を再現して売り出そうと思いついた。
一念発起して借金を背負い、昇陽の市に屋台を開いた漠草の民の狙いは大当たりした。
豪快に炙った丸焼きの烤全羊も、骨つきの羊を塩で茹でた手抓羊肉も、たっぷりの醤油で煮込んだ羊棒骨鍋も、羊肉と葱を強火で炒めた葱爆羊肉、とろんとした羹に羊肉と葱と干し豆腐が入った羊湯、羊の出汁で取った湯に削った麺を入れる羊肉刀削麺も、羊乳茶も、全てが大当たりした。
漠草の民にとって身近なこれらの料理が、昇陽の人々にとってはひどく新鮮で面白く映ったのだ。
作中と全く同じ料理が食べられると知った昇陽の民たちがこぞってこれらの屋台に押し寄せ、料理を手に食べ歩きをするようになった。
舞台が宮中である故、作中登場人物の装いを真似するのは難しくても、せめて似たようなものを身につけたいと考え、漠草の伝統色である枯草色の衣装を纏い、伝統紋様の透かし彫りが入った耳飾りや簪を差し、化粧を真似た。
のみならず、木片に漠草の紋様を浮き彫りにし、登場人物の名を刻印して帯や鞄などに括り付けられるような物が登場し、登場人物を描く絵師までもが現れる始末。
一体どの登場人物を好きなのかの論争が巻き起こるようになり、茶館でも飯店でも井戸端でも広場でも、誰も彼も『後宮楼夢』の話をする始末。
昇陽で「推し」という言葉が誕生した瞬間であった。
もはや昇陽では、老いも若きも女性であれば漠草のものを最低一つは身につけているのが普通になったし、『後宮楼夢』の内容を知らぬのであれば「潜り」とさえ言われるようになった。




