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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第四章

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寂妃(9)

 春柳(しゅんりゅう)の打ち明けてきた事実は、かなり衝撃的なものだった。

 昨夜春柳の下に渡った静帝(せいてい)陛下は、漠草(ばくそう)の民が昇陽(しょうよう)で困窮していると話をされたのだそうだ。

 愛凛(あいりん)の輿入れにより昇陽に商機ありと見込んだ漠草の民が昇陽に雪崩を打って流れ込んできたのだが、言語の違いにより意思疎通が図れず職にあぶれているのだとか。

 なぜそのような重大な事柄を陛下が春柳に打ち明けたのか気になるところだが、この際気にしている場合ではない。

 祖国の民が困っているのであればどうにかしたい。


「でも、わたくしなんかにはどうすることも……」

「いいえ、できます」


 春柳はいじけながら卓に「()」の字を描き始めた愛凛に向けてキッパリと断言した。


「本作を出版し、漠草の良さを昇陽中に知らしめるのです」

「それがどうして、漠草の民の窮状を助けることにつながるの?」


 理解の鈍い愛凛に春柳が嬉々として説明を開始する。


「本作は非常に完成された愛憎推理劇ですが、随所に出てくる漠草の文化も見どころの一つでございます。たとえば皇帝と妃の心震えるやりとりの中には料理を絡めた(シーン)がたくさんあり、食べたくなること請け合いです! 本作を読んだ暁には、きっと、『皇帝と妃が口にした漠草料理を食べてみたい』となり、昇陽の間で漠草料理が爆発的人気となることでしょう!」

「そんなに上手くいくものかしら……」

「上手くいかせるのでございます」

「どうやって?」


 恐る恐る訪ねた愛凛に春柳は天女の如き微笑みを見せた。


「愛凛様、本日はとてもお化粧に気合が入っておりますね」

「ええ」

「奥の部屋を拝見するに、衣装選びにこだわっているご様子で……今夜、陛下の御渡りがあるのではございませんか?」


 ピタリと言い当てられた愛凛は、一瞬こわばったが、精一杯胸を反らした。

 やましく思う必要はどこにもない。妃としての当然の務めなのだから。


「そうよ」


 挑発的な色が声に滲んでしまったが、春柳は軽くいなした。


「であれば僥倖(ぎょうこう)にございます。今からわたくしの言うことをよく聞いて、今夜、陛下にお願いをなさってください」


 美しい顔には迫力がある。

 なぜだかとても嫌な予感がして、愛凛の額につぅと嫌な汗が伝った。



 夜になり、最上級にめかしこんだ愛凛はかつてないほどの緊張状態で静帝陛下を迎えることとなった。

 輿入れした初夜でさえこんなに緊張していなかった気がする。

 理由は言うまでもなく、昼に突撃してきた春柳のせいだ。

 彼女の言うことは無茶苦茶で、突飛すぎ、おおよそ現実味のないものだった。


「……けど、彼女の話が事実であるなら、わたくしの行動ひとつで漠草の民が救われる……」


 漠草の民が昇陽で職につけず喘いでいるというだけで辛いのに、愛凛の輿入れによって浮き足立った民が遥々漠草からやってきたというのだから、遠因は愛凛にあるということになる。

「民が勝手にやったこと。私は知らない」と切り捨てられるほど愛凛は非情ではない。


「頑張るのよ、愛凛。今こそ漠草の民を背負う者として、妃としての振る舞いをする時だわ」


 輿入れから二年。妃としての仕事を何もしていなかった愛凛だったが、ついに行動を起こす時が来た。

 愛凛の宮へやってきた静帝陛下は、本日も麗しい佇まいだった。

 漆黒の髪は闇夜のように黒く濡れ、その下で輝く金の瞳はまるで満月のように力強い光を放っている。

 静帝陛下は細く、逞しさには欠けているが、補って余りあるほどの美しさを有していた。

 美しすぎて眩しい。

 普段であればお姿の美麗さにときめくのだが、本日は別の意味で動悸が止まらなかった。

 愛凛は輿入れ時に叩き込まれた宮廷式の挨拶で静帝陛下を迎え入れた。


「静帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。宮へのお越しを心よりお待ち申し上げておりました」

「うむ。久しいが、息災だったか?」


 いつもなら低く落ち着きのある声を聞けば一層胸が高鳴るが、既に最高潮に緊張しているのでどうということもなかった。


「はい。つつがなく過ごしておりました」


 宮の奥へと陛下を案内する。

 卓にはすでに、夕餉の準備が整っている。陛下が席につき、愛凛も向かいに腰掛けた。

 と、卓の上を見た静帝陛下が不思議そうな表情を浮かべた。


「いつもに比べて品数が少ない……?」

「じ、実は、春柳様に、静帝陛下はあまり豪勢なお食事は好まないと助言をいただきまして……食事内容もいつもと変えておりまして、お口に合えば良いのですが……」


 愛凛の声が尻すぼみに小さくなっていく。

 春柳の強い要請を受け、いつも陛下にお出ししている料理より格段に品数が少なく、味付けも薄味に仕上げるように厨師に伝えていた。春柳が。

 止める暇なく愛凛の宮の厨房に入って行った春柳は、そのまま夕餉の献立の一切に口出しをし、あまつさえ味見までし、全てを差配してから良い笑顔で「これで大成功間違いなしです!」と言ってから立ち去って行った。

 天女のように繊細で儚げな美貌を持ちながら、やっていることはけっこう強引である。

 果たして本当に正解なのか、愛凛には全く自信がない。


(そもそも春柳様は輿入れからまだ日が浅く、陛下と共に過ごした時間は短いはず。なのにどうしてあんなにも自信満々なのかしら……そうよ、私の方が陛下についてよほど詳しいはずだわ。あまりの押しの強さに思わず言うことを聞いてしまったけれど、全くの出鱈目(でたらめ)を言っていた可能性も高いのではなくて? もしかして……私が陛下のご不興を買い、破滅するのを望んで仕組んだ……とか?)


 普段と異なる質素すぎる食事は病人食と言っても過言ではないほどのもの。

 おまけに今から愛凛は途方もないお願いを陛下にする予定なのだ。

 突拍子もない事をやったり言ったりすることで、愛凛の評価を下げようとする魂胆なのではないか。

 そんな考えが愛凛の脳裏によぎった。

 後宮というのは権謀術数が渦巻く恐ろしい場所。愛凛とて、他の妃から冷ややかな視線を浴びせられたり、チクリと刺さる言葉を投げかけられたことが一度や二度ならずある。玻璃(ガラス)のように薄い心の持ち主である愛凛はその度心を痛めたものだ。


(春柳様の美しい笑みの下に恐るべき魂胆が隠されていて、私と陛下の仲を引き裂こうとした……? 自分が寵愛を得るために? そして私を後宮から追い出すために?)


 作家・愛凛は、豊かな想像力を駆使してあらぬ妄想の翼を広げてゆく。

 それはもう、どんどんと悪い方向に。

 もはや春柳に小説の内容を褒められたことなど、記憶の彼方に消し飛んでしまっていた。

 己のうちで膨らんだ妄想は現実の愛凛を蝕み、いてもたってもいられなくなり、とうとう声を上げようとした。


「あの、陛下……やはり、食事は別のものをご用意を……」


 しかし驚いたことに、静帝陛下の顔は愛凛が見たことのないほど穏やかで、静かな喜びに満ちていた。


「良い判断だ。最近暑さのせいか食欲があまりなくてな。今日のような献立のほうが嬉しい」


 粗末とも言えるような食事を前に、嬉しいと発言する陛下。嘘偽りなどないように思える。

 まず口につけたのは、羊肉湯。

 いつもよりかなり薄めの味に仕上がっているそれを、陛下はとても嬉しそうに口にしていた。

 続く羊肉水餃子も羊棒骨鍋も、愛凛からすると味気ないとさえ思えるような薄味であるにも関わらず、陛下は美味しそうに噛み締めて食べていた。

 ふと、厨房に踏み入った春柳に言われた言葉が思い出される。


「漠草出身の愛凛様と永安でお育ちの陛下とでは、食べ慣れた味が異なります。まして味覚というのは個人差がとても大きいもの……自分が美味しいと思って食べているものが、必ずしも他の人も気に入るとは限りません。大切なのは相手の反応を見て、相手の好みに合わせた味にすることです」


(春柳様のおっしゃる通りだわ)


 愛凛は反省した。

 故郷恋しさに漠草料理ばかりを出し、陛下に食べることを強要していた自分に。

 それに全く気が付かず、陛下は漠草料理を好いているに違いないと思い込んでいた自分に。

 そして愛凛を説き伏せてくれた春柳を一瞬でも疑ってしまった自分に。


(……私は、まだまだだわ……けど、自覚できたからこそ、今からできることがあるはず)


 膝の上で震える手をぎゅっと握りしめ、ありったけの勇気をかき集める。(のみ)のように小さな心臓だけれど、漠草の民のため、自分にしかできないことがあるのだ。

 小さく深呼吸して気持ちを整えると、ばくばくする心臓に悟られないよう、務めて冷静な声を出した。


「あの……陛下。じつは春柳様より、現在永安に漠草の民が流入してきていると聞き及んでおります」


 陛下の食事の手が止まった。


「あぁ、聞いたか。そうだ」

「私の輿入れを機に流れてきた民たちは、言語や文化の違いから定職に就けず苦しんでいると伺いました。ひとえに、私の責任であると感じております」

「そなたのせいではない」

「いえ」


 愛凛は小さく(かぶり)を横に振った。


「民の苦しみは私の苦しみ。私にも何かできないかと考え、そこで……そこで、こんなものを用意いたしました」


 ここで愛凛は、脇に控えていた女官に目で合図を送る。運ばれてきた小箱を手に取り、蓋を開けて卓の上へと置いた。

 中にはぎっしりと紙の束が入っている。

 陛下が訝しんだ。


「これは一体?」

「私が書いた小説にございます」

「そなたが?」

「はい」


 未だ心臓の鼓動が早いままで、背中には冷や汗が伝っていたが、ここで怯んではならないと愛凛は言葉を続けた。


「漠草の民の窮状を憂いた私が、宮中を舞台にしたためた愛憎推理劇にございます。作中にふんだんに出てくる漠草の文化を読むことによって、昇陽の人々に漠草の良さを伝えたいと考えました」

「だがしかし……つまり、そなたはこれを出版し、昇陽に流布させたいということか?」


 小箱の中の書物に視線をちらりと送った陛下は、即座に愛凛の言わんとすることを看破した。さすが陛下は愛凛と違って頭の回転が早い。愛凛は厳かに頷いた。


「左様でございます」

「妃が小説を出版するなど前例がないぞ」

「ですが、後宮の規則では、妃が何かしらの手段で収入を得ることを禁止しておりませんでした」


 実際問題、愛凛が言っていることは正しい。


「出版しましょう!」と鼻息荒く言ってきた春柳に対し、愛凛も陛下と同じようなことを言ったのだが、「ならば規則で禁じられているかどうか調べましょう」と春柳が言いはじめ、数百に及ぶ後宮の規則を粒さに調べた結果、妃の労働収入が禁じられていないという事実が判明した。


 今までそんなことを考えたり実行したりした妃がいないせいなのかもしれないが、ともかく書いてないならやっても良いのだと考えるのが春柳という人間らしい。


 弱気な愛凛は春柳のごり押しに負け、こうして陛下と交渉の卓についているというわけだった。

 普段なら喜びと癒しの一時である陛下の御渡りは、一転して勝負の場所となっているというわけだ。

 陛下は非常に難しい顔をしていた。

 金の瞳が細められ、形の良い眉が顔の中央に寄っている。


「規則に書いてないなら良いというわけではない」


 そうくると思っていた。愛凛は、春柳とともに考えていた台詞を口にする。


「何も私腹を肥やそうなどと思っているわけではありません。私の書いた小説が売れた暁には、得た収入の全てを昇陽で困窮している漠草の民のために使う覚悟にございます。たとえどのような措置を取るとしても、金は入りようでございましょう?」


 これには陛下も図星をつかれたようで、黙りこくる。

 ややあってから口を開いた陛下は、まだ硬い声音だった。


「よしんば出版したとして、売れる保証はどこにある? 何も生み出さず、ただただ世間の風に流されて静かに消え失せるだけかもしれないのだぞ。その場合残るのは、皇宮への醜聞のみだ」

「本作の面白さは保証いたします。確実に売れることと存じます」

「…………」


 何を言っているのだ、という顔で見られ、愛凛の蚤の心臓が縮み上がった。

 わかる。

 自分でも一体何を言っているんだろうと思っている。きりりとした顔をしていても、心の中では陛下に激しく同意中だ。


 だいたい愛凛は、誰にも見向きもされず燻っている鬱憤を晴らすために本作を書き上げたに過ぎず、言わばただの手慰みだった。

 誰かに読まれるとも、読んでほしいとも思っていなかった。


 そっと心のうちに留めておくつもりだった。


 何がどうして今の事態が起こっているのか、当事者であるにも関わらずまるで理解できなかったが、もはや乗りかかった船だ。船は、春柳という味方を得て、まるで猛烈な追い風の中爆速で進む船のように走り出してしまった。


 もう、止まることも後戻りすることもできはしない。


(やるしかないのだわ。漠草の民の未来がかかっているのだから……!)


 人は愛する誰かのためならば、自分でも予想のつかないほどの力を発揮できると言う。今の愛凛がまさしくそうだった。

 自分の書いた手慰み小説を陛下に向かって「面白いです。売れます」と断言した痛い女になったとしても、愛凛には守るべきものがあった。

 陛下は明らかに困惑した様子でしばし黙り、最後にこう言った。


「……余は、こうした小説の面白さがわからない。なのでまず、皇宮の女官に読ませて反応を見てみよう」

「……ありがとうございます!」


 陛下の寛大な処遇に感謝した愛凛は心から礼を述べた。

 まずは、一歩。

 燻り停滞した後宮生活を送り続けていた愛凛からすると、小さくも大きな第一歩だった。


愛凛ちゃんがんばる

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