寂妃(7)
「ようこそお越しくださいました、陛下」
「うむ。そなたの顔を見たくて、今日一日早く時間が過ぎないかと待ち侘びていた」
「わたくしも陛下にお会いしとうございました。……少々お痩せになりましたか?」
「わかるか? 実はこのところ食欲がわかなくて……」
椅子に腰掛けた静帝陛下は、数日前に会った時より目に見えて疲れていた。肌の色が悪く、皮膚はかさつき、だるそうな雰囲気が漂っている。
「最近は暑うございますものね。食べやすい料理を用意しましたので、お疲れのお体に染み渡ると思いますわ」
卓の上に載った器の蓋を取り外すと、ほこほこと湯気が立ち上る。陛下の表情が緩んだ。
「本日は羊肉薬膳湯、金針菜粥、糖水芝麻糊にございます」
「羊肉とはまた、そなたにしては珍しいものを出したな」
「実は昨日、縁あって寂妃様と仲良くなりまして、漠草料理をご馳走になり味にとても感動したので少しわけて頂いたのでございます」
ここで静帝陛下はわずかに顔をこわばらせた。
「漠草の料理は塩辛くなかったか?」
「たしかに少々塩気が効いてございました。祥国北部は寒いため、体を温めるために濃い味付けにしているんでしょうね。ご安心くださいませ。本日陛下にお出しした料理は幽山風に工夫しておりますので、塩気は控えております」
「そうか」
静帝陛下は明らかにほっとした様子で、匙を手にとり粥を羊肉薬膳湯を口に運んだ。
「これは確かに、漠草の料理とは全く異なるな。入っている具材はなんだ? 食べたことのない味がするが」
「幽山に古くから伝わる、 十全大補湯という名の生薬にございます。人参、黄耆、白朮、茯苓などが入っていて、胃腸の働きを強め、食べ物をしっかりと吸収できるようにして気と血を巡らせ全身に行き渡るようにするものにございます。夏の時期に弱った体にピッタリの湯でございますよ」
「なるほど体が楽になるような味がするな。するすると飲める」
あっという間に湯を飲み干した静帝は次に金針菜粥に手を伸ばした。
「粥が黄金色に輝いている……!」
「金針菜のおかげです。百合科植物の花の蕾を使っているため、香りも良いんです。ほんのりと香るでしょう?」
「確かに……だが食欲を邪魔しない程度のほのかな香りだ」
匙ですくってパクリと一口。
じぃん、と陛下が感極まり、うっすら眦に涙さえ浮かべていた。
「美味い……」
噛み締めるような言葉には、万感の思いが込められていた。
「たくさん作りましたので、心ゆくまでどうぞ」
「うむ」
食欲がなかったというのが嘘のように静帝陛下はパクパクとよく食事を平らげた。
羊肉薬膳湯を三杯、金針菜粥を二杯食べた陛下が最後に甜点に手を伸ばす。すっかり冷めてしまったので温め直したそれは、湯気が螺旋を描いて天井へと昇っている。
「これもまた初めて見る」
「幽山で良く食べられる糖水という甜点の一種でして、黒胡麻を使ったものにございます。黒ごまは『腎を補い、血を養う』食材ですので、疲れた体を労わるのにふさわしいかと思い用意させて頂きました」
「そなたは非常に気が利くな」
「陛下の御身を思えばこそにございますわ」
食養生、医食同源の郷で生まれた春柳からすると、痩せ衰え疲れ切った陛下を見過ごすわけにはいかない。
「他の妃にも見習ってもらいたいところだ。そうだ、寂妃と話したと言っていたな。そなたは寂妃をどう思う?」
「大変奥ゆかしい方ですが、内に秘めている才能は相当なものと感じました」
「ほう。彼女に才能が……それはどんな?」
「そうですね……文を書く才能がおありかと」
「文? 初耳だ」
静帝は顎に手をやると何かを考え出してしまった。
春柳は好奇心が湧いてきておずおずと問いかける。
「あの……寂妃様がどうかなさいましたか?」
「いや、寂妃というより漠草の民がな。こんなことをそなたに話すのもどうかと思うが、実は現在永安、特に昇陽に漠草の民が続々と流入しているのだが、言語の違いから職にありつけず都であぶれているのだ。このままでは定職に就けない漠草の民たちが犯罪に走るか、宦官になろうと皇宮に押し寄せてきてしまう」
「まぁ。漠草で飢饉や疫病が発生して、難民が流入しているのでしょうか?」
「そうではない。寂妃輿入れにより昇陽での商機を見出した者たちが来ているのだ」
「そうでございましたか……」
「ひとまず漠草の民を雇った者に銀をはずみ、言語を教える機関を設置するよう申し伝えているのだが、もう少し何か策が欲しくてな。だが、そなたに相談するようなことではなかった。忘れてくれ」
心底申し訳なさそうな顔をされたが、春柳は自慢の天女の微笑みを見せる。
「陛下の御心が軽くなるのでしたら、いくらでもお話くださいませ。わたくしも何か良い案がありましたら、僭越ながらご進言させて頂きます」
「そなたは誠に良くできた妃だな……! 毎日通えないのが悔やまれる」
「わたくしとしても、心苦しゅうございます」
主に、他の妃たちに陛下に出す食事の改善を計れていないのが。
春柳はうつむいて下唇を噛んだ。
(瑞昌様の説得には成功したけれど、まだ四人もお妃様がいらっしゃる。いえ、焦ってはダメよ。まずは寂妃様とバッチリ仲良くなり、進言するの。昔の偉い人も言っていたではないの。速やかならんを欲すればすなわち達せず、小利を見ればすなわち大事成らず……一つずつ物事を進めていくのよ)
そしていずれ、陛下がどの妃の宮へ渡っても美味しく料理を食べられる日が迎えられるはず。
春柳は顎を上げ、柳の葉が萌えぐ緑の瞳に決意を乗せ、はたと静帝陛下を見た。
「わたくし、かならずや自分の使命を全ういたします。今しばらくお待ちください前」
「! あ……あぁ」
なぜか赤面して視線を反らす陛下。
この時の静帝が「春柳は褥を共にすることに真剣に向き合ってくれている。俺も我慢して待たなければ。頑張れ俺の理性」と思っていたとは露も知らない春柳。
夕餉を終えて会話を交わし、席を立った崇悠。宮の外まで見送る春柳。
扉の前で立ち止まった崇悠は、春柳を見て切な気に瞳を揺らした。
長いまつ毛に縁取られた美しい金色の瞳には、春柳の姿が映っている。
「次はいつ、お会いできますか?」
「……七日後に」
先は長い。今は滋養に満ちて陛下の体にあった料理を食べたので元気そうだが、七日経ったらまた元に戻ってしまうだろう。
辛い。
陛下に付き従ってずっと食事の管理をしたい。
他の妃の分も作るので、各宮の厨房で雇ってもらいたい。
いっそ妃ではなく厨師になるという手もあるかもしれない。あるいは兼業。妃兼厨師。
とてもよい考えだ。
妃兼厨師。
素敵な響き。やりたい。なりたい。
そんなことを考えていたら、陛下の顔が近づいてきた。
「気持ちは、同じだ」
「陛下……」
ということは、妃兼厨師を認めてくれるということだろうか。
期待に満ちた目で見つめれば、静帝陛下はわずかに頷いた。
「しばし待て」
待てば、厨師をやっても良いということだろうか?
なら待とう。あんまり待つのは得意じゃないけれど。
「わかりました」
囁くように言えば、静帝も満足したように微笑む。
そして頬を掠めるように唇を落とされた。
目を見張り静帝を見れば、金の瞳が強気に煌めいていた。
「これくらいは、許せ」
そして踵を返して去ってゆく静帝陛下。
春柳は静帝がいなくなってからもその場にたたずみ続け、唇を落とされた箇所にそっと触れてみた。
わずかに残る、陛下の感触。
「……胡麻がついている……」
甜点作りでこれでもかとすり潰した黒胡麻が、陛下の唇に付着していたようだ。
「人に会う前に気づかれると良いのだけれど」
悶々とした崇悠が自分の宮に戻らず蒼生の私室を訪れ、「お前唇が黒いぞ」と言われるまで、四半刻もかからなかった。




