寂妃(5)
豪快に炙った丸焼きの烤全羊、骨つきの羊を塩で茹でた手抓羊肉、たっぷりの醤油で煮込んだ羊棒骨鍋、羊肉と葱を強火で炒めた葱爆羊肉、とろんとした羹に羊肉と葱と干し豆腐が入った羊湯、羊の出汁で取った湯に削った麺を入れる羊肉刀削麺。
卓の上にこれでもかと載せられた漠草料理の数々に、春柳は胸の高鳴りを抑えられなかった。
「これが、漠草料理なのですね……!」
「気に入ってもらえるとよいのだけど……」
自信なさげにこちらの顔色を伺う愛凛ににこりと微笑みかけ、春柳は箸を取った。
「早速、いただきますわ」
まずはどれからいこうか。見たことのない料理をこれでもかと前にした春柳は迷いに迷ったが、羊湯からいくことにした。
器に品よく盛り付けられた、羊肉と葱と干し豆腐。透明な羹に口をつけると、春柳の体に電流が走り抜けた。
羊から取れた出汁がこれでもかと効いている羹は、人によっては臭みが感じられるだろう。しかし春柳にとっては心地よいものだった。
どこまでも広がる漠草のなだらかな草原がまたしても脳裏に浮かび上がる。
草むらに集う羊たちの体温さえ感じられる。
塩気の強い羊肉の中で、ふわりとした干し豆腐としゃきりとした葱の食感が絶妙なよさを醸し出している。
よい。とてもよい。
しかしまだ、序の口だ。
他にもずらりと料理が控えている。
春柳は次に、烤全羊を攻めてみることにした。
丸ごと炙った羊肉は豪快で、卓の上にでんと載ったそれは凄まじい迫力がある。幽山にはない発想力だ。
女官が切り出す羊肉をわくわくしながら待つ。
骨に近い部位が切り取られ皿に載せられた。箸で上品につまみあげ、一口。
濃厚な醬を纏って香ばしく焼かれた羊肉は、先ほどの羊湯とはまるでことなる旨味と風味に満ちている。
まず皮を噛むとパリリと音を立てるのが良い。
噛み締めるとホクホクと肉がほぐれ、噛み締めるごとに肉そのものの味が感じられる。
漠草の広大な草原をひた走り、鍛え抜いた筋肉により形成されたものだろう。
そうーー春柳には見えるのだ。
この羊が生きて躍動していた時代が。
生命力にみなぎり、大草原を悠々と駆け回っていた姿が。
命を頂くのは尊い。
春流は噛みごたえから羊が生きていた時代に思いを馳せ、命のありがたみを尊びながら料理を平らげた。
「百面相をしながら食べているけれど、味はどうかしら?」
愛凛に声をかけられてまたもや我に返った春柳は、もぐもぐごくんとしてから輝く笑顔を見せる。
「わたくしったら、お料理が美味しすぎてついつい夢中になってしまいました……! 羊肉料理は初めてなのですが、お肉自体がとても濃厚で美味しゅうございますね」
「そう。よかったわ」
愛凛はほっとした様子だった。
他の料理たちもすべて美味しかった。
初めて食べる羊肉料理は春柳の五感を大いに刺激し、大変有意義な時間となった。
大満足だ。
愛凛の怒りが解けてよかったなと思う。
そうでなければとてもではないが夕餉を共になどできなかっただろう。
心から満足している春柳だったが、人の欲というのは際限がない。無礼を承知でもう一つだけ頼みがあった。
「あの……愛凛様にもう一つお願いがあるのですが」
「何かしら」
「厚かましいとは思うのですが、可能であればわたくしに羊肉を分けていただけないでしょうか?」
意外な申し出だったのだろう。愛凛は一重の目を瞬かせる。
「食べたいのなら、ま、また私の宮に来ればいいじゃないの。……本の感想も聞きたいところだし……貴女ならば歓迎してあげなくもないわ」
視線を彷徨わせ、耳を赤くしながら言う愛凛。
「ご提案は大変嬉しく、是非またご一緒させていただきたいとは思っておりますが、そうではないのです。実は、自分でも羊肉を調理したいなと思った次第でして」
春柳の申し出が意外だったのか、愛凛は口をポカンと開けて「……は?」と言った。
「貴女、自分で料理をするの?」
「はい。わたくし料理が大好きです」
「……妃なのに?」
「はい」
春柳がにこにこしたまま答えると、愛凛は我が目を疑うかのように春柳を見つめた。
額に指を当て、困惑したまま息を一つ吐き出す。
「まぁ、趣味なんて人それぞれね……。いいわ。女官に用意をさせるから、持って行きなさい」
「ありがとうございます!」
こうして春柳は愛凛の宮にて生きた雉と愛凛の書いた書物、そして羊肉とを手に入れたのだった。
「わたくしも次回お伺いする時には何かお土産を持って参りますね」
「……楽しみにしているわ」
ふいと視線を斜め下に向けた愛凛が(貴女が来てくれるなら、何も要らないわよ)と思っていることには全く気づいていなかった。




