剛妃(6)
それは、昨夜昼過ぎの厨房での出来事である。
春柳は瑞晶の宮にある厨房にたどり着いていた。
「厨房についたぞ。それで、何をするというんだ?」
「ひとまずわたくし、鶏白湯を食べてみたいのですが」
暗記するほどに読み込んだので、鶏白湯がいかなる料理なのか知ってはいるが、所詮知識があるだけ。
本物を食べたことがない春柳だったので、静帝陛下に出す前に一度食べてみたかった。半分くらいは好奇心に由来している。
「確かに、陛下にお出しするにふさわしいものなのか、春柳殿にも味わってもらった方がいいな。悪いが鶏白湯鍋を作ってくれないか」
厨師は「はい!」と威勢の良い返事をし、さっそく調理に取り掛かる。
「出来上がったらお持ちしますので、部屋でお待ちください」
「いえ。わたくし、作るところから見たい派なので」
春柳はキッパリ宣言すると調理風景を前のめりで観察しはじめた。
(鶏白湯の作り方をこの目でしっかり見なくては!)と意気込んだのだが、鍋を開けるとそこにはもう真っ白な湯が。
「あら……もう鶏白湯はできているのね」
「仕込みに時間がかかるので、前夜から作っておいたものです。本来なら使用人用のものでして、お妃様たちにおだしするような料理ではないのですが」
「かまいませんわ。わたくし、ぜひとも食べてみたいと思っていたものですから」
春柳がにこりと微笑むと、場の空気がたちまち朗らかになった。
「では、仕上げていきます」
「よろしくお願いしますね」
鶏白湯に棗とクコの実、菊の花を投入してから軽く煮込む。
もはや、香りだけで美味しいことがわかるほどの、芳醇な鶏出汁の匂いで厨房中がいっぱいになっていた。
厨師は春柳と瑞晶を見てへりくだった。
「出来上がりましたので、是非ともお部屋へどうぞ。お持ちいたします」
「いえ。味見なのでわたくしは厨房で立ったままで結構ですわ」
「ならば私も春柳殿に倣おう」
「左様でございますか……」
非常にやりづらそうな厨師におかまいなしな妃二人。
にこにこと待つ二人に、器に入った鶏白湯が恭しく差し出された。
器の中に揺蕩う真っ白な湯、浮かんだ黄色い菊の花びらと赤いクコの実と棗の色合いが美しい。
まずは目で楽しみ、それからそうっと口をつけ、ぐっと一口。
「まあぁ………………!」
口の中に宇宙が広がった。
何時間も煮込み、手間ひまかけて出汁をとったことで生まれるまろやかでいて奥深い味わいは、一口飲んだら忘れられないものになるだろう。
鶏の脂肪は一つ間違えれば臭みが出て脂っこくなりがちだが、これは違う。
鶏出汁の味が確かに感じられるものの、どっしりした重みはなく、むしろあっさりと言える。
あっさり、まろやか。
それでいて、コク深く余韻が残る。
棗、クコの実、菊の花から溢れる滋味がまた鶏出汁との相性抜群だ。
体にじんわり染み渡る優しい味。
湯だけでゴクゴクいけてしまう。
「美味……しい……!」
春柳は気がついていなかったが、うっとりした顔で湯を飲んだ春柳を見た厨房の面々は赤面していた。
惚けた顔で春柳を見つめる厨師の手をがしっとにぎる。
ちなみに先ほどから料理を担当してくれている厨師は、四十半ばの女官だ。瑞晶の輿入れに際して遥々陵雲から随伴してきた厨師である。
「このように美味しい湯に出会えたこと、本当に感謝いたします。麻辣料理も美味しゅうございましたが、鶏白湯はまた全く違う魅力がございますね!」
「過分にお褒めいただき恐縮にございます……!」
狩猟民族にふさわしい立派な筋肉を持つ女官は、線の細い春柳に手を握られ至近距離で礼を言われて乙女のようにどぎまぎしていた。
春柳は次に、素早く移動して瑞晶の手を取った。
「瑞晶様! わたくし、一口飲んで確信いたしました。鶏白湯は陛下にお出しするのにふさわしいお料理ですわ!」
「そ、そうだろうか」
「えぇ! じっくり煮込んだことで鶏の旨味が最大限引き出されたまろやかな出汁! たっぷり入れた薬膳食材により生まれ出た滋味溢れる優しい味わい! わたくしはとても感動いたしました。幽山にも鶏出汁で作る羹がございますけれど、それとは似て非成る唯一無二の味! まさに、祥国最高峰に座する静帝陛下のための料理ですわ!」
あまりの春柳の興奮ぶりに瑞晶はやや引き気味だった。
「だが、先にも言った通り、鶏白湯は唐辛子不足で麻辣料理が作れなかった時に生み出された苦肉の策だ。陛下に出すには縁起がよろしくない」
「その件でございますが、簡単に解決可能です。麻辣湯と鶏白湯、一つの鍋で二つを同時に楽しめるようにしましょう」
厨房で春柳が提案した内容を、瑞晶始め厨房の女官たちも理解できなかった。
というか、先ほどから春柳のリアクションが大げさで、誰もついてこられていない。
瑞晶が注意深く尋ねる。
「それは一体、どういう意味なんだ?」
「言葉通りです。鍋を真ん中で区切り、二種類の味を食べられるようにするのです。このように区切れば……」
春柳が鍋の上で優雅に指を動かせば、言わんとすることが瑞晶にも朧げに理解ができた。
「陰陽太極図になる……!」
「左様です。麻辣湯を『陽』、鶏白湯を『陰』に見立てた鍋を出す。これならば堂々と鶏白湯をお出しできますでしょう?」
祥国において陰陽太極図は非常に重要な印だ。
『陽』と『陰』という相反する気が循環することで世界が成り立っているとし、宇宙創造の真理とされている。
(なればこそ、瑞雲にて貴賓をもてなすための麻辣料理を『陽』、困窮した折に生み出された鶏白湯を『陰』と見立てるのも納得がいく……!)
春柳の慧眼に、瑞晶は己の視野の狭さが思い知らされた。
どちらか一方だけの料理しか出してはいけないという固定観念に囚われていた自分では、決して浮かばなかった妙案だろう。
しかも陰陽太極図に見立てた鍋を作って二つの湯を出すとは、見事な案。
「春柳殿は天才だな!」
「わたくしはただ、料理を通して皆に幸せになってほしいだけでございます」
美しい顔に慈愛に満ちた微笑みを浮かべる様は、まさに現世に降臨した天女そのものであった。




