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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第三章

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剛妃(4)

 春柳(しゅんりゅう)は、瑞晶(ずいしょう)の宮でこの上なく楽しい一時を過ごしていた。

 新しい食材、未知の料理との出会いは春柳にとって極上の楽しみだ。

 のみならず、瑞晶は獣狩りの提案に乗ってくれ、さっそく庭に獣を放つよう命じてくれた。

 短刀二本を腰に携えた春柳は、うきうきしながら開始の号令を待っていた。


「準備はいいか」


 はじめに春柳に襲いかかった長槍を携えた瑞晶が尋ねる。


「いつでも問題ございません」

「では、いざ!」


 瑞晶の声に合わせ、わざわざ用意させた銅鑼(どら)を女官が力強く叩いた。

 ごぉぉぉん、という音とともに、武器を携え庭に飛び出す妃二人。女官が後方で呆れ顔を浮かべているのにすら気づかない。


(地の利は瑞晶様にある。瑞晶様の動向を押さえつつ、獲物を見かけたら即座に……動く!)


 衣の裾が足にまとわりつくのもなんのその、長い黒髪を翻して春柳は瑞晶の後を追った。

 ちらりと春柳を見た瑞晶が、グンと速度を上げ、茂みへと突入する。


(こちらの考えを読まれたのだわ。賢いお方……なら!)


 春柳は一度足を止め、周囲を伺った。

 庭は円形で、中央が見通しの良い草地になっており、周囲に木々が植えられている。獲物が潜むなら、木々の影や茂みの中だろう。

 瑞晶が入って行った茂みが揺れる。ギギィ、という獣の鋭い声がした。


「ち、仕留め損ねたか!」

「!」


 瑞晶が仕留め損ねた獲物が茂みから飛び出して姿を表す。

 胴体が灰茶色の毛並み、頭部は白と黒の毛に覆われたそれは。


穴熊(あなぐま)!」


 春柳は即座に武器を構えたが、穴熊の動きの方が早かった。草むらで急停止をしてから方向転換をし、瑞晶も春柳もいないほうへと駆けてゆく。

 春柳は追い縋った。

 しかし、野生の獣の動きは俊敏だ。


(せめて衣が、もっと軽いものだったら……!)


 一応、後宮入りをするということで、春柳は手持ちの衣装の中でも質の良いものを持ってきて身に纏っている。よって幽山での普段着より装飾が多く、布面積も広く、動きづらい。

 衣装のせいでやや走りに鈍さがでた春柳の横を、瑞晶が一足飛びに追い越した。

 旋風が巻き起こる。


「しまっ……!」

「もらった!」


 まだ穴熊と距離があるものの、瑞晶は長槍の柄あたりを握りしめると、大きく振りかぶり、迷いなく投擲した。

 槍が空を切る音がする。

 放たれた槍は庭を横断し、茂みに逃げ込もうとしていた穴熊の首に狙い違わず突き刺さった。

 断末魔の悲鳴を上げることなく穴熊が力なくうつ伏せに倒れ込む。


「よしっ!」


 瑞晶が短く喜びの声を上げる。

 穴熊は完全に絶命していた。


「私の槍さばき、いかがだったか?」

「見事です! わたくしの完敗だわ」


 春柳は心から賞賛を送った。


「しかし春柳殿の足の速さも中々のものだった。私と同じ衣を着ていれば、勝負の行方はまた別だったかもしれん」

「いいえ、負けは負けでございます」

「ふむ。潔く負けを認めるのか。心意気までも高潔だな」


 穴熊に突き刺さった槍を引き抜き、穂先の血を拭う瑞晶。

 長身を丸衿(まるえり)袍衫(ほうさん)に身を包み、頭には幞頭(ぼくとう)を被り、立派な槍を携えた瑞晶の姿は、まごうことなく美丈夫のそれだ。体つきも狩猟民族の姫にふさわしく、なかなかにたくましい。


(きっと長年の鍛錬によって身につけた肉体なのね。素晴らしいわ。……あぁ、それにしても残念。立派な穴熊だったのに……煮付けにすればさぞや美味しいに違いないわ)


 目の前で倒れている新鮮な食材を前に、春柳の好奇心がむくむくと鎌首をもたげる。


「ちなみに瑞晶様の宮では、穴熊をどのように調理するのです?」

「そうだなぁ、麻辣籠包(マーラーロンポウ)などが良いかもしれん。そろそろ陛下の御渡りがあるだろうから、陛下にお出しするのに最適だ」


 春柳の耳がぴくりと動いた。


「麻辣籠包というのは、小麦で練った皮の中に花椒と唐辛子を効かせたひき肉を入れるという料理のことですか?」

「その通りだ。よく知っていたな」


「祥国漫遊喫茶典記」に書いてあり、何度も読み込んだので知っている。

 だが、しかし。


「確かにそちらの穴熊は大層立派な肉付きですので、静帝陛下もきっとお気に召すと思いますわ。ですが……その……失礼ながら、麻辣籠包は陛下にあまり向いてないかと思います」

「なぜだ?」


 瑞晶から明らかに不機嫌そうな気配が漂う。

 自国の料理を否定されて心穏やかでいられる人などそうはいないだろう。

 静帝陛下の威厳を損なわないよう、しかしどうにか陛下の体質に合わない料理をお出しするのは回避しなければならない。

 春柳は言葉を選びつつ会話を続ける。


「……これまで陛下が熱鍋や麻辣籠包をお召し上がりになったことは?」

「何度もある」

「その時の陛下のご様子はいかがでしたか?」


 瑞晶は眉を跳ね上げ、春柳の質問に叩きつけるように答えた。


「無論、喜んでおいでだった」

「真でございますか? 毎回一つも残さずお召し上がりになっていますか?」


 踏み込んだ質問に瑞晶は一瞬不快そうに顔を顰めたが、しかしふと思い至ったように視線を地面に伏せ、顎を指でなぞった。


「いや……言われてみれば、口で言っているより箸が進んでいる様子はなかったな。もしや、陛下は辛味の効いた料理がお好きでない……?」


 瑞晶の鋭い観察眼に、春柳は内心で拳を大きく振り上げて喝采をあげた。


(そうそう! そうなのよ! 陛下は胃腸があまり丈夫でいらっしゃらないから、刺激の強すぎる香辛料をお好みではないの! よく気がついたわ瑞晶様! そして「祥国漫遊喫茶典記」によると、陵雲にはもっと陛下好みの料理があるはずよ!)


「陵雲の料理で、もっと香辛料の少ない料理はありますか?」

「ああ。鶏白湯をベースにした料理も少なからず存在している」


(それそれ! それよ!)と春柳は内心で両腕を振り回して大興奮した。


 鶏白湯は名前が表す通り、鶏ガラや鶏肉を長時間煮込んで作る白濁とした(スープ)。豚や牛とはことなるまろやかな味で、大層やさしく、それでいてお腹に溜まるものなのだとか。


(あぁ、食べたい。けれど今はわたくしの気持ちなど押し隠さなければ)


 涎が垂れそうになるのを根性で押さえ込み、春柳は瑞晶に全力で提案した。


「であれば陛下には、そちらの料理をお出しした方がよいかと!」


 しかし瑞晶はきっぱり首を横に振った。


「いや、それはできない」

「なぜでしょうか?」

「陵雲では昔から、目上の者や賓客には麻辣を出すというしきたりがあるからだ」


 瑞晶は語る。

 北東部に位置し、険しい山々に囲まれた陵雲は夏でも肌寒いほどの気候で、冬ともなれば雪が降り積もり凍えるような寒さが身体を芯から冷えさせる。

 そんな場所であるからして、住まう民たちは少しでも暖を取るために古来より唐辛子や花椒の効いた料理を食べて過ごしてきた。

 季節の折々に触れて麻辣料理を作り、食べ、祈りを捧げる日々。

 客人が来たとなれば「このような寒い場所によくお越しくださった」という歓迎の意味を込めて麻辣料理を出す。


「だから私が麻辣料理を陛下にお出しするのは、陵雲(りょううん)の民を代表しての感謝と歓迎を意味している。鶏白湯は香辛料が用意できなかった時に生み出された料理で、貧民救済の意味合いが強い。そんなものを陛下にお出しするなど、私の矜持が許さない」


 瑞晶は拳を握りしめ訴えた。

 眼差しは真剣で、春柳は気迫に押されそうになる。


(わかる。わかるわ。食とは文化。国を表す存在証明(アイデンティティ)そのもの。幼少期より言われたことに背くのがどれほど苦しいことなのか。まして瑞晶様は陵雲を代表して皇宮に輿入れしてきた身……けど)


 春柳はキュッと眉を細めた。

「そうなのですね」と同意するのは容易いが、それでは何の解決にもならない。

 わかりみは深い。

 でも同情するだけではダメなのだ。


(なぜならば……麻辣料理はどう考えても、陛下のお体に合わないお料理だから!)


 こんなにも香辛料の効いた料理を食べたら、陛下の胃腸が一発でダメになるだろう。そりゃあげっそりもするというものだ。


(しっかりするのよ、春柳。あなたに課せられた使命を思い出して!)


 瑞晶の眼差しに負けじと、春柳も顔を上げまっすぐに瑞晶を見つめた。


「瑞晶様のお気持ちはよくわかります。祖国の料理に込められた歴史や思いは、大切にすべきもの。ですがわたくしには、もっと大事なものがあると思うのです」

「もっと大事なもの? なんだそれは」

「食べる相手を思いやる気持ちです」


 春柳がズバッと言えば、瑞晶は意表をつかれたようにわずかに目を見開いた。

 すかさず春柳がたたみかける。


「わたくしは、料理というのは作り手や用意をする人間の気持ちを一方的に押し付けるものだとは思っておりません。食べる方へ配慮をすることも、大切なこと。陛下が麻辣料理に対してあまり箸が進んでいない様子なら、おそらく陛下のお体に料理が合っていないのです。違うものを出してみても良いのではないでしょうか?」

「だが、しかし……」

「瑞晶様、永安(えいあん)のお料理はどのように思いますか?」


 突然、それまでの話とはまるで違う質問をされた瑞晶は、キョトンとしながらも考えてくれた。


「まあ、豪華ではあるが、少々脂っこすぎるというのが本音だ。何でもかんでも揚げてから味付けしているようだから。式典や儀式の折には口にするが、普段から食べたい味ではない」

「であれば陛下も、似たような感想を陵雲の料理に対して抱いているのではないでしょうか」

「…………! そんな、馬鹿な。陛下はいつでも美味しいと口にして下さっている」

「一国を担う皇帝ですもの、本音を隠してお世辞を言うなんて容易いことですわ。箸の進みがよくないのですから、実際は違う、と考えた方がよろしいかと」


 ずけずけとものを言う春柳に、さすがの瑞晶もやや気を悪くしたようで、細い眉が吊り上がった。しかし春柳はそんなことで怯んだりしない。

 ここで牙を折って歩調を合わせてしまっては、何の意味もないのだ。


「わたくしたち妃は、公務に支障がでないよう陛下を陰から支えるのがお役目。陛下の一挙手一投足を注意深く観察し、優雅な態度に隠された本音を見破ることこそが使命。陛下に気を遣わせるなど、あってはならぬ事態です」


 瑞晶は雷に打たれたかのようによろけ、二、三歩後退し、そして膝をついた。


「確かに……悔しいが、春柳殿の言う通りかもしれない。私は陛下にくつろいでいただくどころか、逆に気を遣わせていた可能性がある……!」


 春柳はうつむく瑞晶に駆け寄り、そっと手を取ると、優しく語りかける。


「まだ挽回の余地はございます。鶏白湯の料理を出しましょう。要は陛下のお体にあった料理を出せばいいという話なのですから」

「だが、しかし……」 


 瑞晶は苦悶に満ちた顔で唇を噛み締める。


「……いくら陛下のためとはいえ、祖国のしきたりを破ることは私にはできない! 教えてくれ、春柳殿。私は一体、どうすればいいと思う……!?」


 穴熊を射止めた時の勇敢な姿から一転し、弱々しくすがるような目で見つめられ、春柳も胸が詰まるような苦しさを覚えた。


(幼少期より教えられていたしきたりと陛下を思う気持ちとで板挟みになって、瑞晶様は本当に苦しんでいるのだわ。わたくしがなんとかしてさしあげなくては……考えるのよ、春柳。きっと双方にとって良い結果となる案があるはずだわ)


 諦めたらそこで試合終了だから。

 だから春柳は、瑞晶と静帝陛下、どちらにとっても納得がゆく最適な答えを見つけるために考える。


(痺れる辛さの麻辣料理。お腹に優しい鶏白湯料理。溶岩のように真っ赤な熱鍋。雪のように真っ白な鶏白湯。赤と白……赤と白……どちらも共通点としては、(スープ)に具材を入れた料理……はっ。そうだわ!!)


 ギュルンギュルンと目まぐるしく動いていた春柳の脳から、ひとつのひらめきが生まれた。

 爛々と目を輝かせ、がっしと瑞晶の手を力強く握る。


「瑞晶様。わたくしを厨房に連れて行ってくださいませ! 良い方法が思い浮かんだと思います!」


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