剛妃(3)
祥国が北東部、陵雲出身の妃瑞晶は、輿入れしてから毎日が退屈で仕方がなかった。
昇陽にある皇宮は雅ではあるが面白みにかけ、変わらない日々が繰り返されるだけ。
他の四人の妃たちも、かしづく女官たちも、瑞晶のことを「野蛮」と称する。
陵雲では一目置かれていた瑞晶の槍の腕は後宮では「まるで獣のよう」と蔑みの対象にされ、勇ましさの象徴であった男装は「妃にふさわしくない」と断じられる。
自己を形成してきた確固たるものが否定されて精神が崩れるほど惰弱ではないが、やる気が削がれるのは間違いない。
そんな日々であったが、静帝陛下だけは違った。
瑞晶の振る舞いや男装を見ても「個性的でいいではないか」「余は嫌いではない」と言い、にこやかに受け入れてくれる。
救いだった。
遥々嫁いできた甲斐があったと思った。
静帝陛下は瑞晶を優しく丁重に扱い、決して蔑ろにはしなかった。
それがどれだけ嬉しかったことか。
やや細く頼りない体つきであることが気になるが、補って余りあるほどの美貌と器の広さを見せつけてくれる。
(この方は私が守らなければ)
陛下の手となり足となる覚悟を決めた瑞晶は、体が鈍らないように自己研鑽を積む日々を送った。
狭い後宮内で精一杯体を動かし、腕が落ちぬよう兎を狩る。
しかし、限界はある。
せめて実力が拮抗した人物と訓練が出来れば別なのだが、一人でやるのはどうにも無理がある。
「くそ……!」
それでも諦めない瑞晶の元に、ある日一人の天女が現れた。
纏った衣の質素さとおおよそそぐわない、完成された美しさの顔。
至近距離から放たれた槍の軌道を見切って瞬時に交わす身体能力の高さ。
細くたおやかな体からは想像できないほど鍛えられている。
春柳と名乗った天女は、類い稀な美貌と高い身体能力を有するだけでなく、なんと食事に対しても好奇心いっぱいだった。
陵雲の名物料理熱鍋を、香りだけでどんな香辛料が使われているのか当て、羹を飲んだだけでうっとりとした顔になった。
海鮮に対しても造詣が深く、海老と烏賊を一眼で見抜き、未知の食材を臆せず口にした。
そしてとても美味しそうにぱくぱくと鍋の中身を全て食べてくれた。
嬉しかった。
「鍋に全ての食材を入れるなんて下品」「一つの鍋を複数人で突くなどありえない」「そもそも色味が食べ物とは思えない」など四人の妃にはさんざんこき下ろされ、静帝陛下は直接そのような苦言を口にはしないがあまり箸が進まない様子だった。
食事とは自己を形成する根幹。
日常で郷土を感じさせる最たるもの。
それを全否定されればいくら何でも瑞晶だって傷つく。
だが、春柳は。彼女は違った。
出会った時から浮かべていた、美しいけれどどことなく距離を感じる微笑みが消し飛び、恍惚とした表情があらわになった時瑞晶は確信した。
彼女は心から熱鍋を味わい、楽しんでくれているのだと。
後宮にきてから対等に話せる家族も友人もおらず、どことなく寂しい思いを抱えていた瑞晶だったが、春柳と鍋をつつくひと時はとてつもなく楽しかった。
後宮事情に明るくない彼女のために、色々と教えてあげるのもやぶさかではない。
後宮とは女の園。
華やかに見えて、裏ではドロドロとした愛憎劇や駆け引きが日常茶飯事の魔境。
そして残念ながら、後宮という魔境では瑞晶が培ってきた武芸の術は通用しない。
ここで必要なのはーー情報だ。
五人の妃の話に真剣に耳を傾けた春柳は、最後にこう言ってくれた。
「瑞晶様、わたくし、こう見えて武芸に心得がございます。もし瑞晶様さえよろしければ、手合わせなどいかがでしょう。それに、一緒に兎狩りや雉狩りなどが出来れば、一人よりも楽しいひとときが過ごせるかと思います」
そんな、そんな提案をしてくれるのか。
後宮にあって、まさか手合わせを申し出てくれる妃がいようとは……!
瑞晶は一も二もなく頷いた。
嬉しさに胸が張り裂けそうだった。
そして今、二人は、二人が出会った庭に出て、得物を手に対峙している。
瑞晶は背丈ほどもある棒、春柳は肘から手のひらほどの長さの短い棒を二つ。
向かい合う両者の顔は真剣だ。
さわさわと木が揺れて、木の葉が舞い落ちる。
見合ったままにしばし動かず機会をはかっていたが、先に動いたのは瑞晶だった。
「ゆくぞ!」
地を蹴り、春柳に一足飛びに近づく。
(まずは、小手調べ)
長さがある分、瑞晶の方が有利だ。
右腕に速度を乗せて突きを繰り出すが、春柳は何なく避け、迎撃のために突っ込んでくる。
(懐に入られたら終わりだ)
距離を詰められないように春柳めがけて素早い突きを繰り出し続ける。
左右の手に持った短棒で瑞晶の長棒を器用に防ぐ春柳。
(速度重視の軽い攻撃では、いなされる……なら!)
瑞晶は持ち方を変えた。
柄の先端部分ではなく、中程を持つと、ぐぐっと一度弾き絞り、春柳の腹部めがけて必殺の一撃を繰り出した。
(捉えた!)
が、春柳は得物を上へと放り投げ、軽く膝を折り曲げると、その場で跳躍した。
あり得ない高さに飛んだ春柳に呆気に取られつい見上げてしまえば、彼女は先に投げていた短棒を掴むと、空中で器用に宙返りをし、瑞晶の懐深くに着地をする。
(しまっ……!)
後方に飛び退ろうとしても既に遅い。
春柳の右手に持った短棒が、瑞晶の喉元に突きつけられた。
同時に、左手の短棒は左胸をピタリと押さえている。
春柳の口元が勝ち気に弧を描き、萌ぐ柳の葉のような翠の目が瑞晶を映し出す。
「勝負あり、ですね」
瑞晶は、ふっ、と喉から息を吐き出した。
「ふっ……ははは! 参った! これほどの手練れとは思っていなかった」
「瑞晶様も、素晴らしい動きでございました」
「幽山に住んでいるのは仙人の一族だと聞き及んでいたが、まさにその通りのようだったな」
「仙人だなんて、そんな大それたものではございません。わたくしはれっきとした人間でございます」
「人間離れした美貌に、無駄のない動き。仙人を名乗るのに十分だと思うが?」
瑞晶の褒め言葉に、春柳は頬を染めてふるふると首を横に振った。
(これほどの美しさと力を持っていながら、傲慢にならず、奥ゆかしさを保っているとは……かなりの人格者だな)
感心した瑞晶は、春柳に手巾を渡した。
「汗を拭うといい。春柳殿の手巾は、さっき熱鍋を食べた時にさんざん使って汚れてしまっただろうから」
「まあ、ありがとうございます」
自身の分の手巾も取り出し、動いたことで流れた汗を拭う。
心地の良い時間だった。
「幽山では短刀使いが主流なのか?」
「獲物を捕らえるために身につける武芸ですので、弓矢も使用します。と言ってもわたくしは、弓矢はあまり得意ではなく……素早く近づき短刀で獲物を屠るほうが得意でございます」
瑞晶は感心した。
「遠くから獲物を射る方が身の危険が少ない。春柳殿は勇敢なのだな」
「そんなことは。ただ、集中力が足りないだけなのでございます」
瑞晶はこの言葉を謙遜と受け取ったが、春柳は真実を言っただけだった。
獲物を遠くから射落とそうとすると、どうしても獲物を捕らえた後どのように調理しようかという部分に思考が飛んでしまい、集中できない。
だから獲物の懐にまで飛び込んで死闘を繰り広げる方が、生きている獲物に集中でき、都合がよいのだった。
そんなことなど毛ほども思い付かない瑞晶は、庭の石に腰を下ろして長棒を肩に担ぐ。
「陵雲でも同じ理由で弓矢を扱う者は多い」
「では瑞晶様も?」
「ああ。とはいえ私も槍術ほど得意ではないが。……そうだ、今度、弓矢の腕も競ってみるか。永安では射礼の儀式もある。これに我々が出るというのも一興かもしれない」
射礼とは年に一度行われる宮中行事で、君臣の秩序や臣下の服属を表す儀式のことだ。
弓矢の腕もさることながら、姿勢、動作、音楽に合わせて弓を射る形式など、礼儀作法が重視されるものだが、それでも的の真ん中に射込めれば一目浴びられる。
これまでは「姫が射礼に出るなど、前代未聞」と言って出させてもらえなかったが、春柳が乗り気になってくれれば二人がかりで後宮の女官を説得できるかもしれない。
(いや、一足飛びで陛下にお願いしてみるというのも良いな)
妃二人が言えば、静帝陛下も首を縦に振る可能性が高い。
瑞晶が射礼参加のための画策を思案していると、春柳の声が耳に届いた。
「それもよいですが、わたくしは獣追いをしとうございます」
「ほう?」
「兎や猪や鹿などを庭に放ち、どちらが先に仕留められるか競い合いませんか? 仕留めた方が獲物を持ち帰り、食材にするという権利付きで」
「なるほど、面白いな!」
瑞晶は目を輝かせて膝を打った。
「早速、獣を放つように女官に伝えよう。おぉい! ここに!」
瑞晶はすぐさま女官を呼び寄せた。
「庭に獣を放て。今すぐだ!」
女官は瑞晶の無茶振りに静かに応じると、早速獣の準備をするべく奥へと引っ込んでいった。




