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皇帝と食妃〜後宮のお悩み解決します〜  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
第二章

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10/70

後宮入内(4)

 スパァンと崇悠(すうゆう)が荒々しく開け放った戸は、自室ではない。

 皇帝の寝所の隣にある霊獣獬豸(かいち)のための宮である。

 戸の先にいた蒼生(そうせい)は、(ながいす)に仰向けに寝そべって何かの書物を読んでいるようだったが、目を上げて突然現れた崇悠にチラリと視線を送った。


「何しにきたんだ? 今日は春柳(しゅんりゅう)のとこで過ごすって、張り切って出かけてったばかりだろうが。フラれたか?」

「フラれてなどいない」

「んじゃなんでそんな欲求不満そうなツラをぶら下げてるんだよ」


 崇悠はすぐには答えず、蒼生がだらしなく寝そべっている(ながいす)まで行くと、投げ出されていた足をどかして隣に座り顔を覆った。


「春柳は……彼女は……まぶしいほどに純粋だ」

「ほお」


 蒼生が書物を閉じ、寝そべっていた体を起こして崇悠ににじり寄る。興味が湧いたらしい。

 つい今しがた起こった出来事を、崇悠は蒼生に微に入り細に入り話して聞かせることにした。

 

 春柳に招かれた崇悠はその日一日を張り切って過ごした。

 春柳との夜の時間を確保するべく猛然と職務に励み、降りかかる面倒な事案を淡々と処理し、万事つつがなく終わらせた。


 宮で待っていた春柳はとてつもなく美しかった。


 磨き上げられた体からはほのかに良い香りがたちのぼり、髪は絹糸よりも艶やかで、身に纏っている衣は上品かつ控えめ。

 化粧を施した(かんばせ)からは、崇悠を迎え入れる喜びに溢れていた。と崇悠はそう解釈をしている。

 招かれた宮の中では既に夕餉の準備が整っており、腰をかければ春柳の口からよどみのない説明が紡がれた。


 本日の夕餉は、蟠桃飯(ばんとうはん)粉骨魚(ふんこつぎょ)冬瓜干貝(とうがんばんぺい)というらしい。


 どれもお目にかかったことのない料理で、見るからに胃腸に優しそうだった。

 まず、脂でてらてらしていない。濃すぎる惣酢(ソース)によって元の具材が何であったのかわからないほど茶色くなっていない。

 それだけでとても嬉しい。


 品数が三品というのは常日頃の食生活を鑑みるとあり得ないほど少ないのだが、胃にそぐわぬ料理を大量に並べ立てられるよりよほど良い。

 そして出された品々は、全て計算され尽くされたものだった。


 蟠桃飯(ばんとうはん)はまず、名前が良い。

 蟠桃というのは神が身が住まう地にあるといわれる桃樹で、伝説の仙女西王母が食べた仙桃を指す。

 此度の後宮入りを寿ぐかのような淡い桃色の飯は、名前だけでなく、味も一級品であった。

 桃を炊いた飯というのは初めて食べたが、味はくどくなく、色合い同様ほんのりとした桃の風味が感じられる上品な一品だ。


 粉骨魚は文字通りに、骨が粉のように儚くなるまで煮込んだ鯉の煮付けだった。

 おそらく「身を粉にしようとも貴方にお仕えする所存です」という春柳の暗喩だろう。入内した妃たちの中には、同様に料理で己の覚悟や意志を伝えてくる者がいた。

 ほろほろと舌の上でほぐれて消えてゆく骨にまで味が染みていて、非常に手間暇をかけたのだということがわかる。味は、骨まで煮込まれ崩れゆく鯉同様、繊細なものだった。


 冬瓜干貝(とうがんばんぺい)

 冬瓜の表面に施されている龍の彫り物に度肝を抜かれた。

 一口大に切られた菱形の冬瓜に龍を彫るなど、並の細工師にさえできない芸当だ。春柳は相当器用に違いない。

 さらに龍を選ぶあたり、春柳の祥国への造詣の深さを感じさせる。

 龍自体は市政の民でも知っている神獣だが、造形の細やかさに春柳の腕前を感じさせる。

 書物を読み解き歴史に精通し、神話時代まで理解していなければあのように見事な龍は彫れないだろう。

 一見すると地味な(スープ)が彫り物によって見事に昇華されていた。


 もちろん味も良い。出汁が染み込んだ冬瓜は口当たりまろやかで、非常に食べやすいものだった。

 他の妃たちならば「このような食事は病人が食べるもの。陛下の口にいれるなどとんでもない!」と言って崇悠の目の前から取り上げてしまうだろう。


 だが崇悠が求めていたのは、まさに春柳が出してくれた料理なのだ。


 卓が沈むほどに皿数の多い豪勢な料理も、丸焼きにした鳥や豚でも、とにかく一度油で揚げる過程を挟む料理でもない。

 そうした料理が威厳を保つことも、貴賓のもてなしに必要なことも重々承知しているのだが、妃と二人で食べる時にまでそんなものを食べなくても良いではないかと思う。

 胃に優しく、食べられる量を、出してくれればそれで良い。

 無理して笑みを浮かべながら体に合わない食事を詰め込む必要がないというのは、なんと安らぐことなのか。


 おまけに会話まで心地よいときた。

 春柳の問いには嘘をつかなくても良いのだ。己の嗜好をそのまま伝えればよかった。

 ところが夕餉に心から満足した崇悠が「明日の朝の食事も楽しみにしているぞ」と言うと、それまで淀みなく動いていた春柳の体がピタリと硬直した。

 一体どうしたのかと訝しむと、眉はへにゃりと垂れ下がり、萌ぐ柳の葉のような翠の瞳でこちらの意を乞い願うように見つめられ、指に絡めたひと房の髪が揺れる。唇からは自信のない声が紡がれた。


「その……大変嬉しいお言葉でございますが、まだ準備ができておらず……」


 もじもじと、恥じらう様子が愛おしい。

 好いている女子(おなご)にこんな風にお願いをされて断れる男が世にいるのだろうか。


(計算か計算でやっているのか? いや天然なのか……おそろしい……!)

「…………!」


 よもや、そんな恥じらいに満ちた言葉を聞くなどと、思いもしなかった。

 よくよく考えてみれば、他の妃たちは皆、崇悠に抱かれる気満々で、入内早々子種を欲しがりせがむ者ばかりだった。

 妃たちは崇悠などよりよほど積極的で、夕餉が終わるや否や肩にしなだれかかったり、肌を見せてみたり、言葉巧みに崇悠を誘惑したりと余念がない。

 それが、春柳の態度ときたら、どうだろう。

 朝の話をしただけで、夜を共に過ごすことを想像し、硬直してしまうほどの初心(うぶ)な態度。

 喜びを言葉にしつつも準備ができていないと控えめに言う、奥ゆかしさ。

 準備というのはすなわち心の準備というものだろう。

 春柳のあまりの心の清らかさに打ちひしがれていると、なおも言葉を紡がれる。


「陛下をお迎えするにあたり、わたくしは万全の準備を整えたいと考えておりまして……あ、明日、ではいかがでございましょうか」


 明日。

 明日でいいのか。

 無理をしているのではないか。

 身も心も汚れ切ってしまっている自分が、このように清らかな乙女を性急に抱いていいのだろうか。


(否。いいはずがない)


 春柳の準備が完璧に整うまで待とう。

 そもそも既に後宮入りを果たしているのだ。焦る必要はない。


(急いて春柳に嫌われたくはない)


「春柳……そなたの輿入れを、俺は心から待ち望んでいた。しばらくはこうして、夕餉を共にできるだけで十分だ」


 と言いつつも、堪えきれない欲望が帰り際にむくむくと顔を出す。

 崇悠を見上げてくる春柳は美しい。のみならず、今では可愛らしさまでもが上乗せされている。

 十七歳にして完成された美に、年相応の純真無垢なあどけなさ。

 見つめていたら愛しさが込み上げてきて、思わず顎に指をかけてしまった。上目遣いに見つめてくる瞳にはやましさなど一切なく、やましさの塊と化してしまった自分がひどく穢れた存在に思えた。罪悪感を感じつつ、無意識に顔を近づけてしまう。


(せめて口づけだけでも……いや……そんなことをしたらきっと止められなくなる)


 ありったけの理性をかき集め、鋼の精神力でもって煩悩の一切合切を心の奥深くに閉じ込め、「明日の夜にまた来る」とだけかろうじて言い残し、去って行くのが精一杯だった。

 そして今に至る。


「お前、阿呆だろ」


 崇悠(すうゆう)の切々とした話を聞いた蒼生(そうせい)は呆れ顔でそう断じた。


「何で自分の妃にそこまで気を遣ってるんだよ」

「妃だからこそ、だろう。嫌われたくない!」


 蒼生は眉根を寄せ口を半開きにし、「こいつ何言ってんだ」と目で訴えてきた。

 崇悠は蒼生の胸ぐらに掴みかかり、揺さぶる。


「あんなに純粋無垢な子を欲望のままに抱いたら、罪悪感で俺が死ぬ!」

「だから待つのか? いつまで?」

「彼女の気持ちが整うまで!」

「かーっ。お前の口からそんな言葉を聞くとは思わなかった」


 蒼生は人差し指をぴたりと崇悠の胸元に突きつけた。


「いいか? オレからしたらお前たち人間は、まばたきほどの速さで生まれ死んでいく。待ってるうちにじいさんになっちまうぞ」

「……それまでにはなんとかするさ。だが、今はまだ、時期じゃない」

「ならその欲情しきった顔を引っ込めろ。てゆーかオレんとこじゃなくて他の妃のところに行ってどうにかしてくれば? 喜んで相手してくれるだろうよ」


 崇悠は首を横に振った。


「他の妃たちを代わりのように扱うことは、彼女たちに申し訳ない」

「変なとこで潔癖だよなぁ……じゃあまあ、酒でも飲んで忘れろ」


 蒼生がパチンと指を鳴らすと、控えていた女官たちが酒を手にやってくる。


珠海(じゅかい)で衣を仕入れた時についでに買ったんだ。秀国の新物だぞ! 果物を発酵させて作ったらしいんだが、かすかな甘味が良いんだ」

「お前という奴は、衣だけじゃなく、酒まで買っていたのか……」

「いいだろ。お前の人間じみた愚痴を聞いてやれるのはオレだけなんだ。大目に見ろ」


 うっと言葉が詰まった。

 皇帝である崇悠は、大勢の者に囲まれて生きているが、心を開ける人間は少ない。

 同格の者がいないのだ。かしづかれ、敬われるのが常。皇帝というのは孤独だと思う。

 その点、蒼生は霊獣なので崇悠を皇帝として敬ったりしないし、歴代皇帝に仕えているので造詣の深さは人間と比べるべくもない。

 幼少のみぎりより側にいてくれていたので気兼ねもしない。

 公私共に何でも相談できる良き相手であるのは間違いなく、よって少々羽目を外していても目を瞑ってしまっていた。


「ん」


 差し出された杯を取り、形ばかりかジロリと睨む。


「……新たな衣の購入は、もうなしだぞ」

「へいへい」

「ところで、俺が来るまで何の本を読んでいたんだ?」


 崇悠は卓の上に無造作に置かれた本に目をやった。何やら人物絵が描かれていて注釈がついているようだった。

 蒼生は酒盃を傾けつつなんて事のないように言う。


「祥国服飾流行最先端誌」

「ちっとも懲りていないようだな」

「買おうなどと思っていない! 読んでるだけだ!」


 蒼生の言葉にどうだか、と内心で反論しながらぐいっと飲んだ酒は桃の味がして、春柳と共に食べた蟠桃飯が思い出されて切なくなった。


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>「あんなに純粋無垢な子を欲望のままに抱いたら、罪悪感で俺が死ぬ!」 恋は盲目(伝説的)
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