第39話 地下水
ーーーーーーーーーーーーー
「…うぅーーーーん……」
長い唸り声を上げた私がいたのは八重のお家の畑で、理由は目の前に映る何もない地面のせいだった。
「やっぱり生えてねーな。」
「…そうだね。」
何が生えていないのか、それは一週間前に植えた“虹色きゅうり”のことだった。
(…八重のお家の畑をみんなで耕したのが二週間前で、種を植えたのが一週間前…一緒に植えた普通のきゅうりは全部芽が出たのに……)
欠けたように開けた地面を見つめて再び溜息を吐いた時、後ろからポンと肩を叩かれた。それに振り向くとそこには八重のお父様が中腰になって私達を見つめていた。
「おやつができましたよ!手を洗ってみんなで仲良く食べましょう!」
「あっ、はい…」
思わず元気のない返事をすると、八重のお父様はニコッと元気いっぱいな笑顔を浮かべた。
「オー!そんなに心配しなくても大丈夫でーす!“虹色きゅうり”の種さんは恥ずかしがり屋さんなのでーす!」
「恥ずかしがり屋さん…?」
「そうでーす!だから他の種さんよりすこーし顔を出すのが遅いだけなので信じて待ってあげましょう!」
その言葉と笑顔に沈んでいた心が軽くなった気がした。だから私も笑顔で「はい!」と頷いていた。
「ではお家へ行きましょう!今日は枝豆とコーンのマドレーヌですよー!」
「わあ!マドレーヌ!食べたことあるね!健!」
「そうだな!森で食ったやつもうまかったけど八重の父ちゃんが作ったやつならもっとうまそうだな!」
「…ふふ、お父さんのお菓子は全部美味しいから楽しみだね。」
八重に「うん!」と返して二人と競い合うように横に並んで走り出した。そして縁側に上がり洗面台で手を洗ってうがいをしてから居間へと向かい、いつもの場所に腰を下ろすと手をパンっ!と顔の前で合わせた。
「「「いただきます!!」」」
「どうぞどうぞ!召し上がれ!」
その言葉と共に緑色の方のマドレーヌを口にすると、枝豆の香りと優しい甘さが口いっぱいに広がって幸せな気持ちになった。
「ううううううんん……」
ゴクンと飲み込んだ時にさっきの私より遥かに重々しい唸り声が聞こえてきて振り返るとそこには頭を抱えた八重のお母様が立っていて元気のなさそうな表情を浮かべていた。
「…?大丈夫ですか?」
私がそう尋ねると八重のお母様はニコッと弱々しくも優しい笑顔を返してくれた。
「ええ、大丈夫よ。ただ…ごめんなさいね。」
「どうして謝るんですか?」
突然の謝罪に慌てながらも話を聞こうと思ってそう返すと、八重のお母様は眼鏡を取って小さい布でフキフキと拭いた。
「前に“虹色きゅうり”に必要な物を教えたでしょ?」
「はい。清らかな土と美しい水が必要だって…あっ。」
そこで漸く何故“虹色きゅうり”の芽が出ないのかの答えが分かって思わず固まると八重のお母様は眼鏡を掛け直して頷いた。
「…ええ、そうよ。清らかな土と美しい水…土はおそらく相撲をとったことで条件を満たしているとしてももう一つの地下水が手に入らなければ“虹色きゅうり”は育たないのよ…。」
八重のお母様は溜息混じりにそう言うと八重のお父様の隣に腰を下ろした。
「オー、それは大変です!ですが地下水なら町が管理している井戸がありましたよね?それを使ってはどうでしょう?」
「ええ、私もそう思って町に問い合わせたんだけど観光地として管理してる物だから私的な利用はできないって断られてしまったのよ。」
お母様の言葉に「オーノー!」と天を仰いだお父様に残念な気持ちが込み上げて思わず健を見つめると、健はマドレーヌを頬張って麦茶を飲み込んだ。
「地下水かぁ…オレはそういうの詳しくねーけど、アイツらなら知ってんじゃねーの?」
「あいつら?誰のこと?」
「誰って、馨と透夜だよ。秀はオレと一緒でバカだけどアイツらは頭良いからな。地下水がどこにあるかぐらいは知ってんだろ。」
その言葉に雷が身体中を駆け巡り、次の瞬間には健に思いっきり抱き付いていた。
「すごいよ!健!そうだよね!馨と透夜なら絶対知ってるよね!」
ありがとう!と笑顔で伝えると、急いで八重のお父様とお母様を見上げた。
「あの!少しだけ電話を借りてもいいですか?今すぐ電話したい人がいるんです!」
「オー!いいですよー!たくさん使ってくださーい!」
「ええ、いいわよ。いくらでも使ってちょうだい。」
まるでせーので合わせたかのように同じことを言った二人になんだか胸がぽかぽかするのを感じながらまたお礼を伝えると急いで電話のある廊下を走った。
「美子、アイツらの電話番号覚えてんのか?」
「うん!何回も電話してるから覚えてるよ!」
まずは透夜から電話しようとボタンを順番に押していくとプルルルルという電子音が鳴った。そして二つ目が鳴り終わる頃に『はい、北野宮でございます。』と言う女の人の声が聞こえてきた。
「もしもし!あめ…あ、あの、天地美子です。透夜くんいますか?」
八重達に聞こえたらまずいと慌てて小さい声で本名を名乗ってから用件を伝えると電話の向こうの女の人が『少々お待ちください』と言った。そしてしばらく待つとコトッという受話器を持ち上げる音が聞こえた。
『お待たせして申し訳ありません。ただいま確認して参りましたところ、次期当主様は玄聆山にて水隠の修行中とのことでお電話に出ることはできません。』
「あっ…そ、そうですか…」
そう言えばそんなこと言ってたなと落ち込みながらも頬を染めると「ありがとうございました」とお礼を言って電話を切った。そして次に馨のお家の電話番号を押すと同じように『はい、南門でございます』と言う男の人の声が聞こえた。だから私も同じように自分の名前を名乗ってから馨に変わってくださいとお願いした。そして、暫く待っていると電話の向こうから『もしもし?』と優しい声が聞こえてきて笑みを浮かべた。
「馨!良かったぁ!お稽古大丈夫?」
『うん、ちょうど休憩の時間だったんだ。それより、こんな時間に電話だなんてどうしたの?』
気遣わしげな声にすぐ近くで見つめてくる健と頷き合うとゆっくり口を開いた。
「…あのね、実はちょっと困ったことになってて馨に教えて欲しいことがあるの。」
『困ったこと?…うん、僕に答えられることなら何でも答えるよ。』
頼もしい言葉に少し安堵して小さく息を吐いて言葉を紡いだ。
「…実はね、この前話した“虹色きゅうり”のことなんだけど、育てるのに清らかな土と美しい水が必要だって言ったでしょ?」
『うん、それで相撲を取った畑で育ててるんだよね?……なるほど、困ったことって言うのはもう一つの美しい水のことかな?』
さすが馨だと感心しながら「うん」と答えると、その美しい水について話し始めた。
「八重っていうわたしの友達のお母さまがね、“虹色きゅうり”の伝説を調べたら美しい水っていうのが地下水のことだって分かったの。でもね、神ヶ森町にある井戸の地下水は観光地として管理してる物だから使っちゃダメなんだって。それでその…他に地下水があるところってどこか知らない?」
馨なら知ってるはずだと思いながらも知らないって言われたらどうしよう…と不安を抱きかけた時、電話の向こうで馨が笑った。
『そっか、それは大変だね。でもそれなら簡単に解決できそうだよ。』
「…えっ!?ほ、本当!?」
その言葉に慌てて受話器を耳にぎゅっと押し当てると、馨はクスクスと可愛らしく笑った。
『うん。前にも話したと思うけど、神ヶ森町には自然のもので管理がされてない北上山の地下水が湧き出ているところがあるんだ。』
「前にも話した…?」
いつのことだろと首を傾げて考えていると、今度は意地悪に笑う声が聞こえてきた。
『そう、だいぶ前にね。それに、その場所については美子の方が詳しいんじゃないかな?』
「か、馨よりわたしの方が詳しい場所なんてあるのかな…?」
私がそう言うと馨は『うん』と笑ったきり何も言わなくなってしまった。それに仕方がないからこの町の私が詳しい場所を思い出してみることにした。
(…詳しい所って言ったら、まずは天地神社でしょ?あとは健のお家の青龍神社に、佐藤のおじいちゃんのお店の「はなのえん」、あと木下さんの木工屋さんに、商店街…あとあと、学校と図書館と公園……あっ、最近行ってないけど森もー…)
そこまで思い出して突然ぴかーんと頭を閃光が駆け巡るようにある景色が思い出された。そして思わず「あーーー!!!!」と大声を上げてしまった。
「うおっ!?び、びっくりしたー…」
「あっ!ご、ごめんね!健!」
近くで私を見守っていた健に謝るとまた受話器の向こうから鈴が転がるみたいな綺麗な笑い声が聞こえた。
『思い出したみたいだね、美子。』
「うん。でも、勝手に使って良いのかな?」
『管理されてないものだし、特に注意書きがあったり条例に記載があるわけじゃないから汚したり景観を損なうようなことさえしなければ勝手に使っても大丈夫じゃないかな?』
条例まで知ってるなんてすごいなぁ…と感心しながらその言葉に胸を撫で下ろすとにっこり笑顔を浮かべた。
「ありがとう!馨!早速今から行ってみるね!」
『ふふ、お役に立てたなら良かったよ。でも落ちたりしないように気を付けてね。』
「うん!休憩中なのに電話してごめんね!お稽古頑張ってね!またね!」
『うん、ありがとう。またね。』
そう挨拶し合って受話器を置くと、健と一緒に廊下を走った。そして、八重達のいる居間に着くと浮かない表情の八重のお母様ににっこり笑顔を向けた。
「八重のお母様!大丈夫です!使っても大丈夫な地下水見つかりました!」
「あら!本当!どこにあるのかしら?」
「えっへへ!それはですねー…」
よくぞ聞いてくれました!と得意げな表情で私は思い出したあの場所について説明を始めたのだった。
………
……
…
「…よっと、着いたぞ、美子。」
「ふぅ、ありがとう、健。」
小さく息を吐いておんぶしてくれていた健の背中から降りる時、空のペットボトルがたくさん入ったリュックがカラカラと鳴った。そしてリュックをどっちが持つかで揉めながら久しぶりに訪れた森の中を歩き始めた。
「…あっ!着いたね!ここ、ここ!この泉!」
…そう、思い出したあの場所というのはこの神ヶ森にある泉だった。
(確か応龍祭りの日にみんなでおにぎり食べようって言った時に馨が教えてくれたんだよね…飲んでもおいしいよって言ったら秀に嫌な顔されたっけ……)
一人で苦笑いを浮かべながら健と持ってきた空のペットボトルに泉の水を汲んでいた時だった。チャプっという音と共に水面が波打って、何だろうと顔を上げると泉の真ん中に見覚えのあるツルツルの石のお皿が浮かんでいた。
「…もしかして、河童さん?」
私がそう声をかけるとゆっくり顔を出したのは一番背の高い河童の子で、睨むようなジトっとした目で私達を見つめた。
「ん?オマエ今日は一人なのか?あとの二人は?」
『……』
「あ、また相撲をしにきたの?でもごめんね、今ちょっと忙しくて遊べないの。」
『……』
私達がそれぞれそう質問したけど河童の子は答えることなくジーと穴が開きそうなほど真っ直ぐ私達を見つめてきて、私と健は困ってしまった。すると、暫く黙っていた河童の子がゆっくり近付いて来たと思ったら突然私の持っていたペットボトルを叩き落とした。
「わっ!?」
「おい!オマエ何すんだよ!!」
健が庇うように私を抱きしめると河童の子は気にせず健が汲んでいたペットボトルも叩いて倒してしまった。
「っ…!オマエっ!!」
「け、健!」
『…ダメなんダゾ。』
青筋を立てて今にも掴み掛かりそうな健を逆に抱きしめ返した時、河童の子はボソッとそう言った。それに「えっ?」と聞き返すと、河童の子は首を横に振った。
『…こんな水じゃダメなんダゾ。汚いんダゾ。汚れてるんダゾ。そんな水を使っても“虹色きゅうり”は育たないんダゾ。』
「汚い…?で、でも、透き通ってるよ?飲んでもお腹痛くならないよ?」
抱きしめていた腕を下ろしながらそう言うと、河童の子はまた首を横に振った。
『…北上山の“霊石”が汚れてるんダゾ。“霊石”が汚れた山の水は水神様には汚いんダゾ。』
「…北上山の、“霊石”…?」
聞いたことのない言葉に思わず健を見つめたけど、健はさっぱり分からないとでも言いたげに肩をすくめた。
「あの、その“霊石”って北上山のどこにあるの?どんな物なの?わたし達が綺麗にするから教えて欲しいな。」
汚いなら綺麗にすれば良いと思ってそうお願いしたけど、河童の子は北上山の方をチラリと見ただけで何も言ってくれなかった。そして突然ジャブン!と音を立てたと思ったら水の中に消えて見えなくなってしまった。それから暫く経ったけど、私は河童の子の言葉を頭で繰り返しながら泉に広がる波紋をただ見つめることしかできなかった。
ーーーーーーーーーーーーー
そして夜まで考えて考え続けたけど“霊石”とは一体何で北上山のどこにあるのか全く判らなかった。だからお兄様に聞こうと思って部屋まで来たのだけど、明日は休日で団体のお客様がご祈祷にいらっしゃる予定だからかその準備のお手伝いをしているせいで部屋は真っ暗で誰もいなかった。
それにトボトボと肩を落としながら歩いていると電話の音が鳴り響いてきた。何だろうと電話の置いてある廊下を覗くと話しているお手伝いさんと目が合ってこっちおいでと手招きされた。
「ちょうどお呼びに行こうとしていたところでした。北野宮様からのお電話ですよ。」
「えっ、透夜から?」
今日は電話していい日じゃないんだけどな…と思いながら受話器を受け取って耳にくっ付けると「もしもし?」と話しかけた。
『…美子、すまない。俺だ。』
「こんばんは、透夜。どうしたの?」
『…八つ時に電話をもらったと今し方聞いた。故に用件を尋ねたく電話した。何かあったか?』
八つ時って何だ…?と首を傾げつつそう言えば電話してたなと思い出して、馨に聞いたからもう大丈夫と言おうと口を開いた時、相手が透夜であることと今悩んでいることがカチッと組み合って慌てて口を押さえた。
『…美子?』
「ん、あっ!えっと、あのねあのね、さっき電話した時のやつは解決したんだけど、もう一個ね問題があってそれについて透夜に聞きたいの!」
『…問題?何があった?』
「実はー…」
それから今日あったことを一通り話すと、黙って聞いていた透夜が『ふむ』と小さな声を上げた。
『…なるほど、北上山の“霊石”か。確かかどうかは判らないがそれと疑わしき物の存在は思いつく。』
「えっ!?ほ、本当!?ど、どこにあるの!?どんな物!?」
もっと詳しく聞きたくて受話器をグッと耳に押し当てると透夜はまた『ふむ』と言った。
『…俺の知り得る情報は不確かなものであり、行くまでの道が獣道であり危険なこと、また地図の読めない美子に口頭での説明は非常に難解であると判断する。故に電話での情報提供は控えたい。』
「だ、ダメってこと…?」
そんなぁ…と落ち込みかけた時、電話の向こうで透夜が『いいや』とそれを制した。
『…情報提供を拒否したわけではない。』
「えっ…?で、でも控えたいって…」
『…ああ。だがそれは“電話による口頭での説明を控える”というものだ。』
「…??む、難しいな…」
聞いても理解できない言葉に思わず頭をポコっと叩くと、透夜はクスッと笑った。
『…案ずるな、明日になれば分かる。』
「へっ?あ、明日?何で明日??」
更に分からなくて変な声でそう聞くと透夜はまた小さく笑った。
『…さあな。…もう休むといい。おやすみ、美子。』
「えっ!?ちょ、ちょっと透夜!?あっ!お、おやすみ!」
強引に終わらせた透夜に驚きつつも何とか挨拶をすると、小さな笑い声を最後に電話が切れた。
「…な、何なのぉ!もぉ〜お!!」
なんだか弄ばれたみたいな気分になってちょっとでも鬱憤を晴らそうとその場でジタバタしてしまった。戻し忘れた受話器から聞こえるツーツーという音がそんな夜の闇に溶けていったのだった。
続く…




