第28話 救済
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「…美子!!大丈夫ー…」
…草の陰から飛び出して雪の上に着地した健がそう言った瞬間、大木が倒れたような大きな音と振動、そして雪煙が舞い立って私達を襲った。
「………うっ…」
「!!み、美子!大丈夫、か…」
襲いくる冷たい雪煙の中でも私の小さな呻き声が聞こえたのか、雪から私を庇ってくれていた健がバッと顔を上げた。そして腕の中の私を見た瞬間、驚いたような表情になって言葉を失った。
「……あっ……い、たい……やめ、て…うた、ないっ、でぇ…!たす、けてぇ…!!」
…逃げ出せたのはいいものの、手の平から体内へ流れ込んだ妖気…猪達の最期の記憶に蝕まれたままの私は、自我を失ってガタガタと震えながら涙を流し助けを求めていた。
「み、美子!!しっかりしろ!!もう大丈夫だぞ!!」
「…いや、いや……もうっ、やだぁぁあぁっ!!」
「美子っ!!」
健の叫び声と私の悲鳴が聞こえたのか、舞い立つ白い雪煙の中から馨が現れて走って私達の元へやってきた。
「健!一体何があったの?!どうして美子はこんな状態に!?」
「オ、オレにも詳しいことは分かんねーよ!!ただ、さっき猪笹王の首のとこで急に手が離せなくなって、そんで、その手から妖気が流れ込んだんだと思う。」
「妖気?猪笹王の?彼の妖気は幻覚か何かを見せるものなの?それともー…」
「く、詳しくは分かんねーって言ってんだろ!!オレに聞くなよ!!」
イラついたような健の大声がまるで吠え立てる犬の鳴き声のようで、今度は私の足を噛みちぎる犬の姿が頭の中に映し出されて左足に走る激痛に悲鳴を上げてしまった。
「み、美子っ…!!くそっ!!透夜はどこだよ!!」
苦しみもがく私に耐えかねたのか、秀が現れるのを待たずに透夜を見つけに行こうとする健に「待って」と冷静な声を掛けたのは馨だった。
「何だよ!!邪魔すんー…」
「…健、僕に少し美子を預けてくれないか?」
恐怖すら感じる冷静な声にあれだけ苛立っていた健も少し落ち着きを取り戻したのか、大量の汗と涙を流しながら不規則な呼吸を繰り返す私を見つめた。そして、意を決したような目を馨に向けると私をゆっくりと馨に預けた。
「ありがとう。…美子、ちょっと借りるね。」
そう言うと、馨は私の上着のポケットから一枚のお札を取り出した。それはさっき透夜からお守りとしてもらったもので、そのお札を強張った私の手に握らせるとギュッと強く抱きしめた。
「…祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸わえ給え…」
馨が私の耳元でその言葉を丁寧に三回繰り返すと、握っていたお札が温かくなって身体の中で暴れていた妖気が遠ざかる悪夢の景色と共にゆっくりと消えていった。
「…美子?大丈夫か?」
「…グズッ…うん、もう大丈夫。ありがとう。馨、健。」
心配そうな表情を向ける健と妖気を祓ってくれた馨にお礼を言いながら離れると、乱れた呼吸を整えるために深呼吸をした。するとその時、背後で雪を踏む音が聞こえて振り返ると、頭を犬の式神にカプッと噛まれて不機嫌そうな秀と子犬を持つように襟首を掴まれて不愉快そうな表情を浮かべる透夜がこちらを見つめていた。
「…しゅ、秀、何で透夜をそんな持ち方するの…」
「はぁーー…何?もう終わってんじゃん。無駄足食ったんだけどー。…まあいいや、折角捕まえたしちゃんと診てもらえば?」
私の質問は無視してそう言うと、持っていた透夜をこちらへ向かってポイっと投げた。
「わわわっ!と、透夜!大丈夫!?秀!!そんなことしちゃダメでしょ!?」
「はあーあ、何のためにこいつと闘ってここまで連れてきたと思ってんだろーねー。てかお前もさー、式神とかどんどん出して手こずらせないでよねー。」
相変わらず私の言葉を無視して頭に噛みついている犬の式神をポイっと投げ捨てると雪の上に寝転んで愚痴をこぼした。そんな秀に、透夜は肩にかかった雪を払いながら鋭い視線を送った。
「…貴様が何も言わずに殴りかかってきたからに決まっているだろう。その姿に猪笹王の妖気に当てられたと推測し、式を放ったまでのこと。美子に異変が生じていると先に聞いていれば俺も争いはしなかった。」
秀の愚痴にそう返すと、透夜は私と向かい合って新たなお札を取り出し右手の人差し指と中指に挟んで口の前に置いた。そして左手の人差し指と中指でおでこ、鼻、口、耳、お腹をツン、ツン、ツンと触った。
「…六根清浄、急急如律令。」
透夜がそう言った瞬間、体が羽でも生えたかのように軽くなって気持ちも明るくなったような気がした。
「ごめんね…やっぱり僕の略拝詞じゃ祓い切れなかったんだね…。」
「…いや、謝ることはない。この札は【玄武】に伝わる特別な札だ。寧ろ【朱雀】の身でありながらここまで浄化できたのなら上出来だろう。」
申し訳なさそうな顔をしていた馨だったけど、透夜のその言葉に少し照れたような安心したような笑みを浮かべた。一方私はというと、何だか聞いたことはあるけど難しい言葉の登場に健と二人で首を傾げていた。すると、その時だった。
『…ピギィッ!?!?』
甲高い鳴き声が突然響き渡って振り返ると、葉っぱの生えた大きな岩のような物がむくりと起き上がった。そして耳をピクピクさせるとこちらを振り返って私達を見下ろした。その一つ目の顔に一瞬で肝が冷えた。
(…い、猪笹王だ…猪笹王が…起きた……)
最悪な事態に速まる鼓動が苦しくて思わず動けずにいると、猪笹王は頭をかいて私達から目を逸らした。
『…ンン…?ナンダァ?キョウハヤケニカラダガカルイ……ソレニ、ヤマノクウキモイツモトスコシチガウゾ…ナニガアッタノダ?』
寝惚け眼で辺りをキョロキョロと見渡しながらそう言うと、再び私達に視線を止めた。
『…ワラベガゴニン、ヤマヘハイリオッタカ。キョウハハツカデアルトオヤニキカナカッタノカ?』
「……あ、あの、猪笹王さん。」
『“サマ”トヨベ、コムスメ。ワレハサンジュウノオウデアルゾ。』
「あ、す、すみません!…えっと、猪笹王さま、今日は二十日ではありません、一月四日です。それと、ここは神ヶ森町の北上山です。」
正直にそう伝えると猪笹王様は首を傾げて空を見上げた。
『…フム、タシカニアノソラトコノクウキノニオイハムツキノモノ。シカシ、ナラバナゼワレハココニオルノダ?ノウ?コムスメー…』
空に浮かぶ眩しい太陽を見つめてから私に視線を戻した猪笹王様は何かを思い出したのか、目を大きく開いて固まった。
『…キサマ、マサカ【オウリュウ】ノヒメデハアルマイカ?ソシテ、ソヤツラハ【シシン】カ?』
「…え、あっ、はい!そうです!」
「美子っ!」
また正直に答えたら秀の怒鳴り声が聞こえて来た。そしてその直後に猪笹王様が空に向かって雄叫びを上げた。その声は凄まじく禍々しかったけどどこか嬉しそうに聞こえた。
『ブワァハァッハァッハァア!!ナンタルコト!!マサカカノユウメイナ【オウリュウ】ノヒメニデアエルトハ!!コレデワガシュクガンモカナウノダナァ!!』
狂ったように笑いながらのっそりと立ち上がると、猪笹王様は狙いを定めたかのように私を真っ直ぐ見つめてニタニタと笑った。
「あ、あの!猪笹王さま!!話を聞いてください!わたし達は敵じゃありません!!」
『アア!テキデハナカロウ!!ナゼナラワガチカラトナルクイモノデアルカラナァ!!!』
「美子!!」
そう言って腕を振り上げた猪笹王様に健が私を抱き上げて逃げて、三人も咄嗟にその場を離れるとズドーン!という重い音が振動と共に響き渡った。
『グヌヌ…チョコマカトニゲルナ!ウットウシイ!!』
苛立ちを滲ませた声でそう言うと、猪笹王様は口を大きく開けて雄叫びを上げた。すると、木の影や雪の中、そして口の中からあの小さい身体の欠けた猪達がゾロゾロと現れて私達を睨みつけた。
「ど、どうしよう…!話、全然聞いてくれないっ…!」
「どうしようってもう逃げるしかねーだろ!!」
「さんせーい。不本意だけどなんかもう面倒くさいし、後は大人に任せて遊ぼーよ。」
「うん、僕もそれが最適解だと思うな。」
「…ふむ、ならば他の者が来るまで俺と秀が相手しよう。健と馨は美子を連れて下山しろ。」
「えーーー?俺ぇーーー?やだぁーお前となんてー。」
「こんな時に文句なんか言ってんじゃねーよ!」
「はあーあ?じゃあお前が残れよ、俺が美子連れてくから。はい、ちょーだい?」
「ま、待って待って!!逃げないよ!わたし!」
何か勝手に逃げることになっているから慌ててそう言うと、皆は驚いた表情で一斉に私を見つめた。
「…はあ、また出た。その癖直すって言ったのはどの口ですかー?」
「…美子、美子は優しいから彼を放っておけない気持ちは分かるよ。でもここから透夜の罠までかなりあるし、できることはもう……」
「…馨の言う通りだ。それに、どうやら彼奴が暴れ回ったせいで雪崩か木から雪が落ちたかにより呪縛の術が崩れてしまったようだ。辿り着けても使い物にならないだろう。」
「そ、それでもダメ!逃げない!!作戦…え、えっと、えっとー…」
どうしても諦めたくなくて必死に作戦を考えていると、待ち切れないとでも言いたげに猪笹王様が雄叫びを上げた。そして、再び拳を振り上げた、その時だった。雪が突然風に攫われたよう巻き上がったかと思えば大きな犬のような姿になって猪笹王様の前に立ちはだかった。
『プギィ!?ナ、ナンナノダ!?キサマハ!!』
『…いい加減になさい。猪笹王。』
雪と風が吹き荒ぶ中、冷たく厳しい声が響いて来て振り返ると雪女のお姉さんがゆっくりと歩いて私達の横を通り過ぎて行った。
『…ンヌ?!キサマハユキオンナデハナイカ!アノヤマカラコシテキタノカ?』
恐怖の表情から一変して和やかな表情で親しげにそう話す猪笹王様に雪女のお姉さんは深い深い溜息を吐いた。
『…まさか、私が【応龍】のお姫様の話を貴方にしたことを忘れているなんて…記憶力が乏しいようですね、猪笹王。』
『ヌヌッ?!ナント!ソウデアッタカ!!ナラバソヤツヲトモニクラオウゾ!!』
そう言って私に手を伸ばそうとする猪笹王様にお姉さんは大きめの舌打ちをした。すると、立ち塞がっていた大きな雪の犬が止めろとでも言うように「ガウっ!!」と吠えて威嚇した。それに猪笹王様は怯えたように飛び跳ねてそのまま正座をした。
『…今、何と言いましたか?共に食らう?どなたを?まさか美子様のこと、ではありませんよね?』
『…ナ、ナニヲイウ!!ソノコムスメノコトニキマッテオルダロウ!!ソノタメニワレモオヌシモアノヤマヲハナレテー…』
猪笹王様の言葉にお姉さんがもう一度舌打ちをすると、またあの雪の犬が「ガウッ!!」と吠えた。その声に小さい猪達は震えて猪笹王様の後ろの葉っぱに隠れてしまった。
『…どうやら忘れてしまったようですね。ならば教えて差し上げましょう。私が貴方に【応龍】のお姫様のことを話したのは食べるためではありません。傷を治していただくためです。』
『…ム?キ、キズダト?イッタイナンノコトダ?ワレニハキズナドー…』
そこまで言うと何かに気が付いたような表情を浮かべると、猪笹王様は急に寝転んで背中を擦り付けるように身体を左右に揺らして起き上がった。
『…ナ、ナント!!ジゾウノカケラガナクナッテイルデハナイカ!!ユキオンナッ!!マサカキサマガヌイタノカ!?ガッハッハッハァッ!!ナラバホウビヲアタエテヤロウ!!』
『ふふ、まさか。妖怪の身である私が欠片とはいえ神聖で崇高なる地蔵菩薩様に触れられる訳がありませんわ。』
機嫌の良さそうな表情から一転して混乱したように頭を掻いた猪笹王様は、何か言いたそうに口をモゴモゴと動かしていた。
『そうです。よく考えてください。羽目を外して祠ごと地蔵菩薩様を破壊した貴方が私と共にここへ来た理由を。…さっき言いましたよね?』
『……キズヲナオスタメ、トイッタカ?マサカ、ワレノキズヲナオシタノハ…』
「…あっ!はい!そうです!わたし達です!!」
答えの代わりに向けられた一つ目に素早く自分の手とついでに隣にいた健の右手を上げて何度も頷くと、猪笹王様は信じられないとでも言いたげな表情をして口を開いた。
『ウ、ウソヲイウナ!!コムスメ!!ニンゲンデアルキサマガワレノキズヲナオスナドゼッタイニアリエン!!』
「嘘じゃありません!みんなでお地蔵さまの手とか足とか浄化しながら抜いて傷を治しました!まだ抜いただけで治せてないところとかもありますが、ちゃんと全部抜きました!あと茶色いのも!!」
猪笹王様の大きな声に負けないような大きな声でそう答えると、何故か猪笹王様が驚いたような表情で私を見つめた。
『…キサマ、イマナントイッタカ?チャイロイノヲヌイタ?アシュラノフウインセキヲ?』
「えっと…あ、あしゅらかどうかは分かりませんが、猪笹王さまの首の後ろ辺りに刺さっていた茶色い石は顔が三つの人に切ってもらって健と一緒に抜きました。」
そう詳しく説明すると、猪笹王様は口を開けたまま固まってしまった。そして、暫く口をモゴモゴと動かすとゆっくり開いた。
『…ナゼ、ソノヨウナコトヲシタ?ニオウノジゾウモナク、アシュラノフウインセキモナクナレバワレハジユウノミトナッテシマウノダゾ。オソロシイトハオモワナカッタノカ?』
「…えっ!?そ、そうなの!?自由になっちゃうの?!」
猪笹王様の言葉に今度は私が驚いて思わず透夜を見ると、何かを考えているような素振りをしていた透夜は静かに頷いて口を開いた。
「…今思い出したのだが、かなり前に猪笹王の封印方法についての書物を読んだことがある。そこには「王を山に縛り付ける仁王の地蔵尊と、悪事を罰するための阿修羅の封印石が存在する」と書かれていた。そして美子がそのどちらをも除去したと言うのなら、奴は今「果ての二十日」という縛りから解放された状態であると言えるだろう。」
『……じゃ、じゃあ、わたしはこれから何をすればいいんですか?』
『…あの者を救ってあげて下さい。仁王の地蔵が壊された今、残る封印は阿修羅の物のみ。もう時間がありませんー…。』
…「ニオウ」「アシュラ」という言葉にある闘いの風景と、ある人との会話が瞬時に脳裏に映し出された。それに思わずよろめくとすかさず健が支えてくれた。
「大丈夫か?美子。」
「…う、うん。ありがとう、健。」
そして、その一瞬でさっきの夢の内容を全て思い出した私は、自分がしなければならないことをも思い出して気を引き締め直した。
「あの、猪笹王さま。わたしがお地蔵さまの欠片とあしゅらの封印石を取ったのは、猪笹王さまが苦しそうだったからです。助けたかったからです。…確かに、暴れる猪笹王さまは怖かったですけど、でも今こうしてお話ししてくださる猪笹王さまは全く怖くないです。」
言葉が、思いが届くようにしっかりとした声でそう伝えると、猪笹王様はまた少し俯いて口をモゴモゴと動かした。
『…コワクナイ、ワケガナカロウ。コワクナイノナラ、アヤツラハナゼアノヨウナシウチヲワレニシタァ!!オソロシイカラダ!!ネタマシカッタカラダ!!ダカラワレヲウチ、ウラギリ、ソシテアンナバショにフウジコメタノダ!!』
「さっき、わたしは猪笹王さまの記憶を見ました。最期の…撃たれて倒れるところまで……でも、それと同時に猪笹王さまが畑を荒らすところや人間に襲いかかるところとかもこの目で見ました。そんなことされたら、そこに住む人達は恐ろしかったと思います。…だから、その人達も助けて欲しかったんです、猪笹王さまから。」
私がそう言うと、猪笹王様は怒ったように振り上げた拳で地面を殴った。その揺れにまた健にしがみつくと、猪笹王様は雄叫びを上げた。
『ガッハッハッハァッ!!ソウデアロウ?ソウデアロウナ!!オソロシイカラワレヲウッタノダ!!ニクンデイタカラワレヲフウジコメタノダ!!アワレデミニクイニンゲンドモメガ!!』
「待ってください!猪笹王さま!そうじゃありません!!確かに恐ろしかったけど、でも退治じゃなくて封じ込めたのはー…」
勘違いされてしまったと焦りながら何とか落ち着いてもらおうと大声でそう訴えかけたけど、猪笹王様は怒りが頂点に達したのか、拳を振り上げて真っ直ぐ私へと放った。それに健が咄嗟に私を抱き上げたけど、逃げるよりも先にお姉さんの雪の犬が猪笹王様の腕に噛み付いてそれを阻止した。
『…落ち着きなさい。まだ美子様が話をされていますよ。』
『ユキオンナ、キサマァッ!!ソノコムスメヲカバイダテルトハ、キサマモミニクキニンゲントドウルイデアルトイウコトカ!!』
『確かに、私は元々人間の身でありましたが、美子様をお守りするのは傷を治して頂いたというご恩があるからです。私はこの身を以ってこの方の潔白を証明します。』
『ブハァハッハッハッ!!!ナンダキサマ!!ニンゲンゴトキニホダサレオッタカ!!ツマランオンナメェッ!!』
お姉さんを馬鹿にしたように笑った猪笹王様は、血管が浮かび上がるほど腕に力を込め直した。すると、その腕に噛み付いていた雪の犬に大きなヒビが入ってお姉さんも少し辛そうな表情になった。
「お姉さん!!」
『…美子様、私のことはどうぞご心配なく。例えこの身が砕け散って雪に戻ったとしても必ずお守り致します。』
悲鳴のような声を上げた私に優しくも頼もしい声でそう返してくれたお姉さんだったけど、その表情は険しく余裕のないものだった。
(…ど、どうしよう!どうしたら落ち着いて話を聞いてくれるのっ…!?あの人の、みんなの思いを伝えたいだけなのに…!)
行き違う思いを感じながら何とかしないとと必死に考えを巡らせていると、それまで様子を伺っていた馨が私の名前を呼んだ。
「…急にごめんね。今じゃないかもしれないけど、さっき美子のポケットからお札を取り出した時にこれが一緒に入ってたんだ。」
「これは…お守り…?」
「うん。始めは美子のかなって思ったんだけど美子が持つには色褪せてるし、直した後もあるし、それに、この御守りは僕らとは違う仏様の力を感じるんだ。」
「…仏さまの…?」
馨のその言葉に、夢の最後に見た黒い着物の人の姿を思い出してあることに気が付いた。
「…あ、あーー!!それだ!!あの人それを持ってたんだ!!ありがとう!!馨!!」
大切なことに気付かせてくれた馨の両手を握って上下に振ると、少し驚いた表情の馨の手からお守りを受け取った。そして、いつでも逃げられるように抱えてくれている健の腕から降りると、お守りを持って猪笹王様の下まで走って行った。
「美子!!あぶねーって!!」
「猪笹王さま!!これを見てください!!」
追いかけてきた健の制止を無視して両手の上にお守りを置いて掲げ、大声でそう話しかけると猪笹王様は睨むようにこちらを見た。
『ナンダァ!!コムスメ!!フミツブサレタイノカァ!!?』
「違います!!これを見て欲しいんです!!このお守りを!!」
そう言ってもう一度両手の上に乗せたお守りを見やすいようにグイッと持ち上げた。
『ナンダァ!ソレハァ……ンヌッ?ソレハジゾウノクビニカカッテイタヌノデアロウ。アノヤマにオイテキタハズダガ、ナゼキサマガモッテオルノダ?』
「え、えっと、どうやらポケットに入ってたみたいです。それよりも、これは猪笹王さまのお地蔵さまに着いてたお守りなんですね?」
『ウム、イカニモ。マイトシソレヲムラノモノガハツカノゼンジツニホコラカラモチダシテオルノヲミテイルタメタシカデアルゾ。』
お守りに注意が向いて怒りが少し落ち着いたのか、会話をしてくれるようになって胸を撫で下ろした。
「このお守り、実は猪笹王さまを封じ込めたお坊さまが猪笹王さまのことを願って贈った物なんです。」
『アノクサレボウズガ…?…フンッ!!オマモリトハヨホドワレヲオソレテイタニチガイナイ!!アア、アノカオ!!オモイダスダケデモハラダタシイ!!』
「違います!恐れていたからではありません!!」
『ナゼソウイイキレル!!タカガコムスメニ、アヤツノココロナドワカルワケガアルマイ!!!』
「夢を見たんです!!」
猪笹王様の迫力に負けないように自分でも出したことがないくらいの大声でそう言い張った。すると、少し驚いたのか猪笹王様は次に言おうとしていた言葉を飲み込んで口を閉じた。それに今がチャンスだと思って乱れた息を深呼吸でゆっくり整えてから口を開いた。
「…さっき、みんなで傷を治してる時に夢を見たんです。黒い着物の人…お坊さまがたくさんの人に助けてくれって頼まれてるところ、猪笹王さまを封印するところ、そしてその後のことを。お坊さまは猪笹王さまを石に封印した後、「救えなかった」と泣いていました。それは山の麓に住む人たちのことじゃなくて、猪笹王さまのことだと思います。だから、猪笹王さまの石をお地蔵さまにしてあの山に祠を建てさせたんです。誰にも邪魔されず安らかに眠れるように、人に憎しみを抱かないように、猪笹王さまの心が救われるように。」
『…ワレノ、ココロダト…?ナニヲコンキョニソノヨウナコトヲ…。』
明らかに動揺している猪笹王様の目をじっと見つめると、その瞳の奥で何か震えている物が見えた気がした。それが何なのか、今になって漸く分かったような気がした。
「…前に、お父さまに教えてもらったことがあります。神社のお守りとお寺のお守りは、形は同じでも込められた物が違くて、神社のお守りには「神様の力」が宿っていて、お寺のお守りには「祈り」が込められているんだって。だから、あのお坊さまがこのお守りを猪笹王さまのお地蔵さまの首にかけたのは、麓に住む人達がずっとこのお守りを毎年直して大事にしていたのは、猪笹王さまの心が救われるように祈ったからです。…猪笹王さまも、怖かったんですよね。悲しかったんですよね。人を憎んで生き続けることが、苦しかったんですよね。」
私がそう言うと猪笹王さまは暫く瞬きもせずに私を見つめていた。そして突然、その大きな目から大きな涙を流して吠え出した。…山に響き渡る大きな泣き声は、小さな子供が泣きじゃくるように無邪気で心が自由で軽くなるような不思議な声だった。
続く…




