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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
幕間
62/75

第27話 草陰

※注意


今回、流血表現と暴力的な表現、過激描写がございます。その点につきまして十分にご理解頂いた上でご覧下さい。


また、ご覧になった後の批判、苦情等については対応致しかねますのでご注意ください。


ーーーーーーーーーーーーー






…猪笹王の目覚めと共に訪れた静寂と緊張感に息を殺しながら振り回されて落ちたりしないように、咄嗟に掴んだ葉っぱを握り直して様子を伺った。


『……フグゥゥウー……フゥゥー…フゥー……』


だけど、立ち上がった猪笹王は一度叫んだ後はただ深呼吸を繰り返すだけでさっきみたいに暴れるような素振りは見せなかった。


(…う、動かない…?…疲れてるのかな…何だかさっきよりも苦しそう……と、とにかく、暴れないみたいで良かったぁー…)


背中の葉っぱの中で耳を澄ませて聴こえてきたのは苦しそうな息遣いで、鬼ごっこをしたあの時より悪化しているように思えて心配が募った。だけど、振り落とされることはなさそうなので安心すると、顔を上げてさっきの茶色い物体を見つめた。


(…あれに触ったから猪笹王が起きた、んだよね…?だとしたらあれも傷なのかな…?…あ、そう言えばお姉さんが言ってた傷の位置も首の後ろ(あの辺り)だったような……)


すっかり忘れていたけどお地蔵様の欠片があったのは確かもう少し下の背中の辺りで、雪女のお姉さんが教えてくれた位置とは少し違うことに気が付いて首を傾げた。


(……もしかして、傷はお地蔵さまとは別のもあって、二つあったってこと…?それに、お姉さんが首の後ろの傷だけを教えたのって……ま、まさか、本当は先にこっちを治さなきゃいけなかったんじゃー…)


証拠はないけど猪笹王の悪化した様子と妙に辻褄の合う推測に、悪化したんじゃなくて私達が悪化させてしまったのでは…という考えが浮かんできて、心臓がバクバクと暴れ、嫌な冷や汗が流れた。


(…い、一回落ち着こう!…順番は間違えちゃったかもしれないけど、もし本当にあれが苦しい原因ならすぐ治してあげないと…!)


ズンとのし掛かった罪悪感を振り落とすように頭を横にブンブン振ってもう一度顔を上げると、治すためにはまずあれを抜こうとゆっくり猪笹王の背中を登り始めた。


(…よしっ!到着!そしたら、これを抜いて傷を治そう……ごめんね、ちょっとだけ我慢してね…)


気付かれないようにと慎重に登ったからいつもより少し遅くなってしまったけど、難なく茶色い物体のところまで登って片手で葉っぱにしがみつきながら恐る恐る手を伸ばした。そして、私の手がそれに触れた瞬間だった。


『ウガァッ!?!?ゥウギャァァアァアァア!!!』


「わっ!?」


…やっぱりと言うか、手が触れた瞬間に全身を飛び上がらせた猪笹王は悲鳴のような叫び声を上げると、私を振り落とす勢いで跳ねたり身体をブルブル振るわせたりして暴れ始めた。


「い、猪笹王!!待って!わたしは敵じゃないよ!!暴れないで!おねがー…」


『フギャァァアァアッ!!!』


傷付けるつもりはないのだと分かって欲しくて大声を上げたけど、猪笹王はそれすら気に食わないとでも言いたげに叫んでより激しく身体を振るわせた。


「っ!…いっ!?」


身体があっちへこっちへと振られる衝撃に何とか耐えていると、突然葉っぱを掴んでいた両手に痛みが走った。見ると手の内側が赤くなっていて腕を伝うように血が流れて上着の袖を赤く染めていた。


(…手、葉っぱで切っちゃったんだ……食い込んで痛いけど、でも、絶対離しちゃダメっ…!)


「美子っ!!」


自分を励ますように血で滑る手に力を込め直した時、名前を呼ばれて頭だけ軽く振り返ると葉っぱの外から健と秀が同時に飛び込んできて、私を挟むような形ですぐ隣に張り付き、ぶら下がっていた私の身体を支えてくれた。


「美子!大丈夫か!?手ぇ怪我したのか!?」


「見て分かんない?いちいち確認すんなよ。」


手から流れる血を見て慌てる健と苛立ちを隠せない秀は私のお腹に腕を回すと、とにかく猪笹王から離れようとしているのか私を後ろへ引っ張った。


「…あっ!ま、待って!まだこの傷治してないの!!」


「はあ!?傷?!そんなの後でいいだろ!!」


「後じゃダメ!!猪笹王はもう限界なんだよ!時間がないの!!」


咄嗟に叫んだその言葉は、私の口から出た物なのに何故か他の誰かの言葉のような気がして少し目を瞬かせた。


「だったらまた気絶させればいいじゃん。今美子がここにいる意味なくない?ほら、さっさとその手離してよ。」


「ダメ!!気絶させる前に猪笹王が死んじゃうよ!!それに、逃げるだけでも大変なのにこうやって傷のところまで来るなんてわたし達だけじゃ絶対無理だよ!だから、これが最後のチャンスなの!!」


せめて傷を治すまでは連れて行かないでと頼むように二人の目を真っ直ぐに見つめると、健と秀はチラッと一瞬だけ目を合わせてから険しい表情で溜息を吐いた。


「………分かった、治せばいいんだな?」


「…!うん!そう!!治したらちゃんと逃げるから!!だからお願い!手伝って!!」


「…マジでさぁ、こいつの傷より一度言い出したら絶っ対聞かないその嫌な癖の方を今すぐ直して欲しいんだけど。」


「そ、それは今度ね!でもありがとう!!」


すっごい渋々といった様子だったけど、今すぐ連れて行かれることはなくなったので安心した。そして、葉っぱから片手を離して茶色い物体を指差した。


「健!これ!この茶色いやつ抜いて欲しいの!わたしが触ると猪笹王が暴れて抜けないから!お願い!」


「……?これってどれだよ?何もねーけど…」


「……えっ!?こ、これだよ!健の頭のすぐ上にあるやつ!」


そう言ってもう一度指を差したけど、健は不思議そうに眉を寄せて辺りを見渡すだけでその茶色い物体に目を止めることはなかった。


「じゃ、じゃあ秀!ちょっと遠いけど、これ取ってくれる?」


「じゃあって何?俺はそいつの代わりで妥協ってこと?信じらんなーい。」


「えっ、あっ…ご、ごめん!そう言う意味じゃないよ!ただ、その…」


「謝ることねーよ、美子。ただの負け惜しみだろ。」


「…はあ?喧嘩売ってんの?」


ピリッと緊張感の走る空気に、仲良くしようよと言う代わりに睨み合う二人の顔を交互に見つめた。


(こ、こんな時に喧嘩しないでよ……でも、健も秀も見えないってなるとわたしがおかしいの?……でもでも、さっき触った時はちゃんと硬いのがあったんだだけどな……)


二人が触れるどころか見つけることもできないとなると、私だけ何か変な術でも掛けられているんじゃないかとだんだん自信がなくなってきた時だった。カサッと葉の揺れる音が聞こえてきて振り返った瞬間、健と秀が飛び込んで来たのと同じ場所から右目と右耳の欠けた猪が私達目掛けて突進してきた。


「プギィッ!?」


突如現れた猪を蹴り飛ばしたのは秀で、それに安堵の息をつく間もなく物音がして頭上を見上げると今度は猪笹王の頭の方から雨のように猪の大群が駆け降りてくる。


「っ…!」


「秀!!美子を頼む!!コイツらはオレがやる!!」


健はそう叫ぶと、その光景に絶望の息を飲んだ私を少し乱暴に秀へ押し付けて腰に刺していた木刀を手に猪達へと向かって行った。


「健っ!…わっ!?」


離れていく健を見上げて名前を呼んだのと同時に強い力に引き寄せられたかと思えば、秀の蹴りが私の背中ギリギリを通って横から突進してきていた猪に直撃した。


「しゅ、秀っ!大丈ー…」


「うるさい。黙ってこれ掴んでて。」


心配の声にすら苛立つように早口でそう言うと、私の手を掴んで一番丈夫そうな葉っぱを握らせた。そして、私を猪笹王の壁に押し当て覆い被さるとあちこちから弾丸のような速さで現れる猪達を蹴りや拳で退けていった。


(…ど、どうしよう!猪達がここでも襲ってくるなんて…!は、早く治さないと、私がここにいる限り健と秀はこの猪達に襲われ続ける…でも、一体どうやって抜けばー…)


「フギィィィッ!!」


逃げたくても逃げる訳にはいかなくて必死にどうすればいいのかを考えていると、近くから耳を(つんざ)くような鳴き声が聞こえてきた。その直後、私の背中を覆っていた影の温もりが消えて慌てて振り返ると、秀の左腕に噛み付く猪の姿が目に映って青ざめた。


「秀っ!!」


私や秀よりも大きな猪の力が相当強いのか、踏ん張るだけで手も足も動かせない秀の姿に悲鳴のような大声を上げると、噛み付いたままの猪がギロリと不気味な目を私に向けた。思わず向けられた目を見つめると、突然その猪の首の辺りがボコッと盛り上がって大きくなったかと思えば、それに黄ばんだ突起が四本上を向くように生えて裂けるように上下に分かれた。


「っ!?テメェっ…!!」


驚きと焦りが混じった秀の声が聞こえてきた時に漸く4つの牙が生えた猪の頭になったのだと判った。だけど、後ろは壁で避けようがなく、目の前に迫った鋭い牙にただ固ってしまった。


…猪の鼻が頭に触れたその時、微かな風の音が下の方から聞こえてきて、次の瞬間には目の前にあった猪の顔がフッと消えてしまった。驚いた表情で顔を上げた秀に釣られて見上げると、白い顔のない鳥がさっきの猪を鉤爪で掴んで飛び去っていた。


「…美子っ!」


一瞬の出来事に呆然と鳥が飛び去った方を見つめていると、足下の方から名前を呼ばれた。その声に弾かれたように顔を下へ向けると私達の少し下の所で葉っぱの根本に足を掛けて見上げる透夜の姿が目に映った。


「…美子!大事ないか?!…秀、貴様…今のこの状況が把握できていないのか?何故すぐにでも安全な場所へ美子を…」


「…あっ、あー!!と、透夜!これ!見える!?抜いて欲しいの!!」


私から秀に視線を移した透夜の表情と声がみるみる怒りに染まっていくのがはっきりと判って、慌てて顔の近くにあったあの茶色い物体を指差してそう大声を上げた。


「…これ…?これとは何だ?」


「や、やっぱり見えない…?」


そう尋ねると透夜はもう一度私の指の先を見つめて首を横に振った。その姿に意識を秀から逸らすことに成功したのは良かったものの、一番詳しそうな透夜までもが見えないことに肩を落とした。


「…とにかく、ここは危険なため美子は今すぐにでも避難をすべきだ。…幸いにも主である猪笹王が暴走していない今のうちにー…」


さっきの健や秀と同じように逃げようと透夜が提案しかけた時だった。突然秀が私を抱きしめて横に素早く移動したかと思えば、ちょうどそこへ頭上から物凄い速さの影が落ちてきて目の前を通り過ぎて行った。


「ピギィィイッ!!」


「…っ!?」


だけど下にいた透夜には見えなかったのか、私達の横を通り過ぎたそれーー左足の欠けた猪が鳴き叫びながら透夜に襲いかかった。


「…えっ!?と、透夜ぁ!?」


「…あーらら、避けらんなかったんだぁー…カワイソーに。」


耳元で聞こえた愉快そうな声に顔を上げると、イタズラが成功して喜んでいるような笑顔を浮かべた秀の姿が目に映り込んだ。


「しゅ、秀!何で気付いてたなら教えてあげないの!?透夜が怪我でもしたらどうするの!?」


「そんなの知らなーい。俺だって避けるちょーっと前に気付いたんだもーん。わざとじゃなーいもーん。…別に何か勘違いで責められそうになったからムカついた、とかじゃなーいもーん。」


ニヤニヤニコニコと意地悪な笑顔とよく回る口に絶対嘘だと確信してそういうことはよくないと言おうとした時だった。突然右足に痛みが走って強い力に引っ張られ、身体がガクッと落ちそうになった。咄嗟に自分の右足を見ると、小さい子供の猪が私の足首辺りを噛んで引きずり下ろそうとしていた。


「おっと!さっさと離してよっ、ね!」


だけど、身体が落ちるよりも先に秀が私を抱き留めてその猪を蹴り飛ばした。落ちなくて良かったと秀にお礼を言おうとした瞬間、全身にドクンと脈を打つ激痛が走った。


「……ん?美子?」


「…っ、ぅ…んっ……」


全身を駆け巡る激しい痛みに言葉を紡ぐことができなくて、涙を浮かべながら燃えるような痛みを感じる自分の左手を見上げると、その手があの茶色い物体を掴んでいることに気が付いた。…多分、さっき引きずり下されそうになった時に掴んでしまったのだろう。


そして、異変が起こったのは私だけじゃなかった。


『…ウッ!…グゥッ…!!!グィギャァァアァアァアァァア!!!!』


それまで聞いた叫び声とは明らかに違う苦しみに狂ったような悲鳴を上げた猪笹王の身体からは、不気味な赤黒い煙のようなものがそこかしこから溢れ出し始めた。


「…っ、何、これ…気持ち悪っ……美子、さすがに逃げるよ。その手、離して?」


痛みが身体の中で暴れているからなのか、すぐ近くにいるはずなのに秀の声がとても遠くに感じた。だけど何とかこれは伝えないとと思って私は首を精一杯横に振った。


「はぁ…あのねぇ、どう見たってこんなのもう手遅れじゃん。それに、こんなやつよりもっと自分を」


「……っ…ちがっ、うっ…!……はっ、なれ…なっ、いのっ…!!」


「はぁ?何言ってー…」


私の必死な言葉に秀がそう言って痛みのない方の、葉っぱを掴んでいる右手に触れた瞬間、また猪笹王が悲鳴じみた雄叫びを上げた。そして、ゆっくりと身体の向きを変えると重い足音を響かせながら山を下り始めた。


「……下ってる?…こいつ…まさか町を襲うつもりじゃー…」


「美子っ!!」


落ちないように私を抱え直した秀の呟きを掻き消すような大声が聞こえたと思ったら、上から健が素早く下りてきて片手で私の左隣の葉っぱを掴んだ。


「美子!猪笹王が動き……ど、どうしたんだ!?」


痛みを堪える私の顔を見るや否や、秀を引き剥がすように割り込むと鼻がくっ付きそうになるくらいに顔を近付けた。


「……け、んっ…」


「み、美子!何で泣いてんだ!?…おい!秀テメェ、美子に何したんだよ!!?」


「…はあ?お前が勝手にいなくなってからずーっと一人で美子のこと守ってたんだけど。てゆーかお前らさ、何でもかんでも俺のせいにするのやめてくんない?揃いも揃ってウザすぎ、ムカつく、ぶん殴るよ?」


「はあ!?この状況でオマエ以外に誰がいるんだよ!!」


すぐ近くで聞こえる喧嘩越しの声に止めなくちゃと頑張って振り向こうとした時だった。また全身に、ドクンと大きな衝撃の波が押し寄せた。熱を帯びた痛みに顔を歪ませた次の瞬間、犬の激しく吠える声と耳を劈くような大きな音が耳に響き、目の前には血に染まった白い雪の景色が映し出された。


「……うっ…あっ、ああっ!!…いっ…痛いっ…!!あ、熱っ、い…!!」


「…!?美子!?」


さっきまでと比べ物にならない程の痛みと熱が頭や胸、腕や足といった身体のあちこちを絶え間なく襲って堪え切れずにそう叫ぶと、二人はすぐに喧嘩をやめて泣きじゃくる私を抱きしめた。


「み、美子!大丈夫か!?どこがいてーんだ!?…もしかして、妖気か?!なら、今すぐコイツから離れてー…」


猪笹王の身体から溢れ出ている赤黒い煙を見てそう思ったのか、健はその煙から私を逃すために葉っぱを掴んでいる方の手を強引に剥がした。だけど、もう一つの茶色い物体を掴んでいる方の手だけは健と秀がいくら力を込めても離れるどころか動く気配すらなかった。


「な、何だよこれ!?何で離れねーんだ?!」


「っ…そんなのっ、俺に聞くなよ!!」


犬の鳴き声と凄まじい破裂音の響く中で二人の焦ったような声が聴こえた気がして顔を上げると、あの赤黒い煙が茶色い物体を掴む私の手に纏わりつくように集まっては手の平からジワジワと身体へと流れ込んでいるのが、涙で滲む視界の中で辛うじて見えた。そして、これが本当に妖気なら考えられる対処方法は一つだけだと必死に口を動かした。


「……いっ…ぁ……っ、よ、よぅっ、き……あっ、はぁ…っ……と、とう…や……」


荒くなった息の合間に何とかそう紡ぐと、二人は私の言いたいことが解ったのか驚いたような表情を浮かべた。


「…あっ!透夜か!?アイツ連れて来れば良いのか!?け、けどよ!探してるうちに美子が」


「ちっ…!あいつかよ…!健!お前、美子持ってろ!俺が行く!」


さっきとは反対で、今度は秀が健に私を押し付けるとそう言うや否や猪笹王を蹴って葉っぱの外へ飛び出して行った。


「っ、美子!大丈夫だからな!すぐ来るから、オレがいるから、だから、もう少し頑張ってくれ…!!」


飛び出した秀を見送った健はお腹に回した腕に力を込めると、痛みで震える私にそう励ましの言葉を掛けてくれた。そのおかげか少し痛みが和らいだと思った瞬間、ドクンと一際大きな衝撃が身体に打ち寄せた。それに目を瞑って開くと、目の前には枯葉の上に薄く雪が積もった山の景色が映し出された。


『……いたぞ、あれだ…あの背の熊笹……間違いない……』


…不思議なことに、それまでとは違って人の声が聴こえた。そして、私の意思とは関係なく振り向いた少し高い視界の先には毛の羽織と立派な銃を持った男の人と威嚇するように吠え立てる犬がこちらを睨んでいた。


『……山で大人しくしていれば良いものを……村の畑を食い荒らしたばかりでなく、人にまで襲いかかったお前をこれ以上野放しにはできぬ。…覚悟。』


『…フゥギィィイイィィッ!!!』


怒ったような甲高い獣の鳴き声が耳元で聞こえた瞬間、目の前に広がる景色はものすごい速さでその男の人へ向かい始めた。すると、男の人は手に持っていた銃を構えるとその銃口を迷うことなく私に向けた。


(…えっ…)


…銃口が一瞬火で明るくなって破裂音が響いたその直後、身体がグラッと傾いた。その衝撃に振り向くと足が……茶色い毛で覆われた左足が一本なくなっていた。


「………っ!?…あっ…!!…あああっ!?」


足を撃たれたと頭が理解した瞬間、打たれたような切られたような痛みが熱を帯びて私の左足を襲った。


『……ッ…グッ、グギャァァア!!!』


『ワンッ!!ワンッ!!』


ふらつきながらも再び走り出した私に今度は男の人と一緒にいた犬が牙を剥き出しにしながら恐ろしい剣幕で飛びかかってきた。


『プギィッ!!フギィッ!!』


『ガウッ!!ガウッ!!』


体格差を物ともせずに激しい攻防を繰り広げていたけど、左足を失った状態ではそう長続きする訳もなくて、遂には犬の鋭い牙が私の首に突き刺さって骨を折る勢いで噛みつかれた。


「……うっ!!いっ…!!!」


肉を裂く痛みに加えて息のできない苦しさが喉を襲って頭が真っ白になった。だけど、痛みのせいで意識を失うことは許されなかった。


『…フー、フゥッ……フギィィィィイイ!!!』


ぼんやりと荒々しい息遣いが聴こえたと思ったら、悲鳴のような鳴き声の後に真っ直ぐ走り出すと首に噛み付いていた犬ごと大木に体当たりをした。


『キャンッ!』


木と私に挟まれた犬は泣いてるような細い声で吠えるとヨロヨロと立ち上がってある方へと走り始めた。それを追うように私も走り出したその時、木の影から火の爆発とあの破裂音が静かな山に響き渡って、私の右目が頭の半分と一緒に弾け飛んだ。


「…あ、ああああっ!!!」


「美子っ!!」


耳に響いた犬でも破裂音でもない音に視界が、揺れる緑の葉っぱと茶色い毛の壁の景色へと変わった。だけど、それが自分の名前だと解るほどの正気はもうどこにも残っていなかった。


「……ぁ、ああ…や、やめてっ……やめて…いたいっ……だれか、たすけてっ……!」


恐怖と痛みに擦り切れそうな涙声でそう叫んだ時だった。私の手の下にあるあの茶色い物体が突然強い光と風を放ち始めた。



………カシャン……カシャン………



…雲の中にいるかのような柔らかな白い光と微かに花の香りがする風の中で、どこからか光沢のある綺麗な音が聴こえた。


(……なに……この、おと…どこかでー……)


遠くから鳴り響く聞き覚えのある音が弱々しい脈を打つ私の心臓の音と重なった瞬間、白い光の奥から顔が三つ、腕が六つある人間のような姿の人が現れてその凛々しく澄んだ目を私に注いだ。そして、体を捻って大きく腕を振ったと思ったら三つある左手のうち真ん中の手に握られた、先が三つの短剣が私の手を斬った。


(……あ、れっ……いたく、ない……?)


目で追った短剣は確かに私の手を斬ったはずなのに痛みは全くなくて、何となく自分の手を見ると何も掴んでいない自由な手と深いヒビの刻まれた茶色い物体が目に映り込んだ。


『……悟りを求むる者に汝の慈悲と教えを授けよ…其れが救いと為るであろう……』


落ち着きのある堂々とした声に顔をそちらへ向けると、私の手を斬ったその人が真っ直ぐにこちらを見つめていた。すると突然、三つある顔や六つの腕、爪先までの全てに茶色い物体と同じような深いヒビが刻まれて、次の瞬間には粉々に砕けて見えなくなってしまった。


(……いま、なんていったの…?…わからない……でも、きこえる…こえが……たすけてって……)


不思議と痛みも恐怖も感じないこの世界に眠ってしまいそうになったけど、どこからか聴こえてくるその無数の声に私は重い腕を上げて割れた茶色い物体を掴んだ。


「…っ…!ぜったい、助ける…からっ…!!だから、お願いっ…!力をかしてっ…!!」


もうほとんど力が残ってなくてそれを掴むのがやっとの状態だったから、誰にとか考えずにそう叫んだ。すると、小さな温かい手と数珠の巻かれた大きな半透明の手がそれを掴む私の手の上に重ねられた。


…そして、重なった手と一緒にその茶色い物体を引き抜いた瞬間、傾く葉の影から白い雪の光が降り注ぐ外の世界へと連れ出されたのだった。






続く…

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