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『みこがたり』  作者: 朝ノ月
幕間
61/75

第26話 封印


ーーーーーーーーーーーーー






「……ます……か、どうか……!」



(……ん…なん、だろう……?)


突然耳に響いた誰かの切実な声に、いつの間にか閉じていた目をゆっくり開くと白い雪がフワフワと降る林の中に立っていた。


「…あ、あれ…?ここ、どこ…?…あれ?わたし…何してたんだっけ…?」


見覚えのない景色と自分が今まで何をしていたのかが思い出せなくて困惑しながら辺りを見渡していると、誰かが話しているような声が遠くから聞こえてきた。何が起こっているのか分からなかったけど、とにかく誰かに会いたくてその声を頼りに林の中を走ると急に開けた場所に出た。


「あっ、良かったー!町に出られたぁー…」


「お願いします!どうか退治してください!!」


広がる田園風景に人の住んでいる場所に出られたと胸を撫で下ろした時だった。あの切実な声がさっきよりも近くから聞こえきた。驚いてその声の方を振り向くと、建ち並ぶ木造の家々の中でも一際大きな茅葺き屋根の家の前に人集りができていた。あんなに集まって何をしているんだろうと気になって近付いてみると、集まっている人達は皆、お祭りの時みたいに着物を着ていて、その表情は何かに怯えているような青ざめたものだった。


「…あ、あの。どうかしたんです「もう限界なんです!!」


事情を聞こうと近くにいた女の人に向かって声を掛けると緊張感のある叫び声が人集りの中から響いてきた。またあの声だと人集りの中を進んで行くと震えた拳を強く握りしめる男の人の後ろ姿が目に入った。


「…この村の者だけではありません!あいつは峠を越えようとする者を次々と襲い、この村に恐怖という災いを齎し続けているのです!!あいつを撃った猟師はもうここにいないのにっ……我々にはもう、なす術がありません!!どうか、どうかお願いします!!あの祟りから我々を救ってください!」


まるで泣いているような声を張り上げて必死にお願いするその姿は見ているだけで苦しくなった。そして、それに続くかのように集まった人達も口々に「お願いします!」「助けてください!」と切羽詰まった声を上げていった。


(…災いとか祟りとか、何だか大変なことになってるみたい……それにしても、この話どこかでー…)


男の人の話からここに集まった人達が何故怯えたような表情をしているのかは何となく分かった。それに、その話と似たような話をどこかで聞いたことがある気がして、少しでも手助けになればと思い出そうとした時だった。


「…分かりました。私が対処致しましょう。」


焦りと恐怖が満ち満ちたこの寒空の下で、誰かがそう答えた。重苦しい空気を打ち消すように響いたその声は、とても落ち着いていて頼もしく聞こえた。そして、そう感じたのは私だけではなかったようで集まった人達も一斉に安堵の息を吐いて喜びの笑みを浮かべた。


「良かった…!これで今年の冬も無事に越せるのね!」


「ああ……これでもう、あいつに怯えることはないんだ…」


「…あ、ありがとうございます!ありがとうございます!!この御恩は未来永劫語り継ぎ忘れることはないでしょう!」


広がる喜びの声に活気を取り戻す空気を感じながら、私はまた記憶を辿っていた。


(…何、だろう…?…この声も、どこかで聞いたことがあるような……)


聞こえた声は確かに聞き覚えがあった。だけどさっきと同じようにいつどこで聞いたのかがはっきりと思い出せなかった。どうしても…どうしても思い出さなきゃいけないような気がしてずっと考えてみたけど答えはいっこうに浮かんでこなかった。


(…ダメだ…思い出せない。…この声の人の顔を見たら、何か思い出すかな…?)


このまま悩んでても苦しいだけだし、もしかしたら何か思い出すかもと思い至って思い出せない自分を励ますように頬をパチッと叩くと、人集りから抜け出して一歩二歩と近付いていった。


「で、では!いつ退治して頂けますか?御入り用の物は?案内は必要でしょうか?今すぐ向かいますか?」


興奮気味に質問を重ねる男の人の影を踏まないように右へ避けて顔を上げると、見上げた先には黒い着物に笠を被った男の人が家の縁側に座っていた。


「…いえ、向かう前に少々話を聞かせてください。…祈るには知らねばならないのです。あの者の苦しみを…。」


そう言うとその人は被っていた笠をゆっくりと取って顔を上げた。そして何故か、今まで話していた男の人ではなく突然現れた私にその目を真っ直ぐ向けて静かに見つめた。


「っ…!?」


目が合った瞬間、ピリっとした変な感覚……いや、やっぱり覚えのある感覚が身体を駆け巡って全身の力を奪っていった。身体の重みに抗えず膝から崩れ落ちるように倒れると、薄く雪の積もった枯葉の上で意識を失った。















……!……ドンッ!……ゴォオッ!!




「……んっ……」


ぼんやりと聞こえてくる轟音に起こされてゆっくり目を開くと、白い雪が降り積もった斜面と細枝に雪をのせた枯れ木の景色が映し出された。


(……どこだろ…?さっきの場所じゃない……山…?)


クラクラする頭に顔を歪めながら起き上がって状況を把握しようとした時だった。


…ドォォオォンッ!!!


「うわっ!?な、な、何?!」


突然近くで硬い何かがぶつかったような音が鳴り響いて地面を震わせた。そして、バキバキ…ミシミシ…と何やら不穏な音が聞こえてきて恐る恐る振り向くと、すぐ近くの大木がゆっくりこちらへ倒れてきていた。


「……わ、わわわわっ!!?」


何が起きているのか理解できなかったけど、迫り来る大木の影に身の危険を感じとった反射神経が身体を操ってその場から逃してくれた。


「…はぁ、はぁ……あ、危なかった…一体何がー…」


『…ゥウゥゥオォォオオ!!!グゥァァア!!』


雪の上で流れる冷や汗を拭いながら安堵の息を吐こうとした時、今度は獣のような荒々しい叫び声が鼓膜を震わせた。圧迫されそうな声に耳を塞ぎながら響いてくる方を見ると、そこには一本足の大きな一つ目の猪と目や足が欠けた小さい猪達が取り囲むようにしてさっきの黒い着物の人を睨み付けていた。


『…グゥゥー…フゥゥウー……ブハァアハッハッ!!キサマァ、ニンゲンノクセニココマデヤルトハ、ナカナカユカイデアルゾ!!ダガ、ソレモココマデダァア!!』


雪をも溶かす熱い息を吐き出した一つ目の猪は、豪快に笑ってから対峙する黒い着物の人を指差しながら褒めているような言葉を大声で投げかけた。


「…王よ、今一度聞こう。人を許すことはできぬか?」


鬼気迫る大声と佇まいに怯むことなく堂々とそう尋ねたのはさっき人々から助けてくれと頼まれていたあの人で、手には先っぽに丸い輪っかのついた棒と黒い数珠がそれぞれに握られていた。


『ブハァッハッハッハッ!!!ユルス??ヒトニウタレ、ヒトニウラギラレタワレニユルセダト??アホヲヌカスナ!!クサレボウズメ!!』


笑っていたのに怒ったようにそう吐き捨てると、顔を空へ向けて禍々しい雄叫びを上げた。すると、木の上や雪の上で睨みを利かせていた小さい猪達が一斉に黒い着物の人へ突進していった。


「…あっ!危ないっ!!」


その光景に思わずそう叫んだけど、的になっているはずの黒い着物の人は全く避ける素振りを見せなかった。怖くて動けないのかもしれないと思って慌てて立ち上がった時、その人はゆっくりと数珠を巻いた左手を顔の前に置き、右手に持っていた長い棒の飾りが付いていない方で地面を一回トンっと叩いた。


「教えを説く者に、仁王の庇護を。」


その人がそう呟いた瞬間、長い棒の飾りが白く光ってカシャンカシャンと綺麗な音を立てた。その直後、強い風が吹いたと思ったらその光の中から二人の大きな男の人が現れて真っ直ぐ猪達へと向かっていき、それぞれ持っていた武器で猪達と闘い始めた。


『グゥゥゥ…!!マタニオウカァッ!!ナントコザカシイッ!!』


“ニオウ”と呼ばれたその二人は、筋肉で覆われた逞しい体つきに、ひと睨みしただけで魔を祓えそうなほど恐ろしい顔付きをしていた。双子のような似た容姿、顔立ちだったけど一人は口を勇ましく開け、もう一人は硬く口を引き結んでいて、持っている武器も長い槍と二本の剣とで全てが全く一緒という訳ではなかった。


『……ングゥァァアッ!!モウヨイ!!コノママデハラチガアカヌ!!ワレガイクゾォ!!』


仲間の猪達が次々と倒されていくのに痺れを切らしたのか、一つ目の猪はそう叫ぶと前傾姿勢になって膝を曲げると、地面を蹴って物凄い速さで走り始めた。


『ガァァァアァァアア!!!ジャマヲスルナァァア!!』


凄まじい勢いで突進を始めた一つ目の猪に対して行く手を阻むように立ち塞がったのはニオウだった。だけど、一つ目の猪は苛立たしげに叫ぶと、勢いを弱めることなく立ち向かい、岩くらい大きな拳を振り回してニオウの攻撃を弾いた。


『ブハァハッハッハァッ!!!サラバダァッ!!ボウズ!!ネンブツデモトナエルガイイ!!』


「…っ!?ま、待って!!」


拳を振り上げるその姿に一瞬、私に向かって伸ばされた誰かの手が頭を過って咄嗟にそう叫んでいた。だけど聞こえていないのか、一つ目の猪は笑みを浮かべながらその拳を真っ直ぐその人に向かって振り下ろした。


「やめっー…」


「…悟りを求むる者に、阿修羅の慈悲を。」


何もできないとは解っていたけど何もせずにはいられなくて堪らず走り出した時だった。黒い着物の人が俯きがちにそう呟いてカシャン!と長い棒で力強く地面突いた瞬間、さっきよりも強い光と風が吹き出した。


「うわっ!?」


走っていたところに突然の強風を浴びてしまい、踏ん張る前に身体を攫われて今来た道へと吹き飛ばされてしまった。そして風に押されるまま雪の上を転がり続けて漸く止まったのはさっき倒れてきた大木のところで、止まるためにぶつけた身体の痛みと息苦しさに思わず目を瞑ると、その直後に雷のような激しい音と獣の泣き叫ぶような声が耳を突いた。


「…っ、いたたたぁ……な、何…?」


何が起こっているのか分からなくて痛みを堪えながら目を開くと、そこには一つ目の猪と黒い着物の人、ニオウの二人ともう一人、手には先が三つに別れた短い剣のような物を持った顔が三つ、腕が六つある人間のような姿の人が向かい合っていた。


(…あ、あの人……人なのかな…?今の一瞬に一体何をー…)


『…フゥーフゥー……グゥゥ!?……キ、キサマァァア!!ワレニィ、ナニヲシタァッ!!?』


まるで私の心を読んだかのように叫んだのは一つ目の猪で、何だか慌てふためくように首の後ろ辺りの葉っぱを触ろうとしていた。だけど岩のような筋肉が邪魔をするのか、葉っぱの表面を撫でることすらできていなかった。


「…王よ、眠りなさい……もう、恨んではならない…。」


静かな声でそう言ったのは黒い着物の人で、ドタバタと暴れている一つ目の猪を見上げると飾りの付いた棒でカシャン!カシャン!と何度も地面を突いた。すると、ニオウが一つ目の猪を挟むようにして立ち、それぞれ持っていた武器を地面に突き立てた。その瞬間、地面に漢字のような絵のような文字がいくつも浮かび上がって輝き始めた。


『ングッ?!ナ、ナンダ!?カ、カラダガヒッパラレルゾォッ!?』


その輝く文字に一つ目の猪が驚いたように頭を右へ左へと動かすと、突然踏ん張る力を奪われたかのように膝をついた。そして、何か見えない力に押さえつけられているかのような形でどんどん文字の浮かんだ地面へと飲み込まれていった。


『グゥゥウゥ…!!キ、キサマァァ!!マサカ、ワレヲコノイマワシキチニフウジルツモリカァッ!!』


「…眠りなさい。その憎しみに身を滅ぼす前に…静かな土に抱かれながらー…」


まるで赤ちゃんをあやすようにゆったりとした口調でそう言った黒い着物の人は、更に激しくカシャン!カシャン!と長い棒で地面を突くと、その激しさに呼応するかのように光が増して一つ目の猪の身体を引き摺り込んでいった。


『……ヌ、ヌゥオオォオ!!クソォッ!!コンナトコロデッ…!!』


光に包まれて苦しそうな表情をしていた一つ目の猪は、最後の抵抗と言わんばかりに地面を必死に掴んで堪えていた。だけど、遂には体力の限界がやってきたのか、またズルズルと身体が引き摺り込まれていった。するとその時、一つ目の猪は鋭い牙を見せつけるように口を大きく開けた。


『……ブハァアッハァッハッハア!!コレデシマイトオモウナヨォ!オボエテオクガイイッ!!コノウラミィ!ニクシミヲォォ!!ワレハワスレヌゾォッ!!キサマラニンゲンノミニクサヲォォオ!!!』


そう叫ぶと一つ目の猪はその笑い声だけを響かせて光の中へと落ちていった。そして、その後を追うようにニオウが強い風と共に光へと飛び込んでいった。



「…南無仏。」


その光景を静かに見つめていた黒い着物の人は、最後に一度だけカシャン…と綺麗な音を鳴らしてそう呟いた。そして、ちょうど一つ目の猪がいた辺りへ歩いて行くと膝をついて地面を掘り始めた。一体何をしているんだろうと気になって近付いてみると、その人の手には赤ちゃんくらいの大きさの石が大事そうに抱えられていた。


(…白くて綺麗な石…でも、何だろう…?何だか、見たことがあるようなー…)


その手にある石を見つめながらまた記憶を辿ろうとした時、白い石の上にポタポタと黒い染みが滲んでいるのに気が付いた。それに驚いて目線を上げると石を抱えた黒い着物の人が涙を流していた。


「…やはり、貴方を苦しみから救うことはできなかった……だから、祈りましょう。癒えぬ貴方の御魂のために……例え、この命が尽き果て涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)に至れずとも……」


そう呟くと、黒い着物の人はゆっくりと顔を上げて私を見つめた。その涙に濡れた目は、穏やかなのに哀しくて、見ているだけで私まで苦しくなるようだった。


「…あの、あなたはー……っ!?」


私を見つめるこの人が誰なのか聞こうとした瞬間、身体にまたピリッとした変な感覚が駆け巡った。そして、何となく予感していた通りに身体から力が抜けていって私はまた雪の上に倒れ込んだ。



(……ああ、そうだ……私、知ってるんだ、この人のこと……だって、さっきの、はー……)


薄れゆく意識の中、漸く思い出したことがあって頭の中で繰り返そうとしたけど、抗いきれない強い睡魔に襲われて瞬く間に深い眠りに落ちたのだった。


















「……うっ……」


瞼越しに白い光を感じて眩しさに目を覚ますと私はまた雪の降る山の中にいて、山の斜面に転がる大木から場所もさっきとほとんど同じであることが分かった。


「…場所は変わってない、か……そしたら、次にやることはあの人をー…」


流石に三回目ともなると慣れてくるものがあって、落ち着いてやるべきことを確認しようとした時だった。近くから誰かの怒鳴るような話し声が聞こえてきて、急いで起き上がるとその声のする方へと走っていった。


「…あっ、あの人はー…」


「…何故、何故ですか?!何故退治ではなく封印を!?しかもこの山に!!」


山の木々の間を走って登っていくと二人の男性の姿が目に入った。焦ったような声でそう言ったのは、さっき人集りができていた家で一番喋っていた男の人で、その相手はやっぱり黒い着物の人だった。


「落ち着いてください。確かに退治はしていませんが、もうあの者が貴方達やこの峠を越える人間に危害を加えることはないでしょう。」


「で、ですが!先程、年に一度だけ自由の身になれる日があると仰っていたではありませんか!!何故そんな日を……いえ、その日にあいつが村を襲わないとは限らないではないですか!!我々はその恐怖に、毎年苛まれなければならないということですか!?」


焦ったような怒ったような声と表情で迫る男の人に、黒い着物の人は冷静な態度で首を横に振ると口をゆっくり開いた。


「…いえ、この封印は仁王と阿修羅の力を借りた強力な物ですから例え自由の身になろうとも山にさえ入らなければ襲われることはありません。そして、自由の日を設けたのは封印を完全な物にしないためです。完全な物に残るのは崩壊のみ…未完であれば崩壊を防ぎ、封印の力を永続できるのです。」


黒い着物の人がそう説明すると、もう一人の男の人は何か言いたそうな表情をしながらも言葉を飲み込むように口を噤んだ。そして、暫くすると足下の何かにチラッと目をやった。


「…し、しかし、これを……あいつを封じ込めた石で造られたこの地蔵尊を祠を建てて祀れとは…あいつのしたことに目を瞑り神や仏のように扱うのは、皆が嫌がるかと……」


納得のいかないような表情でそう言う男の人を静かに見つめていた黒い着物の人は、ゆっくりと瞬きをするとしゃがんで雪の上に置かれたお地蔵様の首に数珠を掛けて足を優しく撫でた。


「…ええ、そうお思いになってもおかしくはありません。ですが、この者も貴方達と同じように求めているのです。苦しみや憎しみからの解放を…心の救済を……」


「…心の、救済……?」


二人の会話を黙って聞いていると、黒い着物の人が突然スッと立ち上がった。そしてまた、ゆっくり目を瞑ると小さく息を吸って口を開いた。



「…私には、出来ませんでした。志を捨て、この命を賭して祈っても、あの者の心を救うことは……。ですが、貴方になら出来るのではないですか?(さか)しく深い慈しみの心を持つ、貴方にならー…」


「…えっ…?」


まさかとは思ったけど、そう言って振り向いたその人が見つめるのは確かに私で、その言葉は私に向けられたものだと解った。それに、その目をいくら見つめてもあの不思議な感覚に襲われることはなくて、これはチャンスかもと意を決してその人の近くへと歩いていった。


「…あ、あの…心の救済って、どうすればいいんですか?」


「…分かりません。」


「じゃ、じゃあ、わたしはこれから何をすればいいんですか?」


「…あの者を救ってあげて下さい。仁王の地蔵が壊された今、残る封印は阿修羅の物のみ。もう時間がありません。」


「あ、あしゅら?…えっと、その封印っていうのは、一体なんなんですか?それに、時間がないってどういう意味ですか?それとー…」


もっとたくさん聞きたくて次の質問を口にしようとした時だった。ぐらっと揺れた感覚がして足下を見ると、地面を覆う白い雪には大きなヒビが入っていて氷が割れるようなパキパキという音が響き始めた。それに、よく見るとそのヒビの下には底の見えない深い闇があって、私が落ちてくるのを今か今かと待ち構えていた。


「ぅえっ…!?ちょっ…わわっ!!」


不穏な音が増えていくのと連動するようにどんどん粉々になっていく雪の上で落ちないように何とかバランスを取っていたけど、遂にはその雪もパキンと折れてしまって一瞬の浮遊感の後に身体は真っ直ぐ闇へと落ちていった。


「きゃあぁぁあっ…!!」


悲鳴を上げながら何かに掴まろうと頑張って手や足を動かしたけど、そんな努力も虚しく身体は闇へと落ちていくだけだった。だけどその時、遠去かる白い雪の光の中で見えた黒い着物の人の手に紐の付いた小さい何かが握られていることに気が付いた。


(……何だろう?あれ…数珠ではないような……でも、何だか見覚えがー…)


「美子っ!!」


それが何かを考えようとした瞬間、落ちる身体に当たる風音を突き破るように届いた声に引き寄せられるかのように目を開くと、青い空と白い太陽を背に心配そうな驚いたような顔で覗き込む四つの影が目に映り込んだ。


(……あれ…?なん……だっけ…?)


見上げる空の眩しさからか頭にチクっとした痛みが走ると、それまでのことが霧のように曖昧になって思い出せなくなってしまった。ぼんやりとした不思議な感覚にぼーっと空を見つめていると、急に温かい手が両頬を包んでぐいっと顔を動かさせられた。


「み、美子!!大丈夫か!?どっかケガしてねーか!?」


「…う、うん。大丈夫だよ……健。」


なかなか名前が思い出せなかったけど耳に響いて離れない声とくっつきそうなくらいに近付けられた顔から何とかそう名前を呼ぶと、焦ったような表情だった健は長い息を吐くと雪の上で寝転んでいる私を抱き起こしてそのまま強く抱きしめた。


「…うぐっ……」


「ねぇちょっと、お前の馬鹿力で抱きしめないでよ。美子が苦しそうにしてんじゃん。」


「…だ、大丈夫。息はできるから…ありがとう、秀。」


少し苦しくて顔を歪めた私を見るなり抱き締める健を引き剥がそうと襟首を乱暴に掴んだ秀にそう声を掛けると、秀は不機嫌そうに口を曲げながらじっと私を見つめて雪の上に置いていた私の右手を握った。


「…美子、本当に大丈夫?さっきの頭を打ったのが原因なら、動かず安静にしてないと…」


「頭…あっ、そっか。…あっ、ううん。まだちょっとクラクラするけどもう大丈夫だよ。ありがとう、馨。」


そう言えばそんなことあったなーと他人事のように思い出しながら心配してくれる馨にお礼を言うと、馨は少し安心したように柔らかな笑みを浮かべた。


「…あの脳震盪でないとすると、やはり妖気に食われたと考えるべきだな…すまない、美子。考えが至らなかった俺の落ち度だ。」


「…ううん、透夜のせいじゃないよ。多分、違うの…妖気じゃ、ない。」


謝る透夜にそう答えると、私を抱き締めていた腕の力が弱まってすぐそこにあった健の顔が離れていった。


「妖気じゃねーのか?だってあの時と同じでめちゃくちゃ疲れてただろ?」


「…えっと…確かにちょっと疲れてたと思うけど寒気も感じなかったし、力がなくなる感覚も違かったからあの時とは違うと言うか……あっ、あと夢…?を、見た気がする…」


「夢…?どんな夢だったの?」


健の質問に答えつつ何となく思い出したことを口にすると、今度は馨がそう質問してきた。だから、どんな夢を見たのかを思い出そうと記憶を辿ってみたけどぼんやりと霞がかった記憶しか浮かんでこなかった。


「…ごめんね、思い出せない…。」


「ううん、大丈夫だよ。僕こそ無理をさせてごめんね。」


謝らせちゃったからもう一回ごめんねと言うと馨もまた僕こそごめんねと返してきて、それにまたごめんと返し合っていると黙ってそれを見ていた秀が「ふーん」と言った。


「夢ねぇ…。でもさぁ、美子が倒れてから俺がここに運ぶまでそんな時間掛かってないのに夢見てる時間なんてあったの?」


「えっ、そうなの?…でも、何かこう…モヤっとした記憶はあるんだけどな……」


勘違いかななんて思いつつも秀が運んでくれたことを知ってそれのお礼を言おうとした時、倒れる前にどこにいて何をしていたのかが一気に蘇ってきた。


「…あっ!!そう言えば猪笹王の傷治してない!!猪笹王はどこにー…」


起きる前に治さないとと思って勢いよく立ち上がって辺りを見渡すと、真後ろに緑の葉っぱが生い茂る壁のようなものが微かに上下しながらそそり立っていた。


「よ、良かったぁー…まだ寝てるんだ。これなら傷も治せそうだね。どの辺だっけ?」


「あの、美子。実はそのことなんだけど…」


顔は見えなかったけど聞こえてくる豪快な寝息に胸を撫で下ろしてそう尋ねると馨が返事をしてくれたけど、何だか困っているような少し言い出しづらそうな表情をしていた。


「…俺から説明しよう。確かに奴はまだ目を覚ましてはいないが、先刻地蔵尊の欠片に集まった妖気を除去した際に突如寝返りをうったため、傷のある箇所への移動が困難となった。故に、美子が該当箇所へ行くためには何らかの手を打つ必要がある。」


「寝返り?…あっ、まあ、そうだよね。背中であんなことしてたら普通は飛び起きると言うか嫌だよね…。」


寝返りだけなら運が良かったのかもと納得したかのように頷くと、珍しく同時に立ち上がった健と秀の名前を呼んだ。


「あの、お願いがあるんだけど、傷を治したいからもう一回背中を上にするように動かして欲しいな。」


「おう。任せとけ。」


「いいよー。うーん、でもさぁ、こんな大きくて重いんなら穴開くくらい思いっきり蹴ってもいいよね?」


「いいんじゃね?オレも腕の一本くらい吹っ飛ばすつもりで叩くから。」


「い、いや、あの…別に一撃で動かさなくても良いから、なるべく手荒なことはなしで起こさないようにやって欲しいなぁ……ほら、こう、おしくらまんじゅうみたいに肩か背中を押してみるのはどう?」


何それ?と首を傾げた秀にこうだよと健と一緒にお手本を見せると一際大きな舌打ちをして「ヤダ」「やらない」と首を横に振った。


「じゃ、じゃあ腕とか引っ張ってみるとか…?ま、まあ、あの、起こさないならやり方はお任せしますので……」


「はいはーい。じゃあねー。」


これ以上機嫌を損ねないようにと慎重に言葉を選ぶと秀はそう軽く手を振ってスタッスタッとそそり立つ葉っぱの壁を登っていった。


「相変わらずめんどくせーやつだな…まあいいや、オレも行ってくるな、美子。」


「あ、うん。よろしくね、健。」


呆れたような表情で先に行った秀を見上げる健にそう言うと、健は笑顔で「おう!」と言って追いかけるように葉っぱの壁を登っていった。


「そしたら、わたし達は離れてよっか。…あ、もしかして透夜も式神にお願いしたら健と秀のお手伝いが出来たりする?」


「…ああ。だが人形は過度な重量に耐えられる作りではなく、また蛇や鳥等の生物を模した物もそれぞれ長所と短所があり使いようによるだろうな。」


「そっか。それなら透夜も動かすのお願いしていい?あの二人だけだと猪笹王がもっと怪我しちゃうかもしれないし、それに……絶対喧嘩するだろうし…」


なるべく小声でそうお願いすると、透夜が頷くよりも先に遠くの方から「聞こえてるんですけどー?」と言う声が返ってきて慌てて口を閉じた。


「…承知した。すぐ取り掛かろう。」


「うん、行ってらっしゃい。」


私がそう言うと、透夜は鳥の式神に乗って素早く二人が待つ壁の上へと飛んで行った。


「よし、じゃあ離れよっか。」


「うん。」


三人を見送ってから力仕事が得意ではない組の私と馨は少し猪笹王から距離を取るために手を繋いで走り出そうとした時だった。



……カシャン



…鈴がぶつかり合うような綺麗な音が、どこからか聴こえた気がした。それに引き寄せられるように振り返ると、猪笹王の首の後ろ辺りの葉っぱの中で何かぼんやりと雪のような白い光が見えたような気がした。


「美子…?どうしたの?」


「…馨、あれ視える?」


私にはもう何も見えないけど、弱点が光って視える馨なら見えるかもしれないと一瞬だけ光って見えた場所を指差して教えた。だけど、馨はじっと見つめた後に首を横に振った。


「…僕には特に何も視えないけど、何かあったの?」


「うん…ちょっと、見に行ってみよう。」


そう言うと何か言おうとしている馨の手を引いて寝転がる猪笹王へと近付いていった。そして、もっとちゃんと見てみようと葉っぱの壁の中に入って見上げると、少し上の所に光沢のある茶色い何かが皮膚の中に埋もれているのが見えた。


「あっ!何かある!馨!ほら!あそこ!!」


「えっ…?」


何か見つけたとぴょんぴょん跳ねながらそう報告したけど、馨は何のことか全く分からないと言っているかのような困った表情をしていた。


「あれだよ!でも色が茶色っぽいし葉っぱも白くなってないからさっきのお地蔵さまとは違うのかな?ちょっと待ってて!取ってみるから!」


「…えっ!?美子っ?!」


もしかしたら猪笹王の毛の色と似てて見えないのかもと思って、葉っぱが変色していないから妖気が集まっている訳でもないし取ってきて馨に見てもらおうとそう言い残して壁を登り始めた。普段神ヶ森の一番高い木で遊んでいることもあってか、意外と丈夫な葉っぱを伝って木登りの要領で登っていくとあっという間にあの茶色い物のところまで辿り着くことができた。


(…よしっ!着いた!それにしてもこれ、何なんだろう…?)


近くでいくら見つめても一部分から全体像を想像できる訳もなくて、とりあえず馨が心配そうにしているから早く持って帰ろうとそれに触れた瞬間だった。


『……ンゴッ!!?グゥ…!ウガァァアァアア!!!』


「わっ!?」


驚いたように大きく身体が跳ね上がったと思ったら獣の叫び声が静かだった山の中に響き渡った。そして次の瞬間には壁のようだった背中がゆっくりと動き出して掴まっていた葉っぱも足場にしていた葉っぱもグラッと揺れて地面に向かって垂れるような形になった。



「美子っ!!」


『……フゥー…フゥー…グギャァァアァァア!!!』


…ドシン、ドシンと雪を踏みしめる音、遥か下の方から何度も私の名前を呼ぶ声とその声を掻き消すように響き渡る雄叫びを咄嗟に掴んでしまった葉っぱの中で聞きながら、漸くそれが何を意味しているのかが判った。


…起こしてはいけない猪笹王が、目を覚ましてしまったのだと。






続く…

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