第24話 傷
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「……お、お邪魔しまーす…」
ダメだ何だと騒ぐ皆を振り切って雪の小屋の簾を押して恐る恐る中へ入ると、お姉さんは板間の真ん中辺りでこちらに背中を向けて着物の帯を触っていた。
『…あら?もう彼方様は宜しいんですか?』
「あっ、はい。あの、皆もいいよって言ってくれたので大丈夫です!」
軽く振り返ったお姉さんに簾を慌てて戻しながらそう答えると、お姉さんはクスッと笑いながら解いた帯締めと雪のお花のような帯留を静かに床に置いた。
『…そうですか。それはようございました。』
安心したような笑顔を浮かべながらそう言うと、今度はお腹に巻かれた帯を右手と、さっき秀に蹴られて手首から先が欠けてしまった左手で器用に解き始めた。
「……」
『…美子様?如何なさいましたか?そんな所にいらっしゃらないでもっと近くへ来てくださいな。』
ずっと無言で入口のところに立っている私に気がつくと、お姉さんはまた小さく振り返って優しい声でそう促した。
「…あっ、えっと、でも、その……は、はい…」
人が着替えてるところなんてほとんど見たことがなくて躊躇いもなく着物を脱いでいくお姉さんに戸惑いつつも、傷を治すためだからと覚悟を決めて長靴を脱ぎ板間に上がった。
「…あ、あのっ。わたし、手を繋ぐとか服の上からでも治せるので、わざわざ脱がなくても大丈夫ですよ?」
だけどやっぱりどうしても気になってしまって脱がなくても良いのだと伝えると、背中を向けていたお姉さんが首を横に振った。
『…いいえ、美子様にはご覧になっていただきたいのです。その御目に入れることが、あの日から今日までを耐え抜いた私への労いと、あの者への報復となりますので。』
凛とした声でそう言うと、お姉さんは解いた帯を無造作に床に置いて腰紐や伊達締めを解き、ゆっくり振り返った。そして白い長襦袢と白い着物の衿を持って前を開いた。その拍子に白くて綺麗な雪が床にドサっと落ちた。その雪の塊から顕になった身体に目を向けると、言葉を失った。
…胴体が、なかった。着物に包まれているはずの胴が、生きている人間ならあるはずの胴が、ない。かろうじてあるのは背骨のような細い雪の柱だけで、それ以外は何も、胸もお腹もおへそも背中も、その跡形すら残さずなくなっていた。
『…醜いものでしょう?少しずつ剥がれるように欠け落ちていってこのような有様となりました。』
想像を絶する光景に言葉もなく見つめていると、着物の衿を持っていたお姉さんは自嘲めいた笑みを浮かべながら、動かない私にそう言った。
『…何とか形を保つために雪を詰めておりますが、何度やっても時間が経つと拒絶するように崩れ落ちてしまいます。…元には、戻らないのです。』
「……」
そう説明するお姉さんの、笑顔の中の悲しげな目に何て返したら良いのか分からなかった。だけど、もうこれ以上その痛ましい姿を晒させることは嫌だったから、着物の両方の衿を掴んで重ねた。
「……もう、大丈夫です。ありがとうございます。…ごめんなさい…。」
『ふふっ、謝らないでください。寧ろ謝るのは私の方です。私の我儘に貴女様を付き合わせてしまいましたので。』
お姉さんの笑う声に首を勢いよく横に振ると、床に落ちた雪や帯を軽く片付けて見上げた。
「…あの、座れますか?その傷だと、その…立っているのが大変そうなので……あ、それとも寝転んだ方が良いですか?」
『お気遣いありがとうございます。でしたらお言葉に甘えて座らせていただきます。少し手を貸していただけますか?』
「はい。」
そう返事をしてお姉さんの冷たい手を握ると、これ以上傷が広がらないように丁寧に、慎重に、お姉さんが座るのを手伝った。
「ふぅ…だ、大丈夫ですか?」
『ふふ、ありがとうございます。ですが、この傷を受けてから何百年と経っていますから、座ったくらいでは壊れませんよ?』
でもヒビが…と言おうと思ったけど、話すよりも一刻も早く治した方が良いと思い至って言葉を飲み込んだ。
「それじゃあ、あの、始めますね。傷が大きいのでもしかしたら時間が掛かるかもしれないですけど、だけど絶対、必ず治します。だから、信じてください。」
『…はい。信じております。【応龍】のお姫様を、美子様を。』
そう言って優しく綺麗な笑みを浮かべたお姉さんに頷いて一つ深呼吸をした。そして、その冷たくて雪のような手を両手で祈るように顔の前で握ると、ゆっくり目を閉じた。
『…まあ……』
すると、お姉さんの驚いたような声の直後に明るい光を瞼越しに感じた。それに治癒の力がちゃんと働いているんだと安堵して祈りを続けた。
(…お姉さんの身体が元通りになりますように……というか治癒の力って神力を消せたりするのかな…?お、お姉さんにとっての毒だから大丈夫、かな…?でも、消せなかったら…ど、どうしよう……)
『……諦めきれなかったのです。』
治しながら浮かび上がった疑問に少し不安を抱いていると、小さな声がそんな言葉を呟いた。それに目を開けて声のした先を見上げると、光の向こうに少し眠そうな表情のお姉さんが握られた手を優しげな眼差しで見つめていた。
『…私は、雪に倒れた女の無念の情と美しい雪から生まれました。他の「雪女」と呼ばれる妖怪も同じように、雪に倒れた女の情が雪に宿って生まれますが、そのほとんどは生きた人間に執着します。自分の失った「命」を持つ人間が羨ましいのか、それとも自分の失った「未来」を歩める人間が妬ましいのか…理由は違えど、「雪女」が恐ろしい妖怪だと伝えられるのは人間に害をなすから。…ですが、私はこの姿になってから人の命にも未来にも執着を抱きませんでした。寧ろ、どうか無事に人里へと願うばかりでした。…恐らく、私を生んだ「女の無念の情」とは、生きた人間への妬みや嫉みなどではなく雪山を行く者を案ずるもので、自分と同じ目に遭わぬようにと強く願ったものなのでしょう。……知らない方が良かったのかもしれません。それを、知ってしまったから、見も知らぬ女の無念を晴らしてやるまではどうにか生きてやろうと、この痛みに耐えながらこんな姿になるまで浅ましくも生き延びてしまいました。…ふふ、いつの間にか執着していましたね、私もー…』
ゆったりと自身の生い立ちを語り終えたお姉さんは、光の先の私を見つめると本当に嬉しそうに笑った。その笑顔は、雪が太陽で照り輝くように眩しくて、とても清らかだった。
………
……
…
「……よしっ、こんなもんかな?」
それから数分後、治癒が終わった合図である光が弱まった頃にそう呟いた。
「お姉さん、終わりました。身体の方はどうですか?痛いところとかありませんか?」
『ええ、痛みも苦しみもなくとても調子が良いです。』
私の問い掛けにそう返事をすると、お姉さんは元に戻った手を握ったり開いたり、肩を回したりと身体の具合を確かめていた。そして、胸に手を置くと一際笑顔になって立ち上がった。さっきみたいにフラフラとせず一人ですっと立ち上がれたことに漸く私も安心すると、着付けをし直すのだろうと思って床に置いてあった腰紐と伊達締めと帯を拾った。
「お姉さん、着付けならわたしも少しはお手伝いでき」
『…ああ、嬉しい!身体があるなんて!ここに、穴が空いていないなんて!ほら、美子様もご覧になってください!』
「えっー…」
何となく嫌な予感がして聞き返そうした瞬間、お姉さんは着物と長襦袢の衿を掴むと何の躊躇いもなくそれを開いた。私はまた言葉を失った。
お姉さんの鎖骨から下にはさっきまではなかった胴があった。もうあの背骨だけの身体ではなかったけど、その代わりにちゃんと女性の身体がくっついてて、それが惜しげもなく顕になっていた。
『如何ですか?完全に元の身体に』
「……ひっ、ひぃいやぁぁあぁあぁ!!」
嬉しそうな笑顔で近付いてくるお姉さんに我に返ると、よく分からない悲鳴を上げて持っていた帯をお姉さんに投げ付け、長靴も履かずに小屋を飛び出した。
「美子!?どうしたんだ!?」
小屋を飛び出すと、雪の上で正座をしている三人と三人の近くで立って待っていた馨の方へ真っ直ぐ走って行った。そして、心配そうな表情で一歩二歩と近付いてきた馨に抱き付き喚いた。
「み、みみみみちゃったよぉ!!見ちゃったのぉ!!!わぁぁああん!!どどどどぉしよぉ!!!」
「“見ちゃった”って、何を見たんだ?」
「ねえ、ちょっと。騒いでないで説明してよ。」
「…美子、落ち着いて何があったか話してくれ。」
「み、美子、落ち着いて…。」
喚く私に困惑顔の皆はとにかく私を落ち着かせようと声を掛けてくれた。だけど、自分のしてしまった事でいっぱいいっぱいの私はヘナヘナと雪の上に正座をして、マフラーを被るように頭に巻いた。
「…うう…もう、ダメだ…しっかり見ちゃったもん……見たら逮捕されちゃうんだよ……パトカーと警察の人がいっぱい来ちゃうよぉ……」
「…?逮捕?」
「……えっと、美子。もしかして、あの雪女の裸を見たってこと?」
馨のその言葉に肩を大きく跳ねさせると、秀がつまらなそうに溜息を吐いた。
「なーんだ。そんなこと?いいじゃん、別に。妖怪だし、美子もあいつも女だし。」
「よ、良くないよ!!女の人でも女の人に見られたら嫌な人いるかもしれないでしょ!?」
「別に美子が無理矢理脱がせたとかじゃねーんだろ?アイツが勝手に美子を連れ込んで見せたんなら捕まんねーだろ。」
「ぬ、脱がせてないよ!!着付けのお手伝いしようと思ったらバッ!ってやったんだよ!!」
八つ当たりするみたいに怒鳴って二人に答えると、不意にあの場面がくっきりと思い出されて勢いよく雪の上で蹲った。
「…ううう…わたし、犯罪者なんだ…悪い人なんだ……刑務所行かなくちゃ……しっこーゆーよは付けなくていいからね……」
「考え過ぎだよ、美子。大丈夫だから…」
「…馨の言う通りだ。美子はまだ六つで少年法が適用される。故に刑務所への収容はまずない。」
「大丈夫ってそういうことじゃねーだろ。」
「そーそー、大丈夫だよ、美子。刑務所入っちゃっても面会には行ってあげるし、前科持ちになっても遊んであげるからさ。」
「オマエも揶揄うんじゃねーよ。」
皆のそんなやり取りを遠くに聞きながら一人罪悪感に苦しんでいると、雪を踏む小さな音が向こうからゆっくりと近付いてきた。
『美子様。』
「ひぃっ…!!」
私の名を呼ぶ綺麗な声に思わず跳ね上がると、急いで健の後ろに回り込んでもっと壁を造らなくちゃと近くにいた秀の腕を引っ張った。
「…あ、あああのっ、ごごごめんなさいっ!!み、見るつもりはなかったんですっ!!だから、あのあの、ふふ、服を!!服を着てください!!」
「美子、服着てるぞ、コイツ。」
健のその言葉に恐る恐る覗き見ると、白い着物をきちんと身に纏ったお姉さんが私の長靴を大事そうに抱えながら笑みを浮かべて私達を見下ろしていた。
『…ふふ、少々刺激が強かったようですね。喜びのあまりつい大胆なことをしてしまいました。申し訳ありません。』
「…あっ!い、いえいえいえ!こちらこそっ、み、見てしまった上に、帯まで投げ付けてしまって、すみませんでした!!」
そう言って勢いよく頭を下げると、目の前にいた健の肩に思いっきり頭をぶつけてしまった。
「いっ!!?…ご、ごめんね!!健!!大丈夫!?」
「お、おう。オレは平気だけど、美子こそ大丈夫か?今結構かてーところにぶつかってたけど。」
「もぉーー、なぁにやってんのー?赤くなってんじゃーん。」
「だ、大丈夫?頭痛とか眩暈とかしない?」
「…症状がなくとも脳震盪の恐れはある。暫くは安静にして様子を見た方がいい。」
心配そうに私のおでこを見つめたり触ったりする皆に軽く目を回しながら大丈夫!大丈夫だから!と必死に説明していると、ふふっと可憐な笑い声が聞こえてきた。それに顔を上げると笑っていたのはやっぱりお姉さんで、私達の視線に気が付くとまたおかしそうに笑った。
「…何笑ってんだよ?美子が頭打ってそんなにおかしいのかよ。」
「け、健っ…!」
お姉さんの笑う姿に一気に険悪な表情に変わった健の腕を咄嗟に掴むと、お姉さんは笑みを浮かべたまま首を横に振った。
『…いいえ、まさか。私が笑ったのは、あなた方の変わりようがおかしかったからですわ。……あの厳かな猛き神獣達も、仕える王が変わるだけでここまで丸くなるとは……ふふっ、分からぬものですね。』
最後の方はまるで独り言のように呟いていたけど、その時のお姉さんの表情はどこか安心しているようにも感じた。
『さて、それではそろそろ取引に話を戻しましょう。今し方美子様には私の要求に応えて頂きましたので、今度は私が美子様の要求にお応え致します。何をお望みでしょうか?』
作った時と同じように手を向けて雪の小屋を一瞬で崩した後に振り返ってそう言ったお姉さんは、さあ早くと楽しむような急かすような表情を浮かべていた。だけど、その目だけはとても真剣なもので、私もしっかりしなくちゃと頬をパンっと叩いてお姉さんの目を真っ直ぐ見つめ口を開いた。
「…猪笹王が、今ここにいる理由を教えてください。何が目的なのか、どうして「果ての二十日」じゃないのに自由になっているのか、どうしてあんなに攻撃を受けても平気だったのか、…それから、馨が言ってた「妖気とは別のもの」って何なのか……お姉さんの知ってることを全部教えてください。」
聞くべきことをしっかりと丁寧に整理して言葉にすると、お姉さんは少しの間私を見つめてからゆっくりと目を閉じた。
『…あの者も、私と同じなのです。』
「同じ…?」
繰り返すと、今度はゆっくり目を開いてから頷いて自分の胸に手を置いた。
『…ええ。あの者がこの町を訪れたのは、美子様にある傷を治していただくため。それ故に、危害を加えるつもりは元々なかったのです。』
「はあ?なーに言ってんの?あんなめちゃくちゃに暴れて美子を見るなり襲いかかってきた奴が?危害を加えるつもりはなかったって馬鹿にしてんの?」
お姉さんの言葉に即座に噛み付いた秀を宥めるように服の裾を引いた。すると、お姉さんは落ち着いた様子で首を横に振った。
『いいえ、馬鹿になどしておりません。ですから私も申し上げたのです、“元々は”と。あの者も、傷を負ってから激しい痛みはあれど自我を失うことはなく、人目を憚りながら時間を掛けて何とかこの町まで辿り着きました。…しかし、この町は五神を祀る尊き地。それが追い討ちとなったのでしょう。踏み入れた途端に傷は治るどころか悪化して更に痛みをもたらすものとなり、正気を奪われては獣のように暴れ、皆様に襲いかかったのです。』
そう説明するとお姉さんは長くて綺麗な白い髪を一つにまとめて肩にふわりと掛けた。
『傷は首の後ろ、人で言うこの辺りであの熊笹の中にございます。ですので大人しく寝ている今は絶好の機会かと。ただ…あの者が負った傷は私のそれとは少々異なるものです。また、倒れてから随分と時間が経っていますのでいつ目を覚ましてもおかしくはありません。…もし、あの者に慈悲をお掛けになると言うのなら、どうかお気を付けて。』
解りやすく体を使って傷の場所と注意することを教えてくれたお姉さんだったけど、不安なのか沈んだような表情で私を見つめていた。心配してくれるのは嬉しいけど、私には絶対に大丈夫だという自信があったから、大丈夫という意味を込めてとびっきりの笑顔を返した。
「教えてくださってありがとうございます。でも、大丈夫です!任せてください!」
お姉さんにそう答えると、勢いよく立ち上がって私を見上げる四人と順に目を合わせた。
「やろう!猪笹王の傷、治してあげよう!時間もないみたいだし、わたし一人じゃ大変だから協力して!」
絶対に大丈夫だという自信をくれる四人に元気よくそう声をかけると、私がそう言うと予想していたのかやっぱりねとでも言いたげな顔で笑い合ってた。
「やろう!やろう!!皆でやろう!!ね!」
「分かった分かったって。皆でな。」
「はーあ、まーたこの流れ?まあ別にいいけどさ。」
「ふふ、でもこの流れにも慣れてきたね。」
「…ああ。悪くない。」
仕方ないなという感じは若干あったけど、嫌がる素振りはなかったからそれを良しと取った私は、嬉しさを笑顔に表すと座っている皆の手を引いて立たせた。
「よしっ!じゃあ決まりね!そしたら、またあれやろう!」
「あれ?」
何だろうと首を傾げる皆に、これだよと言わんばかりに開いた右手を皆の円の真ん中に突き出した。
「…あー、もしかして“あれ”ってこれのこと?」
私のその行動に何か思い出したように笑ったのは秀で、突き出した私の手に自分の右手を重ねた。それを見て他の三人も“あれ”が何を指すのか分かったようで、健、透夜、馨の順に手を重ねていった。重なった手の塔に満足気に笑みを浮かべると、馨の手の上に仕上げの手を重ねて息を吸った。
「…それじゃあ今度こそ、猪笹王を助けてあげよう!!えい、えいっ、おー!!」
さっきの作戦会議の時と同じように目標を大きな声で言ってから、「おー」で力一杯皆の手を投げるように下から押し上げた。そして、手を上げる皆と一人ずつタッチをしていくと、皆も私を真似るようにそれぞれと手をタッチしていった。それがまるで、「よろしく」「一緒に頑張ろう」と挨拶をしているように思えてとても嬉しくなった。
「よしっ!それじゃあ行こう!」
その嬉しさを胸にしまうと、タッチをし終えた皆に元気よくそう声を掛けた。そして、雪の上で眠り続けている大きな大きな猪に向かって歩き始めたのだった。
続く…




