第22話 進展
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…さっきまでの騒ぎが嘘だったかのように静まり返った山の景色に、乱れた鼓動を落ち着かせるために深呼吸をした。そして、舞い立った雪煙で視界の悪い風景をぼんやりと眺めた。
(……終わった、の…?皆は、無事…?猪笹王は…どうなったの……?)
「美子っ…!」
とにかく状況を確認しようと思った時に名前を呼ばれてその方を見ると、息を切らせながらこちらへ走ってくる馨の姿が見えた。
「美子!怪我は大丈夫?痛いところとか、苦しいところはない?」
駆け寄ってくるや否や、少し早口でそう言いながら私の頬や首を触ったり袖を捲って腕を見たりしていた。
「う、うん。大丈夫だよ。馨もケガとか痛いところとかない?」
私の手首に指を置いて脈を測っている馨にそう聞き返すと、少し冷静になったのか息を吐き、安堵の表情を浮かべて頷いてくれた。
「…うん、僕も大丈夫だよ。…あっ、健は大丈夫?」
私にそう返事をしてから思い出したかのように健にそう尋ねると、健は私を抱え直しながら頷いた。
「おう。オレは平気だぞ。全部ちゃんと避けたからな。」
「そっか、それなら良かった…。」
二人のそのやり取りに私も良かったと小さく息を吐きながら雪の上に降ろしてもらうと、視線をあちこちへ彷徨わせて残りの二人の姿を探した。
(あとの二人は…?透夜と秀はどこにー…)
「…ん?なあ美子、あそこ何か見えねーか?」
「えっ?!ど、どこ!?」
その言葉に慌てて健の見る先に目を凝らすと、薄くなってきた雪煙の中に動かない大きな黒い影と小さな影がぼんやりと見えてきた。
「た、大変!行こう!健!馨!」
動かない二つの影を見つけるや否や、近くにいた二人の名前を呼んでから急いで駆け寄ると、首に巻かれた見覚えのある黄色いマフラーが目に映った瞬間、小さな影が雪の上で蹲る透夜だと判って息を呑んだ。
「と、透夜!!大丈夫!?ケガしたの!?」
「…っ……美子、か…?…すまない、俺なら…大丈夫だ。」
私を心配させないようにそう返してくれた透夜だったけど、肩で息をしながら青白い顔に流れる大量の汗がそれは嘘だと言っているようにしか思えなかった。
「…ご、ごめん!ごめんなさい!透夜!すぐ、すぐ治すから!だから、もう大丈ー…」
私のせいでまた傷付けてしまったと泣きそうになりながら治癒の力を使おうと震える手で透夜の手に触れようとした。すると、透夜はそれを拒むかのように私の手を掴んで首を横に振った。
「…美子、すまない。…違うんだ。怪我は無い。ただ……力を使い果たしただけだ。」
「……え?…ちから…?」
弱々しい声でそう繰り返すと、透夜は小さく頷いてゆっくり息を吸った。
「…美子の安全を確保するためにも、この機会を逃してはならないと強く意識し過ぎたのだろう……自分でも使ったことのない程の力を、あの一撃に込めてしまった…。これは、俺の未熟さが招いた結果だ。美子のせいでは、ない……。」
そこまで話して疲れてしまったのか、透夜は頭を軽く私の肩に預けるとまた苦しそうに呼吸をした。
「と、透夜ぁ……ど、どうしよう!玄武の力って治癒の力で、な、治せないのかな?!」
透夜のその言葉に理由が判って安心した一方で、その弱り切った姿に早く何とかしてあげたくて助けを求めるように近くに立っていた馨にそう尋ねた。
「落ち着いて、美子。治癒の力は、怪我や病気を治す力だから使ったとしても神力の枯渇には恐らく効果はないと思うよ。それより、使うのなら相せ…「あぁっ!!?」
馨が何か解決策を教えてくれているのを遮るように大声を出したのは怒ったような表情をした健で、健の睨む先を辿って見ると何も言わずに歩いてくる秀と目が合った。
「秀!良かった!ケガはー…」
透夜と同じように何処かで倒れているんじゃないかと心配していたから歩いて現れたことに胸を撫で下ろしたのも束の間、私の近くに立っていた健が急に走って、近寄ってくる秀の胸倉を乱暴に掴んだ。
「け、健っ!?」
「…オマエっ!どのツラ下げて現れてんだよ!!ただ走って逃げるだけだろ!!なのに、何で美子をあぶねー目に合わせてんだよ!!」
健の怒鳴り声に張り詰める空気からいつもみたいにまた喧嘩が始まるかもしれないと不安に駆られたけど、秀は不機嫌さを表すこともなく無言で私を見続けていた。…その目は、とても静かだったけど、複雑に揺れ動いているように見えた。
「おいっ!!聞いてんのかよ!!」
「……うるさっ。耳の近くで大声出さないでよ、迷惑なんだけど。」
健のその言葉に一つ瞬きをしてから溜息を吐きながらそう言葉を返すと、秀は健に鋭くも挑発的な視線を向けた。
「はあ?迷惑!?それはこっちのセリフだろ!!オレらが間に合ったからまだ良かったかもしんねーけど、オマエのせいで美子があのブタに食われてたかもしんねーんだぞ!!」
「…かも、でしょ?憶測でいい加減なこと言わないでよ。それに、俺一人でも何とかなったかもしんないじゃん?」
「しゅ、秀!!」
「…“憶測でいい加減なこと”を言ってるのは君の方だろう?」
何とか止めないとと思って秀の名前を呼ぶと、健でも秀でもない声が聞こえてきて思わず口をつぐんでしまった。そして、驚いて声のした方を見上げると、僅かに怒りを滲ませた表情の馨が秀を真っ直ぐ見つめながら立っていた。
「…僕は全てを見ていた訳じゃないから、君に何があって何故美子が雪の上に倒れていたのかまでは分からない。だから、具に事の責任を問うことはしないけど、それでも、“一人ではどうにもならなかった”という確かな事実が美子を危険に巻き込んだことは変えようのない結果じゃないか。」
「…あはは。何?いつもはウジウジモジモジと自信なさそーに隅っこから一言二言言うくらいなのに、人を叩けるチャンスだからっていーっぱい説教垂れてくれちゃって?それで自分は正しい人間だって自惚れてんの?笑えるんだけどー。」
馨の珍しい反論に驚いたような表情を浮かべていた秀だったけど、またすぐに馬鹿にするような笑顔を浮かべてそう言葉を返した。そして、面倒くさそうに胸倉を掴む健の手を振り払ってわざとらしい溜息を吐いた。
「…てゆーかさぁ、俺がお前らに「助けて!」なんて言った?言ってないよね?だったらお前らは勝手に巻き込まれにきただけじゃん?なのにさー、危険に巻き込まれた可哀想な被害者ヅラすんのやめてくんない?不愉快なんだけどー。」
「はぁ!?誰もそんなことー…」
「…ふざけるな。」
また別の声が聞こえてきたと思ったら、私の肩に掛かっていた熱が突然消えて人影が目の前を過った。それを追うように視線を動かすと、健を押し退けて秀の胸倉を掴む透夜の姿が目に映った。
「…論点を擦り替えるな。俺達が非難しているのは『お前が美子を危険に巻き込んだこと』であって『お前が俺達を危険に巻き込んだこと』ではない。…奴の目的は、俺達ではなく美子のみであることは美子を囮役にと決めたあの時から共通認識としてあったはずだ。そして、お前の役目は『猪笹王を引き連れながら美子を無事に罠の場所まで連れて逃げること』だった。…お前の実力と普段の行いから考えるに大方、お前の自分勝手な行動が、自分は強いと言う過信があの事態を引き起こしたのだろう。…確かに、お前がお前の勝手でどうなろうと俺は構わない。だが、お前の勝手に美子を巻き込むな!俺達は【四神】で【応龍】の守護者だ。自分の役目も果たせない、挙句には美子を危険に晒すような奴が、【四神】を、守護者を名乗るな!不愉快だ!!」
間髪いれずにそう言葉を秀にぶつけた透夜は、怒鳴った後に深呼吸を繰り返して息を整えていた。
「……あ、あのっ…」
透夜の怒鳴り声を最後に重い沈黙が漂う中、居ても立ってもいられなくてそう声を掛けながらおずおずと皆の間へ入って行った。
「…違うの。秀は、悪くないんだよ。わたしが…あの小さい猪達のことを忘れてたから、だから秀が危ない目に遭っちゃっただけなの。わたしがちゃんと、小さい猪達のことも考えて作戦を立ててたら、秀がケガしたり皆を巻き込んだりしなかったのに……だから、ごめんね、皆…。」
「美子、それはー…」
「ちょっと待てよ!何で美子が謝るんだよ!美子は何も悪くねーだろ!!」
私の謝罪に何か言おうとしていた馨の言葉を遮るように大声で反論したのは健で、私は首をしっかり横に振ってから健と馨と透夜の目を順に見つめた。
「ううん。だって、秀はちゃんとわたしを守りながら猪笹王を相手にあとちょっとってところまで追い詰めてたんだよ。その後に、あの小さい猪達が現れて、それに驚いてたところを狙われちゃっただけ。だから、秀は悪くない。」
事の経緯を伝えてきっぱりとそう言い切ると、三人は何か言いたそうな表情を浮かべながらも口を閉ざしていた。それに少し安心して軽く息を吐くと、今度はずっと黙って俯いている秀の正面に立った。
「…だから、その、秀。怖くて大変なことをお願いしちゃってごめんなさい。あと、あの岩みたいに大きな手に殴られてすっごく痛いはずなのに、わたしのこと助けようとしてくれてありがとう。わたしなら大丈夫だから、その……そんなこともそんな顔も、しなくていいよ。」
「…!」
私がそう言うと、秀は小さく息を呑んで肩を微かに震わせた。その小さな反応に、さっき見つめ合った瞳がやっぱり秀の本心だったんだと確信に変わった。
(…きっと秀は、自分を怒って欲しくてわざと皆を怒らせてたんだ。…いつもは人を揶揄ったり意地悪をしたりしてるけど、だけど、本当はすごく優しくて自信も責任感も人一倍ある人だからー…)
大丈夫だよと分かって欲しくて硬く握られた拳に手を触れようとした時だった。急に秀の手が動いたかと思えば、温かい腕が私の体を包んできつく抱き締めた。そして、
「…………ごめん…」
…とてもとても小さな声で紡がれたその言葉は、きっと私以外の人には聴こえないのだろうと思った。だけど、それはとても小さくても秀にとってはとても大きな一歩で、込み上げる喜びにお返しと言わんばかりに背中に手を回して私もぎゅっと強く抱き締めた。
「…うん!大丈夫だよ!皆も、ごめんねって言ったから、もう許してあげてね!」
抱き付く秀を宥めるように背中をさすりながら笑顔で三人にそう言うと、驚いたような表情をしてから顔を見合わせて仕方がないと言いたげに笑い合った。
「…はあ、まー、美子がそう言うなら許してやらねーこともねーけど。てか美子を使って謝るなよなー。」
「ふふ、そうだね。ちょっとずるいよね。」
「…ああ。謝罪は自らの口でしてこそだろう。」
「……別に、お前らに謝った訳じゃないんだけど。」
口々に挙がった不満に少し不機嫌そうな声でそう返すと、私の肩に埋めていた顔を上げてすごく近い距離で私を恨めしそうに睨んだ。
「…ねぇ、なーんで勝手にこいつらに言っちゃう訳?お陰様で勘違いされたんですけど?」
「あれれ?そうだったのー?でももう言っちゃったもーん。美子ちゃん悪くなーいもーん。」
秀のトゲトゲした言い分にちょっと戯けて返すと三人はおかしそうに笑って私の味方をしてくれた。それに秀も、諦めたように笑ってくれたから漸く私も安堵の笑みを浮かべることができたのだった。
………
……
…
「…透夜、どう?力戻ってきた?」
私がそう尋ねたのはあの緊張感たっぷりの出来事から数分後のことで、話し合った結果、まずは力を使い果たしてしまった透夜と殴られて怪我をしていた秀の回復を優先することとなったのだ。
「…不思議なものだな。こうして直接触れるとなるとここまで即座に力を生むとは…。いや、マフラーの時は力がそこまで失われていなかったため気付かなかったのか?……再度試してみる価値はありそうだな…。」
「…あのさぁ、そんなメンドーなことには絶対協力しないからね、俺。」
透夜の独り言にすっごく嫌そうな顔と声でそう返したのは秀で、胡座をかく足を支えに頬杖をついて掴んでいる透夜の腕を睨み見た。
「治ってきたなら良かった。やっぱり馨の言う通り、相生を使って正解だったね。」
透夜の元気な姿に安心して馨の顔を見つめると、馨も穏やかな表情で頷いてくれた。
「うん、良かったよ。でも、もしかすると応龍は土で金の白虎とは相生の関係にあるから、美子が秀の治療をしている今は更に効果が高まっているのかもね。」
「えっ?そうなの?」
「…なるほど。それも一理あるな。」
「余計なこと言わないでよ…。」
馨の言葉に更に嫌そうな表情を浮かべた秀は、もういいでしょとでも言いたげに掴んでいた透夜の腕をぽいっと離すと、立ち上がってお尻や膝に付いた雪を払った。するとちょうどその時、辺りを見回りに行ってくれていた健が戻ってきた。
「ん?もう治してもらったのか?」
「治したって、元々かすり傷程度の怪我だし。美子が大袈裟なのー。」
「そんなことないよ!小さなケガでも舐めちゃダメってお兄さまが言ってたもん!」
むう、と少し頬を膨らませて秀にそう言ってから、戻ってきたばかりの健を見つめると健は首を横に振って口を開いた。
「ざっと見てきたけど、辺りにはあのちっせー方のブタ共は一匹も倒れてなかったし、美子の巾着も落ちてなかったぞ。」
「うーん、やっぱりそっか…。」
健のその報告に、小さい猪達は多分猪笹王が起きていたり近くにいないと現れないんだろうなとは思っていたから驚きはせず、また巾着も秀にお腹とかを殴られて涎を吐き出した時に一緒に吐き出してないかなーとちょこっと期待していただけだったからそこまで落ち込むこともなかった。
「そうなると、やっぱり巾着はあそこかー…」
そう言って振り返って見たのは雪の上に横たわったまま動かない黒い大きな影で、近寄ってみると焦げたような匂いのする黒い煙が少し立っていた。
「…動かないね…。」
「ああ、動かねーな。」
「…死んじゃったのかな…。」
あんなたくさん攻撃を受けて最後には透夜の力いっぱいの雷で焼かれていたから…と最悪の結果を口にした時だった。
『……ングッ、グフゥーー…』
「うわっ!?」
急に向こうを向いていた頭がこちらを向いたかと思えば、その大きな鼻から強烈な風が吹き出して白い雪煙を上げながら私達の全身を包んでいった。
「っ…!美子、大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう、健。」
軽く飛ばされそうになった私を寸でのところで健が繋ぎ止めてくれたおかげで何とか飛ばずに済んでお礼を言うと、フゴーフゴーと豪快な寝息を立て始めた猪笹王をじっと見つめた。
「ね、寝てるだけだったんだ…良かったぁー…」
「えー…こいつ、しぶと過ぎない?どうしたら成仏してくれんの?」
気持ち良さそうないびきをかく猪笹王に安心する私とは裏腹に、呆れたような表情を浮かべた秀はそう言うと猪笹王の肘の辺りを忌々しそうに蹴った。
「こ、こら!秀!寝てる人にそういうことしちゃいけません!!」
もう一回蹴ろうとする秀を慌てて引っ張って猪笹王から遠ざけると、回復の終わった透夜が立ち上がって雪の上で眠っている猪笹王をじっと見つめた。
「…しかし、あれだけの猛攻を受けておきながら気絶のみで済むとは違和感を覚えるな。」
「えっ?違和感?」
透夜のその言葉を思わず繰り返すと、透夜の後を追うように馨が近付いてきて同じように猪笹王を見つめた。
「…そうだね。傷ももうほとんど治ってるみたいだし…それに、何か妖気とは別のものが混ざっていると言うか……」
「別のもの?」
今度は馨の言葉に首を傾げると、いつの間にか猪笹王のお腹の上に座っていた健が口を開いた。
「何だよ、はっきりしねー言い方だな。つーか妖気以外に妖怪が持てるもんなんかあるのか?」
「…うん、そうなんだけど、でも…何て言うのかな……妖気ほど濁ってなくて、寧ろ清らかと言うか……」
『私がお答え致しましょうか?』
…説明に困っている馨の言葉の後に響いたのはとても美しい声だった。だけど、その美しい声は身体の熱を奪うほど冷たくて、氷柱のような鋭さを感じた。すると、その声に身体が凍り付いたように動かなくなった私達を面白がるように笑う声が後ろから近付いてきた。
『…ふふ。如何なさいましたか?美子様?』
「……ひっ…!」
そう名前を呼ばれたのと同時に後ろから雪みたいに冷たい手が頬と首に触れて思わず小さな悲鳴を上げると、一番近くにいた秀が振り返って飛び上がり、私の後ろにいる何かに向かって蹴りを繰り出した。
「…っ!美子っ!」
秀とほぼ同時に反応したのは健で、猪笹王を蹴って真っ直ぐ私へ向かってくるとそのまま私を抱き上げて秀から距離を取った。
『…あら?怒っていらっしゃいます?何故でしょう…やはり殿方の考えることは解りませんわ。』
「…お前、誰?美子に何の用?」
健に抱えられながらその声のする方へ目を向けると、透夜の白い蛇の式神に巻き付かれた白い着物姿の美しい女の人が雪の上に転んだ状態で秀と見つめ合っていた。
「美子、ケガはねーか?」
「…あっ、う、うん。ちょっと冷たくて驚いただけ…それより、あの人は…?」
突然の出来事に混乱しながらもそう返事をして女の人を見つめると、私の視線に気が付いたのかこちらを向いて綺麗な笑みを浮かべた。
「…お前は「雪女」だな。目的を言え。さもなければそのまま蛇に喰わせる。」
『…まあ、強引なお方。私はただ皆様に「お答え致しましょうか?」と声を掛けただけですわ。』
そのやり取りに健から降りて恐る恐る近付くと、馨がそれ以上はダメだと言わんばかりに腕を伸ばして私を止めた。
「…あ、あの。お姉さん…?答えるって、何を答えてくれるんですか…?」
私がそう尋ねると、ちょっと面倒くさそうな表情をしていた女の人が満面の笑みを浮かべて私を見つめた。
『嬉しいですわ。こうして【応龍】のお姫様にお会いできるなんて。それに、見つめ合って言葉を交わすなんて……ああ、もう、胸が熱くて溶けてしまいそうですわ。』
答えになってない答えを熱っぽい顔で艶やかに口にした女の人にちょっと後退って馨の後ろに隠れると、健が木刀の先を女の人に向けた。
「おい、聞いてもねーことをベラベラ喋ってねーでさっさと答えろよ。」
『…はあ、逢瀬は邪魔しないで頂きたいものですけれども。ですが、今はそのように致しましょう。』
不機嫌そうに眉を顰めた女の人はゆっくり瞬きをすると、真剣な目で私を見つめて口を開いた。
『…私がお答えすると申し上げたのは、あなた方が抱かれた疑問に対する答えでございます。そう、例えば…何故そちらの猪笹王がこの町にいるのか、そしてその強靭さの理由など…ですかね。』
「猪笹王がここにいる理由を知っているんですか?」
確認するかのようにそう聞き返すと、女の人はしっかりと頷いてまた私を真っ直ぐに見つめた。
『…ええ、もちろん。神に誓って、嘘は申し上げておりません。』
その誓いにどうしようと皆を順に見つめると、特に問題はないと思っているのか無言で頷いてくれた。
「…あの、じゃあ、教えていただけますか?お姉さんの知ってること。」
それに背中を押されたように意を決してそう尋ねると、女の人は嬉しそうに笑った。
『はい、全てお話しします。』
「ありがとうございます。それじゃあ、まずはー…」
聞きたいことを整理して口にしようとした時だった。穏やかな笑顔を浮かべていた女の人がクスッと小さく笑って妖しげな目を私に向けて艶っぽく口を開いた。
『…ですがその前に、私と取引を致しませんか?』
「……えっ?取引…?」
思わずその言葉を繰り返すと、女の人は少し挑発的に笑ってゆっくり頷いた。
…妖しげな雰囲気に飲まれてしまったのか、その突然の提案に私はただその雪の結晶を閉じ込めたような美しい瞳を見つめ返すことしかできなかった。
続く…




