第14話 帰着
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…僅かな扉の間から吹き来る冷たい風の音だけが聴こえる部屋の中。そこには私を含めた四人の人影があったが誰一人として動かず、皆がただ囲炉裏を見つめていた。
(…なるほど、こうなるのか……やはり、と言うべきなのか。)
その静止画のように止まった光景を眺めてからゆっくり目を閉じ、静かに笑みを浮かべて脳裏にあの日の、あの方との最後のやり取りを思い浮かべた。
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「…それじゃあ、おばあちゃん。また一週間後に来ます!」
「またな!ばあちゃん!」
「ええ、またね。」
離れて行く二つの足音を聞きながら割烹着に袖を通していると、二人を見送っていた私の師匠こと桜井さんが小さな声で「あっ」と言った。
「佐藤さん、割烹着は着なくて良いですよ。」
「おや、何故ですか?」
確か残るように言われたのは新しいお菓子を教えるためだったはずだと首を傾げて理由を尋ねると、桜井さんは申し訳なさそうに笑って頭を下げた。
「ごめんなさい。実は明後日に注文なんて頂いていないんです。」
「…嘘、と言うことですか?何故そのようなことを…?」
冗談は言っても嘘を言うような方ではないというのはお世話になり始めてからの三週間でよく知っていただけに驚きを隠せずにいると、桜井さんは柔らかく微笑んでゆっくり瞬きをした。
「…佐藤さんに残っていただいたのは、二人きりでお話ししたいことがあったからなんです。…本当なら美子ちゃんや健君にもお話ししなくちゃいけないとは解っているんですけど、二人にはまだ少し早いと思ったので…。」
先の展開が全く読めずにただ困惑していると、桜井さんは「座って話しましょう」と言ってテーブル席に腰掛けた。それを見て私も割烹着を脱いで桜井さんの前に座ると、桜井さんは一つ深呼吸をして真剣な目で私を見つめた。
「…さっき、美子ちゃん達に一週間お休みを頂くと言いましたけど、私が一週間後に此処に戻ることはないと思います。」
「…それは、どういう意味でしょうか?」
理解し難い言葉に首を傾げながらそう返すと、桜井さんは机に置いていた自分の手を労わるように優しく撫でた。
「…老い先が短いのは嫌という程分かっていたつもりだったんですが、美子ちゃんと出逢って勘違いでもしてしまったのかしら。…怪我を治して貰っても身体が若返る訳でもないのに、美味しいと言って貰えることが、必要とされることが嬉しくて……少し、無理をし過ぎたようです。」
そう言って悲しそうに笑う桜井さんに、漸く言わんとしていることが解って息を呑んだ。
「…ま、待って下さい!そんな…いえ、それこそ、勘違いではありませんか?貴方はまだお若いですし、お店を切り盛りされる程お元気ではないですか。」
「ふふ、若いだなんて、九十近い婆には似合わない言葉ですよ。それに、最近ではお会計の所で座っているだけでも疲れてしまって……でも、元気に見えるなら良かったです。」
桜井さんは私の言葉に可笑しそうに笑っていたが、私は桜井さんの言葉に益々余裕を失っていった。
「…私は、貴方の勘違いだと思います。貴方はきっと、戻って来られます…それを、美子さんと健さんもきっと望まれているはずです。」
私がその名前を口にすると、桜井さんは少しの間言葉詰まらせた。そして、ついさっきお別れをした扉を見つめて口を開いた。
「…そうですね。さっきも「また来る」と言っていましたから、そんなこと考えもしていないんだと思います。…でも、あの子達は無意識のうちに私の最期に気が付いていて、私の最後の夢を叶えてくれたんじゃないかしらと偶に思うんです。とても、優しい子達ですからね……」
そう言うと、桜井さんはまた深呼吸をして居住まいを正し、私を真剣な目で見つめた。
「佐藤さん、今日こうして残っていただいたのは貴方に、このお店を継いで欲しいとお願いするためです。突然こんなことをお願いして困惑させてしまったのは申し訳ないんですが、どうか私の最後の我儘だと思って引き受けて貰えないでしょうか?お願いします。」
丁寧にそう告げてから深く頭を下げた桜井さんを、私は暫く無言で見つめることしか出来なかった。
(…私は、妖怪だ。命と言う限りは無い。そしてこの方は、素性も知れない私に居場所と菓子作りの技術を与えて下さった恩人だ。その恩人の頼みならこの身を顧みることなく頷くのが道理だろう。…しかし頷けば、この方の“勘違い”を認めることになる…私はこの方が戻って来ないなんてことは考えたくもない…失いたく、ないのだ……)
様々な思いが渦を巻いてズキズキと重く痛む頭に手を添えながら吐きそうになるのを堪えていると、桜井さんがもう一度「お願いします」と言った。それにまた、恩人の頼みに頷けない自分に腹が立った。
「…桜井さん、頭を上げてください。私には…何とお答えすれば良いのか分かりません……」
苦し紛れにそう言うと、桜井さんはゆっくり頭を上げて立ち上がった。そして、二階に上がったかと思えば戻って来たその手には白い紙や印鑑、筆ペンを載せたお盆が握られていた。
「でしたら、佐藤さん。私と賭けをしませんか?」
「…賭け、ですか…?」
突拍子もない提案にそう繰り返すと、桜井さんは椅子に座り、笑って頷いた。
「ええ。これから私は遺言書を書きます。そしてそれをこのお店の中に隠します。それをあの子達が探し出せなかったら貴方の勝ち、私は貴方に継いでいただくことを諦めます。だけど、もしもあの子達が私の遺言書を探し出すことが出来たら私の勝ち、その時は潔くこのお店を継いでください。」
一息に賭けの内容を説明し終えると、桜井さんは筆ペンを取ってさらさらと遺言書を書き始めた。
「…私はそもそも、貴方が戻って来ると信じています。ですから、遺言書をお書きになっても意味はないと思いますよ。」
「ええ、勿論私も戻って来られることを願っていますよ。でも、もしもの備えは必要ですし、それに…最近になってよく主人の夢を見るので、やはり備えておきたいんです。」
諦めの悪い私にそう返事をした桜井さんは最後に自分の名前と印鑑を押してそれを畳み、「遺言書」と書いた封筒に入れた。そして再び立ち上がると、今度は四角いテーブルのような椅子の所まで歩いて行き、置いてあった座布団を退かして木の蓋を開けた。
「…それは、囲炉裏ですか?」
「ええ。主人が作ってくれた物なんです。冬の間だけ囲炉裏として使っていたんですけど、私はもう使うことはないかも知れませんね。」
冗談めかして笑うと、桜井さんは囲炉裏の中央に書いたばかりの遺言書を置いて砂を軽く掛け、そしてその上に炭を置いていった。
「…遺言書は賭けの勝ち負けを左右する物で、そんな所に隠してしまうなんて、もし誰かが火を点けたら一緒に燃えてしまいますよ?」
「そうですね。でも、大事な物なので大切な場所に置いておきたいと思ったんです。それに、私が言い出した賭けなので私にとって多少不利でなければ公平ではないですからね。」
炭を置き終えた桜井さんは満足そうな笑みを浮かべて囲炉裏の縁を優しく撫でた。その目はまるで、愛おしい人を見つめているかのように輝いていた。
「…何故、不利な賭けまでして、このお店を続けようと思われたのですか?」
そう尋ねたのはほとんど無意識だった。聞いたところで妖怪の私には理解は出来ないだろうとは思ったが、桜井さんのその姿に、どうしても聞いておきたかった。
「…簡単ですよ。このお店は、私の夢だからです。あの人に先立たれても娘が町を出て行っても頑張って一人で続けてきましたが、寄る年波や怪我、そして寂しさにその夢を諦めそうになっていた時にあの子達が現れて手を差し伸べてくれたんです。…あの子達と出逢ってお店をまた続けられるようになって、こんな婆になっても夢が叶えられると知ったので、私がいなくなった後もあの子達がいるならその夢が叶えられるんじゃないかと思ったんです。…ふふ、どこまで我儘なのかしら、私。」
自分の言葉にクスクスと笑った桜井さんは囲炉裏からゆっくりと立ち上がると、柔らかな笑みを浮かべて私を見つめた。
「…私は貴方の本当のお名前も存じませんが、このお店で私の大切なお客様を笑顔にしてくださる素敵な方だと信じております。だから、私の代わりにこの賭けの行く末を見守ってくださいね。」
「…!……ふっ…そうと知りながら私に、貴方の夢を託されるのですか?それは余りにも無謀では?」
名前が偽りの物だといつ気が付いたのか気になりはしたが、そんな私に大切な物を譲ろうとする桜井さんに思わず笑ってしまった。すると、桜井さんは「うーん…」と暫く考え込むような素振りをした。
「…無謀、なのかも知れませんね。でも貴方は私の、お友達の小さな神様が連れて来てくださった方ですもの。信じるなという方が無理な話ですよ。」
そう言ってコロコロと鈴が転がるように笑うと、桜井さんは袂からマッチ箱を取り出して私に差し出した。
「これは、貴方にお渡ししておきますね。然るべき時に使ってください。」
「…良いのですか?燃やしてしまって…」
「ええ。そういう賭けですし、娘にとっては無い方が都合の良い物ですから、自然な流れで燃やすように導いてください。」
少し俯きながらそう頼むと、桜井さんはゆっくりと顔を上げて私を見つめた。そしていつものようににっこりと微笑んだその目は、悲しげでありながら期待と自信に満ち満ちていて何処か楽しそうだった。
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(…風の噂に、貴方の訃報を聞いた時は流石の私も驚いた。人は臨終を悟る力でもあるのだろうかと。そして今日、貴方が戻られると知って賭けの行く末を知るために訪ねたのだが……)
今に至るまでを思い返し終わって目を開くと、再び静止画のような光景が映し出された。だが、目を閉じる前とは変わって灰と炭の下にあった手紙は少女ーー美子さんの手に握られていた。
(…桜井さん、あの賭けは貴方の勝ちですね。貴方の友達の、小さな神様が貴方の夢を見つけてしまいましたからー…)
負けたというのに何故か誇らしくて小さくふふっと笑うと、尻餅を付いていた喪服の女性がハッと我に返って口を開いた。
「に、偽物よ!!か、母さんがそんな所に隠すはずないもの!!」
喪服の女性は美子さんが握る「遺言書」を指差して偽物だと怒鳴るように騒ぎ始めたが、美子さんは泣きそうな顔で「遺言書」を見つめながら首をしっかり横に振った。
「…偽物なんかじゃ、ありません。」
「嘘言わないで!!何て書いてあるかも分からないくせに!!」
「…確かに何て書いてあるか読めないです。だけど、このお店のお品書きは全部おばあちゃんが書いた物で、「お品書き」の字とこのお手紙の三文字目が同じ漢字で同じ書き方だってことくらいは見れば分かります。…娘なのに、そんなことも分からないんですか?」
ゆっくり顔を上げて凄むようにそう言った少女は、心臓が止まりそうになる程の鋭い目をその人に向けた。もしもその目を向けられたのが私なら、余りの恐ろしさに呼吸をすることすら出来ないだろうが、その女は恐れる様子もなく怒りに顔を真っ赤に染めた。
「っ!!あんたに私の何が分かるって言うの!!いいから黙って、さっさとそれを寄越しなさい!!」
そう怒鳴って美子さんから遺言書を奪おうとする女だったが、掴み掛かるよりも先に美子さんの前に立ち塞がった健さんが木刀を素早く抜いてその女の喉元に切っ先を突き立てた。
「…美子に触んじゃねぇ。」
「っ…!!このっ」
「お母さん!もうやめて!!」
健さんの威嚇に怯みながらも尚掴み掛かろうとする女を制したのは赤ん坊を抱いた女性で、階段を一段ずつ下りてから喪服の女の所まで歩いて行った。
「…もう、やめてよ。お母さんがこのお店を恨む気持ちも解らなくはないけど、遺書があったならその通りにするべきでしょ?それがおばあちゃんの、最後の願いなんだから……」
涙を浮かべながらそう説得する娘に少しは冷静になったのか、喪服の女性は暫く何も言わずに苦々しい表情をしていた。すると、階段を下って来た弁護士の男性が「藤川さん」と名前を呼んだ。
「…法律は勿論ですが、一番はお母様の御意思を尊重されるべきかと。」
「…っ、もう好きにして!!」
その言葉が決め手となったのか、喪服の女性は納得のいっていない表情を浮かべながらもそう言い捨てて乱暴に扉を開けると店を出て行ってしまった。
「…コホン、君、その手紙を見せて貰っても良いかな?」
嵐が去った後のような静けさの中、一つ咳払いをした弁護士の男性は遺言書を握り締めていた美子さんにそう尋ねると、美子さんは言葉もなくコクンとだけ頷いて持っていた手紙を渡した。すると、赤ん坊を抱いた女性が申し訳なさそうな顔で美子さん達の前でしゃがんだ。
「ごめんなさい。母が取り乱してしまって…怖かったよね?」
「あ、いえ。健が守ってくれたから、大丈夫です。」
首をぶんぶん横に振ってそう言うと、美子さんは隣に立っていた健さんと顔を見合わせて安心したように笑った。すると、それを見つめていた女性がまるで眩しいものでも見るかのように目を細めてふふっと軽やかに笑った。
「…ありがとう。このお店のために必死になってくれて。私、小さい頃からおばあちゃんがお土産として持って来てくれるお饅頭が大好きで、このお店とその味が無くなってしまうのが嫌だったの。それに、おばあちゃんもこのお店が大好きだったから、何とか残したいと思って母を説得してみたんだけど全然ダメで……だから、貴方達がおばあちゃんの遺言書を見付けてくれて本当に良かった。ありがとう。」
嬉しそうな笑みを浮かべながら二人にそう感謝を伝えた女性はよいしょと立ち上がると、今度は側に立っていた私を見つめて口を開いた。
「佐藤さん、でしたよね?おばあちゃんがお世話になりました。どうか、このお店をよろしくお願いします。」
「…ええ、漸く私も決心が付きました。私の負けです、桜井さん。」
真っ直ぐに私を見つめる目や笑い方があの方にそっくりだったから思わずそう答えると、その方は眉を寄せて首を傾げた。
「いやはや、丸く収まって良かったですね。芹奈さん。」
「あ、本当にご迷惑をお掛けしました。木下さん。」
最後に階段を下りて来たのは店の常連である木下さんで、芹奈さんと呼ばれた女性は慌てて頭を下げて謝罪をした。
「いえいえ、私は何もしていませんから。それに、私も慣れ親しんだ店が無くならずに済んで安心しましたよ。佐藤さんはこれから大変だとは思いますが、困ったことがあればいつでも相談にのりますよ。」
「ありがとうございます。」
頭を下げてお礼を言うと木下さんは朗らかにそう笑って大人達を見上げていた二人の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「美子ちゃんと健君もお手柄だったね。今後も贔屓にさせて貰うからよろしくね。」
「はい!お待ちしてます!」
「おう!任せとけ!」
木下さんは元気良くそう返事をした二人に微笑んで頷くと、私達に「失礼します」と言って店を出て行った。すると、桜井さんの遺言書を読んでいた弁護士の男性がまたコホンと咳払いをした。
「…ざっとですが、確認致しました。不備はないと思われますが自筆の場合は裁判所で検認を受ける決まりですので、また後日改めてこちらにお伺い致します。」
「分かりました。」
その言葉に頷くと、弁護士の男性はその手紙を長椅子の横に置いていた黒い鞄に丁寧にしまって芹奈さんと共に店を出て行った。
「…終わった、の…?…このお店のお話……」
何時振りかの静寂に恐る恐るそう呟いたのは美子さんで、隣にいた健さんの手を握りしめながらゆっくり私を見上げた。
「…ええ。どうやら、終わったようですね。」
「…このお店、無くならないんだよね?おじいちゃんが、続けるんだよね?」
「はい。」
誓いでも立てるかのように僅かに緊張しながらもしっかりとした声で返事をすると、美子さんは大粒の涙を目に溜めてヨロヨロと床に座り込んだ。
「…よ、よかったぁぁ!おばあちゃんの大好きなお店、なくならなくて、よかったぁあ…!!」
「…ああ!本当に良かったな!」
泣きながら笑う美子さんの手をしっかり握って背中を撫でる健さんも、さっきまでの鋭さは微塵もなく安心したような笑顔を浮かべていた。
「そうですね、桜井さんもきっと喜んでいらっしゃいますよ。」
二人を立たせて囲炉裏の縁に座らせると、美子さんは服の袖でゴシゴシと涙を拭って桜井さんと同じように囲炉裏の縁を優しく撫でた。
「だけど美子、よく気が付いたよな。囲炉裏の中にばあちゃんの手紙があるなんてさ。」
「おじいちゃんが言ったでしょ?「大事な物だから大切な所に置いておく」っておばあちゃんが言ってたって。だからもしかしてって思ったの。…ん?そう言えばおじいちゃん、ゆいごんしょを見つけた時、あまり驚いてなかったような…?」
向けられた疑惑の目に笑顔だけを返すと、肯定と受け取ったのか美子さんは「えーーー!!!?」と大きな声で叫んだ。
「何だ、じいちゃん、知ってたのかよ。なら何で知らないって嘘ついたんだよ?」
「申し訳ありません。そういう約束でしたので。ですが、美子さん。いくら火がついていないとはいえ、囲炉裏に手を突っ込むのはおやめくださいね。火傷でもされたら一大事ですから。」
謝罪の後にそう付け足すと美子さんはうっ…と言葉を詰まらせ、健さんにもそうだそうだと言わんばかりの視線を向けられた結果、小さく「…ごめんなさい」と謝った。
「さて、難しい話も一段落ついたことですし、報告も兼ねて師匠にご挨拶しませんか?御家族によると二階にいらっしゃるようですよ。」
「あ!そうだね!わたしもお花作ってー…」
私の言葉に明るい笑顔を浮かべて大きく頷いた美子さんだったが、椅子の上に置いていた手提げ鞄を見た途端に固まってしまった。そして、囲炉裏から立ち上がって静かにその鞄を手に取ると中を見て悲しげな表情を浮かべた。
「…やっぱり、お線香だけにする。」
「何でだ?せっかく作ったんだろ?」
「…うん…でも、やっぱりいいや…」
そう言って鞄を後ろ手に隠そうとすると、健さんはその手を掴んで一瞬だけ鞄を見てから美子さんの目を見つめて笑った。
「大丈夫だって!美子が一生懸命作ったもんならばあちゃんも喜んでくれるって!」
「…そう、かな…?…おばあちゃん、こんなぐしゃぐしゃでも、喜んでくれるかな…?」
「ああ!」
健さんのその言葉に少し元気を取り戻したようだったが、美子さんはまだ浮かない顔のままだった。
「では、お菓子とお茶を作ってお花と一緒に差し上げるのは如何でしょう?」
このままでは桜井さんも悲しむだろうと思ってそう提案すると、二人は驚いたような顔で私を見上げた。
「お菓子…?」
「はい。一週間人が居なかったので掃除と材料の買い出しからですが、お二人のお菓子でしたらきっと喜んでくださると思いますよ。」
如何でしょう?と再度微笑んでみると、二人は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。
「いいな!それ!菓子だったら、ばあちゃんも大好きだしな!」
「うん!美味しいっておばあちゃんが言ってくれるように一生懸命作ろうね!」
溌剌とした笑顔に私も胸を撫で下ろし、仕切り直すように咳払いをした。
「では、始めましょうか。掃除は私が致しますので、お二人には買い出しをお願いしても宜しいでしょうか?」
「うん!任せて!」
そう勢いよく頷いて返事をすると、美子さんは椅子の上に置いていた黄色のマフラーを首に巻いてお会計台の下からお財布を取って戻って来た健さんと手を繋いだ。
「行ってくるね!すぐ戻るからお掃除よろしくね!」
「はい。こちらはお任せください。」
軽く頭を下げて「行ってらっしゃいませ」と言うと、二人はいつものように手を繋ぎながら颯爽と裏通りを駆けて行った。その小さな背中が見えなくなるまで見送っていると、肌が粟立つほど冷たい風が頬を撫でていった。
「…全く、恐ろしい方ですね。貴方もー…」
あの二人を追いかけるように通り過ぎて行く風にそう呟き笑えば、何処からか鈴の転がるような音が聴こえたような気がした。
続く…




