第13話 相続
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…聞こえた不穏な言葉に思わずインターフォンも押さずに扉を開けて飛び込むと、お店の中には黒い服を着た中年の女の人と黒縁眼鏡を掛けた黒いスーツの男の人、そしてスヤスヤと眠る赤ちゃんを抱いた若い女の人が立っていて、赤ちゃん以外の三人は驚いたような表情で私を見つめていた。
(…?この人達、誰…?)
「…あなた、誰?どこの子?うちに何の用?」
初めて見る大人の人達を無言で順番に眺めていると、まるで私の疑問を読み取ったかのように中年の女の人が私にそう尋ねた。
「…あっ、その…わ、わたしは、その…」
お兄様に教えてもらった言葉を言おうと思ったけど扉越しに聞こえたことが気掛かりで、どう答えようか混乱していると花束入りの鞄を持つ手とは反対の手がそっと握られた。
「そう言うアンタらこそ誰だよ。ばあちゃんの店に勝手に入り込んで何やってんだ?」
私の手を握ったのはやっぱり健で、口籠る私に代わって大人の人達にそう聞き返してくれた。すると、お店の真ん中に立っていた中年の女の人が眉を寄せて大きな溜息を吐いた。
「…子供ってこれだから嫌いなのよ。親の躾がなってないのねぇ、僕?初対面の人には自分から名乗るものよ?じゃないとすっごい失礼な奴になっちゃうの、分かるかしら?」
「だったら先に話し始めたそっちから名乗れよ。失礼なんだろ?」
健がそう返すと、その女の人は引き攣った笑顔で健を睨んだ。
「…あんた、本当に失礼な奴ね。何?その子の前で格好でも付けたいの?余裕のない男はモテないわよ?」
「お母さん、いい加減にして!こんな小さな子供相手に喧嘩だなんて馬鹿げてるよ!」
聞くに耐えないと言った顔でそう叫んだのは眠る赤ちゃんを抱く若い女の人で、「お母さん」と呼んだことから二人は親子なんだと判った。
「…すみません。私が止めるべきでしたね、どうか許してあげてください。」
その言葉に振り返ると、木下さんは申し訳なさそうな顔で軽く一礼してから敷居を跨いでお店の中へ入って来た。
「あら、木下さん。お久し振りですね。」
さっきとは打って変わって上品な声音でそう挨拶をした女の人は、人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「武正さんの一周忌の時以来ですかね、お元気そうで何よりです。桜井さん…いや、今は藤川さんでしたね。」
「ええ、その節はどうも。…それより、その子達とはどのようなご関係で?お孫さんではなさそうですけど。」
すると、笑顔を浮かべていた女の人が一瞬だけ冷たい目で睨んだので思わず健の後ろに隠れると、木下さんは優しく私と健の肩に手を置いて微笑んだ。
「この子達は美子ちゃんと健君と言いまして、よくこのお店のお手伝いに来てくれていたんですよ。」
「…店の手伝いに?」
驚いた顔でそう繰り返した女の人と目が合って、今ならちゃんと話せるかもと慌てて頷き口を開いた。
「あ、あの、勝手に入ってしまってごめんなさい。その、わたし達はおばあちゃんとはお友達で、一週間前まではお菓子の作り方を教えてもらいながらお店のお手伝いをしてました。それで、あの、今日はおばあちゃんとお別れをしたくて来ました。」
おばあちゃんとの関係や今日の目的を説明し終えてから言い忘れていた「ご愁傷様です」を小声で言うと少しの間沈黙が流れた。間違ったことは言ってないはずと自分の言った言葉を頭の中で繰り返していると、黙っていた女の人が鼻でふっと笑った。
「…こんな子供と友達だなんて、寂しいなら早く店を畳んで私達と一緒に暮らせば良かったのに。」
「…えっ…?」
どうしておばあちゃんが私達と友達で笑われるようなことがあるのか全く解らなくて返す言葉に迷っていると、その人は「まあいいわ」と言って長椅子の前に立っていたスーツの男の人の方を向いた。
「お待たせしてすみません、先生。さっきの話の続きなんですけどね、やっぱりこの店と土地は売ってしまいたいんです。私には継ぐ気なんて更々ないし、ここに帰ってくる気もないので。」
「っ!ま、待って下さい!!売るってどういうことですか?!」
「何でオマエにそんなこと決める権利があんだよ?」
さっき扉越しに聞こえた言葉と同じ言葉に黙っていられずそれぞれそう口を挟むと、女の人はまた深い溜息を吐いた。
「察しが悪いのね、何でって私がこの家の持ち主だった「おばあちゃん」の一人娘でこの店も土地も私に相続する権利があるからよ。分かったならさっさとお別れでもして出て行ってくれない?邪魔なのよ。」
不機嫌そうな顔でそう言うと女の人は私達に向かって右手でシッシッと追い払うような仕草をした。健はそれにチッと舌打ちをしていたけど、私は苛立ちよりも焦りが勝って急いでその女の人とスーツの男の人の間に立ち塞がった。
「あ、あの!待って下さい!お店も土地も、売らないで下さい!だって、おばあちゃんもこの町の皆も大好きな場所だから、無くなったら絶対に悲しむと思うんです!だから、お願いします!」
真っ直ぐ目を見つめてそうお願いして、もう一度頭を下げて「お願いします!」と繰り返した。だけど、返って来たのは嘲笑うような笑い声だった。
「あのねぇ、お嬢ちゃん。そうやって頼むのは簡単よ?でも固定資産税って知ってる?それに維持費だって掛かるのよ?誰も住まないお家に毎年たくさんのお金を払うなんて馬鹿げてると思わない?それなら売っ払ってお金にした方が私や孫の芹奈、そして生まれたばかりの曾孫の鈴のためにもなるって母さんなら喜んでくれる、私は娘だから分かるの。だから、赤の他人で子供のあなたは口出ししないで頂戴。」
恐怖すら感じる笑顔で一気にそう言うとその人は私の肩を押して帰るように促した。苛ついているのか思ったよりも強い力で押されて転びそうになった所を健が支えてくれて転ばず済んだけど、持っていた鞄を落としてしまった。
「あっ…」
「おい!ババア!汚ねー手で美子に触ってんじゃねーよ!!危ねーだろ!!」
「なっ!?ババアですって!?あんた、いい加減にしなさいよ!!」
「お母さん!やめて!」
「藤川さん!落ち着いて!」
鞄を拾おうと手を伸ばす私を女の人から守るように抱きしめる健と、私の鞄を思いっきり踏んで健の道着の肩口を乱暴に掴む女の人を必死に止めようとする木下さんとスーツの男の人、そして険悪な雰囲気に泣き出してしまう赤ちゃんに店内は騒然としていた。
(…お花、せっかくお兄様と作ったのに…綺麗なお花をおばあちゃんにあげたかったのに……それに、お店のこともどうしたら……)
踏まれてぐちゃぐちゃになった鞄を見つめながら絶望的な状況に思わず泣きそうになった時だった。開けっ放しにしていた扉から震えるほどの冷たい風と共にコンコンと叩く音が聞こえてきた。
「こんにちは。今日は一段と冷えますね、皆さん。」
「…おじい、ちゃん…?」
扉の所に立っていたのは花束を抱えた佐藤のおじいちゃんで、そう挨拶をすると被っていた帽子を取って軽く会釈をした。
「…今度は誰よ…ごめんなさいねぇ、もうこのお店やってないんですよ、おじいさん。」
小さく舌打ちをしてから笑顔を作ってそう対応した女の人に、佐藤のおじいちゃんは穏やかな笑顔を浮かべて口を開いた。
「これはこれは、ご挨拶が遅れて申し訳ない。私、佐藤と申します。そちらにいらっしゃる美子さんと健さんと同じくこちらのお店で桜井さんにお菓子作りや接客を学んでおりました。所謂弟子というやつですね。」
丁寧にそう自己紹介をすると、おじいちゃんは涙ぐむ私を見つめて優しく微笑んでくれた。
「へーそうですか。お弟子さんねぇ…母さんの我儘に付き合ってくださったんですね。ご迷惑をお掛けしてごめんなさい。」
「いえいえ、迷惑だなんてとんでもない。桜井さんにはお菓子作りの他にも本当にたくさんのことを教えていただきましたし、食事や衣服までご用意してくださって感謝してもしきれません。」
お礼を言うように頭を下げてから静かに扉を閉めると、帽子に続いて今度は首に巻いていたマフラーを取って腕にかけた。
「…それで?お弟子さんが何の御用かしら?ああ、この失礼な子達と同じで母さんとお別れしにでもいらしたの?」
早くスーツの男の人と会話の続きをしたいのか苛立ちを滲ませた声でそう言うと、おじいちゃんはふふっと軽やかに笑った。
「はい。桜井さんには大変お世話になりましたのでそのお礼も兼ねてご挨拶をと思いまして。」
「あらそう。なら二階に上がって」
「そう言えば。」
店の奥の階段を指差した女の人の言葉を遮ったのはおじいちゃんの突き刺すような凛とした声で、女の人は目を見開いたまま固まってしまった。
「…風の噂に妙なことを聞きまして、どこかのどなたかが「この店を売る」なんて仰っているようなんです。おかしいですねぇ…桜井さんは“私に”、この店と土地を譲ってくださると仰って私の目の前でその旨を書に認めていらっしゃったんですが…娘の貴方は勿論、それをご存知ですよね?」
おじいちゃんの言葉に、その場が水を打ったように静まり返った。そして、暫く続いた沈黙を破ったのはおばあちゃんの娘さんだった。
「…はっ…?…な、何言ってるの!?そんなはずないわ!!デタラメに決まってるわ!!」
「いいえ、確かにこのお店で桜井さんがそう仰っておりました。デタラメなどではありません。」
焦りと憤りで余裕のない娘さんは冷静な態度を崩さないおじいちゃんに一瞬目を泳がせてから顔を真っ赤にして口を開いた。
「そ、そもそも!弟子とは言え赤の他人の貴方に母さんの遺産を相続する権利なんかないじゃない!!だから、貴方が店を相続することなんか」
「少々宜しいでしょうか?」
叫ぶようにして言葉を紡ぐ娘さんの言葉を遮ったのはそれまでずっと喋っていなかったスーツの男の人で、さっきの騒動で乱れたネクタイを軽く直すとコホンと咳払いをした。
「私、弁護士の山瀬と申します。本日は遺産相続の件でこちらに参りましたが、佐藤さんと仰いましたか?先程「桜井さんが目の前で書を認めた」と仰っていましたが、それは本当でしょうか?」
「はい。一週間程前のことですが確かにそうお書きになってましたよ。」
「では、その書状をお持ちなのですか?でしたら拝見したいのですが。」
「ちょ、ちょっと待って頂戴!先生、まさかこんなデタラメを本気にしてるんですか!?」
慌てて弁護士と名乗った男の人に詰め寄ったのは娘さんで、その顔色からも声音からも焦りが感じられた。
「藤川さん、先程「赤の他人には遺産を相続する権利がない」と仰っていましたが、それはあくまで遺言書がない場合の話です。遺産の相続は本来、故人の御意思によって決められます。それを書き記した物が遺言書であり、その内容によってどのように遺産を分割し相続をするのかが決まるのです。勿論、遺言書の有無に関わらず第一位相続人である貴方には遺留分という形で決められた相続分がありますが、それさえ侵害していなければ赤の他人でも相続ができるんです。」
淡々と紡がれた相続の話を私と健はほとんど理解できなかったけど、それを聞いた娘さんの真っ青な顔と穏やかな笑みを浮かべたおじいちゃんに希望が生まれた。そして、説明し終えた弁護士さんはもう一度おじいちゃんを見て眼鏡を整えた。
「では、遺言書を。」
そう言って弁護士さんは頂戴とおじいちゃんに手を差し出したけど、おじいちゃんはゆっくり首を横に振った。
「…掻き乱すようで申し訳ありませんが、私が見たのは桜井さんが遺言書なるものをお書きになっているところだけなんです。ただ「大事な物だから、大切なところに置いておく」とだけ仰って、どこへその書を仕舞われたのかは教えていただけませんでした。」
おじいちゃんのその言葉に、お店の中が今度は静かに騒がしくなった。その騒がしさは、驚きと焦りと喜びが入り混じったような騒がしさだった。
「…そうですか、でしたら探してみましょう。宜しいですね?藤川さん。」
「…ええ、どうぞ?私はー…デタラメに付き合う訳にはいかないので休ませて貰いますけど。」
そう言うと、さっきまで真っ青な顔をしていたのが嘘のように晴れやかな表情で長椅子へと歩いて行った。
「それでは、お手伝い頂ける方は是非お願いします。君達は、もし白い手紙のような物を見つけたら大人の誰かに確認してもらうように。分かったね?」
「は、はい!」
「おう!」
弁護士さんの言葉に元気良く頷いて答えると、弁護士さんと孫の芹奈さん、木下さんは二階へ上がって行った。
「と、とにかく探そう!ゆいごんしょ…どんなのか分かんないけど、白いお手紙だって言ってたから、お店の中を探してみよう!!」
健とおじいちゃんが頷くのを見てから拾った鞄を軽く叩いてテーブル席の椅子にマフラーと一緒に置き、お店の中を探し始めた。だけど、商品を入れる紙袋の間やレジの近く、ショーケースの中や掃除道具入れの中、トイレ、そして調理場の食器棚や冷蔵庫の中まで隈なく探してみたのにいつもと変わったようなところもなく、それらしい物も見つからなかった。
(…どこにあるの!?おばあちゃんのお手紙…!おじいちゃんが見たって言うなら絶対にある!絶対に、見つけないと…!じゃないと、おばあちゃんの大切なお店が…)
「ふわぁ〜あ…ねぇ、まだ終わらないのかしらぁ?私も暇じゃないのよぉ?」
屈んでテーブル席の裏を探していると、長椅子で退屈そうにしていた娘さんがわざとらしく欠伸をしてニヤニヤとレジの辺りを探すおじいちゃんを見ていた。
「ご迷惑をお掛けしてすみません。このお店のどこかにあるはずなんですが…なかなか見つかりませんね。」
「本当に迷惑だわ〜。ない物をあるだなんて、この店と母さんが好きなのは分かったけど嘘に巻き込まれるのは勘弁したいわよね〜。」
「…探してねーくせに、何言ってんだあのババア…」
「け、健…」
木刀の柄にそっと手を置いた健を落ち着かせていると、ほんの少し開いた扉の間から冷たい風が吹き込んできた。
「…今日は本当に冷えるわね。お茶でも淹れようかしら。」
長椅子のある場所が入口から比較的近いところだったからか、体を震わせて腕を摩った娘さんはよいしょっと立ち上がって調理場へ向かって歩き出した。その途中で「あら」と小さく声を上げたかと思えば、その目線の先にあったのは蓋が外された状態のあの囲炉裏だった。
「まだ使ってたのね、これ。あ、そうだ。どうせならこれで暖でも取ろうかしら。確かマッチは二階の仏壇よね〜。」
「良かったら使ってください。」
マッチを取りに階段へ行こうとする娘さんにそう言ってマッチの箱を差し出したのはいつの間にか移動して来ていたおじいちゃんで、ニコニコと優しそうな笑顔を浮かべていた。
「あら、気が効くのね。どうもありがとう。それにしても、今時マッチを持ち歩いてるなんて変わってるわね。」
「昔は煙管を嗜んでおりましたからその名残ですよ。」
へぇと興味なさそうに返事をすると、娘さんはおじいちゃんから受け取ったマッチで何度も何度も火を付けようと箱の横のところで棒を擦っていた。
「…なぁ、美子。あれっていつも座布団置いて椅子にしてたやつだよな?何で穴空いてんだ?」
「あ、あれはね、囲炉裏って言うんだって。火を点けると暖かくなるから冬の間だけお団子焼いたりして使うんだって。」
小声で健にそう教えてあげると、健はへぇーと楽しそうに返事をしてくれた。
「なかなか点かないわね…はあ、めんどくさいわねぇ…。」
(…そう言えば、私が最後におばあちゃんとお話しした時も、ああやっておばあちゃん、囲炉裏のところに座ってたんだよね…)
言葉や態度は違ってもやっぱりどこかおばあちゃんの面影を感じる娘さんにおばあちゃんのことを思い浮かべてまた泣きそうになった時だった。
『…この囲炉裏はね、私の夫が作ってくれたものなの。冬は皆、焼き立ての温かいお団子が食べたいだろうからってね。あの人、不器用なくせにやるって言ったら聞かなくって、手だけじゃなくて全身にいくつも傷を作ってたわ。』
『ただ「大事な物だから、大切なところに置いておく」とだけ仰って、どこへその書を仕舞われたのかは教えていただけませんでした。』
…一週間前でも色褪せることなく覚えているその言葉と愛おしそうに撫でる優しい手、そしてキラキラと輝く目をしたおばあちゃんがふっと現れた。そして、その光景にさっきのおじいちゃんの言葉が頭の中に響いた。
「あっ、やっと着いたわ!これでようやく火が点けられるわね。」
何度も擦って何本も折って漸くマッチ棒に火を点けた娘さんはそう言って嬉しそうにその火を囲炉裏の炭へと近付けていった。
「待って!!」
「!?」
ダメだと思ってそう叫ぶと、娘さんは突然の大声に驚いたのか飛び上がって囲炉裏から転がり落ちるように床へ尻餅をついた。その拍子に持っていたマッチが炭の上に落ちたのを見て咄嗟に囲炉裏の炭に手を伸ばしていた。
「…あっ…」
「美子!!大丈夫ー…」
突然の行動だったことに加えて、囲炉裏にへばり付いて動かない私に火傷をしているんじゃないかと思ったのか焦ったように駆け寄って来た健は炭から手を離そうと私の手を掴んだ瞬間ピタリと動かなくなってしまった。
…それにきっと、健も見たのだろうと思った。私がマッチの火を消そうと崩した炭と灰の中にある白い手紙のような物を…。
続く…




